![]() その11 Cocco、初ラジオレギュラー! 不幸なことに、近畿圏(大きく見れば関西圏と思われるような)である 我が家は陸の孤島のごとく、電波が悪いので、「BEAT ON THE RADIO」は聴けなかったのですが 幸せなことに、(家族の)知り合いの方に録音して頂けることになったので、 今回おそわけー!と、いうことで、ラジオの感想なんぞを書き綴っていくことにしました。 もしかしたら、この先相手方の都合で抜けてしまう週があるかもしれませんが、そこんところご容赦下さい。 前文書き起こし、ということも考えたのですが それじゃ芸がないですし、著作権的にどうなのよってことで、 赤太文字が主な抜き出し部分、黄色が放送曲、 そして漏れなく私のつまらないツッコミ入りでアップ、という形をとらせて頂きました。 いらねーよ!って方は無視してね。ごめんなさい。 こんなところでですが、背中を押してくれたMさんありがとうございます。 メール、とても嬉しくてパワーになりました。 (@7/15) →「BEAT ON THE RADIO」感想ページ その10 bridge49号を読んで。 非常に個人的なぼやきなので閲覧注意です。いつものことですが。 レベル的にいうと、「真夜中に書いたラヴレター」並にです。次の日の朝、真赤になって破りたくなる例の。 bridgeを読んでつらつらと。 Coccoが「Cocco」として復帰してから常に感じていたことだけど、 いくつものばらばらだったピース(クエスチョンマーク)がカチリとはまった気がする。 それは、以前よりもCoccoが素直になって、今の音楽人生を楽しんでいるからだろうなあと思う。 だって、ブーゲンビリア〜サングローズ(ベスト)までだったら、 どんなに詳しく、例え話を沢山してくれても、でもちょっとこれはどうなのよっていうことが とっても多かったように思う。わざと分かり難く言ってるのか、それともやっぱり「ケツの穴」は見せない気だから うまいことはぐらかしてるのかって思うくらい。 いつもいつも、「この人は、どうしてこんなに皆から求められてるのに事をややこしくするんだろう」と感じていた。 だけど、この気持ちもCoccoにしたら勝手なことで(私もCoccoは勝手だなあと思うように) いつだってCoccoは一対一で物事(歌にも、感情にも、周りの協力者にも、ファンにも)に向かい合っていたのに 私はそれに気付けなかった。 それはCoccoが「自由になりたいのに、どこ行ってもいいよって言ってもらえなかったら、どうにもできなかった」 と言うのにも似てると思うけど。私なんてたかが一ファンなのに、Coccoと一緒だったような人たちでさえ気付かなかったこと 言ってもらえなきゃ、そりゃ分かんないよ。あと出しジャンケンは卑怯だよ。 これから、どうなっていくんだろう。 感情優先の歌をやっていたCoccoが、歌に忠誠を誓ってしまった今、 感情に振りまわされて、感情と音楽のガチンコ勝負で血みどろの戦いを繰り広げていた デビューから中止までの音楽に、十代の、どんぴしゃな世代で落とされて 夢中に追いかけて、満身創痍になるまで追いかけて ランナーズハイになっていた者はどうなるのだろう。 私なんかは本当の意味で「妄信的な」ファンだから 恐らく、Coccoがどんな風になってもきっと追いかけてしまうのだと思う。 山に行けば転げ落ちるまで登るし、海に行けばドザエモン覚悟で付いていくだろう。 でも大変なのは追うことじゃない。折り合いを付けていく、ということだ。自分の中で。 他人からすれば、都合良いように、自分を言いくるめているように見えることだろう。 けれどそんなことは些細なことである。 Coccoの活動中止以前の歌が、 実演ショーの新鮮なマグロのお刺身なら 復活したCoccoの歌は焼いたり、煮込んだり、蒸したりしている加工品だ。 お刺身が好きな人は、加工品なんて嫌だろう。 だけどお刺身は鮮度が命で、月日が経てば腐っていく。 「三日後に食べたいの」と思って購入したら、お刺身にも自分の胃にも酷いことをすることになる。 それでも、お刺身が古くなっていないと思える人には、本当に腐らないし、永遠にそれは新鮮だろう。 