白刃の光芒 6
「させるかっ。」 忍人が一本の剣を水平に構えて突進する。 その勢いのまま、黒龍の肩口へ剣を突き刺そうとした時、黒龍が無造作に手を上げた。 「……っ?」 その瞬間、大きな壁にぶち当たったような衝撃が走り、後ろへ弾きとばされた。 「ぐ…っ。」 呼吸を止められるような衝撃に、思わず頭を押さえる。 「ここは精神世界だ。神子の様子に心乱されたそなたに、勝ち目などあろうはずもない。諦めてさっさと元の世界へ戻るのだな。」 「諦め…られ…るか…。諦めて…たまるかっ。」 ここで諦めれば、それは恐らく現世での千尋の死を意味する。 「千尋、目を覚ませ。」 忍人は剣を握り直し、ゆらりと立ち上がった。 「千尋っ…いや、中つ国の二の姫。君にはやるべき事があるだろう。こんなところで朽ち果てるつもりか。」 「朽ちるとは、ずいぶんと無礼な物言いだな。」 そんな言葉を吐きながらも、黒龍はこの状況を面白そうにみている。 一方、黒龍の腕の中で、千尋は眉を寄せた。 「中つ国…二の姫…?」 忍人の言葉を繰り返しながら、黒龍の腕を抜け、ふらりと忍人に近づいた。 「そうだ、思い出せっ。君は中つ国の女王となるべき人だ。」 「黙れ。」 その様子が気に入らなかったのか、黒龍の表情が若干険しくなる。 「娘、そのような人間の何が良いのだ。ましてや堕ちた国の長など、いらぬ苦労を背負わされるのみ。 ここで我と永遠の時間を刻むことこそがそなたの幸ぞ。」 「千尋の魂を永遠に縛り付けるつもりか?ふざけるなっ。」 剣を構え、地を蹴って一気に間合いを詰める。 が、振り下ろそうとした瞬間、黒龍が無造作に伸ばした手から気の塊が放たれた。 「……っっ。」 咄嗟に身を捻って直撃は避けたが、余波が耳の横で熱を起こして通り過ぎていった。 「つ…っ。」 無意識に手をやると、掌が赤く染まった。 だが切り傷ではなく擦過傷だ。大した出血ではない。そう考えて黒龍を睨みつけたとき。 『忍人、落ち着け。そこで戦うことに意味は無い。』 どこからか声が聞こえてきた。 いや、頭の中に直接響いてきたようだ。 何となく聞き覚えのあるその声に、忍人は動きを止めた。 「遠…夜?」 実際に彼の話し声を聞いたことはないのに、なぜかそう思った。 『聞こえるのか?良かった。』 彼の声が少し安堵を含むのがわかる。 忍人は、その声に集中しようと再び額に手をやった。 『忍人、そこは時空の狭間だ。おまえと神子の体はこちらにある。黒龍と戦う必要も、神子をその手に掴む必要もない。 彼女を正気に戻せ。それだけだ。』 「ああ、そう…だったな。すまない、遠夜。助かった。」 『ああ、頑張れ。待っている。』 彼の声が遠ざかっていく。それを感じながら、忍人は千尋に視線を走らせた。 彼女は、額からにじみ出る血を押さえる忍人を驚いたように見つめていた。 「千尋。」 今なら彼女に言葉が届くかもしれない。 「俺は今度こそ君と幸せな人生を歩みたい。君と添い遂げたい。そう思っている。それなのに、今度は君が俺との未来を諦めるのか?」 そのとき、急に力が抜けたような感覚に襲われ、忍人は崩れるように両膝をついた。 「……なん…だっ?」 そんな忍人を見た黒龍が鼻で嗤った。 「怪我をしたように見えるのはただの演出だ。実際には生体エネルギーを削っているのだからな。動けなくなるのも時間の問題であろう。」 「……っ……。」 千尋が息を飲むのが伝わってくる。 「娘、この男はここまでだ。放っておいてもそのうち消える。これからはおまえの大切な風景の中で、我とともに心安く過ごせ。」 再び黒龍が千尋をその懐に抱こうと近づいた。 「あ…。」 千尋の肩がぴくりと震える。 「だが…そうだな。この男には、我の世界に土足で踏み込んだ償いをしてもらおうか。」 黒龍が手の中に気を貯め、気だるげに振り上げた。 「娘の目の前できれいさっぱり消え去るがいい。」 「待って…やめ…て…。」 千尋が驚いような表情を浮かべた。 