「生きる勇気をありがとう」 清水 哲 氏

日常生活へもどる

幼少のころから野球のボールに慣れ親しんで、「巨人の星」的な生活をしていたという清水さんです。
PL学園時代には桑田・清原と甲子園にも出ました。この頃は我人生の天国といわれるほど、輝いていた

大学1回生のとき、首の骨を折り、「地獄」となります。
地球が自分のために回っていたのが、自分が世界で一番惨めな人間だと思うほどになります。

自分の今までの生活はなんだったのか、自分は何のために生きているのか何も出来ないのなら死んだほうがましだ!と思った。

泣くことしか出来ないので、夜 独りになると泣き暮らしていたそうですが、一生泣いて暮らすことは出来ないと思うようになったのは、多くの励ましのお便りや千羽鶴。看護師や見舞いに来てくださる仲間たちの支えがあったから。

投げやりだった自分から、自分に出来ることを考え、行動したことにより、今の自分があるのだそうです。
首から下は動かないといわれた体も、リハビリにより、電動車椅子を動かして何処へでも行けるまでになった。

障害者の車椅子は法律が厳しく、技術があっても使うことが出来ない。
踏み切りも安心してわたれない車椅子でなく、もっと使いやすい車椅子を作って欲しいものです。

都会だからといって福祉が発達しているわけでもありません。
必要な人に必要なものを提供することが、出来ている地域が発達している地域となるのです。

福祉が発達していても、人の心が発達しなければ、良い福祉にはなりません。
特別な人でなく、障害者も「人間」なんです。
手を合わせて拝まれる人間でもなく、握手をしてご利益がある人間でもなく、みんなと同じ人間なんです。

障害者だから、お風呂は週3回でいいというものではありません。
障害があるから、我慢しなければならない・・・なんてことはないのです。

人はどういう状態にいようと、生きることに価値がある。
辛い、不自由な自分の体は大嫌い
一人で動くことが出来なくても 自分の人生です。

一日を泣いて過ごしても一日。笑って過ごしても一日です。

自分の人生を振り返ってみるとき、障害者になってよかったと思いたい。
(そんな社会であって欲しい・・・という願いが込められている気がしました)

人はみな年をとります。年をとったとき、自分が出来なくなったときに始めて困惑することなく、様々な福祉を充実させて欲しいものです。

打ち込めるものを見つけ、これなら負けないというものを作る。それが、自分が困ったときに助けてくれます。

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