だけど、一度加工品の味を知ってしまった私は この加工品の美味しさを手放せない。なのに、お刺身も変わらずに愛している。 両方手放すのも、片方を選ぶのも嫌で、どちらも選択肢として持っていたいというのならば それは望まないときにも受け入れなければならないことがある、という覚悟がいるということだろう。 「お刺身が食べたいわ」と思っても、加工品がテーブルに並んでるかも知れない。 それでも、スマートにこれが一番美味しい!と断言できる、図々しく力強い感情が必要だ。 しかし、選択出来るということは、毎日新しいディナーを楽しめるということに繋がる。 それはとても幸福なことだし、足踏みしてしまうほどワクワクすること。 決して不幸だったりするわけじゃない。 なんなんだろう、この気持ち。 お刺身と加工品のあいだでふらつく不安と、明日はどんな料理が出てくるんだろうという期待。 結局、なんにも変わっていないのか。 あの不安定な活動をしていたCoccoと、次になにをし出すのか分からないCocco。 これからも色んなことを考えさせられて、迷わされて、戸惑わされて、興奮させられて ずっと夢中で付いていくのかな。人生を歩んでいくみたいに。 (◎6/30) その9 プロモ盤のあれこれ。 プロモ盤ってありますよね。 あの、新しいCD発売前に音楽雑誌のライターやラジオ局、レコード店などにサンプルとして配られる例のやつです。 私はプロモ盤CDといえば「中身は発売されたCDと変わらないのに、稀少性があるせいで微妙に値段が張る意味のないもの」 という印象しか持っていたのですが、最近になってやっとその面白さに気付きました。 「中身が同じ」でも、ジャケットにはリリースされる作品とは異なる"別バージョン"があったりするんですね。 (あくまで私がプロモ盤にまで興味を抱くミュージシャン限定の話ですが。 調べてみるとジャケット違いだけではなく、タイトルが発売されたものとは違う表記がされていたり、編曲が違っていたりということもあるそうな) Coccoの場合では、私が知っているなかで最もスゴイ!と感じたプロモ盤は『Sweet Berry Kiss』です。 ベストが出る際に書かれた、プロデューサーの一人であったテーラー寺田氏の追記(SPEEDSTAR RECORDSのHPでご覧頂けます) >英詞ながらもシングル候補に一時浮上した事実もある、印象的な1曲。 で実はシングルになりかけだったというエピソードが明らかになっているのですが 恐らく、この『Sweet Berry Kiss』のプロモ盤はこのような事情があって先に関係者に配られていたのでしょう。 けれどスゴイのはC/Wなのにプロモ盤がある、ということではないのです。 このプロモ盤、ジャケットが驚くほど凝っていて可愛い! ケースはなく紙ジャケで、横長の紺色の球体のなかに白ヌキで『Sweet Berry Kiss Cocco』のロゴ。 そしてバックには転がっているブルーベリーのアップ。 どこかのジャムか、アメリカンなお菓子のパッケージのようです。 こんな丁寧なもの作ってなんになるんだーって感じですが、これは本当にインテリアとして飾ってもいいくらいの代物です。 二番目にこれは!と思ったのは『カウントダウン/やわらかな傷跡』のプロモ盤。 『ブーゲンビリア』発売告知が歌詞カード横に表記されていることから、その時期のプロモーション用として配られたものだと考えられます。 CDの色はピンクで、1曲目がやわらか〜で二曲目がカウント〜というヘンテコな曲順。 で、これの特徴はジャケットのイラスト。Coccoのイラストだと思うのですが、 みつあみ白ワンピースの女の子が花を持って(摘んで?)裸足でむこうへ歩いていく、という色もなくシンプルなもの。 上には「Cocco」とだけ表記があります。この女の子はCocco自身なのかな。ちょっと切ない印象を与える感じのイラストです。 すべてのプロモ盤CDを見てきたわけではありませんが、上記の二つ以外のCDに関しては さほど発売されたものと変わりがなかったり、タイトルが表記されてるだけの単純なものだったりがほとんどみたいです。 知りうる限りの他のプロモ盤の特徴を上げてみると・・・ ●カウントダウン→発売されたものと同じジャケット。