やまざる通信(No.21-No.25)

 

やまざる通信 No.21

 (2006年12月)


 



なかの里

 私たちの家族が住んでいる地域は世帯数が約50の農村である。その集落の有志が集まってなかの里というグループを作っている。私はまだ村人ではないが、なかの里ではメンバーとして受け入れてもらっている。ありがたいことだ。

 

 なかの里のメンバーで毎週水曜日と土曜日には朝市を開き、グループ員の作った野菜などを販売している。今年は私も初めて農産物を出品させてもらった。今年作った黒米を一袋に300g入れ500円の値段を付けて店に並べてもらった。売れると20%の手数料を出して代金がもらえる仕組みだ。今回は3回ほど店に出し合計5袋売れた。また、買ってくださったある方がもっとたくさんほしいと言われてさらに18袋購入され、今年の黒米の収穫分はめでたく完売してしまった。


 なお、黒米には次のような説明書を付けて店に出した。


●黒米の豆知識 

玄米の色が黒色で紫黒色系色素(アントシアン系)を含んだコメです。

漢方の書物「本草綱目」に、黒米は滋養強壮に優れ造血作用があると記されています。

薬膳料理にも古くから使われていることから薬米の別名もあり、不老長寿の米として 中国歴代の皇帝に献上されていたようです。

栄養分は白米と比べ、たんぱく質・ビタミンB1・B2・ナイアシン・ビタミンE・鉄・カルシウム・マグネシウムなどが豊富に含まれています。そのため民間の言い伝えでは、黒米を食べ続けると髪は黒くなり若返ると言われています。


●黒米の炊き方

黒米は玄米のまま使用します。普通の白米1カップに黒米の玄米・小さじ1の割合が基準です。

黒米の量を多くすれば、紫色が濃くなります。

水加減は、やや多めにし、1時間ぐらい浸けてから炊いてください。

炊き上がりましたら15分ぐらい蒸らして下さい。


 また、毎月第4日曜日にはメンバーの食事会が開かれる。季節季節の食材を使った料理が若手の女性メンバー(70歳以下)によって準備され、ビール、酒が飲み放題で会費1000円というすてきな食事会だ。年一回は山陰へバスで出かけるカニを食べる会になる。


 

 囲碁

 会社勤めの頃、昼休みはもっぱら早碁で過ごしていた。全くの初心レベルから初、弐段ほどまで上達していったが20年ほどご無沙汰していた。農村に移り住んで、ふとしたきっかけから当時畑をお借りしていた地主さんから囲碁の相手をしてほしいと頼まれ週に一回対戦している。これで囲碁に対する興味が再燃し、今年の春からは、インターネットの囲碁クラブに入会しネット碁を楽しむようになった。ネット碁でのレーティング(段級位)は碁会所での段級位より3、4段階ほど厳しく、碁会所で初段ぐらいの人はネット碁では3、4級ぐらいに落ちてしまう。私はこのところ腕を上げ、ネット碁で1級ほどである。

 

 囲碁のルールは簡単であるが、奥はとても深いと感じる。1局の勝負を序盤、中盤、終盤と分ければ、序盤戦では感覚をもとにした構想力が必要であり、中盤戦では手筋と読みの正確さがポイントとなり、終盤戦となれば、寄せの知識、計算力がものをいう。脳の働きで言えばイメージ処理の右脳と計算処理の左脳、それに記憶力というふうに頭全体をフルに使うような気がする。


 最近普段の生活の中で物忘れが多く、家内から認知症になるのではと心配されているが、囲碁は惚けるのを遅らせてくれるような気がするのである。



 株式投資

 インターネットで手数料がとても安い株式取引ができるようになり、また会社の情報、経済情報、株価のデータなどがネットで容易に参照できるようになった。不動産投資や美術品投資などでは相場が上がったとしても条件よくすぐに換金するのは難しい。しかし日々の取引株数が多い大型株では、換金性に問題がない。銀行や郵便局の預金利息はほとんどゼロである。などなど考えると、株式投資は資金を生かす有力な方法となりうると考えた。

 

 イートレード証券に口座を開設し丸2年経過した。2005年は日経平均が40%ほど上昇し、私の投資資金も約40%増加した。日経平均の上昇率以上の利益率を出した場合アウトパーフォームといい、下回る場合アンダーパーフォームというらしい。2005年の私の投資は平均パーフォームといえる。2006年は何回か大きな株価調整場面があり、年間の日経平均は年始と年末でほぼ変わらずであった。わたしは2005年に140%になった資金を全額株式投資に回した結果、年間利回りは約23%であったので2006年はアウトパーフォームであったといえる。

 

 過疎地域に暮らし、世間と遊離した生活ではあるが、株式投資をしていると日々の世界情勢が気になり、また気に入った会社についてはいろいろ知りたくなるのである。これもまた私のボケ防止対策でもある。

 


やまざる通信 No.22 

(2006年12月)


生きてるだけで丸もうけ

 お正月の囲碁番組の最後で、今年の抱負を聞かれた依田紀基九段が披露した言葉である。それを見て私は思わずほほ笑んでしまった。たしかにそうだと思う一方、その言葉をどういう人生を送っている人が発するかによって意味はずいぶん異なってくるような気がする。

  年末に図書館から借りてきた山田風太郎の「人間臨終図巻」に正宗白鳥の言葉として、「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている。」というのがある。今生きている人も死亡率は100%である。しかし苦しんでいる人も「今」死にたくないのが一般であろう。苦しんでいる最中に「生きているだけで丸もうけ」と言えるであろうか。また毎日を漫然と過ごしている人からこの言葉が出てくることも考えにくい。充実した生活を送っているが、自分をある程度客観的に見ることが出来てはじめて出てくる言葉のような気もするのである。


