花舞う空へ君と 5

「俺の最愛の妃を手籠めにしようするとは言語道断。その命、差し出す覚悟があるんだろうな?」

「な、何者だっ。」

その声に領主と衛兵たちが身構えた瞬間。凄まじい稲妻が走ると同時に、辺り一帯に雷鳴が轟き渡った。

「うわぁっっ。」

「なっ…何事だっ。」

巻き起こった爆風にサザキは跳ね飛ばされ、咄嗟に身構えた風早や忍人たちはかろうじて倒れるのを堪えた。

「千尋はっ?」

後方に居て難を逃れた那岐が慌てて広間に駆け出したとき。
それと同時に黒麒麟が広間に飛び込んできた。

「え?」

「那岐っ。」

咄嗟に動きを止めた那岐を、風早がぐいっと引っ張り戻した。


「千尋、無事かっっ。」

「……え?」

頭を抱えてしゃがみこんでいた千尋が恐る恐る顔を上げると、黒麒麟からアシュヴィンが飛び降りるのが見えた。

「アシュ…ヴィン?」

ふらふらと立ち上がった千尋をアシュヴィンが思い切り抱きしめる。

「千尋っっ。」

「ど…うして…。」

「どうして、じゃないっ。勝手に動くなとあれほど言っただろうっ。」

言いたいことは山ほどあったが、アシュヴィンは抱擁を解くと、千尋の全身を見渡した。

「怪我は…ないな。」

ホッとして息をつく。
ずっと息を詰めていたのか、指先の感覚がないほど冷たいことに、今更ながら気がついた。

「全く、寿命が縮む思いだぞっ。」

「ごめん…ただ、あなたの役に立ちたくて…。」

だが、結局なんの成果も出せなかった。それどころか、他の男に手籠めにされるところだった。

「……っ。」

領主に両手を掴まれたときの感覚を思い出し、今頃になって手足が震え始め、涙がにじむ。

「アシュ…ヴィン…っ。」

目の前にいる彼の存在が、どれだけ大きく心強いか改めて思い知った。

「…っ…千尋?」

いきなり縋り付くように抱きついてきた千尋に、アシュヴィンは一瞬戸惑いながらも、再びその背を抱いた。

「もう大丈夫だ。」

「……っ……。」

耳元で囁くように言うと、千尋が微かに身じろぎするのが伝わってくる。その反応を愛しく思いながら頬に口づけると涙の味がした。

「そんなに…怖かったのか。」

先程、この城の上空に辿り着いたとき目に飛び込んで来た光景が、まざまざと甦った。

「すまなかった、俺がもう少し早く到着していれば…。」

どんなに気高く気丈に振る舞っていても、強引な力の前では、かよわく非力な女性に過ぎないのだと思い知る。

「千尋…。」

涙が伝う頬を両手で包みながら、アシュヴィンはその唇に口づけた。

「……ん…っ…っ…。」

彼女の唇から漏れ出る吐息に体が熱くなるのを感じながら、更に深く口づけようとしたとき。

「あの〜…アシュヴィン…?」

「邪魔して悪いとは思うんだけどさ…。」

申し訳なさそうな声が聞こえてきた。

「なんだ。悪いと思うなら邪魔するな。」

気分を削がれたアシュヴィンが、千尋を抱きしめたまま視線を巡らせると、風早と那岐が気まずそうに目を逸らした。

「いやでも、そういうことは帰ってから二人きりでゆっくりやってもらえたら助かるんですが…。」

「ほら、免疫ないやつが目を回しちゃってるじゃないか。」

彼らの傍では、腕を組んだ忍人が顔を赤らめて視線を彷徨わせ、布都彦は頭から湯気を出さんばかりになっていた。
そして彼らのことを気遣う那岐も、免疫があるとは言い難いらしい。