忍人はそれを目の端でとらえながら、握っていた剣を地に突き立てた。次の瞬間。 「……っっ……っ。」 先程とは比べものにならない力が襲いかかり、忍人は握っていた剣から引き剥がされるように地面に投げ出された。 「…っ……ぐっ…ぅ……っ。」 剣が身体に突き刺さるような感覚。 そして、瞬く間に身体の下に血溜まりが広がっていく。 「っっ…うそ……。」 その光景に千尋の目が見開かれる。 「いっ…いやーーっっっ。」 その瞬間、千尋の中で何かが弾け飛んだ。長い眠りから覚めたように、目に光が戻る。 「あ…れ、わたしなにを…。え?」 ハッとして、倒れている彼に一歩近づく。 「忍…人さん…?」 叩きつけるように地に投げ出された彼と、傍らに突き立てられている一本の剣。 そして夥しい量の出血。 「うそ…忍人さん?…忍人さんっ。しっかりしてっっ。」 「……大丈夫だ…。」 駆け寄って来た千尋に、目を閉じたまま呟く。 思った通り、生太刀が黒龍から放たれたパワーを半減してくれたようだ。まともに受けていたら恐らく致命傷となっただろう。 「やだ、忍人さん、目を開けてっっ。」 だが、出血を見て錯乱している彼女には届かないらしい。 「なんで…っ。どうしてまた同じことを繰り返すのっ?何のために、また生まれてきたのっ。」 「千尋…落ち着け…。」 痛みを堪えながらうっすらと目を開くと、千尋の手にスっと生太刀が現れるのが見えた。現世で彼女の傍らに置いてきた太刀だろうか。 「……?」 「もう…同じ人生は歩まない…。今度は私も一緒に…。」 千尋は、おもむろに太刀の刃を自分の喉元に突きつけた。 「……なっっ。」 「忍人さん、すぐに追いつくから…。」 涙でぐちゃぐちゃになった彼女の顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。 「待て…っっ。」 忍人は咄嗟に身を起こすと、その剣を叩き落とした。 「何をやってるんだ…、君はっっ。」 「え…?」 「一度ならず二度までもっ。家臣の後を追おうとする王がどこにいるっ。」 いつだったかトラブルが発生した夜の山中で、怨霊に襲われた時のことを思い出す。 「だいたい君はいつも…いつ…も…。」 ここはしっかりと言っておかねばと説教を始めたが、途端にむせて言葉が続かなくなった。 「ごほ…っ、げほごほ…ごほっ。」 「お、忍人さん、しっかりしてっ。血が…血が止まらないっ。」 呆気に取られていた千尋が、我に返って忍人の背を支えた。 「…は……っ。千尋…君は今…何を願っている?」 荒く息をつきながら忍人は、間近にいる千尋を見た。 そういえば、こんなふうに至近距離で彼女と触れ合うのは久しぶりかもしれない。 「何って…。忍人さんの怪我をなんとかしたいに決まってるじゃないですかっ。」 「そうか…、なら…。」 忍人はおもむろに千尋の手を取ると、出血していると思しき場所へ導いた。 「なにを…。」 「手が汚れて不快だろうが、少し辛抱してくれ。手当て…して欲しい。文字通り、手を当てるだけだ。」 「忍人さん、ふざけてる場合じゃ…っ。」 忍人の行動に不安を感じたのか、再び彼女の目に涙が浮かぶ。 「千尋…。こっちを向いてくれ。」 片手は地について自分の身を支え、もう片方は彼女の手を掴んでいる。 千尋から近づいてもらうしかない。 「忍人さん?」 忍人の場違いなほど優しい声色に、千尋は戸惑った様子で顔を上げた。 その瞳は大粒の涙で潤んでいる。 「……っ。」 その表情に胸の奥が音を立てるのを感じながら、薄く開かれた唇に顔を寄せる。 「千尋…。」 「え……?…ぁ……んっ……っ。」 触れた瞬間、驚いて肩を震わせた千尋だったが、忍人の唇の感覚にすぐに身を委ねてきた。 彼女の手と唇から、暖かさと清々しさを合わせ持った気が流れ込んでくる。 それが身体中を隈なく巡り終えた頃、忍人はそっと唇を離した。 「…ありがとう、姫。助かった。」 「……え?」 きょとんとする千尋から身体を離して、軽く腕を動かしてみる。 