御所
〜葛城古道をめぐる〜


 オフ初日は、11:00に橿原神宮前駅に集合。集合場所に勢揃いしたのは、蒼穹さん、スズメ♂、珠葭さん、くぼやんさん、しをりさん、遥さん、千尋さん、VATAさん、美沙那さん。9人の大所帯です(^^;

 ファミレスで早めの昼食後、遥さんと美沙那さんのお車に分乗して、一路葛城方面を目差しました。
 

◆吉祥草寺

「茅原山吉祥草寺」「役行者御誕生所」の立て札

 葛城古道に行く途中、立ち寄ったのがここ吉祥草寺。正式には、茅原山金剛寿院吉祥草寺。役小角の創建と伝える古寺ですが、南北朝期に高師直の兵火にかかって焼失し、応永年間(室町時代)に再建、江戸期に改築されています。
 最初はノーマークだったのですが(ガイドの類でものっていないことが多い)「役行者御誕生所」で地名が「茅原」とくれば、長岡ファンの団体としてはやはり外せません。「夜の天子」のかわいい小角クン、「暁の回廊」のエジプトチックな小角、「夜の虹」のカッコいい役小角。みなさん、どんな想像をしておられたのかな?

こちらは「役行者うぶ湯の井戸」。あると思った^^

のぞいてみましたが..。

 それにしても痛みの激しい寺でした。拝観料くらいは取ってもいいのではないかと思うんですが..。

こちらは「役行者腰掛石」

錫杖に注目

 それにしても、やはり寂しい感じです。
 似たような存在ながら、すっかりメジャーになってしまった安倍晴明とのギャップ..。役行者も、もっと美形のマンガになるとかしないといけないのかなー。

 

◆鴨都波神社

 さて、いよいよ葛城古道に入り、「鴨」のつく神社巡りのスタートです。

拝殿

なぜ前まで入れた本殿

 鴨都波(は)神社は延喜式内社で、鴨氏が氏神としたといい、高鴨神社に対して下鴨とも呼ばれたそうです。祭神は積羽(「都波」に音が通じる)八重事代主神と下照比売命。周辺は弥生時代の遺跡(鴨都波遺跡)があり、古くから開けていた地域のようです。

 ここで、急遽浅香さんが合流。一行は10人になりました(^_^)/ 

◆鴨山口神社

 「鴨」のつく神社、2つめは鴨山口神社です。

クリックすると拡大できます。 拝殿(と思う)

 ここも延喜式内社で、鴨氏と関係が深いと思われます。由緒書きによると、「古くから朝廷に皇居の用材を献上する山口祭を司った」とあります。
 「山口」にそういう由緒があるとは、恥ずかしながら知りませんでした。

 祭神は、大山祇神・大日霊神・御霊大神・天御中尊です。

◆一言主神社

 さて、いよいよ一言主神社です。

 長岡作品では、「暁の回廊」の冒頭近くで登場し、葛城皇子一行を襲っています。それを救うのが役小角でした。また「夜の天子」では、この神の託宣により小角は「捨てられる」ことになります。
 このことは、『日本霊異記』が伝える一言主神と役行者の「対立」説話をふまえておられると思います(→くわしくはこちらを)。そう考えると、吉祥草寺と一言主神社を続けてお詣りしたのは、良かったのでしょうか(^^;

クリックすると拡大
ミスでモノクロになってしまった..。 拝殿

 ところで、ここは車で行きにくくなっています。北から続いている大きな道が、この神社の参道の上をまたいでいる(バイパス状)ため、右折することができないのです。
 カーナビに従い、参道をやりすごして次の交差点を左折、さらに左折を二回くり返して参道入り口に回り込んだのですが、入り口が狭くて大きな車は入りにくく、けっきょく参道(そこそこ長い)を歩きました。
 あとで見たら、バイパスをのぼらずに左横に降りることができそうで、ならばすぐ右折できたのですが....。このへん、よく分からないのでご注意を。

 正式には「葛城坐(います)一言主神社」。その名前から、「たった一言だけ頼めば、何でもかなえてくれる」とされているようですが、もともとはそういう意味ではなかったと思います。言霊信仰というか、「口に出してしまった一言が恐ろしい結果を生む」とか、そういうイメージを(勝手に)持っています。

 記紀には、雄略天皇が葛城山で狩りをしていて、自分たちと同じ姿をした一行に出会い、それがこの葛城の神だったという伝承が書かれています。
 参道を歩きながら、「向こうから同じような集団が歩いてきたらどうしよう?」などと空想してみたのですが、参道を車がバンバン往復するので、そういう情緒はありません。

 もちろん、延喜式内社です。

◆高鴨神社

 何のかのと時間がかかり、あとはこの高鴨神社に行くのがやっとでした。

 着いてみると、これまでの神社とは雰囲気がちがいました。人家から少し離れているせいか、かなり厳かな感じが強まっています。

クリックすると拡大できます。 拝殿は階段を上ったところ

 祭神は阿遅スキ(金+且、または鋤−力)高日子根大神・事代主命・阿治須岐速雄命・多紀理姫命。古くは「高鴨阿治須岐託彦根(タカガモアジスキタカヒコネ)神社」と呼ばれました。「夜の天子」での役大角のセリフにあったように、鴨氏の祖先神なのでしょうか。「スキ」に農具を感じなくもないですが。
 本殿は天文12年(1543)の建立で、国指定の重要文化財なのだそうです。疲れていて階段を上らなかったので、こんな写真しか撮れてません..(^^;

上の鴨山口神社もそうだったのですが、石鳥居の上段が中央近くで折れて(つなげて)います。偶然なのか、意味があるのか。調べてみたのですがよく分かりません..。

 車移動だからと油断していたら、ここでもう3時を大幅に回ってしまいました。

 オフの目的は、史跡をめぐることだけでなく、長岡ワールドについて語り合うこと(こっちがメインかも)。夜の部(宿泊)に参加できない方のためにも、ここらで切り上げてお茶にしましょうということで、葛城古道を後にしました。お話しはやっぱり盛り上がり、予定の解散時刻をオーバーしてしまいましたが。

 葛城古道は、思っていたより大規模なもので、歩くのは大変。歩くなら季節を選びませう(^^;

 帰九(って言うのかな)される珠葭さん、帰宅される美沙那さん・浅香さんと近鉄御所駅前でお別れし、残ったメンバーは宿(五條緑水苑)へ。遥さんのお車は「買い出し号」となり、残った4人はJR御所駅から和歌山線で五条へ出るという計画だったのですが、JR御所駅が思ったより遠く、最後は全力疾走!切符を買う間もなく間一髪で電車に乗りました(なにしろこれに乗り遅れると1時間ない)
 右は、車内で料金を払った人だけがもらえる「切符」です(^^;


 夜の部は、初参加の杜かじかさんが合流し、例年のごとく話が尽きない尽きない..。時計が部屋になかったこともあって、ふと気づくと午前4時。去年より1時間もオーバーでした(^^;
 話題は長岡ワールドにとどまりませんでしたが、やはりメインはこの世界。そのほんの一部ですが、「異聞竹取物語」について考えを深めたことが印象的でしたので、これを「再現」してご紹介します。→こちら

 さて、翌日(ってもう朝だって!)はどうなることやら。



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