真田一族の野望 (3)






 「静かにしいや、弦一郎! お客さん前にして何ほたえてんの!」



 その声の方向から、さながら手塚を庇うように真田は前に出た。代議士夫人は真田に送った厳しい視線を、そのまま手塚に 移行させて少し表情を和らげる。
「あぁ、手塚くんやったね。遠いところようお越し。無粋な息子が何かてんご(悪戯)したやろか」
「いえ、騒がしくして申し訳ありません」
「ふん、無粋で悪かったな。家庭環境に文句を言え」
「なんやて。もいっぺん言うてみ」
 この親子のスキンシップはおそらくこれで取れているのだろう。手塚は少し苦笑してにじり口に手をかけた。
 茶室内には亭主のお点前を待つ外国人のカップルが、見事にその静寂の中に溶け込んでいた。微かな葉ずれの音。 煩わしい世俗とは一切かけ離れた非日常性。瞑目するだけの価値のある空間だった。
 気がつけば手塚たちの順番となり、彼らの前に古備前の茶器がそっと置かれた。詳しい作法を知らないのだと正直に 言えば、真田夫人はにこりと笑った。
「大丈夫え。俄か仕込みの作法を振りかざすことこそ、お茶の精神に悖ります。手塚くんのその真摯な態度こそ何よりの 宝や。亭主が心込めて煎れさせてもらったもんを受け取って、心安らぐひと時を得てくれたらそれでええ」
 真田を見るとただゆったりと茶を喫している。右に何回とか適当でいいのだと言われ安堵した。
「はい、では頂きます」
「手塚くんもテニスしはりますのやろ」
「はい」
「大会が近いとか。わたしにはスポーツのことはようわからんけど、弦一郎には、大きな試合の前には必ず茶を一服 点てますのや。別にそれで精神統一ができるとか偉そうなことは言わしまへんけど、スポーツにも静の部分はあるやろ」
「大事な部分だと思います」
 立て続けにポイントを取ったとき、また取られたときにも熱くなった頭と体を冷やす必要がある。緊張と緩和。ペース配分。 その落差は相手を圧倒する。
 夫人はちらりと末の息子に視線を送ってさらに続けた。
「こんなごつい体してこれでも緊張することあるんやろうかって思うけど、焦った時とかにこの『市中の隠』の研ぎ澄まされた 音を思い出して欲しいのや」
 静かに目を閉じると遠くで鳴る鹿威しの音。枯れ草を踏みしめてこちらに近づいてくる靴音。さらにもう少し遠くで 微かな話し声。それらが今座している場所を取り囲むように周囲に配置される。茶室は一つの小宇宙とはよく言ったものだ。



「俺は、いや、俺たちは真田くんの立海大附属を倒して、全国制覇しようとしています。それなのにこんなひと時を 与えて下さってよろしいのですか」
 真田夫人、上機嫌にコロコロと笑った。
「あんたも大概気ぃ遣いやな。ライバルやろうと、親の仇やろうと、たとえ国賊やろうと、ここに入ったら身分派閥の分け隔ては しません。それがあたしらの心意気です」
 何か大きなものに包まれているような安心感。手塚は懐紙の上の茶菓子をもて遊んでいる真田に目を向け、この男の妙な 落ち着きの底辺を垣間見た気がした。
「関東大会が終われば、次は全国になります。その前にもう一度お点前を頂戴しに伺っていいですか?」
 怖いだけの印象だった夫人の目尻の皺さえ柔らかく感じられた。
「信じられんな。今まで嫌々連れてきたヤツは結構いたが、再度を願い出た者はおまえ一人だ」
「分かる人には分かるってことや。おまえも、もうちょと有難がっても罰は当たらへん」
「ご冗談を。俺はいつだって平常心を崩しやしない。こいつはもの珍しいだけです」
「ほんま、うちの息子は揃いも揃って可愛げのない。あたしも手塚くんみたいな素直な子が欲しかったわ」
「こいつの母親は本当に優しい上品な方ですよ」
「憎たらし」
 あとはもういいと片手であしらわれ、二人は揃って退席した。今回の茶会は略式ということで、懐石は母屋に用意して あると言われその通りに付き従った。