2007年の田んぼと畑

 2006年の秋からお借りしている山裾の4枚の田んぼと畑でお米と野菜を育てている。一番上の畑には春にジャガイモを1畝植え、6月からは黒豆を4畝植えた。黒豆は昨年に引き続き出身高校の卒業生にメーリングリストで呼びかけ、苗の定植(6月24日)と収穫(10月14日)を行った。2番目の畑にはいちご、里芋、山の芋、らっきょう、タマネギ、ニンニク、サツマイモなどを作った。上から3番目の田んぼには緑米、モチ米、イセヒカリ、コシヒカリを、4番目の田んぼには黒米とイセヒカリを作った。

  お米の田植え(6月17日)と稲刈り(10月20日)には農に興味を持たれている都会の仲間に声をかけて一緒に作業した。普段は一人で黙々と農作業しているが、たまに大勢で作業するのは楽しい。9月から、かつて勤めていた会社の同僚が月に2回ぐらいのペースで作業を手伝ってくれることとなり、これも心強いことである。


PTA活動

  3人の子どもたちが全校48名の大芋小学校に在学しているので、一度くらいはPTAの役員をしておこうと思い、会長を引き受けた。ところが、PTA会長にともない篠山市のPTA協議会の副会長、学校給食センター運営委員長、大芋校区の活性化委員会の役員等々の役目がどっと押し寄せ、連日のように会議に参加することになった。そのうえ、篠山チルドレンズ・ミュージアムの支援団体会長の役割を果たし、昨年はボランティア活動に明け暮れた年であった。




やまざる通信 No.23 

(2008年9月2日)


2008年の田んぼと畑

 今お借りしている田んぼと畑はそれだけで独立した4段の棚田であり、水は専用のため池から供給するようになっている。昨年はこの池の底から水漏れがあり、常に水が漏れる状態であったので水が溜まらず、日照りになると水田が乾いてしまうことになった。昨年は8月中旬以降1ヶ月近く雨が降らなかったので、私の田んぼでは稲の生育に多大の影響が出て、例年の3分の1以下の収量に留まった。

 今年は冬の間に池の底に土を入れて水漏れを改善した。しかしながら、この改修では不十分で今でも少量の漏れが止まっていない。このため池の水では2段の田んぼには水が足りないので、4段の農地のうち上から3段目の農地(やく5アール)を田んぼとし、他の3段はすべて畑として使うこととした。


 3段の畑には、芋類(ジャガイモ、サツマイモ、山の芋、サトイモ)、豆類(大豆、黒豆、インゲン豆)根菜類(大根、人参、ごぼう)、瓜類(小玉スイカ、カボチャ)、トウモロコシ、ひまわりなどなどを育てている。 田んぼには緑米(もち)、黒米(もち)およびイセヒカリ(うるち)を植えた。




やまざる通信 No.24 

(2009年1月4日)

 



あけましておめでとうございます。

 昨年は稲を5アールほど、丹波黒大豆を4アールほど、その他芋類や野菜などを育てました。黒豆の植え付け作業と黒豆の収穫は希望者を募って、共同作業として楽しんでいます。去年の黒豆の出来は上々で、おいしい黒豆の枝豆を堪能しました。稲は黒米、イセヒカリ、緑米(上の写真)の3種類を育てましたが、稔ったところでおそらく鹿に大部分が食べられてしまい、とてもがっかりしました。

 

 昨年から2年間の任期で「篠山市小中学校適正配置等審議会」の副会長を務めています。篠山市では複式学級のある過小規模校が増え、統廃合止むなしとの意見がある一方、100年以上の伝統のある小学校が地域からなくなることに根強い反対があります。私の子どもが通っている大芋小学校は21年度の全校生徒数は37名です。また大芋小学校区は篠山市の中でももっとも高齢化が進んでいる地区で、今後のまちづくりの難しさに直面しています。


 昨年末に猫のどんちゃんが亡くなりました。推定年齢は15歳で、自分は家族の一員だと思っている節があり、家族で食卓を囲んでいるとどんちゃんもいすに飛び乗って座っていました。容態が一日のうちに急変し、動物病院でいろいろ手を打ってもらいましたが、その日のうちに息を引き取りました。家内も子どもたちも全員が泣きました。



やまざる通信 No.25

 (2009年8月9日)


いらっしゃい子猫たち

 どんちゃんがなくなって約半年、子猫がもらえるところがないか、知り合いに頼んだりネットで探したりしていました。5月中旬にネット上の猫里親募集掲示板で候補の子猫を見つけて、明石から持ってきてもらうことになった前日、ちるみゅーのスタッフから電話で、ちるみゅーのすぐ近くの駐在所の前に子猫が3匹段ボール箱に入れられて捨てられているとの連絡があり、急遽対面の運びとなりました。その子猫たちはミルクを哺乳瓶でやらなければならない赤ちゃんで、生後1、2週間ほどと思われました。家族で相談の結果、明石の方には断りを入れ、3匹のうち2匹を引き取ることにしました。もう1匹はちるみゅーのスタッフに引き取られました。

 その後の子猫たちの成長は著しく、2匹が追いかけあいをして全速力で走っていると目にも止まらない早さです。写真の右が「とら」、左が「ぴー」といいます。今ではもうすっかり家族の仲間になっています。



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