雨粒が輝くとき 4



「寝てたことを不問にしてやるから…って。きたないよなぁ。」

本来ならば、授業態度の点をマイナスにするところだが、見なかったことにしてやる…のだそうだ。
しかし、それからの数日間を体調不良で欠席しているのだから、ダレてたわけじゃないことくらい、わかっているはずだ。
こういうのを職権乱用というんじゃないだろうか。

「そんなに気になるなら、自分で聞けばいいのに。」

なんでも、とある出来事がきっかけで、姫条と彼女との間に溝が出来てしまったのだが、
どうやらその原因を作ったのが氷室本人、ということらしい。

『一応断っておくが、私がその女生徒に横恋慕をしたとか、どこか恋愛モノのような原因ではない。
そこのところは勘違いしないように。』

氷室は、そう念を押していたが、そんなこと言われるまで気付かなかった。

「変に回りくどいよなぁ。」

おとといの雨が嘘のように、昨日と今日は透き通った青い空が広がっている。
濃くなってきた木々の緑が、夏至に近い太陽に照らされてまぶしく輝いている。

あのあと氷室は、赤城が断れない状況を作ったうえで、1枚の紙切れを取り出した。

『姫条のスタンドでのバイトは…。今日は休みだが明日の夕方は入っているようだな。』





(ほんとに持ってたんだ、シフト表…。)