 左右に幾つもの和室がある廊下を通り過ぎ、家族が食事をするのであろうその場所にはすでに先客がいた。 松花堂ふうの小奇麗なお弁当を突いていたその人物は、二人を認めてニコニコと相好を崩した。
「やぁ。君も災難だったね。大役ご苦労さん。腹の足しにもなんないだろうけど、食べてってよ」
「次兄の惣一郎だ」
「青学の手塚です」
 簡単すぎる真田の紹介のあと、綺麗にお辞儀をして挨拶する手塚に真田兄は仰け反らんばかりの反応を示した。
「新鮮〜。礼儀ただし〜。なになに。君っていつもそうなの? 誰に対してもそう?」
 過剰反応に面食らって真田に助けを求めるが、彼は気にするなとばかりに一掃した。食事を運んでくれた家人にも丁寧に お礼を言っている手塚を、珍しそうに観察している。
「そういやぁ、青学ってお坊ちゃま学校だったよね。君みたいな礼儀正しい子がゴマンといるんだ。その点立海大は昔ふうの バンカラが残ってるとこでさ、こいつみたいなのがウヨウヨいる暑苦しいとこだったよ」
「お兄さんも立海大だったんですか」
「そう、うちは幼稚舎から全員あそこだね」
 幼稚舎と言われて、口にしていたイモボウを危うく吹き出しそうになった。それを察した真田が剣のある視線を送ってくる。
「おまえ今、何を想像したんだ」
「いや、想像できなかった」
「それを言うならお互いさまだろうが」
「俺の幼稚園のころは控えめなおとなしい子だっだそうだ」
「控えめな幼稚園児も随分不気味だな」
「眉間に皺を寄せて、斜め掛けカバンの似合わない園児よりましだ」
 真田家次兄は、ふぅ〜んとばかりに机に両肘をついて二人の言い合いを観察している。居心地悪くなって、末弟が睨みを入れる。
「惣。食ったんならサッサと出て行け。気が散る」
「食事に集中もなにもあったもんじゃないだろうが。邪魔者は消えろって意味?」
「分かっているのなら早く行け」
 その兄弟の諍いを手塚が制した。
「いえ、お暇するのは俺の方です。あまり長居もできないので」
「この後用事でもあるのか」
「あ、あぁ」
 言い淀み視線を外す手塚に真田は敏感に反応した。
「まるで痴話喧嘩だな。目の毒だから僕は失礼するよ。手塚くん、弦一郎は嫉妬深いからうまくあしらわないと、付き合いきれない よ」
 うちの食事は和風ばかりで食べた気がしないんだ、と言い残し次兄は出て行った。それに便乗して一緒に退出すればよかったと 悔やんでも後の祭り。部屋中を気まずい沈黙が支配する。



 嫌というほど重っ苦しい雰囲気を満喫させられ、真田次兄とは別の意味で、折角の京風懐石喉を通らない。でもよくよく考えれば、 ここで彼が後ろめたい気分を味わう必要などないのだ。勝手に約束を取り付けられ、その上その後の予定にまで口を挟まれる謂れは ない。少し冷静さを取り戻せばそれだけのことだ。開き直って箸を進め、ご馳走さまでしたと両手を合わせた。
「部活関係ではないな」
 直情経口の男。ご多分に漏れず直球だ。しかもインナーをえぐる。それでもここはネットに詰めてもいいと判断した。
「俺の予定だ。答える義務はない」
「立派な答えだ」
「本当にこれで失礼する。お母さんには有意義なひと時でしたと、お礼を言っておいてくれ」
 ここは迅速行動あるのみ。交通費の請求などしていられない。一球見送るととんでもない結果になる。さっと立ち上がり、 くるりと踵を返す。
 まるで当然のように真田は、強い力で押し留めようとした。ここでそれを振り払おうとしては いけない。その行為はかえって相手を煽る結果になることは何度も経験済みだ。努めてゆっくりと向き直り、その手を離すように 告げた。
 次の瞬間天地がひっくり返った。引き寄せられ、反転して真田の手が背に添えられる。気づいたときには押し倒されていた。
「それでどこへ行くんだ」
「おまえも大概しつこい。俺の気に背いた行動はしないんじゃなかったのか」
「それがおまえの危険と知れば押し倒してでも留める」
「勝手な言い草だな。何が危険だ。これ以上の危険がどこにある。さっさとどけろ」
「聞く耳持たんな。白状しないとどこにも行けなくさせるぞ」
「次は脅迫か。大声を出して親を呼んでもいいのか」
「やってみろ。おまえなら妊娠させる心配がないと、安心するな。おそらく」
 ゆっくりと近づく真田の強い瞳に耐えられなくなって顔を背ける。それを執拗に追いかけられた。
「おまえとはもう二度と会わない」
「残念ながら関東の決勝でどうしても会ってしまう」
「屁理屈を」
 落ちてくる熱情。落ちてゆく激情。購う方法などいくらでもあるのに、それを曖昧にしてしまう己の弱さを叱責しつつ、
「場所を変えろ」
 そう呟くのがやっとだった。



手塚、姑に気に入られる編でございます。これで安心して嫁に行けるね。
さてこのあとの二人の激しい愛の行く末 は、どこを探してもありません。(4)では別の場面に転換しております。限界です。 ごめんなさい。どこが少々エロの練習を、や!と自分突っ込みで逃走〜。ピュー。