元旦の過ごし方






青く晴れ上がった空に、ぽっかりと浮かんだ雲がゆっくりと近づいては、また遠ざかっていく。
穏やかな年の始め、寺の門へと続く石段の中腹で、花梨はぼんやりと空を見上げていた。

石段の両脇に群生している木々が、朝日を受けて、葉の先に乗せた露を光らせる。

初日が昇って、小一時間もたったのだろうか。
屋敷を出たときには、まだ薄暗かった街も、もうすっかり明けて清々しい朝を迎えていることだろう。

思えば、こんな風にのんびりとした時間を過ごすのは久しぶりだ。




「花梨・・!?」

そのとき、不意に後ろの方から声が降って来た。
同時に、錫杖のカシャンカシャンという音も近づいてくる。

「おまえ・・・! 何してんだ、こんなとこで!!」

だが、愛しいその声に振り向こうとした瞬間、それは怒声に変わった。

「イサトくん・・・。」

振り向いて見上げると、何段か上の石段に立ったイサトがこちらを睨んでいた。

「俺が迎えに行くって、言っただろ!?」

「だって・・・少しでも早く会いたかったんだもん。」

この世界の穢れは既に去ったので、ひとりで出歩いたからといって、さほど危険なことはもうないはずだ。

その世界の穏やかな年明けの空気を、肌で感じたくなった花梨は、屋敷で彼の到着をじっと待つ時間さえも惜しくなり、
こっそり抜け出して、イサトの住む寺までやってきた。

だが、久しぶりに感じた開放感と、浮き立つような昂揚感も、彼の第一声のせいで急にしぼんでしまった。

「なによ・・そんなに怒ること、ないじゃない・・・!」

花梨はスッと立ち上がると、イサトに背を向けて石段を下り始めた。

「え・・・あ、おい、待てよ!」

イサトが慌てて追いかけてくる。

「待てってば!」

驚いたようなその声に、一瞬足が止まりかけた花梨だったが、すぐに思い直してそのまま歩いていく。

「花梨、そんなにどんどん歩くと危な・・・。」

「・・・きゃっ・・・・!」

怒りのまま、足元もろくすっぽ見ずに石段を下っていた花梨だったが、朝露か、或いは霜で濡れていたらしく、
イサトの忠告も一瞬遅く、足を滑らせた。

「花梨!!」

数段後ろから付いて来ていたイサトは、一足飛びに彼女のところまで飛び降りると、左腕でその身を支え、
同時に、右手に持っていた錫杖を、石段脇の斜面に突き立てた。
だが、二人して転落するのは避けられたものの、イサトが飛び降りた衝撃と、二人の体重を支えることまでは出来なかったらしい。

カシャンという甲高い音とともに、斜面の土を掘り起こして錫杖が倒れる。



「・・・・ってぇ・・・。」

軽い衝撃の後に聞こえてきたその声に、花梨がハッと顔を上げると、
石段と自分との間にきれいにイサトの体が入り込んでいた。
後ろから抱えられるような状態になっているが、どうやら、彼の体をクッション代わりにしたらしい。

「あ。 ご・・・ごめん・・・・。」

「・・・ったく、新年早々これかよ・・・。」

イサトがほんの少し顔を歪ませながら、ぶつぶつと呟いた。

先程までの怒りを忘れ、慌てて彼の上から下りようとしていた花梨だったが、
だが彼のその声に、ぴたっと動きを止めた。

「・・・・・?・・なんだよ、早く下りろよ。」

「・・・やだっ!」

花梨は、イサトに背を向けたまま、彼の上で踏ん張った。

「はぁ・・・?」

彼女の温もりをほんのりと感じたイサトは、少々ドキッとした。
だが、どうもそんな甘い雰囲気ではなさそうだ。それどころか、なにやら怒りのようなものさえ感じる。

「なに・・・怒ってんだよ。」

彼女が、本人の不注意で怪我をしそうになったのを助けたのだ。
なぜ自分が怒られなければならないのだろう。

「怒ってるのは・・・新年早々、怒ってるのはイサトくんの方じゃない!」

花梨は、イサトを下敷きにしたまま、前を見据えて言った。
一年の最初の日の朝を、どんなふうに迎えたかったかなんて、彼は少しもわかっていない。

「わたしは、年が明けて一番最初に、イサトくんにおめでとうって言いたかったのに・・・。
だから早起きして、誰かに会う前にお屋敷を出てきたのに・・・。」

「おまえっ・・・何も言わずに抜け出して来たのか!?」

イサトは呆気に取られた。
いや、よく考えてみれば、誰かに断って出てきたのなら、そもそも一人であるはずがない。

花梨の言いたいことは・・・彼女がイサトを想うがゆえに取った行動であることは、
よくわかる。
だが、それとこれとは話が別だ。

「何度言ったらわかるんだよ、このお転婆娘! ひとりで勝手に行動するなっていつもいってるだろ!?」

「・・・っ・・・! イサトくんの・・・ばかっっ!」

花梨は、イサトの上で体をバウンドさせると、その勢いで弾みをつけて立ち上がった。

「ぐえ・・・っ。」

何やら、蛙がつぶれたような声が聞こえたが、知ったことではない。
花梨は、後ろで伸びているであろうイサトには構わず、どんどん歩いた。
今度は、滑らないようにと、一応足元を注意しながら。