縦の黒字でCoccoとだけある。 中身は昔オークションで見ただけで記憶が曖昧ですが、初期のキャッチコピーの「かきむしられ、癒される。」の言葉があったように思う。 ●ブーゲンビリア→発売されたものと同じ書体の"Cocco"の文字の横に小さく添えられたブーゲンビリアのイラスト。 中の「ブーゲンビリア」の文字はCoccoが書いたっぽい(最後にサインが付いてる) ●強く儚い者たち→発売されたものと同じ書体の、タイトルロゴが表記されてるだけ。 ●Raining/強く儚い者たち→「クムイウタ」のプロモーション用みたいです。白地にCoccoとタイトル字だけのもの。 ●雲路の果て→白地に名前とタイトルだけ。 ●あなたへの月 NEW MIX→紺色で紙質良さそうなもの。タイトルと名前だけ。 ●樹海の糸→白地で真中に黒い線があり、その中に名前とタイトルだけ表記。 ●ポロメリア→薄い桜色で、紙質は見た目和紙っぽい。これも名前とタイトルだけ。CDの色がリップスティックのピンクでちょっと綺麗。 シンプルなプロモ盤のなかでは、これがいちばん好きかも。 ●水鏡→発売された、CDの柄と同じ氷の側面ジャケットに名前とタイトル(手元に画像がないので記憶のみ) ●けもの道→真赤なジャケット。まさに血の色のジャケットに名前とタイトルが縦で。 ●焼け野が原→発売されたジャケットと同じだけど、真中にCoccoがいない(手元に画像がないので記憶のみ) ●ベスト→発売されたものとジャケットは全く同じ。CDは薄いピンクで、ピックアップされた10曲のみ収録。 ●Heaven's hell→DVDに付いていたものとジャケットは同じ。違いは色が反対になってるのみ(白地にタイトル文字が青) ●ガーネット/セレストブルー→私が確認したものはジャケットはなく、ケースにCDのみで色は濃いピンク。 ○○のCDがないじゃん!って感じですが、見たことなかったり保存してなかったりと色々で穴が沢山でごめんなさい。 とりあえず、たかがプロモ盤と侮れませんよといった話でした。ちなみにCDだけではなく、プロモカセットもあるようです。 お暇であれば各オークションなどをチェックしてみると面白いかもしれませんよ。それでは尻切れトンボでさようなら。 その8 過去に泣くのはそこに愛があったから。 Coccoの歌を聴いて「この人には何かトラウマがあるのではないか、精神病なのではないか」 酷いときには「虐待やいじめやレイプや中絶や愛する人の自殺を体験したに違いない」と断定している人をよく見かけるのですが そういう意見というか、願望を見るたびに嫌な気持ちになります。 こういう目にあってた方がかっこいいとか、歌のリアルさがまして良いとか、こんな詞を書いてるんだからそうに違いないとか、 どうせそんなくだらない気持ちや考えからだろうなとは思うけど。 そりゃあ私は実際Coccoが生まれてから、今までの人生をすべて知ってるわけではないけれど 噂になっているような事柄のどれかが本当だとは、今までのCoccoを見ていたらとても信じられないんです。 こういうことをいうと、精神病やその他云々で苦しんでいる人への差別だ!とか言われそうですが 以前も『ネットや世間で流れているCoccoの噂を簡単に鵜呑みにするのはどうかと思う』という意見を書き込みしたとき、言われたんですよ。 私が伝えたかったのは『本人や家族や親しい人に迷惑がかかったり、嘘だとしたらその人たちを傷つけることになるような噂を Cocco本人がインタビューで喋ったわけでもないのに、安易に信じたり、「〜って本当ですか?」と無神経に質問したりするのは危険だ』ということ。 そんな人に限ってインタビューをちゃんと読んでいなかったり、Coccoの言ったことしか信じません!なんて鼻息荒く主張しているくせに 歌からの勝手なイメージから、本当かもと簡単に信じてしまったりしているんですよ。 確信も証拠もないのに、大好きな歌い手の過去にそんな悲しいことが目白押しだなんて 本当に愛してるのなら信じたくないのがファン心理じゃないですか? そういう気持ちで言ったのに、偏見の目を持ってる、と考えてもなかったことを言われたときは驚きました。 