雨粒が輝くとき 5



ハッと我に返った赤城は、慌ててその前後の写真をめくった。
他に彼女が写っているものはなかったが、姫条たちのスナップ写真の背後には、いろんな景色が写っている。

青い海。砂浜に寄せて砕ける白い波。そして。

「灯台…。」

『…あれが羽が崎の灯台。』
あの時、この灯台を指してそう言った人は…。


「あの時?」

寄せては引いていく波の音。
指先に感じた、白く砕ける波と砂の感触。

『赤城くん、早く風邪治してね。』

そう言って、この浜辺に立って微笑んでいたのは…。

「そう…だ……彼女だ!」

微笑ましいカップルの背景に映し出された風景が、閉ざされていた記憶の扉を一気に開け放った。

にっこりと笑いながらこちらを見ていた
初めて見たキャミソール姿。
彼女と話しながら、感じた寄せる波の心地良い冷たさ。

「なんで、忘れてたんだ…。」

もう一度、会っていた。
場所は夢の中だったけれど。

「そういえば、なにか大切な約束を…。」

「なんやねん、おまえ、デートの約束忘れてたんか?」

姫条が、様子のおかしくなった赤城を怪訝そうに覗き込んだ。

「デート…?」


『そうだな、いつがいい?』
『じゃ、雨が降った二日後に…。』


「海へ行こう…って…。あ!」

「ど、どないしてん…。」

いきなりガタンと椅子から立ち上がった赤城を、姫条が目を丸くして見た。

「姫条さん、この前、雨が降ったのっていつでした!?」

「雨? え〜と…あぁ、おまえがここに飛び込んできた日やろ? おとといやな。」

「おとといってことは…今日は、雨の降った二日後!?」

夢の中とはいえ、こんなにもはっきりとの声も姿も、そこにいた感触までも覚えているのに、
なぜ今まで、あそこまであっさりと忘れ去っていたのだろう。

「そういうことになるやろけど…。なんやそれ? めっちゃアバウトな約束やなぁ?」

「夢の中のことですから。すみません、僕これで失礼します。」

「はぁ? 夢の中って、おまえ…。」

姫条が、半ば呆れながら見ている。

「常識的に考えたら、バカみたいだなって思います。でも、ただの夢とは思えな……いえ、思いたくないんです。」

自分ひとりの夢ではないと、きっとも同じ夢の中に居たのだと、信じたい。
赤城は帰り支度をすると、急いで出口へ向かった。

「じゃ、これで。あ、写真はまた改めて貰いに来ますから。お邪魔しました。」

「おいこら、ちょー待てユキ。 時間も場所もちゃんと決めてへんのに、どうやって会うねん。
そもそも、夢の中で約束したって、おまえ正気か?」

赤城は、姫条の言葉に一瞬動きを止めたが、すぐに穏やかな笑みを見せた。

「……すごく、僕たちらしい約束の仕方ですよね…。」

確かに姫条の言うとおりだと思う。
今から行ってもがいるかどうか、わからない。場所も、灯台が見える浜辺というだけで、あやふやだ。
そして、それ以前に、自分ひとりの思い込みだという可能性の方が余程大きい。

