真田一族の野望 (4)
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次の会合に向う移動の車中、真田雄一郎民自党幹事長は、長男から渡されていた資料をぱさりと隣の座席に伏せ、疲れた とばかりに肩の筋肉を解しだした。次に会う人物のパーソナルデータだ。国会の質疑応答でもないから丸暗記する必要も なかったので、ざっと目を通しただけで代議士は運転手の役目も兼任している長男に声をかけた。 「実際今年の立海大はどうなんだ。全国優勝できそうなのか」 「総合力では群を抜いていますね。ただ、弦一郎ではないですが、下馬評どおりにいかないのがスポーツでしょう」 「弦一郎が跡部の息子を大差で蹴散らせている姿を、全国大会の決勝で見てみたものだ。さぞかし溜飲も下がるだろうて」 代議士まだ拘っている。 「その限定された設定を叶えて差し上げることは無理ですよ。しかしご子息を巻き込んでまで嫌うことですか」 「あの似非ジェントルマンはな、あろうことか!――」 要するにとあるパーティーの席上で代議士は、跡部経団連副会長にマナーの何たるかを懇々と説教されたらしい。無骨さと豪快 さと人情で売るこの父にとって、イギリス仕込みの洗練された物腰で有名な副会長が大の苦手ときている。さらに上乗せするように 衆目でコケにされたものだから、マリアナ海溝より深く根に持っているのだ。 「代議士も副会長も、同じようなお立場で学校スポーツを支援なさっておいでなのだから、もう少し歩み寄られてもいいのでは」 「失礼なことを言うな、恭一郎。儂は私怨と公の区別くらいついとるぞ!」 それのどこがと突っ込みたかったが、随分大人な恭一郎氏、敢えて波風は立てない。 「世界ジュニアの件だがな」 全国大会が終了して集められるジュニア選抜。今回から恒久的に、そのメンバーと欧米のジュニアとの親善試合を組もうという 計画が進んでいる。立案者は自身もテニスプレーヤーとして名を馳せたことがある、跡部グループの跡部会長。それに普段から 学校スポーツ関係者と交流を深めていた真田代議士が賛同した。当然ジュニア選抜の合宿期間の延長が叫ばれ、その後に続く試合の 日程や、再度召集しての強化合宿など、日程に無理があると文部省からクレームがきた。 特に最上級生は受験を控え、義務教育のカリキュラム修得にかかわるというもっともな意見だ。それを真田代議士が一蹴した。 「世界に通用するスポーツ選手の育成を。それはここに集うすべての人の宿願でありましょう。テニスのみならずプロで活躍する選手の 多くが中学生、すなわちジュニアハイの年齢からトーナメントを回って腕を磨いております。日本においてそれが難しいのは、 金銭的な問題もさることながら、高校受験というシステムと、そして文武両道という精神が横たわっているからだと思われます」 つまり才能ある若者が世界に羽ばたく土台作りをしてこなかっただけでなく、その邪魔さえしようとしている、と代議士は熱弁した。 ただし、思い切り長男が書いた原稿の丸暗記だったが。さらに丸暗記は続いた。 「それでは逆に勉学する暇を与えないのではと仰る方もおられましょう。確かに最上級生にとっての負担は甚大かも知れません。 しかし学問は今しかできないわけでも、引退時期がある わけでもありません。世界で活躍したトッププロの多くが、現役を引退してから新たに大学に入学しなおすという話は珍しくも ない。彼らの活躍できる時期はあまりに短いのです」 あのとき、拍手喝采を浴びご満悦だった代議士、ポツリと呟く。 「儂の名がちっとも前に出ん」 「名誉総裁はさる筋に決まっていますしね、後援協賛は跡部グループでしょう。こういった場合あまり政治家が 表にでるのはよくないと思いますが」 その常識論が通じる状態でも性格でもない。