クレセント2003年春のミニオフ
「坂上郎女とご一緒に」オフレポ2
--長屋王邸から佐保川--
スズメ♂(海月)
旧そごう--長屋王邸跡--
バイパスをくぐり、近鉄電車の線路をくぐると、旧奈良そごうの敷地に出てきます。
ご存じの方も多いと思いますが、ここは
長屋王邸跡
です。
大変な遺跡が発見され注目されたため、遺跡の保存が声高に叫ばれましたが、
結局は建設が優先されて遺跡は残りませんでした。
その奈良そごうが倒産してしまったのは皮肉なことです。
かの「長屋親王」木簡の説明板です。
クリックで拡大図を出します。
「東二坊坊間路西側溝跡」があったのでしょう。
何の工事かわかりませんが、工事中で敷地には入れませんでしたが、
柵の外側にはみ出ているものを撮影してみました。
(地図のF)
→地図を出す(別窓)
なお、この場所は長屋王事件のあと、
光明皇后の皇后宮となったことが、出土した木簡の分析から分かっています。
政敵を自殺に追い込んだその場所に平然と(?)居を構えるとは、
さすがは不比等と三千代の娘といったところでしょうか(^^;
平城京左京三条二坊宮跡庭園
ファミレスで昼食後、
「
平城京三条二坊宮跡庭園
」に立ち寄りました。
(地図のG)
→地図を出す(別窓)
クリックで拡大図
(68KB)
を表示します(別窓で)↑
この遺跡は1975年に発掘調査された、奈良時代の庭園です。
玉石を敷き詰めた長さ55mのS字形の園池が中心で、
当時の建物が復元されています。
ちょっと古い感じですが(スリッパなしで歩くと汚れます)
入場無料だし、古代の雰囲気にも浸れます。
大きめの画像は
こちら(別窓・56KB)
菰川から田村里へ
ここから、さらに「田村里」をめざします。
「田村里」は『初月の歌』に登場する田村大嬢の居所です。
かの「出産」の場面での、坂上郎女の「スタート」地点でもあります。
「田村里」の位置については、のちの藤原仲麻呂の田村第の位置ということで
一応の定説となっているようです。
→地図を出す(別窓)
田村第は巨大です(あの長屋王邸の2倍)ので、
その北辺=三条通まで歩いてみることにします。
道は、現在の菰川ぞいにあります。
この川は左京二坊大路の推定線とほぼ一致しているので、
人工的に引かれた川だろうと考えられています。
手前が三条通、南北に菰川
田村第の西北角はらーめん屋さん。
三条通に着きました
(地図のH)
→地図を出す(別窓)
ここが
田村里
と考えられます。
佐保の大伴本家からは確かにかなり遠いですね(^^;
さて、ここから坂上郎女は佐保へ駆けつけます。
おそらく直接にではなく、一度坂上の家に戻ってからでしょう。
私たちも、坂上里をめざしてみましょう。
三条通を西へ
坂上里の位置には2つ説があります。
通説は奈良市佐紀町の仁徳天皇皇后磐之媛陵(『延喜式』では「平城坂上墓」)
異説は奈良市三條通油坂の開化天皇陵(『延喜式』では「春日率川坂上陵」)
なのですが、
『初月の歌』の設定からすると、異説の方がしっくりくるように思えます。
(
子連れオフのオフレポ
をご参照ください)
もし開化天皇陵付近なら、
郎女は田村里からこの道を東へ急いだことになります。
現在の三条通
途中で
佐保川
を渡りました
(地図のI)
→地図を出す(別窓)
写真でもお分かりかと思いますが、
ここですでに夕刻が近づいてきました。
このまま歩いていては暗くなってしまいます(;_;)
やむなく、我々は文明の利器、自動車を使って移動することになりました。
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