そんなことは絶対ないし、論点ずれてる、今の話とそれとは関係ないじゃないかとも思いました。 揉め事を起こしたくなくて反論はしませんでしたが、とても悔しかったです。 私は、いわゆる「Coccoの孤独」というものは、 インタビューで言っていた「お腹にいるときは男の子だと思われてて、期待されてたんだけど自分は女の子だった。 そのことを小さいときに聞いてしまって、それがずっと残っていて、いつか捨てられるんじゃないかと思ってた」ということから 両親に愛されるためにはどうしたらいいだろう、見放されないためにはどうしたらいいんだろう、という焦りからはじまって そのために頑張ったり無理をして、望まれる良い子になろうとしているのに、 そのことに気付いてもらえなかったり、十分に愛してもらっていると感じられずに起こってしまう怒りや憎しみがあって、 そして、そんな苛立ちがあっても家族と過ごすやさしい日々に安らぎや愛を確かに感じたり、 矛盾しているようだけれど「愛されたい」という感情から起こる単純なことが原点であって、 そこから愛する人への強くて悲しい想い方が生まれていると思うんです。 Coccoの言葉を読んでいくと、家族のことをとても愛しているようだし その家族と過ごした幸せな想い出の背景である沖縄も、同じように愛している。 ずっと、永遠に続けばいいと思っていたけれど、時は過ぎて家族も自分も歳をとり、沖縄は変わっていく。 ひとりで歩かなければいけなくなったとき、想い出のつまった家はなくなって想い出の刻まれた沖縄は変わっていき、 帰る場所も安心できる風景もない。 と考えると、Coccoが沖縄を飛び出した気持ちもよくわかる気がする。 だから私は、Coccoがうたわずにいられなかった理由は、想い出を取り戻すためだったのではないかと思っています。 自分をひとり置き去りにして、周りのものはどんどん姿を変えていってしまうことが裏切りに思えて 「復讐するためにうたっている」と最初の頃は息巻いていたけれど Coccoがうたうことを求めてしまう根本には、 大切な想い出をよみがえらせ、いつもそばにあるように感じたかったからじゃないかなと。 もちろん胸に渦巻く、怪物のような感情を外に出さないと耐えられないということあったと思うけれど。 子供の頃のように家族みんなが一緒に暮らし、あたりまえのようにそこには愛や安息があり バレエがあり、熱烈に愛しただろう恋人がいて、その後ろには必ず美しい沖縄の風景があった、 時間が流れてもすべてが変わらないままなんて、無理なことは分かっているし 想い出が、完全に同じかたちで今によみがえるわけがないことも、ちゃんと分かっていたと思う。 そして「想い出はただ重いだけだった」とラストライブで泣きながら言っていたように、 うたっているあいだ、まるで縛るようにその美しさで威圧するように、ずっとそれはCoccoを包んでいたのだろう。 でも、想い出のなかで夢を見ているだけじゃなく、 それを力に変えて歩いていきたいと決心できたのは、歌をうたうことで出会えた人たちや、 離れても想いは繋がっているんだということ、自分を必要としてくれる人がいるのだということにやっと気づけたからだと思う。 今のCoccoは、二度と戻らない瞬間を想って泣くのではなく 頑張れば取り戻せるかもしれない風景を、よみがえらせようとしているのだと思う。 想い出の背景を彩っている、記憶のなかで生きている美しい沖縄の風景を。 なんか言いたいことを沢山出しすぎてまとまってないや。 まあというよりも、本当に病院に行かなければならないようなトラウマ(PTSDに繋がるような)があるのならば 何年も歌手なんて、契約があって、莫大なお金や人間が動いて、シビアで、戦略考えなきゃいけなくて、売り物になって、イメージ作られて、 思い込みの激しいファンが付いて、反感もかって、忙しくても時間制限があったら休めなくて、嫌な人でも偉い人なら逆らえない、 そんな仕事やってられないでしょう。 トラウマ治療どころか、それこそもっと病んでドクターストップかかるか発狂しますよ。 もちろん私が書いてることも勝手で根拠なんてこれっぽっちもないですけれどね。 その7 Thanksな人々。 