白刃の光芒 5
「忍人?」 床に立てた剣を持ったまま微動だにしなくなった忍人を風早がそっと覗き込んだ。 「こちらの声は聞こえてないようですね。」 リブも一緒に覗きこむ。 するとその瞬間、彼の身体がぐらりと傾いた。 「うわっ、忍人殿っ。」 驚いて支えようとしたリブを巻き込んで、忍人が床へ倒れ込んだ。 「あ…いたたた…。」 「リブ殿、大丈夫ですか?」 風早が忍人の腕を掴み、自分の肩に回して、その身体を引っ張りあげた。 リブを下敷きにしたおかげでどこにも怪我はないようだ。 「あなたのおかげで助かりましたよ。」 「いえ、たまたまですが…お役に立たてて良かったです。」 「おい、そいつはいきなり意識を失ったのか?」 一歩離れて見ていたアシュヴィンが口を挟む。 「意識を失ったというより手放した、という感じかな。たぶん千尋の元へたどり着いてると思うよ。」 「そんなに簡単にか?」 「うーん、連れ戻すのは簡単ではないかもしれないけど。忍人を信じて待つしかないね。」 白い光の渦が収まると急速に視界が開けた。 だが、そこに広がった光景に忍人は目を瞬いた。 「なんだ、ここは。」 真っ直ぐ伸びた道、その両端には建物が所狭しと並んでいるが、どれも見たことのない形状だ。 素材も木を使っているようには見えず、かと言って石造りにも見えない。 更には。 「土が見当たらないな…。」 唖然としながらも視線を移すと、見覚えのある山並みが見えた。 「あれは畝傍山か?」 そう思った瞬間、視界がぐるりと周り、ふと気づくと小高い山の上にいた。 視界の開けた場所に立っており、眼下に広がる街並みと遠くの景色が見て取れた。 「あちらは耳成山と天香久山のようだが。」 眼下の街並みは、先程いた街なのだろう。縦横に走る道と、ぎっしり並んだ建物で埋め尽くされている。 だが遠くに見える山々は、忍人にも見覚えのあるものだった。 今立っているのは畝傍山の頂上のようだ。 「ということは、ここは橿原宮…?。」 それにしても街並みが違いすぎる。 その時ふと、以前千尋が忍人の為にと開いた宴で、風早が見せてくれた異世界の衣が思い浮かんだ。 「制服…とか言っていたか。」 唐突に思い出したそれが、何故かこの街が放つオーラと酷似しているように思えた。 「ここは千尋が5年ほど過ごしたという異世界なのか?だが…。」 景色はいつの間にか、最初にいた街中に戻っている。 「人の気配が全くないな。」 緻密に描かれた絵の中にいるようで、人や自然が発する伊吹どころか、物音さえも感じられない。 「街の様子が異様だが…。いや、そうか。」 ここは時空の狭間だ。 目の前の風景があまりにリアルなので、忘れるところだった。 これが千尋たちがいたという異世界を再現している世界なら、それを作り出している者がいるはずだ。 忍人は腰の剣に手を伸ばした。 実世界で、片方の剣を千尋の元へ置いたせいか、いま忍人が身につけてる剣も一本だけだった。 その剣をスラリと抜く。 「生太刀、力を貸してくれ。」 その言葉に反応したのか剣が白く光り始め、それと同時に景色がゆらりと歪んだ。 幻想であるだろうこの世界は歪みの中に消えていくのかと思えたが、光が収まった後、細めていた目を開くと、 そこには先程の異世界が寸分変わらずに広がっていた。 ただ一点を除いて。 「千尋…っ。」 いつぞや見せてくれたのと同じ、制服という異世界の衣を身につけた彼女がそこに立っていた。 だが、彼女はなぜか不思議そうに忍人を見ていた。 「……?」 その様子に違和感を覚えて、近づこうと一歩踏み出したとき。 「我の作った世界に土足で踏み込んでくるとは、不逞極まりない輩だな。」 突然、見知らぬ男が千尋を隠すように目の前に現れた。 声は低く響き、その身は黒い衣で覆われている。 「……っっ。」 見た目は人と変わらぬ姿だが、発せられるオーラは圧倒的な威圧感に満ちている。 