真田一族の野望 (1)






 横浜にある高級住宅地の一角。その中でも一際豪奢で堅固な邸宅の庭。手入れの行き届いた池の前に、佇む三人分の影が 後方に延びている。前方に位置する初老の男の手から餌が放たれ、一匹百万円は下らないであろう錦鯉が、いっせいに跳ねた。
「弦一郎よ」
 腹の底から響くような低音で男は後方の末の息子を振り返る。
「跡部の息子は、おまえ、手ずから潰せ」
「関東大会では決勝で当たる予定になっている。だが、氷帝が勝ち上がってくるとは限らないでしょう」
「古豪、青学と初戦らしいな。総合力では氷帝の方が何枚も上とのことだが」
「下馬評どおりにならないのがスポーツでは」
「勝つ自信がないのか、弦一郎」
 強面親子、しばし睨みあった。
 真田雄一郎衆議院議員。当選五回を数え、前回の執行部改革で民自党幹事長に収まった二世議員。飛ぶ鳥を居合いで蹴散らし、 また泣く子も裸足で逃げ出す政界影のドン。財界を牛耳る跡部の父とは犬猿の仲らしい。そんなこと息子の代には知った こっちゃないが、バカバカしいほどの負けず嫌いをさらけ出す彼らの火花は、周囲を巻き込んで国家的惨事にまで発展しそうな 勢いだ。
 真田家が、家屋敷も家風も子供の学校もすべて純和風で取りまとめているのに対して、あちらは何かと英国風を気取る。 ご長男とご長女はケンブリッジだったか、オックスフォードだったか。そして 気品溢れる跡部夫人のガーデニングは雑誌にも紹介され、芳醇な香り漂うニルギリとスコーンなどで、アフタヌーンティーを 楽しむご家族の模様を雑誌で見かけた政界のドンは、怒髪天を突く勢いでそれを破り捨てたらしい。
「なぁにがヨークシャープディング添えだ」
「なんのことだか」
「今からテニス協会に圧力をかけて、一回戦は立海大中と氷帝に変更してやろうか」
「お父さん」
 それまで沈黙を保っていた真田家の長男、恭一郎が父親を嗜めた。
「冗談だ、冗談。まったくユーモアを理解せん男だな、おまえは」
 目が泳いでいる。本当にしそうな雰囲気だったくせに侮れない。真田は長男に目を向けた。



 真田家の三兄弟、姿形も性質も父親のものはすべて三男の彼に受け継がれていた。一回り違いの長兄は京都出身の母親の雅な 面差しを受け継ぎ、父の第二秘書として後援会の、特に女性支持者から人気は絶大だ。
「兄貴が親父の手綱をしっかり握っていてくれなくては、試合に没頭できない」
「没頭できないわけは、ほかにあるのではないのか、弦一郎」
 返す刀で斬りつけられた。立海大附属から東大法科へ進み、主席で卒業を果たした掛け値なしのエリート。この兄が 父の後を継いで政治家として活躍することを、豪快な父にはない薄ら寒さを感じてしまう。
「誰に言っているんだ。立海大の三連覇に向けて、我々に隙はない。俺は広告塔でしょう。文武両道を兼ね備えた 真田家の。立派に勤め上げてみせる」
「青学が一回戦で負ければいいのだな」
 いい年ぶっこいた政界のドン、まだ拘っている。知らず睨みつけるのを兄に見咎められた。ニヤリとされるのが 堪らなく悔しい。
 わざわざ呼び出した話はそれだけか、と吐き捨てて真田は父親に背を向けた。
 振り返った先、母屋の二階から陽気に手を振る姿があった。次兄の惣一郎だ。にこやかに笑みを浮かべ、上がって来いとばかりに、 指をクイクイと曲げている。苦手といえばこの兄に勝るものはないかも知れない。ふぅとため息をついて、会話が出来る 距離まで進んだ。
「何の用だ、惣」
「恭一郎兄貴は兄貴って呼ぶくせに、僕は惣かよ。お兄ちゃんって呼びな」
「だから何の用だと聞いている」
「母さんが茶室で呼んでる。機嫌いいよぉ。また例の話だな。早く行けば」
 例の話と言われて、十五とは思えないほど達観しきった真田の表情が強張った。それを見て次兄はきゃらきゃらと笑う。
「どうしてあの人は俺にばかり振ってくる」
「バカだね。弦一郎が一番可愛いからさ」
 苦虫を踏み潰したような顔をして真田はその場を離れた。