「あれ・・・? 神子殿じゃないか、久しぶりだね。」

その声にふと顔を上げると、イサトの兄が石段を上ってくるところだった。
腕に何か抱え込んでいる。

「ちょうど良かった! これ、焼き立てを貰ってきたんだ。よかったら食べる?」

そういうと彼は、花梨の返事を聞く前に、丸い焼き菓子らしきものを差し出した。
どうやら、南瓜で作られているらしく、ほのかに甘い匂いが漂う。

「・・・あ・・・え〜と・・・ありがとうございます・・・。」

反射的に受け取った花梨は、一瞬どうしたものかと思案したが、
ニコニコとこちらを見ている彼の視線に押されるように、一口ほおばった。

「おいしい・・・?」

「あ・・・はい・・・。」

「そう、よかった。 これ、俺の大好物でね、この下に住む女童がときどき持ってきてくれるんだけど、
今日は正月で寺の仕事も休みだし・・・好物を食べながらのんびりしようと思ってさ。
頼んで作ってもらったんだ。」

そう言うとイサトの兄は、自分も一口、嬉しそうにほおばった。

「ああ、新年といえば、挨拶がまだだったね。 あれ、そういえば、ひとり・・・?
イサトはどうしたんだ?・・・って・・・・あ。」

口ももぐもぐと動かしながら、ひょいと花梨の後ろを覗き込んだ彼は、石段の上で伸びているイサトに気がついた。
花梨の横を抜け、イサトに近づくと、首を傾げながら彼を見下ろす。

「なんで、こんなとこで寝てるんだ? ・・・あ、おまえも食うか?」

「・・・・・・・・・・いらねえよ!」

能天気に菓子を差し出す兄を払いのけながら、イサトはがばっと跳ね起きた。

「場の雰囲気ってもんを読めよな、馬鹿兄貴!」

「・・・馬鹿・・? おまえな、いつも言ってるが、兄に対してその態度はどうかと思うぞ?
だいたいそんなだから、彰紋様に対してもあんなぞんざいな口の聞き方を・・・。」

「彰紋はいいんだよ!」

また、いつものお説教モードに突入しかけた兄の手から、菓子をもぎとると、
聞いていられるかとばかりにイサトはそれを口に放りこんだ。

「あ、いらねえって言ったくせに・・・。」

釈然としないぞ、という顔をしている兄を無視してほおばると、口いっぱいに甘い味が広がった。

「・・・・うまいじゃん。」

「お、そうだろ!? うまいんだよ、これ! 神子殿もさっきそう言って・・・。
あ〜、そうそう・・・神子殿!」

いつのまにか説教を忘れたらしいイサトの兄はそこまで言うと、蚊帳の外に置かれていた花梨を振り返った。

「ごめんごめん、新年の挨拶をしようとしてたんだったよね。改めまして、明けましておめでとう。」

花梨に向かって、ぺこりと頭を下げる。

「あ・・・えと・・・あけまして・・・・・。」

「ちょっと待ったーー!!」

つられて花梨も頭を下げようとしたが、いきなりイサトが間に入ってきて、兄を押しのけた。

「こいつが一番初めに挨拶するのは、俺なんだよ。そうだよな、花梨・・・?」

「あ・・・・うん・・・・。」

「なんだ、まだ挨拶してなかったのか? 何やってたんだよ。」

押しのけられて、少しむっとした彼は、呆れ顔でイサトを見た。

「順番なんてどうでもいいじゃないか、ここで3人で顔をあわせてるんだから、みんなで一緒に挨拶すれば・・。
ねぇ、神子殿?」

「はぁ・・・あは・・は?」

思わず、引きつり笑いになる花梨。

「おまえ、なんだよ、その態度の違いは・・・。」

先程、花梨に押しつぶされた腹を押さえながら、イサトが恨めしそうに彼女を見た。

イサトの、そのちょっと情けない姿と、彼の兄のおかげで、花梨はすっかり毒気を抜かれてしまった。
さっきまでの怒りはどこへやら・・・。
代わりに込み上げてくる笑いを抑えながら、花梨はイサトに向かって素直に頭を下げた。