いったいどうやって手に入れているのだろう。
さすがアンドロイドと噂されるだけのことはある。

「あはは…は。」

もう、乾いた笑いしか出てこない。

これは姫条に教えてやったほうがいいのだろうか。
とはいえ、元生徒を心配する親心の裏返しなのだろうし、自分が氷室の懸念を解決してやればそれで済むことだ。

赤城は、コピーされたシフト表をポケットにねじ込んだ。





「こんにちは。」

姫条が元気良く客を送り出したのを見届けて、声をかける。

「お? ユキちゃんやないか。また雨宿りか?」

赤城に気付いた彼は、キャップのつばを跳ね上げながら体ごと振り返った。
今日は快晴なのを百も承知のはずなのに、そんなコメントをするところがとても彼らしい。

「いえ、今日はお借りしたシャツをお返ししようと…って、あの、その呼び方止めてもらえません?
僕もまどか先輩って呼びますよ。」

「あ、それ却下。まどかって呼んでええのは、肉親除いたら、彼女だけやから。
ま、そんなんどうでもええわ。今、客が切れたとこやから、中入り〜。」

「彼…女?」

姫条がレストルームを示したが、いきなり本題に触れたので戸惑ってしまう。

「なんや、俺に彼女がおったら変か?」

豆鉄砲でも食らったような顔で見ていたのだろうか、赤城の反応に姫条は怪訝そうな顔をした。

「あ、いえ。ええと…長い…んですか?」

とりあえず彼に付いてレストルームへ歩きながら、さりげなく聞いてみる。

「付き合って、か? そやなぁ、馴れ初めは高2の頃やったからなぁ。」

今のジブンと同じ年やな、と言って姫条はニヤリと笑った。

「そう…なんだ。」

では氷室の言う「彼女」なのだろう。
『今もうまくやっている』 らしいが、一応確認しておこう。

「姫条さん、その彼女って、この人ですか?」

氷室が聞いたら、額を押さえて悶絶しそうな単刀直入さだが、これが一番確実だ。
イエスという回答さえ得られれば、氷室からの依頼はクリアできる。

赤城は、氷室から受け取った写真を姫条の前に出した。

「ん?…これって…。え!? 俺の彼女やないか! ちょー待て。なんでおまえがこんなん持ってんねん!」

姫条は驚いて赤城の手からその写真をひったくった。

「あれ? なんや若いっちゅうか、幼いっちゅうか…。ってか、制服着てるやん。なんやこれ、高校んときのか?」

「ええ、まぁ。」

氷室が手に入れられるとしたら、高校時代の写真しかないだろう。
数年前のものになるのは仕方がない。

「ほ〜お? ますます気になるなぁ、なんでジブンがこんな写真持ってんのか。
詳しゅうに聞かして貰いまひょか、ユキくん?」

姫条の口調は一見穏やかだが、すでに目が笑っていない。
表情もにこやかだが、かもし出される雰囲気の中に、返答次第ではただではおかないというオーラが見え隠れする。

「あ、あれ…? あ、はははは…。」

一言多いこの性格を呪ったことは多々あるが、もうひとつ付け加える必要がありそうだ。

(これからは、もう少し深く考えてから行動しよう…。)

ともあれ、氷室が心配している「彼女」とはうまくやっているらしいとわかったので、適当にごまかして帰ってしまおう。

「ええと、その…。手短に言うと、ですね…。」

「いや、詳し〜く聞かせて貰うで。」

「……。(しまった…。)」

赤城は、がっくりとうなだれた。

急いては事を仕損じる。
そんなことわざが頭の中を通り過ぎていった。





「はぁ? なんやそれ。ヒムロッチが度々顔を出しとったんは、そんな理由やったんか?」

姫条が呆れながら、レストルームのイスにどっかりと腰を下ろした。
ちょうど休憩時間に入るところだったらしい。

「そんなん、自分で聞いたらええやないか。」

「それが出来ないから、僕に頼んだんだと思……あ。」

「どないしたん?」

それが出来なかったのはきっと、氷室の教師としてのプライドゆえだろう。
ならば、こんなふうに全てバラしてしまっては非常にマズイかったような。

「ああ、大丈夫や、なんも言わへんから。そやけど、これからあいつの顔見たら、笑ってしまいそうやな。」

そう言いながらも姫条は、「そーかぁ、気にしてくれてたんやなぁ…。」と感慨深げに言った。

「あれは忘れもせん、修学旅行のときのことや…。」

赤城が何も聞いていないのに、姫条はその「事件」について勝手に話し始めた。

「はぁ…。」

もうここまで来たら、付き合うしかなさそうだ。





「自由行動の日に大阪へ?」

京都修学旅行の自由行動日に、京都ではなく、大阪へ行ってしまうとは。

「ま、いろいろあったんや。そういや、ファーストキスも…。」

姫条は、思い出し笑いをしたのか一人でにやけている。

「こほん。それは置いといて、やな。」

その大阪デートの帰り、運悪くその現場を氷室に見つかってしまい、逃走を謀ったのだそうだ。

「そのあと、ふたりしてお説教されたら良かったんやろうけどな。」

姫条は、テーブルに頬杖をついて遠い目をした。

そのときは運よく逃げることが出来たが、相手は学校の教師なのだから、結局捕まってしまうのは当然の成り行き。。

だが、彼女の顔を見られなかったのを幸いに、姫条は一緒にいたその女子の名を一切出さなかった。
氷室も、主犯は姫条なのだろうと思ったらしく、深く追求してこなかったが、
罰として、それから一週間ばかり補習授業をみっちり受けることになった姫条に対して、彼女はかなり責任を感じたらしい。