 真田家の広大な庭を一回りした片隅に、そこだけ嵯峨野を髣髴とさせる竹薮が植林されている。その奥まった所に 真田家の実権を確実に握っている母の、お気に入りの場所があった。侘びと寂をふんだんに取り入れた草庵茶室である。その狭っ苦しい にじり口をでかい体を折り曲げて、入室する旨を告げた。
 京都のさる茶道の家元から降嫁してきた(自分でそう言っている)衆議院議員夫人が、背筋をピンと伸ばし花を生けている。 これから来客でもあるのだろう。
「今度の日曜、お茶会を開きますのや。弦一郎おまえも出席してや」
 いきなり直球できた。有無を言わせない物言いには定評がある。
「残念ながらその日はクラブがあります」
「嘘言いな。その日は休みって惣一郎から聞いてます。いつからおまえは親に平気で嘘をつく人間になったんや」
――あの野郎。
 末弟を生贄に捧げるつもりでその予定まで把握している。わなわなと拳を握り締めたが後の祭りだった。
「お母さん、何度も言うようですが、その任は俺より兄貴たちの方が……」
「恭一郎はお父様と出かけます。惣はあのとおりヘラヘラしてますから、お茶室には入れとうない」
 まったく容赦ない。俺だって好き好んでこんな威厳の塊のような容姿と性格に生まれ育ったわけではない。そう言いたかったが、 反論しても一刀の元に斬り捨てられるだけだ。真田弦一郎学習能力は高かった。
「お友達も呼んでかまへんえ。ただし真田家の格式に見合うだけの子にしてや」
「うちは堅苦しくてみな嫌がりますよ」
「柳くんはよろし。なかなか如才ないええ子や。なんていうたかな。一年のニヤケた子。あの子は遠慮してもらい」
 まったく聞いちゃいない。あのちょっとやそっとでは動じない柳だって、聞けば逃げを打つだろう。なんだってこんなことで 親と友人との板ばさみにならなくてはいけないんだ、と真田の眉が跳ね上がった。それに反応する母でもない。
「そうや。あの子呼び。ほら前に一回連れてきたことあったやろ。眼鏡の品のええ子。今時あんな礼儀正しい子おらんえ。 えーと、なんて名前やったかな……」
 真田の跳ね上がった眉が下がることはなかった。



 都大会をコンソレーションで何とか勝ち抜き、関東大会の切符を手に入れた氷帝学園部長跡部景吾は、部室の一角に陣取り腕組みを したまま宙を仰ぎ、「あー」とか「うー」とかしきりに何か呟いている。普段の彼を知る者からすれば、 気味の悪いことこの上ない。
「なにしとんねん、跡部のヤツ」
「どーせまた引っ掛けた女を、どうやって連れ込むかの算段でもしてんじゃねぇの」
「引っ掛け済みならその日のうちに頂いちゃってるでしょ、跡部さんなら」
「そうそう。あれは気に入らないヤツをボコる計画を練ってるんだ。なぁ樺地」
「ウス」
 そこでその返事をしていいのか樺地崇広。そんな小さな反抗さえ許さないはずなのに、跡部はまだウンウン言っている。 氷帝学園レギュラー陣、忍足、宍戸、鳳、日向、樺地の五人は試合でさえしたことのない円陣を組んだ。
「はっきり言うて気持ち悪い。岳人おまえ注意してこいや」
「やだ。長太郎が行けよ」
「後輩のボクにそんな大それたことできるわけないっしょ」
「あぁ、うぜぇ、先に練習行ってっぞ」
「待ってくださいよ。センパイ」
 短気な宍戸、切り揃えた頭に帽子をのっけまず退場。それをダブルスペアの鳳が追いかけた。時間も時間だ。忍足は練習開始の 旨を伝えるが、頭を抱えた跡部はまったくの上の空だ。
「おまえ、ええかげんにせんと監督の雷が落ちんで」
 跡部は監督云々ではなく忍足の存在に反応したようだ。漸く顔を上げた。
「侑士か。おまえなら正装させたら……」
 ほとんど意味不明だ。
「関東大会も目前やいうのに、いつまでも腑抜けててどないすんねん。相手はあの青学やで。しっかりしいや」
「青学、か」
 対戦が決まっている古豪の名を聞いて跡部の瞳にいつもの倣岸さが戻った。さすがに部長、と見直しかけたそのとき、
「手塚だ。あいつを誘おう」
 意味不明に拍車がかかった。





ね、念願のパラレル突入編です。さぁて最後まで話を決めてから書き出しているのか、木島! してないでぇーす。
絶対原作者さまは、真田や跡部のご家族設定までされてないと、想定したうえでの暴挙です。これで 真田家の実家が活気溢れる八百屋さんか何かだった日にゃ……。す、すぐ撤去します。
戦い終えると跡部くんがちょっと可愛らしく思え、(なんてったってあのルックスと 見え隠れするバックグラウンド)当初考えてたのと少しいい扱いになりそうです。 悪役は真田父と長男、跡部父に移動ということで。
暗躍だの野望だのというほど、大したお話ではないです。(哀しい)
ただ、手塚を取り合うって、いつもと 変わらへんやん。