花舞う空へ君と 2
「もう、どうしておとなしく寝てられないの?」 リブが大慌てで出ていった後。 アシュヴィンは千尋によって、ベッドへ寝かしつけられていた。 「よく見たらボロボロじゃない。」 先日の怪我が完治していない上に、無理をしたのが祟ったのだろう。 「さっきは気づかなかったけど…。」 シャツの上からでもわかるくらい、その身体は熱っぽい。 「さっきはおまえも熱くなってただろう。ほら、もう一度この中に来い。さっきの続きを…。」 アシュヴィンが先程と同じようにベッドから腕を伸ばしたが、千尋はその手をぺしっと叩いた。 「ばかっ。」 「はぁ…つれないヤツだな…。」 アシュヴィンがため息混じりに呟きながら、手の甲を額に乗せた。 その吐息は明らかに熱を持っている。 「ふざけてないで、ちゃんと休んで。あなたがいないと軍の皆が困るじゃない。」 「軍…か。……まぁ、いい。そうだな…明朝には南方の領主と最後の交渉が…。」 「え、明朝?」 千尋は慌てて聞き返したが、すっと眠ってしまったのか、アシュヴィンからの返事はなかった。 「嘘でしょう、こんな状態で朝にはまた出かけるなんて…。」 外にはもう夜の闇が迫っている。 「リブ?リブ、いる?」 ドアを開けて顔を出し、控えめに声を上げると、すぐにリブがやって来た。 「はい、ここに…。あの、姫さま…先程はその…大変失礼を…。」 だか彼は、気まずそうに顔を赤らめて視線を彷徨わせている。 「え、ええと…。さっきの件は忘れて…。私もすっきり忘れるから!」 「あ、いや、姫さままで忘れてしまったら、殿下が気の毒ですよ。」 威勢よく言い切る千尋に、リブが苦笑いを浮かべた。その緩い笑顔に、今度は千尋の頬が熱くなる。 「と、とにかく、今はその話は忘れてっ。それより、アシュヴィンのことなんだけど。」 「はい。」 千尋が表情を引き締めたので、彼も姿勢を正した。 枕元で話し声がする。 少し眠っていたのだろうか、まだベールがかかったような意識の中で、アシュヴィンは目を閉じたまま彼らの声に耳を傾けた。 「ですが姫さま、やはりそれは無茶では…。」 「こんな状態で出て行くほうが、よっぽど無茶だと思う。」 「しかし…姫さまの身に何かあったら取り返しがつきません。殿下にもなんと申し上げたらよいか…。」 「大丈夫よ、一人で行くわけじゃないもの。みんなについてきてもらうから。」 「はぁ…。まぁ、確かに姫さまの側近の方々なら百人力ですね…。」 何の話をしているのだろう。 内容はよくわからないが、千尋が自分を置いて、中つ国の側近たちと出て行こうとしているらしい…ということはなんとなく察しがついた。 「……っ。」 気力をかき集めて意識を浮上させる。 「すぐにみんなを呼び集めて準備してもらうから。あ、アシュヴィンには黙っててね。」 「はい…でも殿下がお知りになったら、きっとお怒りになるでしょうね。」 二人のその言葉に一気に目が覚めた。 「俺に黙って、どこへ行くつもりだっ。」 声を上げながら上体を起こすと、くらりとめまいがした。 「殿下、お目覚めになっていたのですか?ああ…急に起き上がってはいけませんっ。」 「アシュヴィン、大丈夫?」 千尋が慌ててかけ寄ってきて、アシュヴィンを支えた。 そのまま、コツンと額を合わせてくる。 「……っ。」 あまりにも不意打ちな出来事に、対処できず不覚にも固まっていると、千尋はすぐに顔を離してアシュヴィンを見た。 「なんだか、さっきより熱が上がってるみたい…。うん、やっぱり私がなんとかするから、アシュヴィンはゆっくり休んでて。」 「……なんの話だ。」 その問いに千尋は一瞬躊躇したが、先程の会話を聞かれていたのなら、ごまかそうとしても無駄だ。そう考えて正直に答える。 「南方の領主との交渉の件よ。私が行くから。」 「………は?」 あまりの唐突なその発言に、アシュヴィンは呆気にとられた。 「だから今はちゃんと休んで。ね?」 「いや、ちょっと待てっ。」 先程は、千尋が自分に愛想を尽かしてこの国を出て行こうとしているのか、などど思ったが、それよりももっと質が悪い。 