けれど。

行かずにはいられない。
自分の足でその場に立って、確かめたい。

「は〜。なんやようわからんけど、おまえにとっての一大事なんやな? わかった、送ってったるわ。」

レストルームを出た赤城を追いかけてきた姫条が、ヘルメットを投げてよこした。

「え…。」

「ほんまは彼女しか乗せへんねんけど、特別大サービスや。あの灯台のある海岸でええんやな?」

「はい、たぶん…。」

「あ、そうや。」

だがそのとき、姫条は何を思ったか、バイクに向かおうとしていた動きを止めた。
 
「ちょっとこっち来い。」

そう言って、赤城の腕をつかんでレストルームの奥へと引っ張り込む。
 
「あの…?」

「え〜と…。あ、これなんかちょうどええな。」

なにやらゴソゴソやっていた彼が、後ろ手に何かをポイポイと投げて寄こした。
 
「なんですか、これ。」

「見たらわかるやろ、ジーンズにTシャツや。…あ、これもっ。」

白いパーカーも飛んできた。
 
「せっかくのデートや。それ貸したるから、そんな暑苦しい制服なんかやめ。」

「姫条さん…バイト先に一体どれだけ、私物置いてるんですか。」

赤城は思わず、呆れ顔で彼を見た。
 
「おまえな、人がせっかく気ぃ利かせたってんのに、なんでそういう憎まれ口叩くねん。
ええから、さっさと着替えんかい。多少サイズが合わんのは、センスで着こなせ。」
 
「そんな無茶な…。」

赤城としては制服でも全然構わないのだが、姫条の方は有無を言わさない雰囲気だ。
 
「はぁ…じゃ、お言葉に甘えて…。」

押し付けっぽいが、せっかくの姫条の好意、ありがたく受け取っておいた方が良さそうだ。

「おっ、結構いけてるやん。さすが、俺、センスええわぁ〜。」

着替えて出てきた赤城を見た姫条が、鼻を高くしてフフンと笑った。



illustration by 喜一さま


「はぁ…どうも…。」

一応、ほめ言葉と受け取っておこう。
 
「さて、ほんなら行くか。」

レストルームを出ると、ガソリンスタンド特有のオイル臭が鼻をついた。
 
「夢の続きへレッツ・ゴーてか。おまえ、ちょっと変わったヤツやとは思っとったけど、
夢見る少年を地でいってるんやな。でも、嫌いやないで、そういうヤツ。」

大型二輪にまたがって、勢い良くエンジンをかけた姫条が、ニヤリと笑ってそう言った。


*


水平線に近づいた太陽が、オレンジ色の穏やかな輝きを放っている。
緩急をつけながら寄せて返す波が、その光を受けて昼間とは違ったゆったりとした風景を彩る。

「シーズン前の海っちゅうのも、静かでええもんやな。」

まだ海開きもされておらず、しかも平日の夕方という時間帯のためか、人影はない。
波打ち際で砕ける波音だけが響いている。

「あれが灯台…。」

ここから少し離れた場所に立つ灯台は、実際には白いのだろうが、今は夕日を受けてオレンジ色に染まっていた。
色合いは少し違うけれど、夢の中で見た景色と同じだ。

初めて来たけれど、ここは確かに大切な思い出の場所だ。

「誰も…おらんな。」

灯台をみつめる赤城の後ろで、姫条がボソッと呟いた。

「まぁその…なんや。気ぃ落としなや。」

彼なりに気を遣ってくれているのだろう、髪に手を突っ込んであさっての方を見ている。

「ええ、大丈夫ですから。」

淡い期待もあったけれど、そんなにうまくいく方が不思議だ。

この場所にとふたりでいたことは、確信に近い。
でも、自分が先ほどまですっかり忘れていたのと同じように、彼女も覚えていない可能性が高い。

「ふ〜ん。同じ夢見てた…ちゅう点は譲らへんねんな。」

姫条は苦笑いしながら、道沿いに止めたバイクに目を向けた。

「ほな…帰るとするか。ついでや、予備校まで送ってったるで。」

「あ、いえ。僕はもう少し海を見てます。ひとりで帰れますから。」

もう少し、この風景の中に浸っていたい。

「なんや、優等生のくせにサボりか? ま、たまにはそんな日があってもええわな。
そやけど、こっから帰るんは大変やろし、もうちょっと付き合ったってもええ…。ん? あー。」

姫条は、そんな赤城に頷きかけたが、ふと言葉を切った。

「……?」

「…と言いたいトコやけど、俺もそろそろバイト先に戻らなあかんし。おまえも一人の方がええやろ。
ゆっくり水平線でも眺めとき。」

姫条はそう言うと、赤城の両肩を押さえて強引に砂浜に座らせた。

「はぁ…。」

水平線を眺めろと言われても、目の前で姫条が片膝をついているので何も見えない。

「ほな、迷子にならんように気をつけてな。
それと、今日みたいな日の景色は格別や。夢中になりすぎて時間忘れたらあかんで。」

「姫条さん、子供じゃないんだから…。」

「冗談やって。あ、また店の方へ遊びに来ぃや。俺がおる日はわかっとるんやろし。」

そう言いながら姫条は、赤城の胸ポケットを軽く小突いた。
中に入れてあるシフト表がガサッと音を立てる。

「知ってたんですか。」

「ほんまにヒムロッチにもかなわんわ。」

姫条は苦笑を浮かべると、赤城の肩をポンと叩いて立ち上がった。

「ほな、またな。」

「あ、姫条さん。」

赤城は、歩き始めた姫条を振り仰いだ。

「ん?」

「あの、ありがとうございました。」

「グッドラック!や。」

姫条は、親指を立ててニッと笑って見せると、その手をひらひらと振りつつ去って行った。

「グッドラックって…。」

この場合も少し使い方が違うような気がする。
赤城は苦笑いしながら、海へ視線を戻した。

夕日が水平線にかかり、海面をオレンジ色に染め上げている。

「うーん。」

赤城は立ち上がると、水平線に向かって大きく伸びをした。

「ほんと、予備校サボってばっかりだな。」

風邪で倒れてからこっち、まとも行っていないように思う。
でも、たまにはいいかもしれない。

いつもは何かの拍子にふと思い出すだけだけれど、今はゆったりとした時間の中で、
のことを想っている。
結局会えなかったけれど、こんな時間を手にすることが出来ただけでも幸せだ。




