on one's own
〜1
どこでアイツの存在を知り、どこで最初に会ったのかははっきり言って覚えていない。
古豪青学において入学当時から最強だったとか、小学生のチャンプだとか、十年にひとりの逸材だとかの
前評判には耳を貸さなかった。そんな鳴り物入りで中学に進学し、ただ人で終わる選手などゴマンといる。
対峙してみないことには俺は判断を下さない。
侮らないが必要以上に構えたりもしない。
だから、初めて同じコートに立った日のことは忘れようがなかった。
関東大会準々決勝。立海大附属対青春学園の試合。シングルス3。
初夏の薫陶も香り高いコートの上に、仲間の二敗を背負っていながら涼しい
顔で、やけに線の細い男が立ち尽くしていた。縦の成長に横がついてきていないのが容易に知れ、テニスプレーヤー
としては余りのバランスの悪さが、まず目についた。
この身体で俺と渡り合えるのか。全国でも名を知れた
パワーヒッターであり、巧みなゲームメイクと高度なテクニックを擁した俺に。打てるのか、返せるのか。
走れるのか。それよりも最後までスタミナが持つのか。ヌルイ試合など俺にとってなんの価値もない。
喩え勝利したとしてもだ。
だが、そのあと俺はヤツに称された噂の一端を知ることになる。
怜悧な仮面で内なるものを隙なく覆い、青白い、融点の高い炎をチロチロと見え隠れさせる獰猛でしなやかな獣。
削がれた月を思わせるような体温の低い風貌はトスを上げた途端に融解した。
決め球に向う様は、空中から得物を狙う猛禽類のように情け容赦なく速い。スピードでは俺を上回っている
かも知れないと、ラケットを握る手に汗をかいた。
けして喰らいつくようながむしゃらな攻め方ではない筈なのに、名刀が鍛え上げた抜き身の刀身を首筋に当てられた
ような畏怖が足元からジワジワと襲い掛かってきた。
渾身の一撃にはそのパワーを殺して軽くいなし、仕掛ける一手前にヤツは俺のコートに叩き付ける。
あの細い腕から繰り出されたとは信じられないくらいの痺れが掌に残った。
ロブもスマッシュもボレーのどれをとっても上体バランスがいい。それは下半身の強さに支えられている。
見た目とのギャップに、知らず、俺は哂っていたらしい。あとからチームメイトの柳がこぼしていた。
戦えるのかと訝んだことなど序盤から忘却の彼方だった。それほど俺はこの試合にのめり込んだ。一秒でも
長く打ち合っていたいと心の底から願った最初の試合だった。
それは手塚も同様だとすぐに知れた。
ネットを挟んでいながらすれ違う視線が、フェイクをかけようと反対側に動く視線が、打つと決意した視線が、
虚をつかれて睨めつける視線が、一撃を与えてほんの少し綻ぶ視線が、総て俺のそれに絡まる。
冷徹なのは身の内で暴れる激情を隠すための欺瞞だ。放熱し続ける訳にはいかない防衛策なのだろう。
そうなのだとしたら、コイツが己を解放できるのは、それに相当した相手との勝負だけだ。
その想像に震えがきた。
俺だけだと。
その後の試合は勝負に拘りながらヤツの筋肉の動きと視線を追う形となった。ここまでの選手となれば
打ったあとに反応しても間に合わない。経験と実績と洞察力の総てを総動員して、俺は手塚を追った。
勝ちたいと。そして同時に欲しいと喉を破って何度も声が出そうになった。
俺の中の雄としての征服欲と加虐性が頭をもたげて来る。試合相手をブチのめして勝つという行為は、
スポーツである以上に、性的興奮と同等のものを沸きあがらせる。
支配する。屈服させる。負けなくない。勝ちたい。知りたい。もっと深く。
そして総てを欲してこそこの試合に勝てると錯覚する。その錯覚が原動力にも繋がるのだから、中学生といえど、
スポーツは色々な危険を含んでいると、いま思った。
面白い。
そう思えることが選手としての至福だ。そう体感できることではない。
相当物欲しげな顔をしていたのだろう。試合が終了したのちの握手で、手塚は少し困ったように小さく
笑った。
うねる激情は一気に昇華され、試合中よりも少し小柄に見えた姿に俺は釘付けになる。
手塚国光はそういった選手だった。
