雨粒が輝くとき 2
頭がぼ〜っとする。
目が重くて、まぶたを閉じるとそのまま机に突っ伏してしまいそうだ。
さすがにそんな状態は避けたいので、必死で耐えているが、黒板の文字も教師の言葉も全く頭に入らない。
これではまずいとは思うものの、休養を欲する体は言うことを聞いてくれない。
「ハックション!」
ハンカチで押さえたものの、盛大なくしゃみにクラスメートの何人かがちらりとこちらを見た。
だが今は、周りを気にしている余裕はない。
鼻をズズッといわせながらハンカチで押さえていると、だんだん悪寒までしてきた。
(まずいなぁ。)
今日は、生徒会でどうしても外せない用がある。
朝はまだ、さほどひどくはなかったこともあって登校したが、放課後まで持つだろうか。
そうこうしている間に、4時限目終業のチャイムが鳴った。
「助かった…。」
赤城は、終業の礼が終わるとそのまま机に突っ伏した。
「どうしたの、ユキ。風邪?」
前に座っているクラスメートが、振り向いて覗き込んでいるようだ。
「あんた昨日、ほんとに濡れて帰ったんだ? 大雨だったじゃん。」
横からは昨日の女子が近づいて、呆れた様子で声をかけてきた。
「気持ちは察するけど、風邪なんか引いてちゃ、カッコ悪いだけだよー。」
(…放っとけよ。)
気力体力ともに、返事する気にもなれない。
「なになに、何の話?」
「聞きたい? 実はコイツさぁ〜。」
赤城が突っ伏したまま反応しないので、彼女らはそちらで勝手に盛り上がり始めた。
ネタにされるのはあまり気分がよくないが、とりあえず、相手をする必要はなくなったらしい。
赤城はそのまま、重いまぶたを閉じた。
食欲もないので、午後の授業が始まるまではこうしていよう。
「保健室行ったほうがいいんじゃない…?」
そんな声も聞こえたような気がするが、クラスメート達のざわめきは、
ベールに包まれるように次第に遠のいていった。
ずっと探していた姿がそこにある。
胸がトクンと音を立てるのを聞きながら、そっと近づくと、その気配を感じ取ったのか、彼女がこちらを振り向いた。
「赤城くん?」
「やあ…。また、会えたね。」
以前、自己紹介をしたときに「」と名乗った彼女が驚いた顔でみつめている。
そんな表情ひとつさえ、とてつもなく懐かしく感じる。
「うん! 」
そういう想いが表に出たのだろうか。
彼女も嬉しそうな様子で頷いた。
「元気だった?」
「うん。赤城君も?」
「ああ。…あ、いや。思い切り風邪引いちゃったな。君のせいで。」
また口が勝手に、余計なことを言っている。
「私のせいって、どういう意味よ。」
予想通り、がぷくっと膨れた。
「お互いさまだわ。でも、すっごく元気そうに見えるけどな?」
「そう?」
確かに体のだるさも重さも感じない。
むしろ、その表情を見ているだけで、言いようのないほど気持ちが軽く、温かくなる。
「でも、どうしてここへ?」
だが彼女はすぐに不思議そうな表情でこちらを見た。
「ここ…?」
その言葉に、改めて辺りを見渡す。
そういえば、見慣れた学園の風景だが、何か違う。
「あれ…?」
そうか、制服が違うのだ。
通いなれた学園のはずなのに、ここにいる生徒たちは、はばたき学園の制服を着ていない。
これは、彼女と同じ制服…羽が崎学園だ。
変だなと思いつつ、に素朴な疑問を投げかけてみる。
「そういえば君、なんでうちの学校にいるの?」
「赤城くんこそ…。 ここは羽が崎よ?」
「羽が崎?」
ザーッという音とともに、空気が変わる。
「そう。ほら、あそこに小さく見えてるのが羽が崎の灯台。」
「灯台…。」
微かに聞こえる波音にふと気付くと、波打ち際に立っていた。
「海か…。そういえば君、泳げるの?」
「赤城くんは?」
「そこそこ…かな?」
膝を折って砂の上に手を付くと、寄せてきた波が、白く砕けながら手首を濡らした。
その冷たさが、火照った体に心地良い。
「じゃ、今度、一緒に海へ行かない?」
その声に、腰を下ろしたまま見上げると、いつのまにかキャミソール姿に変わったが優しく笑っていた。
「ふたりで…?」
「…うん。イヤでなければ…。」
赤城のストレートな問いに、は少し照れたような顔で頷いた。
それはデートの誘いと捉えて良いのだろうか。
なんだか、くすぐったくて嬉しくて、胸が温かくなるような心持ちになる。
「そうだな。いつがいい?」
胸の高鳴りを押さえながら、問うてみる。
「わたしは、いつでもいいよ。」
は、その問いににっこりと笑いながら答えた。
そんな彼女に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「それじゃ、約束にならないじゃないか。」
「う〜ん…そうね。じゃあ、今度雨が降ったら…その2日後に。」
「雨がやんだ2日後…?」
その言葉に、赤城は首をかしげた。
「うん、次の日だと、きっとまだ海が荒れてるから。」
「そっか、さすが海の近くにいるだけのことはあるな。」
彼女の住んでいる場所は知らないが、羽が崎学園は確か、海の近くに建っているはずだ。
「でしょ?」
「ああ、えらいえらい。」
得意気に微笑む彼女に、ごく自然に腕が伸び、その髪を撫でていた。
そんなふうに素直な行動をしている自分が、少し不思議に思える。
「じゃ、約束! 楽しみにしてるから。…あ、もう行かなくちゃ。」
