雨粒が輝くとき 3




「スタリオン石油へようこそ!……って、どうみても客とちゃうよなぁ。」

慌てて飛び込んだガソリンスタンドで、やたら元気で愛想のいい、そしてなぜか大阪弁全開の店員の出迎えを受けた。

「どないしたん、自分。こんなとこ、歩きで来る客なんて普通おらんで。」

その店員は制服のキャップを指で押し上げながら、二カッと笑った。

「すみません、急に降られちゃって。」

「ん? 雨か?」

彼は、赤城のその言葉で初めて気がついたらしい。

「ほんまや、いつの間に。全然知らんかったわ。」

急に降りだしたとはいえ、すでに土砂降りだ。
この雨音に気付かないなんて、相当な大物か……或いはただの大ボケか。

「あ、はは…。」

とりあえず、笑っておこう。

「ちゅうことは、雨宿りか。」

「すみません、お仕事の邪魔はしませんので。雨脚が落ち着くまで屋根を借してもらえますか。」

「ああ、構へんで。そやけど、そんなとこにおったら濡れるわ。店ん中に入り。茶くらい出したるし。」

そういうと店員は親指で、彼の背後のレストルームを指した。
ガソリンスタンドの屋根は高いので、この雨の中、確かに端っこの方では雨宿りにならない。

「心配せんでも、こんな日は暇やし店長もおらんし。気兼ねせんでもええよ。」

彼はそう言うと、赤城の返事を待たずに歩き出した。




「すみません、着替えまで貸して頂いて…。」

彼のTシャツだろうか、微かに油の臭いがする。

「ど〜致しまして。まんざら知らん仲でもないし。」

「…は?」

「あ〜、いや。 もうすぐ夏やのに、風邪なんか引いたら洒落になれへんしな。」

「ほい、コーヒー。」という声とともに、カップが出される。
赤城は、頭を拭いていたタオルを横に置きながら、軽く会釈した。
初対面だが、なんとなく親近感を感じる。

「風邪なら、この前の雨のときに引いちゃいましたけど。」

思わず、苦笑いしながらどうでも良いことを話してしまう。

夏風邪も、意外と性質が悪い。
特に初日に無理をしたせいか、あれから数日間寝込む羽目になった。

今はもう、熱やだるさはなくなったが、まだ体力が戻りきっていない気がする。

「なんやそれ。そやのに、また雨に濡れてるんかいな。賢そうな顔してる割には抜けとんなぁ。」

椅子の背もたれに肘をかけて、斜めに座った彼は、赤城を見て呆れ顔になった。
制服のキャップと指でくるくると回している。

「はぁ…。でもここしばらくは晴天が続いてたし…。降るとは思わなくて。」

「アホか、もう梅雨やで。朝、晴れとっても折りたたみ傘くらい、持っとかな。
それに傘がなかったら、好きな女の子と相合傘も出けへんやん。」

その店員は、出来る男の常識や!などと言いながら胸を張っている。

「そう…ですね。」

そう相槌を打ってはみたものの、他校生の彼女と相合傘で仲良く下校なんて、まず不可能だ。

「傘…わざと持ってこなかったんです。たぶん…。」

と初めて出会った日のことを思い出す。
あの日も急な雨に降られ、とある店先に飛び込んだら、困った顔をして空を見上げている彼女がいた。

あのときと同じように雨宿りをしていたら、また会えるかもしれない。
無意識のうちに、そんな淡い期待を抱いている。

「ふ〜ん? なんか事情がありそうやなぁ。ま、若いうちはいろんな経験を積んどき。
ほら、あれや。ボーイズ ビー…えーと、なんやったっけ?」

「Boy's be Ambitious.…ですか?」

「ああ、それそれ!」

二十歳程度にしか見えないその店員は、そう言って二マッと笑った。

「(…ちょっと、いやかなり、使い方が違うような…)ははは…。」

ここは突っ込んでも良いのだろうか。

「いや〜さすが、はば学の生徒やな。俺も鼻が高いわ。ま、俺は落ちこぼれやったけど。」

「え?」

その言葉の意味を聞き直そうとしたとき、外でパァンという甲高いクラクションの音がした。

「あ、客や。はいはい…っと。」

彼はひょいと立ち上がると、店先へ続くドアに向かったが、手をかけた扉の前でピタリと止まった。

「げっ。またあいつかいな。」

そんな店員の動きにムッとしたのか、再びクラクションが鳴らされる。