代議士秘書の長男は深く嘆息をついた。 結局最後まで手塚はこのあとの予定を真田には告げなかった。うっかり跡部家に向うなどと口を滑らそうものなら、間違いなく きょう一日動けない体にされている。そこまでいいように扱われたくはなかった。再度を促す真田の激情を断固と撥ね退け、 車で送るという束縛を固辞し、多少ふらつきながらも跡部家の門前に立つ。なぜ、自分がこんな大変な思いをしなければならない、 と何度も首をかしげながら。 門前のボディチェックもきょう二度目だ。そんなもの一日のうちで二度も経験する中学生がいるだろうか。いや、いない。(反語) 一歩屋敷内に足を踏み入れると香りとともに無数の色が飛び込んできた。単独で存在を誇示する花。群れて重なって一つの色と なっている花。その圧倒的な量に対して目が痛くないのは、そこここに何もない空間が存在しているせいだ。交じり合ってもおかしく ない芳香も、穏やかな気分になるよう抑えられているのだろう。 「遅れるなと言っただろうが。一体なにやってたんだ」 門を入ってすぐの塀から影が動いた。それに背中を預けた跡部が不機嫌そうに佇んでいる。遅れたといってもほんの十五分ほどだ。 強気にそう告げて、跡部を置いていく形で先を行く。勝手な男たちの勝手な言い草はもうたくさんだ。さっさと用件を済ませて 帰りたい。ほとほと疲れていた。 「機嫌わりいな。なに怒ってんだ」 「このパーティーの主役はだれだ」 「あん。姉貴じゃねえの。あいつの帰国と婚約パーティーだそうだからよ」 呆れてものも言えない。なぜそんな身内で祝うような宴に、自分のような者が呼ばれなければならない。 その沈黙を理解したのか彼は闊達に笑った。 「友達の一人でも呼べって煩せぇんだ。おまえが適任だと思ってな」 「おまえ、友達、ほかにいないのか。氷帝のメンバーはどうした」 「ばーか。あいつらがこんなかったるい場所に来るかよ。俺だってうぜぇのに。樺地なんか呼んでみろ。周りもヤツもパニック 起こすぞ」 もっともな言い分だとも思うが、そこに当てはめられて自分っていったい? 本当に眩暈がしてきた。 「お祝いを申し上げて、失礼させてもらう」 「いいぜ。こっちきな。ついでに親父にも会ってやってくれよ。おまえが来るって聞いて楽しみにしてたからよ」 疲れとクエスチョンマークが脳内物質ドーパミンを追いやって冷静な判断が出来ない。結局主導権を握られてしまった。 真田家の客層とは完全に雰囲気の違う華やかさを通り過ぎ、二人は邸内に入っていく。 その人物は手塚たちを認めると、穏やかな笑顔をさらに崩して出迎えてくれた。跡部の父だと紹介された人は、傍若無人が ラケットを握っている息子とは全然まったく、百八十度裏表、どちらが鳶で鷹なのか、かなり、相当かけ離れた物腰の柔らかい人物 だった。 「よく来てくれたね、手塚くん。君のプレイは何度も拝見しているよ。私も少しテニスをかじった事があるから、暇を見つけては 色々な大会に顔を出すようにしているんだ。初めて見たのは去年の関東大会だったか。素晴らしいよ。見ていてため息が出た。 その年で人を惹きつける魅力のある選手はなかなかいない。 君に会えて一番喜んでいるのは、私かもしれないな」 千切れんばかりに両手を握られ、上下に振られ、軽い脳震盪を起こしかけたが、照れくさいほどの歓迎振りだ。それを やんわりと制したのは、財界でも随一の美貌でならす跡部令夫人だった。 「あなた、子供のようにはしゃがれるのは結構ですが、お客様が困ってらっしゃるわ。手を離して差し上げて」 軽くウェーブのかかった色素の薄い髪を無造作に纏め上げ、なにやら大輪の薔薇をバックにしょって令夫人、十分その魅力を 考慮に入れたかの笑顔を彼に送った。