白刃の光芒 7

「さて、もういい加減消えてもらおうか。最後に面白いものを見せてもらった。よい余興であったぞ。」

黒龍が軽く手を上げる。
その掌からは光の塊が現れ、みるみるうちに大きく膨らんだ。

「……むっっ。」

それを見た忍人は慌てて剣を抜いた。

「警戒することはない。我が丁重に送り届けてやろう。おまえは娘を受け止めてやれ。」

千尋はがむしゃらに走っているらしく、まだ忍人と黒龍に気づいていない。
黒龍は相変わらずそれを面白そうに眺めていた。

「まったく…。」

黒龍に害意がないと判断した忍人は、剣をくるりと回して逆手に持ち替え、両腕を広げた。

「千尋、走るならちゃんと前を見ろ。」

「え?わ〜っっ、忍人さんっ?なんで…っっ。」

ぶつかる前に声を掛けたが、直前に気づいた千尋が急に止まれるわけもなく。

「わっっ……ぶ…ふっっ。」

そのままの勢いで忍人の胸の中へダイブする。
その瞬間、二人を白い光が包みこんだ。

「達者でな。我の力が戻ったらまた遊んでやろう。」

遠慮しておく―。

その声は黒龍に届いただろうか。
確認する間もなく、次の瞬間には、街並みも黒龍もぐるりと反転して光に飲み込まれていった。





二人の横で祈るように目を閉じていた遠夜が、ふと顔を上げた。

『戻ってくる。』

「遠夜?」

それに気づいた風早が声をかけたとき。二人の傍らに置かれていた剣が突然、大きく光り始めた。

「な、なんだっ?」

「殿下…っ。」

周りが一切見えなくなる事態に、アシュヴィンとリブも思わず手をかざしつつ後ずさった。
何とか成り行きを見守ろうとする皆の前で、二人を包んでいた光がゆらりと形を変える。

その光もやがてゆっくりと収束していき、元の風景に戻ったときには、ベッドで横になっていた二人が固く抱き合って立っていた。

「千尋、良かった…っ。」

「無事に連れ戻せたようだな。」

「忍人殿もお疲れさまでした…っ。」

心底ホッとした様子の風早の横で、アシュヴィンとリブも安堵の表情を浮かべつつ声をかけた。…が。

「い、いやあぁぁぁ~~っっ。」

我に返った千尋が、目の前の忍人に気づいて、その胸を思いっきり突き飛ばした。

「うわっ。」

全く予期していなかったのか、忍人は呆気なく背後にあったベッドへ背中から倒れ込んだ。

「あ、あれ…。」

一方の千尋も、その反動でふらりと体勢を崩す。

「千尋っ。」

その彼女を風早が受け止めた。

「千尋、あなたはここ数日ずっと眠ったままだったんです。急に動いては身体がついてきませんよ。」

「えーと、一体なにが…?」

「あとでゆっくり説明してあげますから。とりあえず今は休んで。」

「ありがとう、風早。でも何か大事なこと……。」

千尋は風早の腕の中で、立ちくらみが治まるのをじっと待っていたが、ハッと顔を上げた。

「……忍人さんっっ。」

千尋が慌てて視線を巡らせると、忍人はベッドの上にひっくり返っていた。

「おいおい、いくら不意打ちとはいえ、女人に突き飛ばされたくらいでその有様は不甲斐ないんじゃないか?」

アシュヴィンが面白そうに覗き込んだが、忍人は額に腕を置いたまま気怠げに息をついた。

「うるさい…。」

『アシュヴィン、忍人は致命傷になりかねない傷を受けた。神子の気を貰ったとはいえ、全快したわけではない。』

遠夜の声はアシュヴィンには届かなかったが、千尋が大きく反応した。

「そんな…っ。ごめんなさい、忍人さんっ。しっかりして…っ。」

『大丈夫だ、神子。忍人は自分の身をきちんと守っている。体力が回復していないだけだ。』

「その通りだ千尋…心配するな。君もゆっくり休め。」

倒れ込むようにベッドへ駆け寄ってきた千尋を見ながら、忍人は緩く微笑んだ。

「君を取り戻せて…良かった。」

「忍人さん…。」

自分の身に何が起こっていたのか理解が追いついていない状態だが、周りの皆に大きな迷惑をかけたのだということは分かる。
…そして。

「わたし…またあなたを失うところだったんですね。」

「逆だ。俺たちが君を失うところだったん………っ??」

忍人が目を閉じてそう言いかけたとき、不意に覆いかぶさってくる気配がしたかと思うと、柔らかく唇が塞がれた。

(千尋…っ?)

驚いて目を開いた瞬間、離れていく。

「な…っ。」

「じ、人口呼吸ですっ。私はずっと寝てたから体がなまってるだけで、エネルギーは満タンだからっ。」

「………。」

頬を赤らめながら目を逸らす様子に、逆に忍人は余裕を取り戻して微笑んだ。

「……今のは違うだろう?」

そっと手を伸ばして、彼女のうなじを捉える。

「だが…。君の口付けは人口呼吸とやらよりもずっと効果があるようだ。」

「く、口付け…ってっ。」

「違うのか?」

答えを待たずに彼女のうなじを引き寄せる。

「ちが…っ。」

一方の千尋は、予想外の展開にパニックになった。

あちらの世界で忍人がしたような気の流入をもう一度やろうと思っただけなのに、
さっきのは彼の言う通り、触れ合うような軽いキス以外の何物でもない。

(ちょ、ちょっと待ってっっ。)