「おまえ、俺を待っていたのか」
「ああ」
再会から手塚は唐突だった。
夏の大会が終了して暫くたった日曜日。その日の練習を終えた俺たちが校門を出たすぐ横の壁に背を預け、
テニスバックを肩に背負ったその男は、相変わらずの無表情でその場にいた。
手塚だ。青学の手塚だと、先に門を出たメンバーの声がまず聞こえた。俺はただ眉間の皺を二割ほど
増して真横にいた柳を見る。流石の参謀も判別がつかないといった感じで肩を竦めていた。
俺が門を出ると、所在なさそうに壁に寄りかかっていた手塚が上体だけを起こしてこちらを見た。用があるのは
俺なのかと、どこかで歓喜と猜疑とがない交ぜになる。それほどこの手塚の視線はなんの思惟も含んでいなかった
のだ。
だから俺を待っていたのかとストレートに尋ねると、やつも直球を返してきた。
「わざわざ東京から何の用だ? 青学は練習は休みか?」
「午前中だけだった。時間が余ったからお前と打ち合いたいと思って」
「なんだと?」
「迷惑だったか?」
この男は――俺はまたコイツの認識を改める結果となるのだが――沈着冷静でふつうの常識と気遣いを
在中させていながら、ことテニスが介すると猛進する気があるらしい。思ったほどの練習が出来なくて、
もっと上を狙いたくて、その相手が青学には存在しなくて、だから迷わず神奈川行きの電車に飛び乗った。
その相手として眼鏡に叶ったという訳だ。光栄極まりない。
他校生相手になに言ってんだというギャラリーの声を片手で制して、俺は一歩手塚に近づいた。
研ぎ澄まされた手塚の視線が間近に迫る。ただそれだけで愉悦の笑みが漏れた。
望むところだ。あの一戦だけでは勿体なさ過ぎる。あんな短い時間ではお前を知らなさ過ぎる。あの
試合では出さなかったお前の技もあるだろう。おまえ自身もまださらけ出してはいないだろう。
放った熱に満足していないのか。まだ燻るものがあるのか。それとも溜め込みたいのか。焼かれたいのか。
理由は分からないが、ネットを挟んで対峙したいという渇望で俺は手塚を誘った。
ストリートテニスのコートなど町中にゴロゴロしている訳ではない。日曜だということもあり、数少ない
コートは順番待ちに時間を取られるだろう。俺も手塚もそんな余裕はなかった。いますぐ打ち合いたいと、
手塚は無言だが一度振り返った目がそう語っていた。だから俺は学校の近くのテニススクールへ向った。
休日などに俺もよく利用するそこはインドアも装備している立派なものだ。俺たちはそのあとほとんど無言
のままでアップをすませ、コートの両端に立った。
手塚が大きく息を吐く。それを呑みこむように俺も倣う。
手塚が僅かに顎を上げる。ほの白い怒気に沸き立つ視線が身体に心地いい。
それだけで俺を翻弄できる相手だった。
手の内の探りあいなどもう必要ない。初っ端から俺は渾身のサーブで手塚を迎えた。軽くいなすかと思えば
ボールの跳ね際を叩くジャックナイフをお見舞いされた。それをチョコンと当てて態勢の整わない手塚の
頭上にロブを上げる。
整わないと感じたのは錯覚だったように態勢を変えて手塚はそれを追う。追いつく筈のないエンドギリギリ。
ヤツの長いリーチにはさほどの距離ではなかったようだ。すくい上げにきた。
後方を狙うと読んだ。だがラケットに吸い付いたようなそれは、ネット際に落とされた。
ポトリと小さな音をたてて。
全身の血が沸き立った。脳髄を直撃されて一気に血圧の下がる音を聞いた気がした。だが頭は冴えている。
手塚の総てを見逃すまいと五感がうごめきだした。
手塚は哂った訳ではないだろう。ただの一球、裏をかいただけで。ヤツのポテンシャルも上昇の兆しだ。
室内コートにはシューズの擦過音と荒い息遣いとボールのインパクト音だけが充満する。他にはなにも
いらない。なにも聞きたくないし欲しくない。そして次第に心音さえもリンクした。
眩暈がする。
ギラついた欲望丸出しの視線は俺だけが発した訳でもなく、容赦なく絡み合った。足元に叩き付ける。
叩き付けられる。相手の虚をつく。また返される。