「どうしてですか?」

「大阪へ連れて行け、って言うたんは彼女やったからな。」

そして、補習授業に時間を取られたせいでアルバイト収入が減った姫条は、少しばかり生活が苦しくなった。

「そんなん、彼女には一言も言わへんかったんやけどな。ええ子やから感じ取ってしもうて。」

「それで?」

塾の時間が迫っているが、二人のその後に純粋に興味がある。
だがそこから、姫条の口は急に重くなった。

「……あ〜、それで…なぁ。…あ、そういや、おまえ、予備校行かなあかんのとちゃうん?」

「は?」

「あんまり引き止めたら悪いしな。」

姫条は、身を乗り出した赤城をちらっと見ながら立ち上がると、
彼の前に出していた麦茶の入ったグラスを下げようとした。

「あ、これ、まだ飲んでます。」

ここまで引っ張っておいて、いきなり「帰れ」とはあんまりだ。
赤城は、グラスを両手で掴んで姫条の動きを遮りながら、にっこりと微笑んで見せた。

「それに、写真も返してもらってないし。」

「あー、これか。」

赤城の言葉に、姫条は手にしていた写真をまじまじと見つめた。

「これ、いつの写真やろなぁ。3年生の夏あたりやろか…。」

先ほどと比べると、かなりテンションが下がっている。
最初に写真を見せたときとは、すいぶんな違いだ。

「……?」

「はーー。あんまり思い出しとうはないんやけどな。」

赤城が素直に帰りそうにないので、姫条もあきらめたらしく再び腰を下ろした。

「要するに、あの事件のせいで彼女は身を引こうとしたんや。
自分が一緒におったら、まどかくんにまた迷惑かけてしまう…とかなんとか言うて。
そんなわけないのに…アホやな。」

最後のセリフは写真の彼女に向けた言葉だろう。

「え、別れちゃったんですか?」

「お…まえなぁ…。そんな人のハートをナイフでえぐるようなセリフ、さらっと言うか…?」

姫条が恨みがましい目を向けた。

「俺はそんなつもりなかったし、姿見るたびに声かけてたんやで。そやけど、避けられて…。
そやな、周りから見たら、振られたように見えたやろなぁ…。」

「なるほど…。」

氷室には、最初から姫条と一緒にいた女子が誰だかわかっていたのだろう。
たぶん、彼らの仲についても。

それで、ふたりの仲がこじれたのが、自分のせいだと思ったに違いない。

(実際、その通りなんだろうけど。)───身も蓋もない。


「でもな、俺、あきらめへんかってん。ふられた、いうても嫌われたわけちゃうやろ?」

見るからに意気消沈していた姫条に、またエネルギーが戻ってきた。

「そう…ですね。」

思い出話でここまで感情を変化させられるなんて、
一見おちゃらけて見えるが、本来の彼はとても純粋な人間なのだろう。

(この人の真っ直ぐなところ、微笑ましいな。)

そして少し、羨ましくもある。

「俺の粘り勝ちや。」

彼女の方も、もともと姫条に対して恋心を抱いていたし、バイト先が同じということもあって、顔を合わせる機会も多かった。
それを最大限に利用した姫条の熱心なアプローチに、彼女も抵抗しきれなくなったのだろう。
姫条は、数ヶ月の真冬の期間を乗り越え、再び彼女を口説き落とした、のだそうだ。

「じゃ、良かったじゃないですか。」

確かに、今も付き合っているということは、そういうことだ。

「アホか。元のようにラブラブになれたんは、結局、卒業してからやで。
あんまりデートしてたら経済的に大変やろとか言うて、なかなか会うてくれへんし。
もう3年生になってて、進路のこととかで大変な時期に差し掛かってたしな。」

「ふ〜ん…。」

「ふ〜ん…とちゃうで! ほんまに辛い日々やってんからな。あんなん、経験せなわからへんやろけど。」

「いえ、わかります。とても…。」



illustration by 喜一さま


姫条と自分とでは置かれた状況がかなり違うが、会いたくても会えない切なさ、という点では同じだ。

(でも…。)

彼女の姿を見ることが出来ても、なかなか自分の方を向いてもらえない辛さや寂しさ。
対して、姿さえも見ることの出来ない歯がゆさ。

どちらが、より苦しいのだろう。

(会いたいな…彼女に…。)