「おまえ、意味が分かって言っているのか?敵対するかもしれない奴らの中へ乗り込んで行くんだぞ?」 「かもしれない、でしょ。最初から戦いにいくわけじゃないよ。あなたと初めて会ったときなんて、いきなり戦闘になったじゃない。あれに比べたらずっと安全だと思うけど?」 「……ぅ…っ…。」 「ははは、確かに黒雷アシュヴィンと恐れられた方を敵にしたことを思えば、それ以上に怖い相手など滅多にいないでしょうね〜。」 リブが脳天気に笑っている。 「おまえは黙ってろっ。」 思わず怒鳴って、また目眩に襲われる。 「……っ。」 それを気力で隠して、アシュヴィンは千尋を睨んだ。 「余計なことをするな千尋。おまえはここでおとなしく俺を待っていればいいんだ。」 「どうして?夫婦になったんだから、二人で協力するべきでしょう?」 「俺が手を焼いてる相手だぞ、おまえが行って話がまとまるわけがないっ。」 「そんなボロボロ状態のあなたが行くより全然マシだと思うっ。」 二人の間にバチバチと火花が散る。 「あ、あの…お二人とも落ち着いて…。」 その時ノックの音が聞こえ、ドアが控えめに開かれた。 リブが助けを求めるようにそちらを見ると、遠夜が顔を覗かせた。 『リブ、アシュヴィンは大丈夫?』 リブの姿を認めた彼は、問い掛けるように少し首を傾げた。 「ああ遠夜殿、早かったですね。もうできたんですか?」 『ああ。これを飲めば身体がラクになる。ぐっすり眠れる。』 遠夜は小さな箱を持ち上げて、にっこりと笑った。 「遠夜、回復までにどのくらいかかる?」 それを聞いていた千尋が、遠夜の方へ駆け寄ってきた。 『そうだな…。』 その問いに遠夜は、ベッドで身を起こしているアシュヴィンに近づいた。 「な、なんだっ。」 アシュヴィンは思わず仰け反ったが、それに構わず遠夜は、彼の顔を覗き込んだ。 『明日一日寝ていれば、恐らくは。』 「そっか…。やっぱりそのくらいかかるよね。」 「…おい、何の話をしている。」 相変わらず遠夜の声は、千尋にしか聞こえない。二人の間で交わされる会話に加われないことに、アシュヴィンは少々イラついた。 『アシュヴィン。』 そんな彼に向かって、遠夜は至近距離のまま、にっこりと微笑んだ。 「……?」 『動かないで。』 視線を合わせたまま、手にしていた小箱を開いて小振りな丸薬を取り出すと、次の瞬間アシュヴィンの口の中に放り込む。 「……っ!?」 目を見開いたアシュヴィンの口を掌で塞いだ遠夜は、そのまま彼をベッドへ押し倒した。 「な、なにをす…るっ…っ。」 その反動で丸薬を飲み込んだアシュヴィンは、げほげほと咳き込んだ。 『千尋、薬湯を。』 「え?あ、うん!」 遠夜はアシュヴィンが落ち着くのを見計らい、今度は薬湯を無理やり口に流し込んだ。 「……ぐっ……っ…?」 『飲んだ?…ああ、もう大丈夫。これでゆっくり休める。』 「と、遠夜……。」 「見かけによらず強引というか…超マイペースというか…。」 にっこりと笑う遠夜に、千尋とリブは揃って引きつり笑いを浮かべた。 「お…っまえっ、何を飲ませたっっ。」 「ええっと…風邪薬みたいなもの…じゃないかな。」 遠夜の代わりに、千尋が引きつったまま答える。 「それだけじゃないだろう…っ。」 丸薬はともかく、液体の方は嫌というほど覚えがある。千尋との貴重な時間を散々邪魔してくれた例の薬湯に違いない。 「くそ…っ。」 もともと休養を欲していた身体は、以前とは比べ物にならないほど急速に、眠りに引きずり込まれつつあった。 「千尋…っ。」 思わず腕を伸ばすと、千尋が心配そうにのぞき込んできた。 その手首をぐいっと掴む。 「おとなしくしておけよ…っ。どこにも行くな…俺の…。」 だが、言い終えぬうちに意識はベールに包み込まれ、離すまいと千尋を掴んだ手は、彼女の掌を伝いながら滑り落ちた。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |