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■2012春オフ 高岡万葉グルメオフin富山


万葉シリーズ第2弾?!(放置オフレポ立ち上げ第一弾ともいう。。2014/07記)

ついに来ましたよ、日本海ですよ、越中の国ですよ。立山連峰ですよっ(≧▽≦)
くぼやんさんの愛車でマニアックなルートを回っていただきました。
ほんとに感謝!ありがとう〜

2012年4月29日
高山駅集合。越中国府跡、気多神社、高岡市万葉歴史館、瑞龍寺、越之庭宿泊。
2012年4月30日
雨晴海岸、藤波神社、柳田布尾山古墳、布勢神社、。高山駅にて解散。

参加者
くぼやんさん、スズメ♂さん、リコさん、浅香さん、千尋さん、由布美


■一日目■
リコさんと一足先にくぼやんさんと合流。
オプションツアーへGO!

なぜオフタイトルに”グルメ”が付いているか?!
富山は海と山に挟まれた食材豊かなグルメな土地なのです。

さっそくお昼。名物白えびのそーめんをいたただきました。
淡白で、あまり海老の主張はなかったかな?!
暑かったので美味しかったです。


車窓より。
きれいな帆船が見えました。
これ「海王丸パーク/帆船海王丸」だったのかな(^-^;)
日本の船舶技術は素晴らしい〜機会があったらゆっくりと。



 

放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)へ。

以下、、観光ナビより。
■奈呉の浦を愛した大伴家持が勧請した八幡宮
越中の国司として赴任した大伴家持は奈呉の浦(現在の新湊地区の港)の美しい景勝を愛したといわれています。豊前の国(現在の北九州から大分北部)から宇佐八幡神を勧請し建立したのが、この放生津八幡宮です。その時に詠んだ句が石碑となって残っています。
港風寒く吹くらし奈呉の江に つまよびかはし鶴さはに鳴く
(港の風が寒々として吹くらしい。奈呉の海岸でお互いに相手を呼ぶ鶴がたくさん鳴いていることだ) 万葉の優雅さが今も感じられる美しい神社です。


←家持さん、銅像になってるっ!
 閑静なきれいな神社でした。
 で、なんで家持さんが宇佐八幡神??
 宇佐八幡といえば継承問題でゴタゴタしてるのね。
 歴史ある神社をそのままに、受け継いでいただきたいものです。

奈呉の浦とは、奈良時代に国府があった高岡市伏木と、射水川(現小矢部川)を挟んで対峙する 新湊市の海浜部一帯の海岸のことらしく、芭蕉もこの地で歌をよんでいますね。八幡宮裏が浜だったようですが、今は埋め立てられているようです。
あゆの風 いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の  釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ 
 (巻17−4017・大伴家持)
(訳)
東風が激しく吹いているらしい。奈呉の海人の釣りする小舟が、波の間に漕いでいるのが見え隠れしている。

家持さんの宅跡へも連れて行ってもらいました。。

2:放生津八幡宮
3:勝興寺
4:高岡市万葉歴史館
5:国定公園 雨晴海岸
6:氷見温泉郷
7:氷見漁港場外市場「ひみ番屋街」
8:藤波神社



 


このへんでスズメ♂さん、浅香さん、千尋さんと合流した・・・はず'(^-^;)
放置するとこういう記憶があいまいになってしまう。ごめんなさい。

勝興寺へ。以下、観光ナビより。
■越中国府の所在地
戦国の頃、勝興寺は一向一揆の拠点の一つとして、近世には加賀前田家、本願寺、公家とも密接なつながりを持ち北陸を代表する真宗の有力寺院として不動の地位にありましたが、奈良時代に越中国府の所在地といわれ、国守として赴任したのが大伴家持でした。境内の本堂横には、大伴家持が詠んだ万葉歌碑が建てられています。
あしびきの 山の木ぬれの ほよ採りて かざしつらくは 千年寿ぐとぞ
周辺には国司であった大伴家持が住んでいたといわれる国司館跡も残っています。