誰も居ない浜辺で、波の砕ける音だけが響いている。
ふと、夢の中で寄せる波に手を浸したことを思い出し、同じことをしてみようと波打ち際に近づいたそのとき。

不意に、背後で砂を踏む音と、人の気配を感じた。

「風邪、治った…?」

振り向こうとした瞬間、涼やかな声が響いた。

「……っ…。」

聞き覚えのあるその声に、思わず息を飲む。

「ほんとに…いるなんて…。」

ささやくように言うその声は、少し戸惑いを含んでいるが、ずっと心の奥で求めていた声。

「ほんと…に…?」

その声の主と同じセリフを繰り返しながら、振り向こうとしたが動けない。

今すぐ確かめたいけれど、振り返った途端に消えてなくなってしまうんじゃないだろうか。
そんな不安にも似た感情が、体を金縛り状態にしている。

「あの…赤城くん、だよね…?」

そんな赤城に声の主も不安を感じたのか、戸惑いをにじませながら、また少し近づいてきた。

不意に、腕にあたたかなものが触れた。
その確かな感触に体が熱くなる。

「赤城くん…?」

その声も、この温もりも逃したくない。
その想いに弾かれたように赤城は、自分の腕に触れている手をつかんでいた。

「え!?」

驚く声を聞きながら、つながった手と手を支点にぐるりと振り向く。

「あ、あの…。」

いきなり腕をつかまれて驚いたが、目を丸くしてこちらをみつめていた。



illustration by 喜一さま


「ほんとに…君…。」

何ヶ月ぶりだろう、この声、確かな存在感。

「夢じゃ…ないよな…。」

「赤城くんも、本物だよね。」

彼女がくすぐったそうに笑った。





「ほんとに同じ夢、見てたんだな。」

「そうみたいだね。」

不思議としか言いようがないけれど、あんなに会いたかった彼女が今、目の前にいる。
その事実を素直に受け止めたい。

そして、思い出すきっかけをくれた姫条にも感謝したい。

(あの人は、自分の身の上話をしてただけ、とも言うけどな。)

思わず苦笑いがもれる。
そのとき不意に目の端に何か見覚えのあるものが映った。

「…?」

何気なくそちらへ視線をめぐらせる。

「あ。」

「どうしたの?」

思わず小さく呟いてしまった赤城を、が不思議そうに見た。

「あ、いや…。」

ごまかしつつ、もう一度よく見ると、夕日で赤く染まった海の家の陰から、姫条がこちらを覗いていた。
慌てて隠れようとしたらしいが、赤城が気づいたとわかると、ニッと笑いながら親指を立てて見せた。

(グッドラックって…そういう意味か。)

姫条は、の姿に気づいていたのだろう。

(あの人らしいや。)

くすっと笑いながら視線を彼女に戻そうとしたが、姫条がなにやら身振り手振りで伝えようとしている。
なんだろう…?

(その手を…引き寄せて…抱きしめ…て……ちゅ……う。)

「はぁっ!?」

思わず目が点になる。
だがそのとき、赤城はの手をつかんだままだったことに気づいた。

「赤城くん?」

そんな赤城の様子に、彼女もさすがに怪訝そうな表情になった。

「あ、その…。」

そんな彼女の手を、慌てて離そうとしたが。
姫条のせいで動揺していたのか、手をつかんだまま腕を引っ込めてしまった。

結果、引っ張られたが赤城の胸に倒れこんでくる。

「…え…?」

彼女の小さな叫び声と、胸に感じる軽い衝撃。
展開が速すぎて、なにがなんだか訳がわからない。

「あ…れ…?」

ふと気がつくと、目をぎゅっと閉じたが胸の中にいた。
しかも、赤城の腕はご丁寧にも彼女の背を抱きしめている。

「え!? あ、これは、そのっっ…。」

姫条のガッツポーズが目に飛び込んだように思うが、そんなことに気を回す余裕はなくなった。




「雨粒が輝くとき6」へ




やーっと彼女が登場!
冒頭部分にちょこっと出てきましたが、あくまでも夢の中だったので、
ここで初めて出てきたと言ってもよいでしょう。

それにしても、どんだけ引っ張るんだ…lll
と自分で突っ込みつつ。
赤城くんが、ゲーム中でなかなか逢えないキャラなので
その日常生活を想像してたら膨らみすぎちゃいましたね〜。
まどか&ヒムロッチを登場させたせいもありますが(^^;


夢ネタについては…。
遙かならともかく、GSではちょっと無理があったかな〜という気もしていますが///。
その辺はスルーしてやって下さいm(_ _)m

( サイト掲載日 2009. 10. 1)






































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