花舞う空へ君と 6
「ちょっと待て!俺に常世の軍の面倒までみろと言うのかっ。」 「この戦が終わるまでの一時的なものだ。それに、この軍を高く評価しているのだろう?何の問題もあるまい。」 「それとこれとは話が別だっ。」 そこへ、黙って見守っていた風早が割って入った。 「いいじゃないか、忍人。目的はこちらの軍の増強だろう?それに今回アシュヴィンは総大将だ。この軍は君の指揮下にいる方が小回りが効いてうまく機能すると思うよ。」 「正論だな。おまえ、俺に指図されるのが嫌なだけだろう?私情を持ち込まずもっと大局を見るべきだな。」 先ほど忍人に言われた言葉をそのまま返してやる。 「む…っ。」 図星だったのか、今度は忍人がアシュヴィンを睨んだまま黙り込んだ。 「え、えーっと…。とりあえず二人とも落ち着いて?」 静かに火花を散らす二人の間に、千尋が割って入った。 そのまま二人の間を通り過ぎて、成り行きを見守っていた領主の前に膝をつく。 「領主さんは忍人さんの配下に入る、イコールこちら側に付いてくれるってことでOKですね?」 「は?ええと…はい…恐らく…。」 ところどころ意味不明な単語が挟まっていることに首を傾げながらも、領主は頷いた。 「ありがとう、ご協力感謝します。 柊、いる?こっち来て。」 「はい、我が君。ここに。」 広間をぐるっと見渡した千尋の前に、柊が進み出た。 「柊、同盟締結の文書を作成してくれる?あと、それを取り交わす場の設定と手続きを。それから、この軍を迎えるにあたっての準備として…。」 柊と領主を前に、千尋がテキパキと指示を出す。 アシュヴィンは一瞬、呆気に取られてそれを見ていたが、ハッと我に返って千尋に近づいた。 「千尋。」 「わっ…っ?」 後ろから彼女の肩に手をかけ、グイッと抱き寄せる。 「ちょっ…いきなり何するのっ。」 千尋は、アシュヴィンの腕の中で顔を赤らめながらも、抗議の声を上げた。 「今は非常時だ、そんなもの適当でいい。」 ふと見ると、千尋からにじみ出る品格と場を取り仕切る手際の良さに、側近たちだけでなく、領主やその部下たちまでもが、彼女にくぎづけになっていた。 「………。」 そんな彼らの視線から守るように、あからさまに千尋を抱きしめると、皆、気まずそうに目をそらせた。 「後のことはおまえの側近どもに任せておけ。帰るぞ。」 アシュヴィンは有無を言わせず、千尋を放りあげるように黒麒麟の背に乗せた。 「え…?ちょっと待って…っ。」 『アシュヴィン、待て。』 そこへ、それまで姿の見えなかった遠夜がふらりと現れた。 『千尋、ここの薬草で良い薬が調合できた。滋養強壮効果がある。病み上がりのアシュヴィンに飲ませてやるといい。』 遠夜はそう言うと、小ぶりな瓶を差し出した。 「わざわざ作ってくれたの?ありがとう、遠夜。」 千尋はその小瓶を満面の笑みを浮かべて受け取ったが、それを見ていたアシュヴィンは思い切り眉をひそめた。 「おい、なんだ、その怪しげなシロモノは。」 「滋養強壮剤だって。はい、アシュヴィン飲んで。」 「……千尋。俺がこいつの薬でどれだけ煮え湯を飲まされたか分かってるのか?」 黒麒麟の上からアシュヴィンを見下ろしていた千尋は、小さく首を傾げた。 「煮え湯じゃなくて、薬だよ?」 「ものの例えだ、馬鹿。」 千尋は、ぷいっとそっぽを向いたアシュヴィンを見て、ふと数日前の夜のことを思い出した。 「あ、ええと…。こ、今回のは痛み止めとか眠り薬じゃないみたいだし…。」 彼が言わんとすることが分かって、気恥ずかしくなる。 「ともかく。俺は、こいつの薬はもう二度と飲まんっ。」 それを聞いた遠夜が、寂しそうに俯いた。 「と、遠夜っ。アシュヴィンの言うことなんか気にしなくていいからね?遠夜の薬はすごいって、私が一番良く知ってるからっ。」 『…ありがとう。』 遠夜が儚げな笑みを向けたが、その笑みに申し訳なさが加速する。 「えと…あ、この薬はわたしが貰うね! 夕べ緊張してあんまり眠れなかった…ような気がしないでもないからっ。」 実際には不調など微塵も感じていなかったが、千尋は持っていた小瓶に口をつけてグイッと傾けた。 『あ、待って。』 それを見た遠夜が慌てたように手を伸ばしたが、もともと量が少なかったのか、小瓶の中身は一気に千尋の喉を下った。 