ここはふつうの感性を持つ性少年なら顔を真っ赤にして俯くか、鼻血を噴いて仰け反る 場面かも知れない。しかし日本一美醜に無頓着で、人の他意など推し量ったことなどない手塚国光、 はぁとか適当な相槌を打っている。それでも跡部令夫人、軽く手を取り、甘いものはお好きかしら、などと言いながらその前に ハーブティーを差し出す。 「素敵だわ、手塚くん。お家の様子が見て取れるというものね。お母様はさぞかし上品な方なのでしょうね」 「いえ、少しぼうっとした普通の主婦ですが」 「あらっ。そういうところがいいのかしら。うちの景吾にも見習わせたいもの」 「あぁうぜぇ。もういいだろ!」 「このとおりですもの。近頃生意気にも反抗期っていうのかしら、頭が痛いわ。お近づきのしるしに何か花束をお渡ししましょうね。 お誕生日のお花がいいかしら」 ではそれを抱えて帰れというのかと緊張が走った。是が非でもそれだけは避けたい。してはいけない躊躇。 それを救ってくれたのは跡部だった。 「んなもん、貰って喜ぶとでも思ってんのかよ。迷惑だっつーの。そんな常識的なことわかんねぇくせに上品ぶるな」 「あらっ、手塚くんのお母さまなら喜んで下さってよ」 こちらへ来てと手をとられた。それに跡部が噛み付いた。 「いい加減にしろ! 手塚も時間がないって言ってんだろが。しつこいぞ!」 「何怒ってるの、景吾。大会が近くて苛々する気持ちはわかるわ。だからといって人に当たるのはどうかしら」 「冷静に判断するな! 俺の何が分かるって言うんだ! おまえも困ってるんならきっちり言え。言いなりになってどうすんだ。 ほらっ、来い。送ってくぞ!」 跡部に手首をぐいと掴まれ、夫人が手を離してくれなければ確実に両腕裂きの刑に処せられていた。そのまま呆れて何か仰って おられる跡部夫妻の前から逃走する。結局跡部はなぜ自分を呼んだのだろう。忙しなく引き立てられて屋敷を後にし、手を引かれた 状態だったことに気づいた。 「跡部、手!」 「あ?」 「痛い。離せ」 夕闇が辺りを侵食する端境の時間帯。誰もいなくなった公園まで来て、漸く跡部は手塚の手を離した。少しバツが悪そうに そっぽを向く。そのままベンチに腰掛けてこちらを見ようともしなかった。 「帰る道、わかんだろ。駅はあっちだ。遅くなるから早く帰れ」 「おまえはいつまでそこにいるつもりだ」 「心配してるふうな口利くな! うぜぇんだよ。目の前でちょろちょろしてっと、関東出れなくさせるぞ」 跡部不機嫌の理由がなんとなく分かる。 けして厭うわけではないが、次第に押し寄せる重圧。互いに個性的なメンバーを纏める気苦労は苦笑ものだろう。 およそ部活内では見せることない何かの拒絶。背を向け黙して語らない男の背が語っている。ほんの少しの怯懦。それも大会まで には掻き消えて、いつもの跡部とお目見えすることになるのだろう。これが跡部流のバランスの取り方なのだとしたら、それから 背を向けることこそ手塚のできる最上の方法だと思った。 「手塚、覚悟しておけ。ラケットを見るのも嫌になるくらい、打ちのめしてやる」 「では俺は、言ったその言葉が恥ずかしくなるくらいに、返り討ちにしてくれる」 そう背中越しに応えた。あとは振り返らず指示された駅へと向う。次に会うのは関東大会一回戦。確認しなくても死闘となる。 覚悟は出来ている、と手塚は呟いた。 |
跡部景吾、夕陽が似合う男。周囲は華やかなのに、なぜかもの寂しいイメージが私にはあって、こういう扱いに。 世界ジュニア云々は、こうあって欲しいなと、あっても不思議ないよねってことで。 このお話のどこが「野望」なのって?それは申し開きもございません。次回からは極端にスケールを小さくして、 「真田一族の関心」とか、「心配」とか「決心」とかで行きたいと思います。 |