「え…。やだっ…アシュヴィンのばか~~っっ。」

アシュヴィンがそんなことを考えていたとき、同じように周りの様子に気づいた千尋が、真っ赤になりながらアシュヴィンを思いっきり突き飛ばした。

「うわっっ。お…っまえ、一度ならず二度までも…っ。」

昨日、寝室でベッド下に突き落とされたことを思い出す。
だが、あの時と違って体調万全の今は、少しよろけただけでもちこたえる。その代わりに反動で千尋が尻もちをついた。

「…痛っった……くない?あれ?」

たが、床に倒れこんだと見えた千尋の下には何かが下敷きになっていた。
いや、正確にはアシュヴィンの雷で跳ね飛ばされて転がっていた領主の膝に抱きかかえられていた。

「あ、え?…うわっ、妃殿下っ?」

反射的に彼女の腰を支えていた領主が慌てて手を離す。

「貴様…も、一度ならず二度までも…。よほど命を差し出したいらしいな…?」

先程は千尋が至近距離にいたので、無意識に力をセーブしたが、今度は遠慮する必要などどこにもない。

「ご、誤解です、殿下っっ。いえ、誤解でない部分もありましたが、まさかこれほどまでにご寵愛なさっているとは思いもよらず…っっ。」

領主は、アシュヴィンからゆらりと殺気が立ち昇るのをみて、尻もちを付いたまま後退った。

「ほう…。寵愛していなかったら手を出していたと。仮にも俺の名代として赴いた、俺の妃に。」

「……っっ。」

領主が息を飲んで絶句する。

「この辺りの有力な豪族だからと思い下手に出ていたが、我が妃に対するあのような狼藉、見過ごすわけにいかんっ。」

剣をスラリと抜いて、領主の鼻先に突きつける。

「…ひ…っっ。」

「待って、アシュヴィン。」

そこへ、様子を見守っていた千尋が割って入った。
剣を持つアシュヴィンの手を包み込むように押さえる。

「この人を斬ってしまったら、同盟が成り立たなくなるよ。」

「領主の代わりなどいくらでもいるっ。なんならおまえの側近の誰かを充ててやるが?」

「それはお受け致しかねますね。」

それを聞いていた柊が、スッと進み出た。

「我々はニノ姫様の忠実なるしもべ。彼の君のお傍を離れることなど考えられません。」

広間にはいつの間にか、千尋の側近たち全てが顔を揃えていた。

「なっ…おまえらっ。近くにいたのなら何故千尋を助けなかったっ。」

領主に向けていた剣を思わず彼らに向ける。

「いや、助けようとしてたところに、君が派手に飛び込んで来たんじゃないか。」

「そうだそうだっ。俺が飛んで連れ去ろうとしてたってのに。」

風早は苦笑いを浮かべ、サザキは不貞腐れている。その横で那岐は肩をすくめてみせた。

「それに、僕らが助けたら助けたで、気に入らなかったんじゃないの?」

「むっ…。」

「殿下、話が逸れていますよ。」

図星を突かれて言葉に詰まったが、柊の声に気を取り直す。

「千尋の側仕えの件か?悪いが、俺がこの国を取り戻したら、国へ帰ってもらう。中つ国の復興のためにもそれが筋というものだろう。」

アシュヴィンは剣を下ろし、片頬で笑った。

中つ国の軍の中枢にいる軍師や将軍、兵の上に立つ強者、更には王族小僧…。そのような者たちが、平和になったあとまで常世の国にいる理由はない。

ただし本音は、千尋に心酔している者たちが彼女の近くにいるのが目障りなだけだが。

「殿下が我らを高く評価して下さっているとは光栄の至り。されど私共に取って代わる者など、国には山ほどおりますゆえ。」

だが柊はアシュヴィンの言い分をしれっと流した。ふと見ると、他の者たちもその言葉に頷いている。
なんだかんだと理由をつけて皆、居座るつもりらしい。

「おまえら…っ。」

「まぁ、それは追い追い考えるとして。今は我々のことではなく、この領主との同盟の件です。」

「………。」

アシュヴィンもなんとか理由をつけて彼らを追い払いたいところだが、実際のところ、まだしばらくは彼らの力が必要だ。

「追い追い…な。」

