2001 2001年になり、10thシングル『羽根〜lay down my arms〜』を、 Coccoの"この歌を沖縄の空に放してやりたい"という希望により、沖縄限定で発売されたシングル&ビデオセット『風化風葬』を発売。 『羽根〜lay down my arms〜』は、映画『回路』の主題歌としてひさびさのタイアップがつく。 『風化風葬』については、Coccoは沖縄の新聞である「琉球新報」に『愛する沖縄様。』と題した計8枚にも及ぶ手紙を載せ、沖縄限定の意図を伝えた。 またこの直筆の手紙は、沖縄のパレット久茂地7Fリウボウホールで行われたCoccoポスター展にて、全シングル・アルバムのポスターと共に展示された。 他にもこのポスター展ではプロモーションビデオなども上映され、2月28日から3月4日まで開催された。 しかし、この2作品の発売日である2001年2月21日、 Coccoは2001年4月18日をもって活動を中止することを発表。 理由は "生まれた歌を今すぐに伝えたいが、それはリリースまで時間の掛かりすぎる今のような状況では無理。 このまま活動を続けていけば自分の気持ちに嘘をつくことになる" という、今までは「歌い手」としての自分の立場を素直に受け入れることができず それ故、歌を心から好きだと言うことができなかったが 昨年のライブツアーで「歌をうたうことの快感、歌が持つ力、バンドメンバーやスタッフたちと目標に向かい進んでいく喜び」を感じ 本気で、自分は歌を愛してしまっているということに気付いてしまい、その想いが極限まで高まった結果が これまでは平気だった「歌が生まれたときの感情と、リリースされたときの感情のズレと時差。そして歌を商売として扱ってしまうこと」の疑問だった。 後のインタビューでは、固定のバンドメンバーへの深い信頼から、他のミュージシャンと仕事をすることが裏切りに思え 次から次へ生まれてくる歌を制作できずにいる状況も、Coccoを追い込んだものの一つだったことを明かした。 他にも語られなかった事情があるのでは、と様々な憶測も呼んだが 恐らくそれは、Coccoが沖縄から上京したときと同じように Cocco自身もその全てをうまく説明することが出来ないほど複雑で、沢山の理由が重なった末の決断だったのだろうと思われる。 そして4月16日に今までCoccoの活動を追い続け、特集していた雑誌「SWITCH」から 「SWITCH SPECIAL ISSUE−Forget it,let it go−」という 今までに「SWITCH」に掲載された記事と、活動中止の理由を語った最新のインタビューを合わせた特集本が発売され、 活動中止である4月18日には11thシングル『焼け野が原』、4thアルバム『サングローズ』が発売された。 最後の活動となった4月20日のミュージックステーションでの『焼け野が原』の熱唱は Coccoファンのみならず、偶然目にした視聴者からも大反響を巻き起こす。 5月の中旬には、Coccoにファンレターを送った人やライブでアンケートを書いた人など Cocco側に、活動情報を知らせる葉書などを送るために住所登録がされていたファンのもとにCocco直筆のサイン葉書が届きはじめる。 ずっとファンとの接し方に戸惑っていたCoccoからの突然のプレゼントに、決して自分たちはないがしろにされていたわけではないことをファンは感じた。 そしてオフィシャルサイトには、 "4月20日「ミュージックステーション」出演の際には、数多くの方々から、たくさんのバラの花を頂き、誠に有難うございました。 本人も、いたく感激しておりました。この場を借りて御礼申し上げます。"とのコメントがアップされ、ファンサイトで 「ラストライブの日にCoccoへ薔薇の花束を贈ろう」と企画されていた花束計画がうまくいっていたことを知り、二重の喜びとなった。 故郷の沖縄に帰ったと思われていたCoccoだったが 6月1日から6月2日にかけての深夜0時、以前大阪でライブを行った際に"また来ます"といった約束を守るため 深夜、大阪のBIGSTEP前で路上ライブを行い、ギターを手に新曲を4曲ほどうたった。 現場は事前にラジオ(FM802にて、"約束を守りにきました、今夜0時に歌います"というCoccoからのファックスが届いたことを放送中に告知)を聴いていたファンや、 偶然通りがかった一般人などで混雑し、最終的には交通の妨げになるほどの人だかりになったらしい。 ※後に、FM802 に出演したときの話や、雑誌のバイオグラフィーに掲載された情報によると、 前日の5月31日に、まず福岡で路上ライブを行っていたらしい。 会いたい人やお世話になった人へ挨拶のために訪れた際に、突発的に行ったものであり、福岡では早朝4時にということもあって観客は3人だったとか。 8月18日になったばかりの深夜には、テレビ朝日にて 二度目の出演の際の「SOUTH BY SOUTHWEST」の映像や、昨年のツアーの映像、 また最後の出演となった「ミュージックステーション」出演時の楽屋でのオフショットなどを挟みながら、今までの活動を振り返る形の特集番組 「Coccoを愛した人たちへ・・・〜孤高の歌姫の軌跡〜」が放送。 楽屋での映像には、ファン一人一人からの色とりどりの薔薇の花束が映っており、その沢山の花束に囲まれCoccoが感激している様子に 実際は迷惑や重荷になっていたのではないかと未だに不安に思っていたファンは安心したと同時に、花束企画が大成功していたことを確信した。 後に、この番組は放送が予定されていなかった地方でも、順に各地を巡るかのように放送が決定していくことになる。 8月からはNHK「みんなのうた」でも 未発表曲『ひよこぶたのテーマPART2。』(ベストの初回版のみ装入されたCDに「眠れる森の王子様」のインディーズ版と共に収録)が Coccoの絵を元にして作られたクレイアニメと一緒に放送される。 活動中止後も、9月5日には 未発表の5曲を含んだベストアルバム『ベスト+裏ベスト+未発表曲集』と クリップ集『お楽しみ秘蔵ビデオ+全シングルクリップ=計16曲集』を発売。 年末の12月28日にはSSTVにて、ラプンツェルツアー「9ヶ所11公演」の最終日であった武道館ライブをノーカットでオンエア。 同日に全国五ヶ所(札幌、東京、名古屋、大阪、福岡)の会場でビデオコンサートという形をとり、放送が生中継された。 2002 →about Cocco →TOP |