とことん暇な奴だと思われそうですが、やってたんですよこんなこと。 シングル「カウントダウン」のThanks to〜の人々を検索なんかで調べてみました。 もしかしたらそりゃ違うかもよ、ってのがあるかもしれませんが・・・ →長いのでコチラ その6 コカコーラのロゴ。 前にスペースシャワーTVにCoccoが出たときに「コカ・コーラグッズを集めてる」って話していましたよね?(まあかなり適当にでしたが(笑)) それで、どうでもいい事なんですが、初期のライブグッズのTシャツの『Cocco』のロゴ、 あれは絶対コカ・コーラを意識してる!と私は勝手に思っています(『Heaven's hell』のDVDの中でも着てるアレです) そういえばブルーシールのロゴマークが欲しくて、ごみ箱から剥がそうとして怒られたという話もSWITCHに載っていましたが・・・ もしかしてCoccoはロゴ好きなんだろうか。美術系のクラスだったんだし。それともたまたま好みの形のロゴだったんだろうか。 とりあえず、こんな思い込みのせいで私には時々「コカ・コーラ」のロゴマークが「Cocco」に見えます。 その5 ビビッドカラーなこっこ? カメラマンの蜷川実花氏は、デビュー前のCoccoの写真を大学のスタジオを借りて撮ったことがあるらしい。 これって蜷川さんのファンにとったら周知の事実なんでしょうか? 私は全然知らなかったので、今巷で人気のカメラマンの方とそんな繋がりが実はあったんなんてビックリ。 蜷川さんの撮る写真には「可愛らしい」という印象が強くあるのですが、 Coccoが被写体になったその写真は一体どんな感じだったのだろう、と非常に気になります。 ちなみにこのことは、検索していてたまたま発見しました。 コチラ→ その4 言葉たち。 ずっとしたいと思っていたCoccoの歌詞話! 長いので こちら にて。 その3 新しく芽吹く花のために。 結局、Coccoにとって『活動中止』は すべて焼き尽くして、"焼け野が原"にしてしまうのが目的ではなく 動き出すときのための"野焼き"の作業だったんじゃないかと最近ちょっと思った。 沖縄から東京にくるとき、大切だった持ち物を燃やしたことと同じで 決して、なにもかもを捨てて”さよなら”するためじゃなくて 甘えや、思い通りにならない苛立ちや、その悲しみ、そんないつか畑を腐らしてしまう原因である感情やしがらみを 一度すべてまっさらな状態に戻すことで、次に芽吹く花が咲きやすいようにしたんじゃないかな。 しかし、それだとわざわざ「中止」という表現をしたにも関わらず メディアは散々「実質上の引退」と報じ、ファンはそれを受け入れていた状態だったあの空気は Coccoにしたら「再びうたいたいと思ったときに、帰り辛い」状況を作っていただけだったということになってしまうわけで。 『「中止」なんて表現をしたからには帰ってくるはず、Coccoが歌を愛した限り、あの想いを貫き通す性格が我慢するわけない!』 とあの当時から帰ってくるでしょ、とわりと楽観視していた私は、非常に肩身がせまく、あの悲観的な状況は逆にとても不思議でした。 その2 同盟。 実は当初、このサイトは同盟にしようかなあって思ってたんです。 でも同盟にするくらいなら延長線のファンサイトにした方がいいかなと考えまして。 それを引きずっていたので、本当は扉のページは これじゃあ人来ないでしょう・・・というようなことがつらつらと書いてありました。 書いたときは夢中でしたが、今じゃ口(手)が裂けても載せられません。くわばら。 その1 はじまりに。 11月中には完成さすぞと意気込んで早1月。 12/24→12/25→1/1と目標日がずれ込んでとうとう1/3になってしまいました。 中身は未だスカスカですが、これからマイペースに頑張っていこうと思います。 ひとつ気がかりなのは100Q。 掲示板上での了解だけであとなんにも相談せずに、だったけど もももっち、あのページに苦情があったらいつでも言ってね(笑) それでは、聞きたくもないことから知りたくもないことまで色々書いていこうと思います。 こんな調子での出発ですが、皆様どうぞよろしくお願い致します。 BACK |