梅雨の晴れ間だろうか、開け放たれた窓からは、先日とは打って変わってすがすがしい空気が流れ込んでいる。

雨が降っても晴れ渡っていても、事あるごとに思い出すのは、やはりの姿。
どんな空の下でもいい、彼女の笑顔に接したい。声を聞きたい。




「……。さて…と。」

「わかる」と言ったまま、目を伏せて考え込んでしまった赤城を、姫条はしばらくじっと見ていたが、
やがて、暗くなった雰囲気を振り払うように立ち上がった。

「最後に。俺が身を持って得た教訓やけど、聞いてくれるか?」

その言葉に赤城は、意識を彼に戻した。

「大切な人の手は離したらあかん。たとえ相手が振り払おうとしても。
カッコ悪ぅても人に笑われても、自分がこうやと思うたらそれを貫き通せ。
自分の気持ちに目を逸らしたらそこで終わりや。ほんで一生後悔することになるんやで。」

自分が得た教訓だと言っているが、赤城に何か感じるところがあったのだろう。
彼の言葉は明らかに赤城に向けられている。

「…はい。ありがとう、ございます。」

「お礼言われるのもなんや変な感じやけどな。」

姫条は赤城を見て、フッと笑った。

「…ってことで、俺の話はこれで終わりや。ヒムロッチには適当に報告しといて。
あ…そや。なぁ、この写真くれへんか? そんなわけで、この頃の彼女の写真、ほとんど持ってへんねん。」

「あ、はい…。」

「その代わり、言うたらなんやけど。」

姫条は、レストルームの奥へ行ってごそごそやっていたが、ほどなく数冊のポケットアルバムを持って戻ってきた。
どうやら、店のプリンターを使って印刷したデジカメ写真を、そのまま置いているらしい。

「今の俺らのラブラブ写真。こっから適当に選んで、ヒムロッチに渡しといてくれ。
ついでに、今度来た時は満タンで頼みますって言うといて。それと……心配してくれてありがとう…って。」

最後の方は、かろうじて聞き取れるくらいのぼそぼそ声だ。

「そんなの、今度会ったときに直接言ったらいいじゃないですか。」

「アホ。そんなん、照れくそうて言えるか。」

完全にそっぽを向いてしまった。

そんな姫条の様子に苦笑いしながら、赤城はアルバムに手を伸ばした。
パラパラとめくってみる。

氷室に渡された高校時代のものより、ずいぶんあか抜けた雰囲気になった彼女が、姫条の横で笑っている。
春の桜並木。秋の紅葉。冬のスケート、雪山。遊園地。ゲームセンター…。

幸せそうなふたりの笑顔に微笑みつつアルバムをめくる。

「…ん?」

だが、あるページでふと手が止まった。

「え…これ…。」

「どないしたん?」

姫条が覗き込んできたが、赤城はある一点に釘付けになったまま動けなくなった。



illustration by 喜一さま


夏のビーチサイドだ。
大盛りに巻かれたソフトクリームをふたつ、両手に持った姫条が、あたふたしている。

「ああ、去年の夏の海か。こん時なぁ、横で遊んどった子らのビーチボールが飛んできて、顔に直撃受けたんや。
ソフトクリーム持っとったから、どうしょうものうて。あはは、ひどい顔しとるわ。
でも、こんなん撮る彼女もお茶目っちゅうか…。」

姫条が、説明しているのか、ただ単にのろけているのかわからないコメントをしているが、
赤城の目には、彼の姿は映っていなかった。
みつめているのは、姫条の横で彼に当たって跳ね返ったビーチボールを大慌てで追っているらしい少女の姿。

数回しか会ったことはないけれど、いつもいつも探している、忘れようもない人。

「彼女だ…。」



「雨粒が輝くとき5」へ





まどかが語った思い出については、
以前書いた彼の話 「大阪めぐり」 にリンクさせてみました。

自分の創作の中で話を繋げて書きたいってのは、一種のクセですね(^^;
瑛編もそうですし☆
主役が違う場合、同じ世界で話を書くとおかしなことになるのでやりませんが、
今回の場合は、相手役の女の子(主人公ちゃん)が別なのでいいかな〜と。

さて、前回分から、相方さんによる挿絵が付いてきます♪
(無理やり描かせたとも言う…^^;)


( サイト掲載日 2009. 7. 13 )



































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