だがは、何かに呼ばれたように後ろを振り向いたかと思うと、赤城の手をすり抜けた。
「え…。」
「ごめんね、赤城くん。じゃ、また…。早く風邪治してね。」
が手を振りながら去っていく。
「あ、ちょっと…。」
慌てて引きとめようとしたが、彼女の姿はあっという間に小さくなった。
ふたりを包んでいた優しくて柔らかな空間が、スッと霧散していく。
「…待って!」
「お〜い赤城、いい加減起きろよー?」
どこからか、呼び声が聞こえてくる。
穏やかな空気が急速に遠のき、辺りに少しずつざわめきが戻って来た。
「待って……。」
自分も、もう戻らなければいけない。
でも、大切なことをやり残している。
「君の……。」
だが、小さく見えていた彼女の姿は、かき消されるように見えなくなった。
「やだ、ユキったら何寝ぼけてんの。」
「夢の中で女でも口説いてんじゃねぇの?」
周りでにぎやかな笑い声が響いている。
聞きなれたクラスメート達の声だ。
「赤城ぃ、ここは学校だぞ〜。彼女とのお泊りは出来ないぞ〜。」
男子生徒の声に、数人の男女がドッと笑うのが聞こえた。
ああそうだ、もうすぐ午後の授業が始まるのだ。
起きなくては…。
意識が、重く現実へと戻って来る。
それと同時に、今までいた世界の記憶が手の中からすり抜け始めた。
(待ってくれ…。)
だが、つかもうとすればするほどに、遠ざかっていく。
手の平に大切に溜めていた水が、少しずつこぼれ落ちていくように。
わからなくなっていく。
どこに居たのか、誰と一緒だったのか。
とても大切な人と、大切な話をしていたような気がするのに。
「う…ん…。」
ゆっくりと身を起こすと、頭の奥がズキンと音を立てた。
「…痛…ぅ…。」
思わず額を押さえる。
「おい、大丈夫か?」
「だから保健室に行ったほうがいいって言ったのに。」
はっきりしない視界で周りを見回すと、数人の男女が心配そうにこちらを見ていた。
「ああ、大丈…夫…。サンキュ、起こしてくれて。」
4時限目の授業のままになっていた机の上を片付ける。
「だってなぁ、おまえ一人残して帰るわけにも行かないしなぁ。」
「教室の鍵も掛けないと、だしね。」
その声に赤城は、次の授業の用意をしようと机の中を探っていた手を、ピタリと止めた。
「え……?」
慌てて黒板の上に掛かった時計を見ると、短針が4と5の間を指している。
「………。」
頭が回らない。
4と5…。4時…5時…。
「ええっっ!?」
「何度も起こしたんだよ〜?」
女子が「ねぇ?」という素振りで、クラスメートに同意を求めた。
「心配するな。先生には、夜遊びのしすぎで寝不足ですって言っといてやったから。」
男子のその声にドッと笑い声が起きる。
「うそだろ…。」
周りの和気あいあいとした雰囲気とは逆に、赤城は冷や汗が流れるのを感じた。
「大丈夫だよ。ちゃんと、体調が悪いみたいですって言っといてあげたから。」
蒼白になった彼を気の毒に思ったのか、別の女子が小声で教えてくれた。
「ああ、そう…。」
どちらにしても、午後の2時間の授業とおそらくはホームルームまで、寝て過ごしたことに変わりはない。
後で先生に謝りに行かなければ。
赤城は、重い体を引きずるように立ち上がった。
今日は塾も欠席する予定だったし、もうこのまま帰宅して休養することにしよう。
(……ん? ちょっと待てよ?)
今日は何か重要な用事があったような気がする。
「……あ!!」
「ど、どしたの?」
赤城が起きたので、帰ろうと教室の出口に向かっていたクラスメートたちが、彼のその声に何事かと振り返った。
「しまった! 生徒会…っ。」
「ああ、他校の生徒会との交流会だっけ? そういやさっき、ぞろぞろといっぱい来てたよな?」
「羽が崎学園だっけ?」
接待役を任されていたのだが、この時間ではもう交流会も終わりかけているだろう。
「別におまえひとりくらいいなくても大丈夫じゃね? 体調悪いんだから、さっさと帰れよ。」
「そういえば、生徒会の人が呼びに来てたから、今日は無理だと思いますって言っといてあげたよ。」
クラスメートたちが、口々に話している。
「そっ…か。」
このために今日一日、頑張っていたのに。
とはいえ、やはり体調は最悪だ。
ここは、クラスメートたちの思いやりに、素直に感謝しておくことにする。
生徒会のメンバーたちは、皆しっかり者揃いだ。
こんな状態の自分では、居ても居なくても、大して変わらないだろう。
「羽が崎か…。」
グレーの制服に身を包んだ一団が、はばたき学園の校門をくぐる光景を思い浮かべる。
あちらも、もう夏服のはずだから、実際には白の半袖なのだろうけど。
(彼女もその中にいたら良いのにな。)
生徒会のメンバーではなさそうなのであり得ないとは思うが、他に接点のない今は、
そんな小さな偶然にも期待してしまう。
「あれ…?」
なにか今、デジャブのようなフラッシュバックが起こった。
なんだろう。
思い出したいのに、思い出せない。
ちょっと不思議な世界へ走っちゃいましたね〜。
「夢の中での逢瀬」です(笑)
「遙か」ならアリなんでしょうが、GSでこんな展開、いいのかな?って感じですが(^^;
風邪ひいて寝込んでるときって、夢かうつつかよくわからない状態だよな〜とか
考えてたらこんな展開になりました。
( サイト掲載日 2009. 5. 7 )