「おい、遠夜っ。おまえ今、止めようとしなかったか?千尋に何を飲ませた。いや、俺に何を飲ませようとした?」 『大丈夫、ただの滋養強壮剤だから。ただ千尋には少し強すぎるかも。』 「千尋、大丈夫か?こいつは何と言ってるんだ。」 遠夜が何を言っているかわからず、千尋を振り返る。 「少し刺激が強いかもって。そういえば、なんだか身体がぽかぽかしてきたかも…。」 千尋が言う通り、その頬はいつもに比べ、少しばかり紅潮している。 「その程度ならいいが。」 本当にただの栄養剤だったなら自分が飲んでも良かったかと思いつつ、アシュヴィンが黒麒麟に飛び乗ると、千尋が身を預けてきた。 「……?」 アシュヴィンの胸に頬を擦り寄せてくる。今まで、二人きりのときでもこのような甘えた仕草をされたことはない。 不思議に思って千尋を見ると、彼女は潤んだ瞳でアシュヴィンを見上げていた。 「ど、どうした?」 「ん~、なんだか身体の奥が熱いの…。アシュ…。」 小さく吐息を漏らした唇は、うわ言のようにアシュヴィンを愛称で呼んだ。 潤んだ瞳を閉じた千尋は、アシュヴィンの胸に顔を埋め、腕は愛おしくてたまらないというようにアシュヴィンの背を撫で始める。 「ちょ、ちょ…っと待てっ。」 「どうして?アシュは私のこと嫌いなの?」 「好きに決まってるだろっ。いや、そうではなく…っ。」 ふと見ると、二人の様子に気づいた者たちから、一様に緩い視線が投げかけられていた。 「だったら…。」 「さすがにここではまずいだろうっっ。おい、遠夜っ。」 『うーん、やはり刺激が強すぎたようだ。酒に酔ったような状態になっている。』 遠夜は、珍しく焦っているアシュヴィンに、肩をすくめてみせた。 「アシュ…大好き…。」 千尋はアシュヴィンの肩に手をかけ、唇を寄せてくる。 「お、おい…っ。」 「なんだよ、人前でのキスなんて今更だろ。」 那岐が、相変わらず視線をずらしたまま、ぶっきらぼうに呟いた。 その言葉に風早も頷く。 「そうですねぇ。それに、女性から求められてるのに逃げるなんて男が廃るよ、アシュヴィン。」 「時と場合によるっ。」 アシュヴィンはマントをバサッと広げると、千尋の上に覆いかぶせた。 「アシュ…?」 「これ以上、おまえのその蕩けた顔を晒すわけにはいかん。そのまま俺に抱きついてろ。」 「ん…アシュ…あったかい…。」 千尋は再びアシュヴィンの胸に頬を寄せた。 酔っ払っているとはいえ、そういう仕草に自然と頬が緩む。 「心配するな。この続きは宮へ帰ってからゆっくりと…な。」 「あームカつくっ。もうさっさと帰れよっ。あとは柊や忍人がなんとかするだろ。」 那岐が、見ていられないとばかりにぷいっと横を向いた。 「言われずとも、そのつもりだ。帰るぞ、千尋。」 「ん…。」 返事とも吐息ともつかないような相槌が聞こえたが、それと同時に千尋の体から力が抜けた。 「…………。」 なにやらイヤな予感がする。 確認のためそっとマントをめくってみると、案の定、千尋はすやすやと寝息を立てていた。 「おや、千尋寝ちゃいましたか。気丈に振舞ってましたが、やはり気を張ってたんでしょうね。」 横から覗いた風早が、なぜか上機嫌な調子で言う。 「おい遠夜、眠り薬の間違いじゃないのか?」 『滋養強壮剤だと言っている。』 「千尋にとっての滋養強壮は睡眠ってことじゃないのかな。寝る子は育つって言うしねぇ。」 風早がよく分からないことをもっともらしく言っているが、その笑顔が妙に癪に障る。 「…まぁ、いい。しばらく休めば起きるだろ。それまで添い寝をしながら待っててやるさ。」 アシュヴィンは敢えて余裕のある表情を作り、フッと笑って見せた。 今度こそ、千尋を名実ともに自分のものにしてみせる。 「ここの軍とリブが送り込んだ兵たちは任せたぞ。ではな。」 安心したように身を任せている千尋を、落とさないようにとしっかりと抱き直して、黒麒麟を舞い上がらせる。 「宮へ着くころには目を覚ませよ。」 空を駆けながら彼女の頬に口づけを落とすと、千尋は幸せそうに微かに微笑んだ。 *************** 「おい、遠夜っっ。千尋が全く目を覚まさないぞ。あれは本当に滋養強壮剤なんだろうなっ?」 翌朝。 新たに軍が加わったせいで、いつもよりざわめいている宮の中、アシュヴィンは遠夜を捕まえて詰め寄っていた。 