クレセント2003年春のミニオフ

「坂上郎女とご一緒に」オフレポ1
--法華寺から藤原麻呂邸--

スズメ♂(海月)


法華寺--不比等邸--

バスを下りて少し歩き、まずは法華寺に入りました。(地図のA)
ここはもと藤原不比等の邸宅でしたが、不比等の死後は光明皇后=安宿媛の皇后宮となり、
その皇后によって寄進され法華滅罪寺(法華寺)となりました。
全国の国分尼寺の"総本山"です。

この日は国宝十一面観音が後悔されていました。 本堂です。十一面観音はこの中。

南庭にあった礎石。時代ははっきりしませんが、立派なものでした。

「異聞竹取物語」で親子の会話がなされたのがここなんですね〜。

法華寺から藤原麻呂邸跡まで

法華寺を出て、平城宮方向へ歩きました。

途中、ポッと復元建物が見えてきます。(地図のB)→地図を別窓で出す

丸い屋根は旧そごう=長屋王邸跡です。
入り口は反対側なので入れませんが、築地塀の右は東院庭園です。
中には当時の建物が復元されています。
首親王や阿倍内親王もここにいたのでしょうか?

カドまで来ると急に展望が開けます。(地図のC)→地図を別窓で出す

遠くに朱雀門が見えます。 高架の手前が麻呂邸跡です。

少し進んで(地図のD)振り返ると、復元されている門が見えます。

基壇だけの小子部門 きれいに復元された建部門

平城宮が長方形ではなく東へ2/3だけ張り出している関係で、
本来なら東辺にあるべき2門が、こちらに回ってきています。
なので、東辺にあるのは県犬養門だけ。
東宮から県犬養門を出るとすぐ法華寺=不比等・安宿媛の邸宅というのは、
偶然ではありますまい。

さて、いよいよ目的地の麻呂クン邸に到着しました(地図のE)→地図を別窓で出す

ただ、ここは麻呂邸の北西の角です(と思います(^^;)。

1988年、この区画の東南側、二条大路ぞいの溝から大量の木簡が発見されました。
時代的には天平7〜8年のもので、
その分析から、ここが「兵部省卿宅」=藤原麻呂の邸宅と判明しました。

いつ頃からここにいたのかは分かりませんが、
若い頃からなら、不比等の邸宅からも近いですね。
また、坂上郎女のところへもここから通ったのでしょうか?

ここからは高架をこえ、近鉄の線路をくぐって、
長屋王の邸宅跡へ向います。


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