白刃の光芒 4
「千尋が?あれからずっとか?すでに数日経ってるぞ。」 「はい。幽宮の文官からの報告なので、間違いないかと。」 根の宮での事後処理をあらかた終えたアシュヴィンは、今後の両国の関係について千尋と話そうと、馬で幽宮へ向かっていた。 付き従っているリブの元へ報告が入ったのは、その道中でのことだった。 「一体どうされたというのでしょう。」 「……。葛城将軍はどうした。」 「え?…や、そこまでは…。」 ずっとアシュヴィンと共に居たリブに詳細が分かるわけがない。 そうと知っていながら聞いてくる彼に、リブは苦笑を返した。 「というか…なぜ葛城将軍なんです?」 「おまえ、あいつらを見ていて何も気づかなかったのか?」 首を傾げるリブに、今度はアシュヴィンが苦笑を浮かべた。 「まあいい、幽宮へ戻れば状況も分かるだろう。急ぐぞ。」 「はっ。」 馬の腹を蹴るアシュヴィンに、リブも慌ててその背を追いかけた。 暖かな陽光を受けて新緑がきらりと光る。 禍日神が消えてから、この常世の国はみるみると色を取り戻しつつあった。 この幽宮も、窓から見える景色はそんな美しさに溢れている。 だが、そんな景色とはうらはらに、眠ったままの千尋の顔からは、少しずつ血の気が引きつつあった。 「姫、俺は君との約束を守った。刀に魂を呑まれることもなく、いま君の前にいる。これから先、この刀が体を蝕むことも無いだろう。」 呟くように言う忍人の前には、千尋が眠っている。 「根の宮で垣間見た白昼夢は、俺たちの前世なのだろう?…あんなふうに君を哀しませ、傷つけた罪は重いのだろうな。」 忍人は、千尋が眠るベッドの縁に腰を下ろし、彼女の髪にそっと触れた。 「こんなことになったのは、そんな俺への罰なのだろうか。だがそれなら…どうか償わせて欲しい。」 彼女の前髪をそっとかきあげ、唇を寄せる。 「やり直させてくれ。もう二度と君の前から消えない。今度こそ幸せにしてみせから…。」 その額に口付けると、彼女の柔らかな香りがした。 「だから…目を覚ませ千尋。戻ってこい、俺のところへ…。」 「ただ待つのではなく、覚まさせてやったらどうだ。」 そのとき、突然ドアが開かれ凛とした声が響いた。 「……っ?」 忍人が驚いてそちらを見ると、アシュヴィンがつかつかと入ってきた。 「なんだ、鬼神のごとくと恐れられた将軍が見る影もないな。覇気というものが微塵も感じられん。」 「アシュヴィン様、第一声がそのお言葉というのは、さすがに如何なものかと…。」 アシュヴィンに付き従ってきたリブが、慌てたように取り成している。 「なっ…。なんなんだ、いきなりっ。王族の姫の寝室に断りもなく入ってくるなど、不敬にも程があるぞっ。」 「ほお?家臣の分際で、姫の寝込みを襲うのは不敬ではないのか?」 「な…っっ。」 その言葉にハッと我に返った忍人は、慌ててベッドから立ち上がった。 「アシュヴィン様、喧嘩を売りに来たわけではありませんよ。」 「からかってるだけだ。」 アシュヴィンはリブを軽くあしらいながら、忍人を面白そうに見た。 「や、この状況でからかうというのも、どうかと…。」 「そうだよ、アシュヴィン。そのくらいにしてやってくれないかな。」 開け放たれた扉の向こうに今度は風早が現れ、ゆっくりと部屋に入ってきた。 「根の宮の方は落ち着いたのかい?」 「とりあえずはな。これから国を立て直すにあたって、中つ国との外交も当然視野に入れねばならん。差し当たりまずは千尋と今後の話を、と思って戻ってきたんだが。」 その視線が千尋に向けられる。 「何があった?」 「なるほど、時空の狭間か。」 風早の説明をひと通り聞いたアシュヴィンは、顎に手をあてて呟いた。 「確かに、このままにしておくのは不味いな。……おい、そこの腑抜け将軍。」 アシュヴィンの視線を受けた忍人は、ムッとして眉間に皺を寄せた。 「なんだ。」 「否定しないのか。一応自覚はあると見える。」 「アシュヴィン様、ですから喧嘩を売らないでくださいってば…っ。」 忍人の鋭い視線を受けて尚、不敵に笑うアシュヴィンに、リブが慌てて小声で訴える。 「さっさと用件を言え。」 「さっきも言っだろう。おまえが目を覚まさせてやれ。」 「それができればとっくにやっている。口を出すならもっと建設的なことを言え。」 忍人は苛立ちを抑えつつアシュヴィンを睨んだ。 「確かに…。」 リブが忍人の肩を持つように、もっともだと頷く。 それを横目で牽制したアシュヴィンは、風早に向き直った。 「風早、葛城将軍の双剣だが。おまえは何か気づいてるんじゃないのか?」 「ん?ああ、そうだね。でも、それが何か…。」 急に脈絡のない話を振られて驚いた風早だったが、ふと何かに気づいたように言葉を止めた。 「なんだ、この剣がどうしたと言うんだ。」 「根の宮でおまえと戦った兵たちが口々に言っていたぞ。その刀がとんでもない光を放って何も見えなくなった。やっと光が収まったと思ったら、おまえの気が有り得ないほど強くなっていて、どう足掻いても勝てる気がしないので投降した、とな。」 「その通りだが。」 