「ごめんね、イサト君。えと・・・明けましておめでとう、これからもよろしくお願いします。」

「あ?・・・ああ。まあ、なんだ・・・その・・・。」

そんな彼女に拍子抜けしたイサトは、兄の前であることも手伝って、どう反応したのものかと一瞬悩んだ。

「え〜と・・・謹賀新年!」

究極の照れ隠しだ。

「謹賀新年? なんだ、その挨拶は・・・・。」

呆気に取られる花梨の横で、兄も呆れ顔で弟を見た。

「なんだよ、不満かよ。・・・じゃあ、賀正! 迎春! 謹んで新年のお喜びを・・・!」

「神子殿・・・・。」

これでもかと祝詞を並べ立てているイサトを無視した兄が、花梨に向かってしみじみと言った。

「こんなやつの傍にいていいの? やっぱり俺は彰紋様の方が数倍いいんじゃないかと思うよ?
今からでも遅くはないから、考え直し・・・・・い”・・っっ!?」

彼の言葉が意味不明の擬音になるのと、イサトの錫杖が彼の足元でガシャンと音を立てるのが、ほぼ同時だった。

「・・・つ・・っっ・・・な・・・なに・・す・・・・・・・。」

「・・・・・? どうしたんですか?」

急に涙目になった兄を見て、花梨が首を傾げる。

「み・・・神子殿・・・・。前言修正・・・・。こんな乱暴なやつの傍は止めて、今すぐ彰紋様のところへ・・・。」

「あーーー!!」

その時、空を指さそうとして振り上げたイサトの錫杖が、ものの見事に兄の後頭部を直撃した。

「・・・・でっっ・・・・!!」

「だ・・大丈夫ですか!? どうしたの、イサトくん!」

頭を抱え込んでうずくまった兄の横にかがみこんだ花梨は、彼を気遣いながら、イサトを見上げた。

「今、そこの木の枝に、泰継がぶら下がってた。」

「・・・・はい・・・?」

「なんか・・・翡翠も木の上を飛んでった。」

「イサトくん・・・・。」

返す言葉もなく、呆れ果てる花梨。

「わ・・・わざとだよな・・・今の・・・・。ぜっったい・・・わざとだ・・・。」

声まで涙まじりになりながら、イサトの兄がぶつぶつと呟いている。

「花梨、追いかけてみようぜ! あっちの方に飛んでったから。 ほら、行くぞ!」

そう言うとイサトは、兄を思いっきり無視し、ぽかんとしている花梨の手を取り、走り出そうとした。
だが、ふと思い立って、うずくまって後頭部を抱え込んでいる兄の傍に駆け寄ると、
彼が抱えていた包みに手を突っ込んで、菓子を二つ三つ、鷲掴みに取り出した。

「貰ってくぜ、じゃな!」

「イ・・・サト・・・・帰ってきたら・・・ただじゃ置かないからな・・・・。」

涙まじりの瞳で、必死に睨んでいる兄を露ほども気にかけず、イサトは花梨を引っ張って走り出した。




「・・・イサトくん、泰継さんたちって・・・・?」

花梨が後ろを振り返りつつ、また、辺りをきょろきょろと見回しつつ、イサトに声をかけてきた。

「・・・ん? ああ、鳥かなんかを見間違えたみたいだ、気にするな。」

そう言うとイサトは、再び花梨を引っ張って、石段を駆け下りていく。

「イ・・サトくんっ・・・危ないよ、こけるーー!!」

花梨が顔を引きつらせながら、必死に付いてくる。

「大丈夫! 受け止めてやるよ、何度でも。」

なんのかんの言っても、自分に一番に会いに来てくれたことは、やはり嬉しい。




最後の戦いの後、彼女はこの世界に残った。
自分の前で、残ると言った。
それは、イサトの傍にいると言ったのと同じこと。

確かな言の葉は交わしてはいないけれど、
こんなふうに、さりげなく触れ合う気持ちを互いに温めていけばいい。


「今年はいい年になるかな!」


不意に開けた木立の向こうに、京の街が広がった。
何度も見たその風景が、今日は、あたたかく腕を広げて、自分たちをいざなっているように見えた。




〜fin〜


「朱雀のお正月」イサト編です☆

一応短編ですが、今までのイサトシリーズをしっかり受けて書いてます(笑)
イサト兄・・好きなんですよ〜(^^*
そして、その彼が大好きなお菓子については、以前樹原さんにイラストを頂戴していますので、
ぜひ覗いて見てください☆  こちら

それにしても、このカップリングの花梨ちゃんは、元気が良くて
書いてて楽しいです☆
余裕が出来たら、続けていきたいシリーズですので、
その節はまたお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いしますv

(2006.1.1)


































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