花舞う空へ君と 4
「実はさっき偵察に行ったとき、城の反対側にも回ってみたんだ。」 小高い丘の裏側は断崖絶壁になっており、その下には湖が広がっていた。 この辺りは根の宮から離れてるせいで禍日神の影響が薄いのか、緑や湖などの自然が比較的多く残っている。 「城壁の下に小さな水路があって、そこから小舟が出入りしてるのが見えたぜ。恐らく城の内部に通じてる。」 「なるほど。こういう城は必ずどこかに脱出口があるだろうと思っていましたが…。その水路は裏門であると同時に、城主が危なくなったときに抜けだす直通路の可能性が高いですね。」 サザキの話を聞いていた柊が、頬に手をやりながら頷く。 「そこから忍び込むわけか…。」 「話が早くて助かるぜ。理想は、姫さんが領主と顔を合わせる頃に、俺たちも会見が盗み見れる場所に忍び込んでおくことだな。」 思案顔になった忍人に、サザキが付け足した。 「そんな簡単にいくのか?見取り図もないし、見つかる危険だって大アリだよ。」 皆の話を聞いていた那岐が怪訝そうに口を挟んだが、そこへ柊が再び口を開いた。 「大丈夫だと思いますよ。こういう城はどこも構造がよく似ています。特に脱出口のようなものはね。今は外に兵力を割いている分、城内は手薄になってるでしょうし。」 「なるほど。国を裏切って常世の国に身を置いていたのも、無駄ではなかったということか。せいぜい役に立ってもらおう。期待しているぞ。」 忍人の皮肉に、柊は今度は大袈裟にため息をついてみせる。 「忍人、君は普段は寡黙なくせに、こういうときは減らず口がぽんぽん飛び出すんですね。いつからこんなに可愛げがなくなってしまったのか…。」 「余計なお世話だ。」 話が逸れ始めた二人を横目に見ながら、風早が千尋に近づいた。 「どうやら、あなたとサザキの提案が最善策のようですね。だけど千尋、例え一時でもあなたが危険に晒されることに変わりありません。くれぐれも無茶はしないで…。」 「ありがとう風早。いざとなったら皆が守ってくれるって信じてるから。」 にっこりと笑う千尋に、風早は苦笑いを浮かべた。 「そう言ってもらえるのは嬉しいですが。アシュヴィンが聞いたらものすごく不機嫌になりそうですね。」 「……どうして?」 「…なんか僕、アシュヴィンが気の毒に思えてきた。」 風早の横で那岐も呆れたように言う。 「わかんないなら、別にいいんじゃない?ほら、さっさと行って来なよ。」 「うん?……じゃあサザキ、城門までお願いできる?」 「お安い御用だ。」 サザキに抱えられた千尋が空へ舞い上がり、あっという間に小さくなる。 「姫…大丈夫でしょうか…。」 それを見上げていた布都彦が、不安気に呟いた。 「無事を願うしかないね。さぁ、俺たちも行こう。」 「はい。」 「風早、あの兵たちはどうする。」 歩きだそうとする風早に、忍人が背後に控える軍を示した。 「ああ、そうだったね…。うーん、じゃあ彼らには酒盛りでもしててもらおうかな。もちろん水で、だけどね。」 「それは良いですね。多少なりとも我が君への援護にはなるでしょう。」 「ああ。そのくらいはしてもらわないとね。」 風早は、自分の言わんとすることを汲み取った柊ににっこりと笑いかけた。 「遠夜も行くぞ。」 忍人がそれを横目に見ながら、少し離れた場所にしゃがみこんでいる遠夜に声をかける。 『先に行ってて。良い薬草があるから摘んでいく。』 「そのような草を集めてどうするのだ?」 それに気づいた布都彦も、遠夜の手元を覗き込んだ。 『良い薬ができる。』 「……?」 にっこりと笑う彼に、忍人と布都彦はその意図が理解できず顔を見合わせた。 姫さん、そろそろ城門の真上だ。一気に降りるぞ。」 一本道の両側で身を隠している兵たちに気づかれないよう、高度を取って飛んでいたサザキは、そう言うとすぐに降下し始めた。 「うん…っ…っ。」 自由落下するように落ちる感覚に、喉まで出かかった悲鳴を懸命に飲み込む。 が、一瞬後にはふわりとブレーキがかかり、気が付いたときには地面に降り立っていた。 