「何者だっ。」 忍人は咄嗟に飛び退いて距離をとった。 「何者とは、それはこちらの台詞だ。ここは我の世界ぞ。」 男は忍人が放つ殺気を歯牙にもかけず、それどころか気だるそうにため息をついた。 「我の…世界?」 そういえば風早たちは何と言っていたのだったか。 『眠りにつこうとする黒龍が、千尋を連れ去った』 『力を失った黒龍は、時空の狭間で暫しの眠りにつく』 「まさか…黒龍…?」 なぜ人の姿を取っているのか不明だが、状況から考えるとこの男は黒龍の化身に違いない。 「………ほう、なるほど。そなた、この娘の仲間か。」 一方、忍人の一言で、黒龍も忍人の正体とその目的に気づいたようだ。 「さすが神と呼ばれるだけのことはある。わかっているなら話は早い。姫を返してもらおう。」 忍人は手にしていた剣を構え直し、男――黒龍に突きつけた。 しかし、力を失ったとはいえ、これだけのオーラを放つ相手、しかも神を前にして、たった一人で太刀打ち出来るのだろうか。 背に冷たいものが流れる。 「ふん。」 だが黒龍は興味なしといった様子で、鼻を鳴らした。 「連れ帰りたければ勝手にするがいい。但し、この娘にその意思があればの話だがな。」 「なに…?」 黒龍が千尋の肩を抱き寄せる。 「娘、そなたは龍の神子だと言ったな。そは誰に仕える者か?」 「……龍神さまに…。」 千尋はその腕の中で抵抗もせず、黒龍を見上げてにっこりと笑った。 「な…っ。……貴様、彼女に何をしたっ。」 明らかに操られている。 だが頭でそうと分かっていても、千尋のその様子に、忍人は激しく動揺した。 「ほう?そなた、ただの仲間や臣下ではないようだな。」 「それがどうしたっ。」 ちょっとした言動や態度で自分の内面を見透かされることに、不快感とともに焦りを感じる。 「気の毒だが、この娘は我がもらう。」 言葉とはうらはらに、微塵も悪いと思っている様子もなく、黒龍はニヤリと笑った。 「お二人は大丈夫でしょうか?」 並んで横になっている忍人と千尋を見ていたリブが、誰にともなくつぶやいた。 「眠っている限りは大丈夫だと思うけど。年頃の男女を同じ寝台に寝かせるなんて…。」 風早が、不服そうな顔で頷きつつ、ため息をついた。 「や、あの…そういうことを心配してるわけでは…。」 「リブ、こいつは無視していいぞ。話がおかしな方向へいくだけだ。」 「はぁ…。」 苦笑いしているリブを横目に、アシュヴィンは忍人の傍らに置かれている剣に目をやった。 彼の剣は、大きな光が収まった後も、鞘の中から淡い光がゆらゆらと漏れている。 一方、千尋の傍らにある剣は、今は微かな反応しか見せていなかった。 「嫌な感じだな。」 「アシュヴィン様?」 「千尋側の剣だ。これは今、彼女と繋がっているんだろう?」 「そういえば、つい先程まではもう少し淡く光ってたはずですが。」 「確かに…。これは少しまずい事態に向かってるのかもしれない。」 二人の話を聞いていた風早も、真面目な表情になって眉を寄せたとき。 いきなり部屋の扉が乱暴に開かれた。 「誰だっ。」 アシュヴィンが咄嗟に剣を抜く。 だが、すぐに目を丸くして動きをとめた。 「…遠夜?」 いつもの物静かな雰囲気とは打って変わって、険しい表情の遠夜が足早に入って来た。 『神子の気が消えかけている。アシュヴィン、どけ。』 遠夜はアシュヴィンが突きつけた剣を無造作に押しやると、ベッドに近づいた。 『忍人、何をしている。神子が龍に奪われてしまう。』 「…っ…。」 遠夜が覗き込んだ先で、忍人は心なしか苦しげに眉を寄せた。 『……頑張れ。』 遠夜は忍人の掌を開くと、その中へ千尋の手を重ねた。 『神子、己を手放すな。おまえが寄り添うべき相手は龍ではないだろう?』 |
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