「千尋。」

なだめるように忍人が囁く。
その瞳は柔らかく、千尋への愛おしさをたたえていた。

「…ぁ…っ。」

普段の彼からは想像できないその表情に、抵抗しようとしていた体からスっと力が抜ける。
忍人に導かれるままに任せると、再び唇が重なり、体中が柔らかな感覚に包まれた。




「おい、リブ。」

「はい、殿下。」

アシュヴィンの無機質な呼びかけに、リブも事務的に答えた。

「あいつら、周りの状況がわかってるのか?」

忍人の傍らに腰を下ろし柔らかく覆いかぶさる千尋の背を、忍人が抱き寄せている。

「はぁ…。恐らく時空の狭間から戻られたばかりで少々混濁しておられるのかと…。」

忍人が背を預けているベッドの脇では、遠夜が頬杖をついてニコニコと二人を眺めていた。
その後ろには、風早が口を開けたまま微動だにせず突っ立っている。

「まぁその…よくよく考えればここは姫様のお部屋ですし…。」

言ったあとで、だからなんなのだと自分に突っ込みながら、リブは苦笑いを浮かべた。

「まぁいい。あの堅物将軍にもあんな面があったとはな。面白い見ものだった。中つ国との話し合いはまたにするか。行くぞ、リブ。」

「はい。あ…側近のお二人は?」

「放っておけ。」

カツカツと靴音を響かせながら、アシュヴィンが部屋を出て行く。
慌ててその後を追いながら、リブはもう一度部屋を振り返った。

「えーと…とりあえずお大事に…。」

いろんな意味で。





「あ、風早。さっき、中つ国に先に戻る報告がてら、千尋の見舞いに行ったんだけどさ。なにがあったんだ?」

回廊を歩いていた那岐が風早を見つけ、その背に声をかけた。

「もうやだ、忍人さんには絶対会わないーっとか言って、枕を抱きしめて半泣きになってたんだけど。」

「ああ…。俺にも会いたくないそうです…。」

「へ?それってどういう…。うわっ。」

まるで覇気のない声に、横から覗き込んだ那岐は、その顔を見てのけぞった。

「な、なんなんだ、この世の終わりみたいな顔してっ。」

「そうですね、終わってくれていいです…。」

「はあ?」

「ああ、いや…。先に国へ帰るんでしたね。気をつけて。俺は放浪の旅に出るかもしれませんが、どうか千尋と中つ国のこと、よろしく頼みます。…じゃ。」

そう言うと、風早は背を向けてとぼとぼと歩いて行く。

「ちょ、ちょっと待ちなよ、風早っ。」

「どうかしたのか?」

呆気に取られていた那岐の背後から、突然、凛とした声が響いた。

「…っ?」

慌てて振り向くと、忍人が腕を組んで立っていた。

「どうもこうも風早が…。いや…。ま、いっか。それより、あんた養生中って聞いてたけどもう大丈夫なのか?」

「少しばかり体力を削られただけだ。一日も寝ていれば治る。」

その言葉通り、忍人から発せられる気は、以前この回廊で声をかけたときよりも遥かに力強い。

「ふーん、さすがだね。そういえばさっき千尋が…。」

だがその名を出した途端、凛と張っていた忍人の雰囲気がふわりと柔らかいものに変わる。

(へぇ…。)

その様子に那岐は、思わず言葉を止めてまじまじと彼を見た。
恋とか愛とかいうものは、こんなにも人を変えるものなのだろうか。

一方の忍人は、那岐の視線に僅かに首を傾げながら、那岐の言葉の続きを拾い上げた。

「ああ、今から千尋の元へ行くところだ。時空の狭間から帰ってきた後、そのまま彼女の部屋で眠ってしまったからな。」

そのあたりの事情は那岐も聞いていた。黒龍と一戦交えた忍人は、気力の消耗が激しく眠り込んでいる、と。

「千尋に部屋を移させてしまった詫びも兼ねて。」

「あ…そう。…ってことは…。」

先程、那岐が見た状態の千尋にはまだ会ってないということだ。

「……?」

思案顔になった那岐に、忍人は少しばかり怪訝な面持ちになった。

(何があったのか知らないけど…。)

忍人はいたって普通だ。
千尋がなぜあんな状態になっているのか見当もつかないが、忍人が無自覚に何かをやらかしたのだろう。

「あ、そうそう、僕は予定通り先に中つ国に帰るからね。」

妙な痴話喧嘩を見せられるのも、巻き込まれるのもアホらしい。
元より、先に帰国することは忍人に頼まれていたのだ、ここはさっさと逃げるに限る。

「ん?ああ、頼む。こちらは少し帰国が遅れるかもしれないが…。」

良い機会なので、養生という名目で彼女をしばらくゆっくりさせてやりたい。忍人は自分ではそれと気付かず、ふわりと微笑んだ。

「いいよ、千尋をしっかり納得させてから連れて帰って来て。」

「納得…?」

「そのうちわかるよ。じゃあね、頑張って。」

那岐はひらりと手を振りながら回廊を歩いていった。

「頑張る…?」

その後ろ姿を見ながら忍人は僅かに首をひねったが、こちらも千尋の部屋へと歩みを向ける。

柊と、岩長姫にも軍をまとめて先に帰国してもらおう。
彼らがいれば、戦後の収拾や国の立て直し、組織系統の確立など、基礎的なことをある程度は任せられるだろう。

そんな政治的なことも数分後には頭からぶっ飛び、那岐の言葉の意味を嫌というほど思い知ることになるのだが。

回廊から垣間見えるみずみずしい緑に癒されつつ、千尋を想い、歩みが軽くなるのを感じる忍人だった。


~Fin~












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