ここだったかな?境内に七不思議が散らばっていました。
なんなんだー

国府跡って、だだっぴろいところが多いですが、ここは神社になってるのね。
どなたかのブログ上に「越中国府」の草に埋もれた石碑がありました。
写真に取り損ねているので気づかなかったのね〜




気多神社へ。
以下、観光ナビより。
■氣多神社は、718年に僧行基が創建したと伝えられています。また天平年間(757〜764年)に越中一ノ宮として能登一ノ宮の気多大社から晋請したとも言われています。

境内には、次の大伴家持の歌碑があります。
「馬並めて いざうち行かな 渋谿の 清き磯廻に 寄する波見に」大伴家持が越中に赴任して最初に開いた宴の時に読まれた歌とされています。渋谿の磯とは、現在の雨晴海岸のことです。宴も終わりにさしかかった頃、家持が「みんなで海を見に行こう」と提案している歌です。

伝承によれば、この境内地の一角に越中総社(越中国内の有力諸社の神霊を国府城近くに集め祀った社) が建立されていたと伝えられています。家持は、越中赴任中に何度もこの総社を訪れたのでしょうか。境内には、大伴家持を祀る大伴神社もあり,毎年10月に大伴家持卿顕彰祭が行われます。

 

 

高岡市万葉歴史館へ

展示は・・・再現ものが多かったですかね。
ここの歴史観のすごいところは、なんといっても蔵書館!
地下に図書室がありますが、出版された本もですが、雑誌系の論文がすごいことになっていました。こんなに集めているところははじめてみました。
現役のころ、こんな場所が近くにあったら足しげく通っていたと思う〜

長岡さんの漫画もありました!寄贈されたものだそうです。
初月の歌がないやんっ!これはいかん!ということで手持ちの文庫版を寄贈してきました♪家持さんのお膝元ですしね。

建屋の外に庭があるのですが、「かたくりの花」が可憐に咲いていました。
いわゆる万葉の花ですね。実物を始めてみました。育てるの、けっこう大変らしいです。
貴重です!みんなで可憐な花を見て萌えていました。

宿、越の庭へ〜
夕食は、ほんっと豪華でした!
写真以外にもいっぱい出てきて、食べきれないくらい!
どれも美味しかったです。富山サイコー!

仲居さんに「何の集まりなの?」って聞かれたのはちょっとウケた(笑)
私ら、けっこう不審な集まりなのか?!
スズメ♂さんが、リコさんに笑いの指南をしていたのもウケた(笑)
リコさんも十分面白いから大丈夫だよっ。



食事のあと、くぼやんさんのオススメもあり夜の散策へ。
暗くなってから食事以外で行動するって初めてかも?!
春のライトアップイベント中の瑞龍寺へ!怪しい色とりどりのライト。あまりうまく撮れなかったけど。

以下、観光ナビより。北陸では珍しい国宝でしたっけ?
■国宝 高岡山瑞龍寺
壮大な伽藍配置様式の豪壮にして典雅な美しさに圧倒されます。加賀藩百二十万石の財力を如実に示す江戸初期の典型的な建造物です。高岡の開祖前田利長の菩提寺、曹洞宗の名刹です。3代藩主前田利常の建立で、1997年に山門、仏殿、法堂が建造物として国宝に指定されています。また総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟が重要文化財として指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されています。国宝瑞龍寺の素晴らしさを堪能しましょう。

そして。。。夜は耐えられなくて反省会も早々に。
仕事も忙しい年代に入り、(素直に年を取ったとは言えない)疲れがでますねぇ。

 