「わかってますて。…もう、なんで俺のおるときばっかり狙って来るんや。卒業して何年になる思てんねん。
だれか、シフト表を横流ししとるんやろか。」

彼がブツブツ言いながらドアを開けると、叩きつけるような雨音が流れ込んできた。
だが、その音の間隙を貫くように、凛とした声が響いた。

「さっさとしないか、姫条っ。君がいることはわかっている。」

「先生…なんですかそれ。俺、指名手配犯ちゃいますよ。」

店員が、うんざりとした様子で出て行く。

「そんなことは百も承知だ。わたしは、客として店員に注意を促しているに過ぎない。」

「はいはい、失礼しましたー。ではお客さま、今日は満タンでよろしいですかぁ?」

「15リットルでよい。」

「またでっか。先生、案外とみみっちいなぁ。ど〜んと満タンにして、しばらく来んかったらええのに…。」

「何か言ったか。」

「いえ、なんもっ。」

姫条と呼ばれた店員はそそくさと給油の準備を始めたが、ふと、
レストルームの入り口で目を丸くして立っている赤城に気付いた。

「あ、そや! 先生ぇ? 俺は変わりないですから気にせんといて下さい。それより、あれ。
ほら、先生のとこの生徒とちゃいますのん?」

その言葉に、何がしか小言を言っていた客が、赤城にピタリと視線を合わせた。

「君は…赤城ではないか、このようなところで何をしている。」

「い…っ。ひ、氷室先生…。」





「いや〜災難やったなぁ。ご苦労さん!」

ひとしきり説教を受けてぐったりとテーブルに突っ伏した赤城の背中を、姫条がバンバンと叩いた。

「どの口が言いますか…。」

病み上がりに、しかも校外で、よりにもよってあの氷室に捕まるとは。
それに元を正せば、このOBの青年の様子を見に来たのではないのか。

「なんで僕が…。」

更に。
よくよく考えたら、塾へ向かう途中に雨宿りに寄っただけで、叱られる理由など何もない。

「まあまあ、堅いこと言いなって。それに自分、生徒会役員なんやろ? 教師のおもりはお手の物やん。」

氷室とのやり取りを聞いていたのだろうが、生徒会役員の仕事を完全に勘違いしている。
今ので、更に疲れが増した。
もう返事をする気にもなれない。

そんな赤城の様子にさすがに気が引けたのか、姫条はマグカップを持ってきてテーブルに置くと、
缶入りのスープを注いだ。

「冗談やって〜。盾にして悪かったな。ほら飲み、俺のおごりや。」



illustration by 喜一(紫翠)さま


「…はぁ、どうも…。」

こう素直に謝られては、いつまでもヘソを曲げているわけにはいかない。
小腹もすいているし、ありがたく頂くことにする。

「そや、自己紹介がまだやったな。俺は姫条まどか。もうわかってる思うけど、はば学の卒業生や。」

赤城が機嫌を直してスープに口をつけたのを見て、姫条がニッと笑った。

「あ…、赤城です。赤城一雪。…きじょう…さんですか。」

「ああ、姫って字書くんや。名前はひらがな。……あ、今めっちゃ似合わん名前やなとか思たやろ。」

「そ、そんなことは…。」

少し思った。

「わかりやすいやっちゃな〜。」

姫条がケラケラと笑った。




「へぇ、ユキって呼ばれてるんか。なんや、女みたいやなぁ。」

自己紹介の流れで、呼び名の話題へと変わっていた。

「姫条さんには言われたくありませんけど?」

「お、言うやんけ。」

赤城の反撃に、姫条は一瞬目を丸くしたが、すぐに面白そうに笑った。

「カノジョにもそう呼ばれてるん?」

外は相変わらず土砂降りの雨が続いている。
塾へ行かねばならないが、この調子では外へ踏み出した途端にずぶ濡れだろう。

(また熱出して倒れたら、洒落にならないし…。)

姫条も同じように考えているのだろう。しばらくは無理だと判断したらしく、
店の奥からポテトチップスやポッキーといったスナック菓子をいろいろ持ってきて広げてくれている。

「いえ、彼女は…。」

姫条の言う「カノジョ」とは違うが、赤城は、数回しか会ったことがないのに瞼の奥に焼きついて離れない面影を
思い浮かべた。

そっと近づくと、気配で振り返って「赤城くん!」と嬉しそうに笑ってくれるその姿を。

(振り返って…嬉しそうに…?)