「……っと、大丈夫か姫さん。悪い、ちょっと無茶しちまったか。」 地面に足をつけたものの、ふらついている千尋にサザキが心配そうに声をかける。 「ありがとう、大丈夫だから。ほら、もう行って。気づいた兵たちがやってくるわ。」 「そうみてえだな。じゃ姫さん、くれぐれも無茶するなよ?」 サザキは千尋が頷くのを見届けると、再び羽を広げて空へ舞い上がった。 そこへ、入れ替わるようにバタバタと足音が迫ってきた。 「何者だっ。どこから入ってきた。」 「女…?おまえ一人だけか。」 あっという間に兵たちに囲まれたが、ここで怯むわけにはいかない。 「私はアシュヴィンの妃です。彼の名代として交渉に来ました。領主殿に取り次ぎを。」 緊張を押し殺し、胸を張って言い放つ。 「……っ…。」 その凛とした物言いに、兵たちは一瞬気圧されたようだった。 顔を見合わせた彼らから、アシュヴィン殿下、妃、本物か?…などという声が聞こえていたが、誰かが報告に走ったのだろう、程なくして城門が開かれた。 「そなたがアシュヴィン殿下の名代か。」 通された広間にスラリとした男性が現れた。意外と若く30代半ばといったところだろうか。 広間の両壁には、武器を携えた兵士がずらりと並んでいる。 「第一皇子アシュヴィンの妃、千尋です。彼が体調不良で倒れてしまったので、私が代わりに来ました。」 「城を囲んだのがアシュヴィン殿下の軍勢だったとはな。協力してほしいと下手に出られていたので、すっかり油断していた。」 領主は、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。 「あれは手違いというか…。誤解させてしまって申し訳なく思っています。」 「まあ良い。殿下の名代がここに来たということは、すぐに攻め込んでくる心配はないのだろう。」 そこで言葉を切った領主は、目の前に立つ千尋に改めて目を向けた。 「そういえばアシュヴィン殿下は、この国を裏切り、中つ国の王族と結婚されたと聞いたが…。なるほど、そなたが。」 値踏みするように千尋を見てくる。 「彼は常世を裏切ったわけではありません。この国を救いたいから。ただそれだけです。結果的に皇やそれに従う人たちを敵に回すことになりましたけど。」 その辺りのことはアシュヴィンからも聞いているのだろう。領主はそれには返答せず、少し思案顔になった。 「……しかしながらアシュヴィン殿下が出て来られぬのは、やはり解せぬ。体調不良とか言っていたが、怪しいものだ。なにか企んでおられるのではないのか?」 探るような不躾な視線をぶつけてくる。 「よく考えれば、そなたが殿下の妃だという証拠もどこにもないな。なにかの罠かもしれん。」 「なっ…そんなわけ…っ。」 「こうして時間を稼いでいる間に攻め込んで来るつもりなのではないのか?」 「ちょっと待ってください、力を貸して欲しいと頼みに来てるのに、攻め込むことに何の意味があるんですかっ?」 「もっともだな。あの領主は馬鹿なのか?」 会見の間、領主が座る椅子の後方にある隠し通路の中から広間の様子を覗いていた忍人が、憮然として言った。 「まぁまぁ忍人、落ち着いて。」 今にも剣を抜きそうな彼を、風早が宥める。 「ほら、気持ちはわかるけど、そんなに前へ出たら見つかってしまうよ。」 「あの領主はまだ若そうに見えますが、ずいぶんと猜疑心が強いようですね。なるほど、アシュヴィン殿下が手を焼くわけだ。」 風早が忍人を引っ張る後方では、柊が口元に手をやりながら頷いた。 「柊殿、そんな悠長に構えている場合ですか、姫をお助けせねばっ。」 こちらも前へ出ようとする布都彦を柊がクイッと引っ張る。 「いま出て行って何をしようと言うんです?事態が悪化するだけですよ。」 「そうそう。ここは千尋を信じてもう少し様子をみよう。」 そう言うと風早は広間へ意識を戻した。 「あなたは禍日神を知っていますか?あれがある限り、常世の国はどんどん蝕まれていくわ。」 「それは理解している。だがそれが中つ国と何の関係があるのか。