■二日目■
雨晴海岸(あまばらしかいがん)以下、観光ナビより。
浜から眺める岩礁、富山湾越しに見る3,000m級の立山連峰の雄大な眺めは、四季それぞれに変化し、息を呑む美しさです。万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し、多くの歌を詠みました。雨晴海岸から氷見市の松田江の長浜までは「白砂青松百選」・「日本の渚百選」に選ばれています。源義経が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという「義経岩」があり、地名「雨晴」の由来ともなっています。

曇りがちだったのでちょっと残念。立山連峰はついに臨めず。。リベンジ必至!!
右の写真は富山版「二上山」。ちと控えめなおっ○いですね。ふふふ。

 

 

藤波神社 以下、観光ナビ。

746年、越中国守大伴家持に従ってきた橘正長が家持から授けられた太刀を祭ったのが藤波神社のはじまりと伝えられています。毎年4月中旬から年5月中頃、鳥居の上まで美しく淡い紫色の藤が咲き誇ります。大伴家持は好んで藤の美しい情景を歌に詠み、その歌碑が拝殿の裏に建てられています。また、佐阿弥安清(さあみやすきよ)によって作られたといわれる、幻想的な謡曲「藤」の舞台になったことでも有名です。

藤波の 影なす海の 底清み  沈 ( しづ ) く石をも 玉とそ我が見る
訳:藤波が影を映す海の底が清らかなので、沈んでいる石をも宝石に見えてしまう。

下の左の写真の場所から海が見えた?と教えてもらったような。
今は海はだいぶ遠かったです。
大阪の住吉大社も海の横だったみたいだから、ここもそうだったのでしょう。
こんもり小高い場所にある神社で、なんとなく飛鳥坐神社に雰囲気が似ている気がしました。こういう神社好きだなぁ。

  

柳田布尾山古墳(やないだぬのおやまこふん)以下、観光ナビ。

柳田布尾山古墳は、全長107.5m、日本海側最大の前方後方墳です。この古墳は地元研究者の踏査によって1998年に発見され、2001年に国指定史跡に指定された比較的新しい古墳です。立地などを考慮すると周囲の海上勢力をおさえ、周辺集落を掌握していたこの地方の有力部族の首長たる人物が被葬者であると推定されています。

これ、今回のオフの目玉かもしれない。
日本海側にも古墳があったのですね。しかも前方後方墳としては日本で9番目の大きさだそうです。

何がすごいって・・・古墳の上に遊歩道があります!歩けます!
そりゃぁ、宮内庁ご指定ではないのでありなのかもですが、歩いたものの、違和感はぬぐえませんでした。古墳だよぅ〜

  


布勢の円山  以下、観光ナビより。
布勢の円山は、万葉集に詠まれた美しい布勢の水海の孤島であったとされており、布勢の水海跡にある小丘陵、布勢の円山の頂上に延喜式内社・布勢神社があります。その社殿裏の松林に建つのが、全国で最初に大伴家持を祭った御影社です。万葉関係の碑としては富山県内最古のものです。大伴家持を祀った全国に数少ない社。

こちらもひっそりとした神社です。
トタンがぁ・・・哀愁をそそられるなぁ(T−T)

大伴家持卿遊覧の地だそうです。舟遊びでもしていたのですかねぇ。



最後に、干潟に連れて行ってもらいました。
名前が記憶にないのですが(^-^;) 十二町潟オニバス発生地かな?

奈良時代、このあたりはこういった風景が広がっていたのでしょう、と妄想できる場所でした。
あ、でも海だったんだっけ。。

寿司食わなきゃ帰れねぇよ、ってことでお昼に連れて行ってもらいました。
富山の地元のお魚もいくつか。うまーうまーうまぁーー
グルメ旅の締めには最高のネタでした。ありがたや。

二日目は午前中のみという短い時間でしたが、色々回ってもらってありがとう!
二日間お世話になったくぼやん号をチラ見せ。
お疲れ様でした!


富山はえぇとこや〜
家持さん、最初はどうだかわかりませんが、案外気に入ってお勤めされてたのではないかなぁ。そうだといいなぁ(^-^*)



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