すぐに目覚めるだろうと思っていた千尋は、結局あのまま眠り続け、朝になってもまだ目覚めない。 『昨日言った通り、千尋には少し強かったのだろう。大丈夫、目覚めれば万全の体調になっている。』 遠夜は、安心させるようににっこりと笑って見せた。 「本当に大丈夫なんだろうなっ。」 詰め寄ったところで、彼の声が聞こえるわけではなく、その表情から判断するしかない。 「このまま眠ったまま、なんてことになったら、おまえを許さんぞ。」 内心の焦りから遠夜に脅し文句を吐いてみたが、彼はひるむこともなく、笑顔を浮かべたまま指で丸を作って見せた。 『もうすぐ目覚める。』 「…む…。わかった、大声を出して悪かった。もう少し様子を見るとしよう。」 遠夜の様子を見る限り、問題はなさそうだ。 恐らく、そろそろ目覚めるのだろう。 昨日言った通り、沿い寝をしながらのんびり待つのも良い。 そして目覚めたら。 夢うつつの状態の彼女を、今度はこの手で再び酔わせてやろう。 微かに体が熱くなるのを感じながら、部屋へ戻ろうと踵を返したとき。 「おや、千尋はまだ眠ったままなんですか?」 そこへ風早がひょいと姿を現した。 「困ったなぁ。」 そう言って思案顔を見せてくるが、その表情の下では笑っているようにも見える。 「ああ。少しばかり疲れが溜まっていたようだな。…ところで、なにかあったのか。」 敢えて気づかないふりをして問いかけると、風早はスッと表情を引き締めた。 「アシュヴィン、戦線が一気に動き出すかもしれないよ。」 「ちっ…よりにもよって、このタイミングでっ。」 「殿下っ。」 足早に自室へ向かっていると、リブが駆け寄ってきた。 「リブ、すぐに出立の準備をしろ。正規軍はまとめておけ。千尋の軍とこちらに付いた領主たちの軍は葛城将軍に…。」 足を止めずに指示を出すと、ある程度予測していたのか、リブは余裕の笑みを向けてきた。 「はい、万事抜かりなく。姫様は殿下とご一緒に出られるのですね?」 「あいつは眠りこけているから役に立たん、宮に置いていく。彼女の護衛は残しておけよ。」 「…?眠っておられるだけなら、起こして差し上げればよいのでは…。」 事情を知らないリブが首を傾げたとき。 「役に立たないって、失礼ねっ。わたしも行くに決まってるでしょう。」 部屋から飛び出してきたのか、千尋が夜着姿のまま走ってきた。 「千尋、起きたのか。」 「うん、少し前に。なぜだかアシュヴィンの部屋で寝てたんだけど。」 不思議そうに言う彼女に、アシュヴィンは思わず額を抑えた。 「おまえな…それくらい察しろ。」 そして。 目覚めるならあと一刻、いや、せめて半刻でも良いから早く目覚めて欲しかった。 「ええと…人の部屋で寝ちゃった上に、寝坊までしてごめんなさい…?」 苦虫をつぶしたような顔のアシュヴィンに、千尋が的外れな謝罪をしてくる。 その横で、なんとなく事情を察したリブが苦笑いを浮かべていた。 「とりあえず着替えてこい。状況によってはすぐに打って出ることになるぞ。」 こうなったらもう、全てが片付くまでお預けだろう。 しばらく甘い時間は望めそうにない。 「全く…夫婦とは名ばかりだな。」 夜着のまま廊下に出ていたことに気づいた千尋が、大慌てで部屋へ戻っていく。 それを見ながら、アシュヴィンは小さくため息を吐いた。 「こうなったら、結婚式から仕切り直すか…。」 中つ国での式は、二人の気持ちが通っていない状態で挙げた形式だけのものだった。 「ああ、それもよろしいかと。この戦が終わって両国ともに平和が戻ったら、私が全力で手配致しましょう。」 リブが嬉しそうに提言してくれたが。 「いや、二人だけの式でいい。彼女の花嫁姿を他の男どもに晒したくはないからな。」 「はぁ…。いやはや、そこまで開けっ広げに独占欲を示されると、いっそ清々しくさえありますね。」 「誉め言葉と受け取っておこう。」 リブがおかしそうに笑っている。 「さて、ここからが正念場だな。」 甘い妄想もここまでだ。 アシュヴィンは表情を引き締めると、再び歩き出した。 全てを片付けて、名実ともに千尋を妃にする日のために。 ~Fin~ |
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