常世が滅べば、むしろそちらにとっては好都合ではないのか?」 話はアシュヴィンへの猜疑から、千尋へと移りつつあった。 「禍日神のせいで常世が一気に滅んだなら、なんの問題もなかったんだよな。」 那岐が誰にともなく呟いた。 じわじわと滅びに向かっているから、こんな事態になっているのだ。 「忍人の言う通りバカなんじゃないの、あいつ。」 面倒臭そうに言う那岐に皆それぞれに苦笑いを浮かべながら、再び広間へ目を向ける。 領主は頬杖をついて、千尋を見下ろしていた。 「この国が枯れ始めたせいで、中つ国は侵攻されたのよ。好都合なわけないでしょうっ。あの神を崇拝している皇を倒さないと…っ。」 「なるほど、そなたがアシュヴィン殿下に取り入ったのはそれが目的なのだな。この国を内側から滅ぼそうとしているのだろう。」 「ええっ?」 そのとき、見張りをしていたらしい兵の一人が広間に入ってきて、領主に何事か耳打ちをした。 「……酒盛りだと?」 兵の報告を受けた領主は、千尋に視線を戻すとニヤリと笑った。 「城を囲んでいる兵たちが宴会を始めたそうだ。中つ国の姫であるそなたを守るつもりは無い、ということらしいな。」 領主はそう言うと、立ち上がってツカツカと千尋に近づいた。 「気の毒に、殿下に利用されたのはそなたの方らしい。さしずめ、この娘を差し出すから協力しろ、といったところか?」 いつの間にか本物のニノ姫だと認めたらしく、今度は値踏みするように千尋を見下ろしている。 「なっ…おい、風早っ。兵たちの酒盛りのせいで話がおかしな方へ向いているぞっ?」 「あれ〜?おかしいなぁ。」 忍人の剣幕に風早が引きつり笑いを浮かべた。 「おかしいなぁ、じゃないだろっ。」 「そうですっ、今すぐ姫をお助けせねばっ。」 今度は、布都彦と一緒に那岐も飛び出そうとする。 その二人の首根っこを柊がぐいっとつかんだ。 「こちらの兵に戦う意思はない、と伝えたかっただけなのですがねぇ。」 そうしている間にも領主は千尋の腕を掴み、顎に手をかけた。 「さすがに王族の姫というだけのことはあるな。可愛らしい中にも凛とした気品を備えている。」 「や、離してっ。」 「柊、離せよっ。千尋が…っ。」 「ここで争いを起こしては、同盟どころではなくなります。」 「ですが、今は姫のご無事が一番ですっ。」 柊に掴まれたままの二人が抗議の声をあげる。 「まぁ、さすがにこの状況はまずいかな。サザキ、できるだけ穏便に千尋を攫って空へ逃げてくれるかな。俺たちはこのまま撤退しよう。」 後方で傍観していたサザキに風早が声をかけた。 「それが最善だな。」 忍人もその提案に苦い顔で頷く。 「よっしゃ、やっぱここぞってときは俺だよな。任せとけ。」 「なんか腹立つな、そのドヤ顔。」 ニッと笑うサザキに、那岐は悪態をつきながら抵抗をやめた。緩んだ柊の手を振り払って踵を返す。 「そうと決まったならさっさと帰ろう。…ったく、何しに来たんだか。」 そのとき那岐は、通路の隅に座り込んで何か作業しているらしい遠夜に気づいた。 「遠夜、何してんのさ。ほら、帰るよ。」 『薬草を調合してる。普段はなかなか出来ない薬が作れそうだ。』 にっこりと笑う遠夜に、那岐が首を傾げたとき。 「やだってばっっ。離して!」 千尋の悲鳴にも似た声が響いた。 皆が慌てて広間に意識を戻すと、領主が千尋の両手を掴んだまま、後ろから抱きかかえるようにして彼女を連れ去ろうとしていた。 「殿下に見捨てられた憐れな娘を拾ってやろうと言うんだ。私の妾にしてやろう、感謝するんだな。」 「サザキっ。」 「任せとけ。」 風早に促されたサザキが飛び出そうとしたとき。 「だれの妾にすると?」 怒りを抑えたような、それでいて凛とした声が広間に響き渡った。 それと同時にゴロゴロと遠雷に似た音が聞こえてくる。 「俺の最愛の妃を手籠めにしようするとは言語道断。その命、差し出す覚悟があるんだろうな?」 |
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