そういえば、今までそんなシチュエーションで出会ったことがあっただろうか。
数少ない出会いのシーンを思い返してみるが、思い当たらない。

けれど、確かにどこかで。

───どこだろう。

「名字!? なんやそれ、色気ないなぁ。」

姫条のその声にハッと現実へ引き戻される。
ポテトチップスをつまんでいた彼は、赤城のそんな様子には気づかなかったようだ。

「『赤城くん』てか? そんなん、あかんって。
愛しのカノジョとは、『まどかく〜ん。』、『ユキちゃ〜ん。』みたいに名前で呼び会わなー。」

「ぶっっ…!」

姫条が新しく淹れてくれたコーヒーに口をつけていた赤城は、そのセリフに思わず噴き出した。

「…って、こら! おまえ何すんねん。」

「す、すみま…。でも僕…きじょ……つもりは…。」

思い切りむせてしまったので、言葉がつながらない。

「ぜ〜んぜん意味わからへんで。」

姫条は、そんな赤城を横目に見つつ、しれっとした顔で言った。
ちなみに、「僕は姫条さんとラブラブになるつもりはありません。」と言いたかった。

「ま、それは置いといて、やな。」

まだ咳き込んでいる赤城を、ポッキー片手に覗き込んでくる。

「クラスの女子に『ユキ』って呼ばせといて、カノジョには『赤城くん』って、それはないんとちゃうか?
女の子っちゅうのは難しいねんで。そういうフォローはきっちりしとかな。
なぁ、カ・ズ・ユ・キくん?」







「赤城。」

翌日。
次の授業のため教室を移動しようと廊下を歩いていると、後ろから凛とした声に呼び止められた。

(うわ…。)

振り返らなくても声でわかる。
そういえば、先日寝て過ごしてしまった授業も、確か彼の担当だったはずだ。
あれから数日間欠席してしまったので、謝りに行こうと思いつつタイミングと外していた。

昨日は、突然のことに驚いて、これまたすっかり忘れていた。

「はい、氷室…先生…。」

恐る恐る振り向いてみる。
教師に呼び止められることはよくあるが、彼に呼ばれると意味もなく緊張してしまう。

「き、昨日はどうも…。それと先日は…。」

何の用か知らないが、一応、寝てしまったときのことも謝っておいた方がいいだろう。
だが氷室は、赤城の言葉をさえぎった。

「君が姫条と知り合いだったとは知らなかった。よく行くのか?」

「は? あ、いえ、昨日が初対面です。」

昨日は一方的に小言を言われたが、今日は打って変わって穏やかな雰囲気だ。

「そうか…。」

赤城の返答に、氷室はほんの少しがっかりしたような表情を見せた。
何か考えるところがあるのか、一瞬の間が空く。

「あの…?」

「赤城、すまないがひとつ頼まれてくれないか。」







「なんで僕が…。」

通いなれた塾への道を急ぐ。
だが最初の目的地はそこではない。
その途中にある、例のガソリンスタンド。

赤城は足早に歩きながら、昨日の氷室との会話を思い返した。


 *


「姫条さんの彼女、ですか??」

氷室の口から出た意外な言葉に、思わず目をぱちくりとさせてしまう。

「今も仲良くやっているのか、少し気にかかっていてな。」

休み時間の廊下なので人通りが多い。
行き交う生徒たちが、ちらりと見ながら通り過ぎていく。

さすがにそのような場所でいつもの凛とした調子で話すのは憚られたのか、氷室は少し声を落とした。

「単刀直入に言おう。この女性とどうなっているのか探ってきて欲しい。」

数年前のものだが、と言いながら氷室が1枚の写真を差し出した。
はば学の制服を着た可愛らしい雰囲気の女生徒が写っている。

「はぁ。……?」

訳がわからず、間の抜けた返事をしてしまう。

「君が戸惑うのは百も承知だが、そこを曲げて頼みたい。
彼のバイト先にさりげなく寄って様子を見ていたが、ガソリンを入れる短い時間ではさすがに限界がある。」

氷室は腕を組んで、目を伏せつつため息をついた。

「あれ、さりげなく…なんですか? あ、いえ何でも。」

思わず突っ込みかけて、慌てて口を閉じる。
昨日の姫条の様子では、氷室はひっきりなしに顔を見せているようだった。
「さりげなく」と言えるレベルなのだろうか。

「在学中は彼女もあのスタンドでバイトをしていたのだが、最近は姿を見ない。専門学校へ進んだはずなので、
バイトを続けていてもおかしくはないのだが。」

氷室は、赤城の反応にちらりと視線を向けたが、そのまま話を続けた。

「突然このような依頼をされても多忙な君のことだ、戸惑うのも理解できる。
そこでだ、交換条件を提示したい。」

「交換条件…。」


  *


「雨粒が輝くとき4」へ





普段から、メインキャラと主人公の1対1という図式はあまり使わないので、
今回も同級生をいろいろ出していたのですが、「その他大勢」という感じで
イメージがしにくく、どうしたもんかな〜と考えた末…。

生徒会つながりで氷上君も考えたのですが、結局はば学OBにご登場頂きました(^^*
単に好みの問題、とも言えますが☆
かなり以前にGS創作をしていたときにも何度か使っってますが、
相変わらず「姫条VS氷室」という関係が好きですv
まどかがOBになってるので、今回の氷室先生の対応は少〜し変えてみましたが☆

とはいえこの二人、かなり濃いので引っ張られる〜//。
ということで、赤城くんと彼女との件はちょっと置いといて、寄り道です(^^;

( サイト掲載日 2009. 6. 24 )






































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