クレセント2003年春のミニオフ
「坂上郎女とご一緒に」オフレポ3
--開化天皇陵と伴墓--
スズメ♂(海月)
開化天皇陵--坂上里--
自動車移動というテに出た我々ですが(郎女さんゴメンナサイ)
駐車場所に困ったり待ち合わせですれ違ったりと、結構難しい面もありまして(^^;
だいぶたってから開化陵に着きました。
「坂上」の字が見えます
右はホテルフジタです
地図ではイマイチよく分からず、どこから入って良いやらだいぶ迷いました。
三条通(繁華街)の半ば、ホテルフジタを目印に、
南側から入ればカンタンです。
さてここで予定の行程は終了したのですが、せっかくここまで(車で)来たので、
足を伸ばして「伴墓」へ行ってみようということになりました。
東大寺墓所--伴墓--
「伴墓」
は、名前の通り、大伴氏の墓所です(^^;
古代豪族の墓所が知られているのは極めて稀なのですが、
「伴寺」という寺が「般若山の佐保川の東の山」に養老年間からあったことが
『東大寺要録』などの史料から推測できます。
後年、東大寺の墓所に組み込まれましたが、
史料に「伴寺山墓所」と呼ばれ、
元禄年間には源頼朝や重源上人の石塔がここに移されているとのことです。
(参考文献は
こちら
)
場所は現在の「三笠霊園」の中です。
かなり奥の方なので、下から歩いて上ると大変ですが..。
「東大寺墓所」の石柱
俊乗房重源上人の石塔
クリックで拡大図(28KB)
探すのに苦労しましたが、上の二つを見つけ、場所を確定できました。
周囲の墓所とは格段に古いことはわかりました。
『初月の歌』に出てくるお墓のシーンを思い出します
理願尼のところ、真野のところ..。
あるいは現実に、家持や坂上郎女もここに眠っているのかも。
ほどなく夜になってしまい、
最後は車で近鉄奈良駅前へ直行しました。
参加されたみなさん、
お世話になったみなさんに、
心からお礼を申し上げて、
遅すぎるオフレポを終えたいと思います<(_ _)>
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