回想〜北陸線の思い出


 

<在りし日の米原駅 東口>

  掲載を記念して・・・・・。

 静かな構内。広い構内を照らす照明灯。米原駅の5番線、北陸線のホーム。佇む長い旧客の編成。これが最終下り列車である。ホームの蕎麦屋はすでに閉まっており、妙に蕎麦が食べたくなる。独特の形状を持った蕎麦用どんぶり。茶色と白のコントラストが、いかにも駅の蕎麦らしい。

 赤い電気機関車がやってきて、連結される。最終の下りは、回送も兼ねておりこんなにも長いのだ。ニスで光った椅子。天井の白、夏はボタンを押すと回る、扇風機。乗客は1両に数人しか乗っていない。

 電車にはない、独特の振動の後、列車は動き始める。旧坂田駅(※1)を過ぎる頃、列車はかなりのスピードを出す。まもなくデットセクションだ。ここで交流と直中を切り替えるのだ。一瞬暗くなる車内。慣れた人は驚かないが、不慣れな旅客は一瞬ざわめきを見せる。程なく列車は田村駅に到着する

 田村駅は、交直電気機関車が使われる前は、ディーゼル機関車が駐留していた。DD51やセミセンターキャブのDE10がウロウロしていたものだ。ここまでディーゼル機関車で牽引し、ここで電気機関車に付け替えていたのである。通路に立って、その様子をしげしげと眺めていたのを、今も鮮明に思い出す。ここからは電気機関車の出番だ。それに引かれて、ふるさとの駅に着く。


 今でこそ、北陸色の電車が3両で走っているが、かつては機関車と客車であった。赤い機関車が青や茶色の客車を引っ張ってゆく。”きしゃ みに いこ。” そう言って、母の手を引いて見ていたらしい。お気に入りは醤油屋の付近だった。さして歩くこともなく、田圃越しに見えるからだ。

 茶色の貨物や、黒い無蓋貨車の貨物列車。旧客編成。ある日を境に、国鉄色の編成を見かけるようになった。ディーゼルカーの4〜5連であった。それが3連になり、ついに2連になり、そして、妙な北陸色の電車3両になった。いつしか貨物列車は見なくなり、米原駅の構内には、留置された客車を見かけるようになった。”ぼろい客車は解体があたりまえや。” 大学生であった私は、そう思っていた。

 月日が流れた。”鉄道模型を走らせたい。” それは、突然の思いつきだった。子供の頃に見た風景を、再現したい。そこから私の鉄道、「日本郷愁鉄道」の建設が始まった。それがどんなに困難なことか、当時は全く解らなかった。すべて手探りで、ゼロからスタートしたのである。

 ※1 旧坂田駅 現在の駅の北にあり、ホームの長さは2両しかなかった。  
     デッドセクションがあり、上り電車しか止まれなかった。
     その場合、1両だけは扉が開かなかった。

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