だがいずれ、絶対に追い出してやる。
そう密かに誓いながら、アシュヴィンは領主に向き直った。

「さて、話を戻そうか。」

手首を返して剣を収める。

「俺は無用な争いは好まん。貴殿は隙あらば現政権を楯突こうとするゆえ、話し合いによっては俺に付いてくれるかと思っていたが。」

アシュヴィンはそこで言葉を切って、領主を見下ろした。

「だがそのような輩であるなら、将来的には皇となった俺にも楯突く可能性が高いわけだ。ならば今ここで…。」

領主を斬って、ここの軍を奪ってしまう方が早い。

「アシュヴィン、待て。」

そう考えて再び剣に手をかけたとき。
意志の強そうな声が割って入った。
その声につられるように顔を向けると、忍人が進み出てきた。

「この地へ到着してからここの兵たちを見ていたが、ずいぶんと統制が取れている。恐らく束ねる者の手腕と、主従の信頼関係だろう。」

忍人は、領主へ視線を移しながら続けた。

「この領主は一見、馬鹿で女好きに見えるが、意外と軍をまとめる能力には長けているのかもしれん。」

「馬鹿で女好き…。」

そのセリフに領主が引きつり笑いを浮かべる。

「兵はモノではない。こんな領主でも尊敬されている面があるのなら、これを斬って軍だけを手に入れても、兵たちは思うようには動かないぞ。」

「………。」

腹が立つくらい正論だ。

「こんな領主……。」

忍人の酷評に、領主はわかりやすくうなだれた。

「あの、そんなにヘコむことないですよ?忍人さん口は悪いけど、ああ見えてあなたのこと、それなりに評価してるみたいだから。」

「姫、ひとこと余計だ。」

忍人が千尋に睨むような視線を送ったが、千尋はふふふっと笑った。

「ほらね、否定しなかったでしょ。」

「少し黙っていろ。」

忍人は千尋を牽制すると、アシュヴィンに向き直った。

「君はニノ姫が害されそうになったことに腹を立てているだけだろう?政治的な話に私情を持ち込むな。冷静になってよく考えろ。」

癪に障るので言い返してやりたいが、微塵も反論できない。

「忍人、ものすごく正論なんだけど、もう少し言い方ってものが…。」

ムッとして黙り込んだアシュヴィンを見て、風早がおろおろとしながら忍人の前に割って入る。

「あの〜、お話中に申し訳ないのですが。」

そこへ、尻もちをついたままだった領主が、姿勢を正しながら声をかけてきた。

「忍人と呼ばれているそちらのお方は、もしや虎狼将軍と異名を取るあの葛城将軍でいらっしゃるのですか?」

その声に皆が振り返る。

「そうだが?」

忍人が、それがなんだという顔で答えた。

「やはりそうでしたかっ。その勇名はこの地にも聞こえています。お会いできて光栄ですっ。」

千尋と会見していたときとは打って変わって、少年のようなキラキラした眼差しを忍人に向けている。
その様子にアシュヴィンは、思わず千尋と顔を見合わせた。

「ここまであからさまに態度を変えられると、腹が立つを通り越して感心するな。」

「領主より武人向きなのかな。さっき忍人さんも、ここの軍は統率がよく取れてるって言ってたし。」

「…なるほどな。」

アシュヴィンは領主に向き直ると、忍人を示した。

「おまえ、この男の下ならこちら側に付くか?」

「は?」

その言葉に、領主より先に忍人が反応する。

「なんの冗談だ。」

「葛城将軍に…ですかっ?」

一瞬呆気に取られた領主も、アシュヴィンに向き直った。

「中つ国の将軍ではあるが、それを率いるニノ姫は今、俺の后だ。俺の配下に付くことに変わりはない。」

「俺は君の配下についたつもりはないが?」

忍人がすかさず言い放ったが、完全に無視する。

「それは光栄なお話です。是非ともっ。」

「では決まりだな。」

「ちょっと待て!俺に常世の軍の面倒までみろと言うのかっ。」





















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