あのとき、この剣に起こった変化に助けられたのは事実だ。 だが、それが千尋となんの関係があるのか。 「忍人、それはもう破魂刀ではないね?」 眉をひそめる忍人に、風早が問いかけた。 「その刀からは、以前のような負の気配を感じない。根の宮で何が起こったのか知らないけれど、もう君自身を削ることは無いようだ。」 「"そなたを生かす刀となろう"。あの時、確かそんな声が聞こえたな。」 「生太刀か…。そうか…今度は手遅れにはならないようだね、良かった。」 風早は忍人の両腰に差された双剣を見ながら、感慨深げに頷いた。 「今度は…?風早、以前から漠然と思っていたんだが、君はなにか…。」 「ああ、ごめんごめん!話が逸れるところだった。アシュヴィン、彼の双剣の力で千尋を目覚めさせろってことだね?」 風早は取ってつけたように忍人を遮るとアシュヴィンに向き直った。 「ああ。根拠も何もある訳じゃないが、そんな人智を超えた力を持つ刀なら、千尋が漂ってる時空の狭間とやらにも干渉できるんじゃないかと思ってな。」 その言葉に忍人は顎に手を当てて一瞬考えこんだあと、小さく呟いた。 「……なるほど。」 アシュヴィンの言う通り根拠は何も無いが、本能的に可能だと感じる。 「忍人、ひとつ君に確認しておきたいんだけど、いいかな?」 「なんだ。」 「忍人、君が生きていく上で、千尋は必要かい?国を立て直すのに必要な王としてでは無く、君個人の問題として。」 「……っ?何を言い出すんだ、いきなりっ。」 「必要か?」 話が飛びまくっているにも拘わらず、アシュヴィンがニヤリと笑いながら乗ってくる。 「そ…れは…。」 ちらりと眠ったままの千尋を見る。 このような問いかけ、突っぱねるのは簡単だ。だが彼女の前で、それは不誠実な行いに思われた。 忍人は小さく息をひとつ吐いた。 意を決して口を開く。 「風早、彼女の親代わりの君にはきちんと言うべきだな。俺はこの先の人生を千尋と…。」 「うん、わかった。もういいよ。」 スッといつもの笑顔に戻った風早が、片手を上げて遮った。 「………はっ?」 「それ以上は聞きたくないから。」 その言葉通り、にこやかなまま忍人を全力で牽制している。 「おまえな、自分から振ったのなら最後までちゃんと聞いてやれ。」 さすがのアシュヴィンも呆れ顔を見せた。 「だって、千尋を連れ戻すのが先だろう?忍人の覚悟がわかったならそれでいい。」 「…や、もっともらしい仰りようですが…なんと言いますか、父性に似た嫉妬が滲み出てますね。」 「付き合ってられんな。時間の無駄だ。」 小声で囁くリブに、アシュヴィンも肩を竦めて応える。 「おい、葛城将軍。千尋への求婚諸々は本人に直接言ってやれ。それと許可を得るべきは、風早ではなく橿原宮にいる重鎮たちだ。 そいつは無視していいぞ。」 「え~、ひどい言われようだなぁ。」 風早が不服そうにする横で、忍人が今度はアシュヴィンを見て固まった。 「きゅ、求婚…?」 「おや違うのか?そうか、俺の勘違いだったか。ならば俺が妻問いしても問題ないんだな。」 「…っ、断る!」 「あの忍人殿、アシュヴィン殿下は二の姫様に妻問いを…と仰ってるのであって、決して忍人殿に仰ってるわけでは…。」 リブが言い終わらないうちに、忍人の鋭い視線が飛んでくる。 「リブ、そういうことは相手を選んで言え。俺が恥ずかしくなる。」 「え、なぜですか。私は殿下のフォローをしてるだけで…。いてっ。」 アシュヴィンがリブの後頭部をパシッと叩いて、忍人に向き直った。 「失礼した。誤解のないように言っておくが、俺が求婚したいのは千尋であって…。」 「だから、断ると言っている。」 「彼女の代わりに返答するのか?しかも即答とは、大した自信だな。まあいい、やっと本来の覇気が戻ったようだ。」 アシュヴィンはふっと笑みを浮かべながら風早に視線を移した。 「さて風早、おまえのせいで盛大に話が逸れたが。どうやって千尋を時空の狭間から取り戻す?」 「俺は忍人の覚悟を聞きたかっただけだよ。絶対に千尋を取り戻すっていう覚悟をね。生半可な気持ちじゃ、忍人まで時空の狭間に落ちたまま戻らない、なんてことになりかねない。」 「俺は今度こそ彼女と添い遂げる。」 「今度こそ?」 忍人の言葉にアシュヴィンが首を傾げたが、風早は何も言わずに小さく笑った。 「忍人、今の君ならどうすればいいか分かるんじゃないか?」 「……恐らく。」 忍人は腰に差している二本の剣を鞘ごと抜いた。 片方を掲げると、忍人の思いに反応したのか、鞘に収まった刀身から淡い光が漏れ出していた。 その刀を千尋の枕元へ置く。 「この光が俺の魂を導く。」 理屈ではない。 本能でそう感じる。 「……君のもとへ。」 もう一方の刀は床に突き立て、柄を掴んだまま目を閉じる。 すると、閉じた瞼の内側に真っ白な光が急速に広がり始めた。 「……っ。」 思わず、剣を掴んだまま床に片膝を付く。 だが白い光の渦に飲み込まれるように、剣を持つ感覚も膝から伝わる床の感覚も消えていった。 |
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