「ああ、大丈夫のようだ。なるほど、怪我は気の状態が具現化したものということか。生体エネルギーが戻れば、ある程度は治るのだな。」 「え?え?」 「ふん、つまらぬ。」 様子を見ていた黒龍が、面白くなさそうに鼻を鳴らした。 「黒龍、彼女は返して貰うぞ。」 千尋の手を取って助け起こしながら、一緒に立ち上がる。 「勝手にしろ。我の意に沿わぬ者などいらぬ。」 「ずいぶんとあっさりしているんだな。」 「その娘が隙だらけだったゆえ、気まぐれにこちらへ引き込んだだけだ。大方、あの場にいなかったそなたのことでも考えておったのであろう。」 「きまぐれ…だと?」 忍人の発する気が、一気に険しくなる。 「神とはそういうものだ、覚えておけ。」 忍人を軽くあしらった黒龍は、緩く片手を上げた。 「 ここは我の休息の場。そなたたちは目障りだ、さっさと去ね。」 「無論、そうさせてもらう。」 黒龍のその動きを警戒しつつ、忍人は突き立てていた剣を引き抜いた。先程、千尋の手の中に現れた剣も素早く拾い上げる。 「千尋、こちらへ。」 黒龍に弾き飛ばされては、どこへ行くかわからない。その前に生太刀の気を辿って元の世界へ戻らなければ。 そう考えて生太刀に念を込めようとした時。 「ちょっっ…と待って、忍人さんっ。わたし、何が何だか全っ然わからないんですけどっ。」 二人の間にある緊張感をぶち壊すような千尋の声が響いた。 「黒龍ってなにっ?そっちのカッコ良さげな人に向かって言ってましたけどっ。それに、なんでわたし制服着てるの?てか、ここどこっ。」 「……そこ…からか?」 呆気に取られつつも、当然かと思い直し、簡単に説明しようと口を開きかけたが。 「あーでも、そんなのどうでもいいわっ。」 その言葉に今度は黒龍が目を瞬く。 「どうでも、良いのか?」 「忍人さん、重症負ってましたよね?なんで治ってるのっ、血の跡までなくなってるしっ。あと、さっきの…。その…ええと…。き、き……。」 なぜかそこで、急に勢いがなくなった。 黒龍も呆気に取られているのか、憑き物が落ちたような顔で千尋を見ている。 忍人は、握っていた二本の剣を、手首を返して腰の鞘に戻した。 「き?」 千尋に向き直り、腕を組んで先を促す。そんな彼を千尋は、上目遣いに睨んだ。 「さ…さっきのあれ、キ…キスじゃない…ですよねっ?よくよく思い返したら人工呼吸みたい…っ。」 「……?」 何を言ってるのか、言葉の意味がわからない。 一方千尋は、顔を真っ赤にして目には大粒の涙まで湛えて睨んでいる。 「もうやだっ、一人でうっとりしたりして。忍人さんの…忍人さんの…ばかーーっっ。」 最後は大声で言い放ち、くるりと背を向けて走り出した。 「なっ…、待てっっ。」 「ふっ、はは、ふはははははっ。」 追いかけようとしたとき、背後で高らかな笑い声が響いた。 振り向くと、黒龍が心底おかしそうな顔で大笑いしていた。 先程まで剥き出しだった敵意も害意も、今はかけらも感じられない。この様子なら彼は放っておいても大丈夫そうだ。 そう思い、千尋の後を追おうとしたとき。 「待て。追う必要はない。」 笑いを堪えながら、黒龍が腕を上げて手首をくるりと回した。 するとなぜか千尋が、走り去ったのと逆の方向から、こちらへ向かって全力で走ってきた。 「……は?」 「ここは我の世界ぞ。空間を捻じ曲げるなど容易いこと。」 「……。黒龍、おまえの言うこともやることも、理解不能だ。」 忍人たちに気付かないまま全力疾走してくる千尋を見ながら、忍人は思わず額を押さえた。 「当然であろう。我は神ぞ。人間ごときに簡単に理解されてたまるか。」 そんな忍人に黒龍は、見下ろすような視線を送りながら口の端でにやりと笑った。 「さて、もういい加減消えてもらおうか。最後に面白いものを見せてもらった。よい余興であったぞ。」 |
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