■2004春のミニオフレポート(レポ:蒼穹さん 写真:スズメ♂さん&由布美)

発掘跡はどこだの巻(2004/4/17)

 

コース:欽明天皇陵・吉備姫王墓&猿石・鬼の雪隠・鬼の俎・天武持統陵・亀石・伝飛鳥板蓋宮跡・石舞台古墳。

 今年の3月に飛鳥京遺跡から飛鳥浄御原宮の「正殿」とみられる大型高床式建物跡と石敷き広場が、さらに嶋庄遺跡から蘇我馬子屋敷と草壁皇子の嶋宮跡が発掘され、気候もいいので飛鳥に行きたいねということで、今回、これらの場所探しをメインとして、クレセントのオフが行われました。

 飛鳥駅に11時に集まったクレセントとゆかいな仲間たち一行は、まず作戦会議でコースを上記のように決め、自転車組みと車組みに分かれて出発することとなった。ちなみに体調が良くない私は車組み。
(由布美追記)後で聞いたのですが蒼穹さんお熱があったんですよね;)

(由布美追記)きれいな飛鳥川の写真なのですが・・・どこにあったんだろうぅ〜〜(^-^;)

欽明天皇陵・吉備姫王墓&猿石

 最初の目的地である欽明天皇陵・吉備姫王墓&猿石に到着して、見学。欽明天皇は敏達・崇峻・用明・推古のお父っあんで、仏教伝来の時の天皇ということだけど、個人的には古墳に興味があまりなかったりする。一通り写真を写して、隣にある吉備姫王墓に移動。吉備姫王は欽明天皇の孫で、皇極・孝徳天皇の母で、これもあまり興味はないのだが、ここにある猿石がぜひとも一度見てみたかったのである。といっても、単に見たかっただけで、いわれとかは全然知らないんだけどね。写真を撮って、次に向かう。

(由布美追記)さるいしの看板がかわいくてとっちゃいました。今回子供を「おサルと亀さんの石が見られるで」と騙し(あら;)て連れて行った割にこの石には無反応だったなぁ・・)

鬼の雪隠・鬼の俎

 鬼の俎は古墳の底の部分がまな板状になって残っており、鬼の雪隠は古墳の蓋の一部で、残っている形が雪隠の形をしているので、それぞれにこの名前が付けられている。もともと古墳は小高い丘の上にあり、ここから古墳の蓋が下に転がって、現在の状態になっているそうだ。

(由布美追記)すでに暑さにまいっていたこの地点。

天武持統陵

 鬼の雪隠・俎から歩いてすぐの所に天武持統陵がある。天武・持統は興味があるが、古墳そのものに興味があるわけではないので、特別な感慨はない。でも、これで、天武持統陵の話になったら、「行ったことがあるよ〜ん」ということができる。ここでお昼ご飯。駅前で買ってきたおにぎりを食べる。人が僅かしか来ないので、静かでいい場所である。青空の下で食べるご飯は実に気持ちがいい。でも墓の前なんだけどぉ。

(由布美追記)ほんと、小屋の軒先が日陰になっていてちょうどよい休憩スポットでしたよね〜あはは。お墓なので一応手は合わせておきましたとも。

亀石

 お昼ご飯を済ませた後、亀石に向かう。ここに何と亀井静香衆議院議員が来ていた。亀の前で亀というベタな洒落みたいな話だが本当の話である。そんなハプニングがありながら念願の亀石を見ることができたので満足。

(由布美追記)今回のメインイベント亀石!はじめどこが亀なのかわからなかったチビーズも石の大きさに圧倒されていたもよう。よかったよかった。それにしても某代議員のオプションイベントにはびっくり。「ぜんぜん亀に見えないよ」とかわけわからんこと言ってるおっさんがおるなぁと思ったら本人でした。横にいた秘書さん?の妙な腰の低さが印象に残っていたり・・大変やね。(何が!?)

伝飛鳥板蓋宮跡

 ここは飛鳥浄御原宮の跡で、その下層には飛鳥板蓋宮跡があると言われているところなのだが、この春にビックニュースが飛び込んできた。長い間、出るぞ出るぞと言われながら、出てこなかった飛鳥浄御原宮の正殿跡がとうとう出たのだ。現在では埋め戻されてしまい、これまでのように伝飛鳥板蓋宮跡が見られるだけである。そこで、我々一行は石敷きのあった場所を探し出そうということで、朝日新聞の航空写真・現場写真・略図を頼りに「たぶん、ここでない?」という場所をつきとめました。といっても、場所を探したのは我らが隊長S氏であるが。決め手は畑の土の状態です。

(由布美追記)右が発掘現場後でございます。S隊長執念の現場ですな。新聞記事の写真と現場を見比べたり楽しかった!中央の電柱が決めてでしたね〜この畑、この後どうなるんだろう。何年か後に行ってみたいかも。

石舞台古墳

 とりあえず、場所を突き止めた一行は次の目的地である石舞台古墳に向かう。石舞台古墳は蘇我馬子のお墓であるが、いつ見てもでかい。これをみると、ほかの古墳がちゃっちく見える。古墳を見た後。春に発見された蘇我馬子屋敷と草壁皇子の嶋宮跡地に移動。ここは駐車場になっていることが分かっているので場所の特定は問題ないが、雰囲気も何にもない。一応、駐車場の写真でもって、馬子の屋敷跡の写真としておこう。そのあと、『日本書紀』に「嶋」と記されている方形池のあった場所を探し出して今回はこれまで。方形池のあった場所は駐車場の向かいの畑。これも決め手は畑の土の状態と略図。飛鳥駅に戻って、解散となりました。

(由布美追記)もうみんなくたくたって感じでしたがこれもS隊長のおかげで見つけることができた発掘現場跡。馬子の屋敷全貌はよくわかりませんが、歩いた限りは広い、ひたすら広い家だったことでしょう。
子供がお邪魔してかなり余裕をみていただいたにもかかわらず、いけないところがあったり時間をとったり、ご迷惑をおかけしました。でも自転車で久々に飛鳥を満喫でき満足〜。また是非行きましょう!

b

* back * * home *