星の降る夜は 2
「殿下…。」 リブは目線で千尋を示しながら、アシュヴィンに訴えかけた。 その意味に気づいたのかどうなのか。 彼はスッと立ち上がった。 「今日のところはもう休む。浅いとはいえ、手傷を負ったことだしな。」 「…あ、はい。では、姫様のお部屋へ…?」 「いや、自室でいい。」 そんな彼に、領主の娘が嬉しそうにくっついている。 「あ、あの殿下、しかしながら姫様はずっと殿下のお帰りを…。」 そのまま出て行こうとするアシュヴィンにリブは慌てて声をかけた。 「リブ、気にしなくていいからっ。」 「姫様?」 「アシュヴィンも疲れてるだろうし…。わたしももう休むね。じゃっ。」 千尋はそう言うと、アシュヴィンの横をすり抜けて足早に出て行った。 「姫、お待ちくださいっ。……殿下、いったいどういうおつもりですか!」 リブは珍しく声を荒げてアシュヴィンにかみついた。 「…リブ、例のものを持って部屋へ来い。」 「……?」 だがアシュヴィンは、小声で耳打ちするとゆっくりと出て行った。 その後を領主の娘が追いかけていく。 「なんだか波乱万丈って感じだな。この戦が終わったら千尋は中つ国へつれて帰った方がいいんじゃないか?」 彼らの様子を見ていた那岐が、投げやりな調子でそう呟く。 「那岐殿、姫様をお願いできますか?」 「ああ、さすがにあのままにはしておけないだろ。なんだか貧乏くじって気がしないでもないけど。」 「お願いします。」 アシュヴィンの指示から何かを感じ取ったリブは、那岐に頭を下げると、そのまま厨房へと足を向けた。 「密約のため、ですか。」 茶器を片付けながら、リブが呟いた。 「しかしながら、もう少し他のやり方があったのでは。姫様の前であんな…。」 「こそこそ隠しておくほうが怪しいだろう。こっちは清廉潔白なんだ。」 アシュヴィンはソファの肘掛に腕を置き、リブが新しく淹れ直した茶を口にした。 ベッドの上では、例の娘が眠りこけている。 「それにしても、遠夜殿の薬草は効果絶大ですね。」 リブはそれを見ながら苦笑いを浮かべた。 あの夜、千尋の部屋に届けた茶がこのようなものだったとは思いもしなかった。 結果的に、主君二人の邪魔をしたのは自分だったことになる。 「まさかこのようなものだったとは…。や、なんともはや…申し訳ありませんでした。」 「あいつも悪気あったわけじゃないだろう。いいさ、今回は役に立ったんだからな。」 このような娘、放り出すことは簡単だ。 だが。 アシュヴィンが襲撃されたあと領主はすぐに反乱に加わった者たちを捕らえたが、反乱には加わらなかったものの密約を不満に思う者が他にもいることは、容易に想像できた。 『実は娘が、殿下のことを一目見たときからお慕いしておるようでして。』 『…?』 『ひとつのご提案ではあるのですが。娘を殿下のお側に置いて頂けんでしょうか。』 『どういうことだ。』 眉を寄せ、明らかに不快感をあらわにしたアシュヴィンに、領主は慌てて説明を加えた。 『ああ、その、つまり…。』 「つまり、不満分子にとっては、主君の娘を人質に取られた形になったわけですか。」 リブは少し呆れたようにアシュヴィンを見た。 「そういうことにして、奴等を抑えたいのだろう。全く他力本願も甚だしい。」 アシュヴィンはティーカップの茶を一気に煽ると、ソファの背にドカッと身を投げ出した。 「殿下にしては珍しいですね。」 リブはそんな彼を見て苦笑した。 実際は領主からの提案だったにしても、公の目で見たらアシュヴィンが領主を脅して服従させたようにしか映らない。 彼を慕う臣民が多い中で、そのような事実はアシュヴィンの評価を下げることに繋がる。 「そんなことは大した問題じゃないさ。一領地の事情にいちいち構っている暇はない。他にもやることは山ほどあるんだからな。それに…。」 アシュヴィンはカップをリブに渡しながら立ち上がった。 戸惑いの中に哀しみの色を滲ませていた彼女の瞳が、焼きついて離れない。 「おや、どちらへ?」 「決まっているだろう。この娘がいたから自室へ戻っただけだ。」 何よりも早く千尋に会いたい。 少しばかりややこしい事態になったが、彼女に会いたい一心で、さっさと切り上げて戻ってきたのだ。 「それを聞いて安心しました。どうぞごゆっくり。」 「言っておくが、もう茶は要らんぞ。」 「委細、承知しております。」 苦笑いしながら主君への礼の姿勢を取るリブに対し、満足そうな笑みを浮かべたアシュヴィンは、そのまま足早に部屋を出て行った。 「…あ。そういえば那岐殿に…。」 その姿を見送ったリブは、ふと那岐に千尋の件を頼んだことを思い出した。 このままでは、千尋が彼と一緒にいる場面に鉢合わせすることになる。 「でもまぁ、これでおあいこってとこですかね。」 千尋にあれだけ嫌な思いをさせたのだ。アシュヴィンにも少しくらいはやきもきして貰えば良いだろう。 「さて、問題はこの娘ですね…。」 リブは寝台で無造作に眠る娘を見て、ため息をついた。 「だからさ、皇族なんてそんなもんだろ。」 千尋の部屋へと続く回廊。 そこから中庭へと通じる道に置かれている岩の上に、千尋が小さく腰掛けていた。 そんな彼女と背を合わせるようして、那岐も片足を立て無造作に座っていた。 「正妻の他に側室を何人も置くなんて、よくある話さ。」 「那岐も?那岐もそうなの?」 「え、僕…??」 「那岐も王族の一人でしょ。」 いきなり自分のことへと話を振られた那岐は焦った。 「いや、僕は…。思春期をあっちの世界で過ごしたんだ。そういうのは気持ちが受け付けないだろ、普通。」 「そう。わたしも同じだよ。」 「……。」 確かにその通りだ。千尋は女性だから尚更そうだろう。 「ほんっと、めんどくさい世界だな。」 那岐は大岩の上に器用に寝転がった。だが。 謀らずも彼女を下から見上げる格好になった那岐は、千尋の頬に涙の跡を見つけて言葉を失った。 「……っ…。」 スッと目を逸らせた那岐は、一瞬の沈黙の後、口を開いた。 「千尋、この戦が片付いたら…。帰らないか、中つ国へ。」 「え?」 「もともと、常世の国の皇に対抗するためにした政略結婚だろ。戦が終わったらもう必要なくなるじゃないか。」 アシュヴィンはどう思っているのか知らないが、この国に来てからの千尋はいつも寂しそうな顔をしているように見える。 「あいつだってそうなんじゃないの? 連合軍を作るために、中つ国の姫って肩書きの正室が必要なだけだろ。」 「そんなこと…。」 ない、と言いたいが、柊の一件があったあの日以来、まともに話も出来ていない。 あのとき彼は、「中つ国の姫ではなく、千尋が欲しかった」と、そう言ってくれたはず。 だが今となっては、それも幻だったのではないかと不安になってしまう。 腕にまとわり付く領主の娘を拒否しようともしなかった彼の姿を思い出して、千尋は再び、胸がギュッとしぼられるように痛むのを感じた。 「千尋。僕なら心に決めた唯一の人を…。」 那岐は身を起こして、千尋を正面から見つめた。 (そう、僕なら千尋だけを一生、大切にしてやる。) 「那岐…?」 |
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