白帯に囲まれたこの空間で、ネットを挟んでいながらも身体同士が接触し、悲鳴のようなものを上げている。
ぶつかる筈もないのに異様に高まった体温と灼熱の激情で肌が焼けそうだ。
この相手に。
この相手だからこそ負ける訳にはいかない。
時間の経過も分からなく、汗が目に染みて袖口で拭う。握力に限界を感じ、同じように手塚もラケットを
滑り落としていた。
カランとした無機質な物音に俺の中の理性がブチ切れ、相手コートに飛び移り、両膝に手をついて肩で息を
している手塚の腕を取った。
腕を取り互いの視線が交錯した。
いまの俺たちに言葉はいらない。労いも相手を称える賞賛も善戦に対する感謝もいらなかった。
散々に熱を奪い合い、せめぎ合い、食らいつき合い、昇華された筈のものが、それでもどこからともなく
果てなく沸いてくる。
ネットを挟んでの勝負はつけようがなかった。それに拘る必要もなかった。ポイントなど覚えてもいない。
互いの潜在能力を際限まで目覚めさせ、ドロのように疲弊した身体と張り詰めていた全神経。
試合後の高ぶりは時間とともに急速に霧散する。それを弛緩させたくないとはただの言い訳だ。
足を速めながらも行く先が見えてこない。立ち昇る汗の匂いでかき消されてなにも考えられない。ただ、
それが必然であるかのように、俺たちは突き進んだ。引きずられるようだった手塚の足も先を争うように急いた。
なぜ手塚の腕を取り互いに競い合い、ロッカールームに引きずり込み、シャワーブースの
壁に押し付けて、互いに頭からぬるま湯をかぶりながら見詰め合っているのか。
なぜなんの言葉もなく互いの首の後ろに腕を絡ませ合い唇を貪っているのか。呼気すら奪い、引き裂くように
服を脱ぎ捨て、針ほどの隙間も与えずに抱き締め、更に熱を煽って狂ったように舌が行き来する。
口腔内に湯が入り一度むせた手塚に猶予は与えず、それに怯むヤツでもなく、喉元と耳朶とのいち往復だけで
まだ挑むように食らい合う。
こんな形の交わりあいが欲しかったのかと聞かれても答えられないだろう。そうだとも。そうでないとも。
優れたプレーヤーとの対決が、即、性的興奮に繋がったら、プロの世界は目も当てられない。
こいつだからか。俺だからか。なにに刺激されて止まらなくなったのか、もう、どうでもよかった。
昂ぶりは直裁に伝わり、喘ぎは水音にかき消され、稚拙な指が互いの熱を絡み取る。なんの迷いもなく
相手自身に添わせた指が愛撫へと変わってゆく。手塚の背がビクリとしなり、俺は歯を食いしばり、
それでも相手に合わせた視線は勝負を挑んでくる。
「上等だ」
ただ言葉としてそう口をついた。
「それは俺の科白だ」
久し振りに聞いた威嚇するような手塚の声は扇情的ですらあった。
手塚の鎖骨にチリリと跡を残す。同じようにヤツは俺の肩先に噛み付いた。何度も場所を変え、所有の証を
刻み合い、時折相手の欲望を優先させ息を呑み、飛沫をシャワーで流し合った。
どちらが先にイったとか、何度だったとか、そんな競い合う暗黙に耐え切れず、突然手塚がクツクツと
笑い出した。
そんな手塚の口元に口付けを落とし、俺も限界だと漸くヤツの身体を離す。一度離れてしまうと、いままでの痴態が
嘘のように穏やかな日常が戻ってくる。シャワーを止めると廊下を行き来する人々の談笑すら聞こえてきた。
そんな中で俺たちは互いを解放しあったのだ。
「狂ったかな」
「そうとしか思えん」
シャワーブースを離れ、手塚がそう言ったのも無理はない。男相手にあのキスはないだろう。それに
体中に埋め込んだような紅いうっ血の跡の理由も分からない。
ただ昂ぶりを放つだけなら必要のない行為だ。さっさと欲望を握りこんで解き放つだけで用は足りる。
情緒の欠片など女相手に使えばいい。
だが俺たちはその行為に没頭してしまった。
互いのチームでの練習をこなし、逼迫したゲームで体力と気力を削りあい、まだ足りないと求め合った。
強欲なのはお互いさまだ。どちらもが望んだ形を彩る言葉は知らない。知らないが、人が元来備え持つ
獣の雄としての部分よりも、相手を屈したいという願望よりも、互いに高めあいたいと願った行為なの
だとしたら。
俺の口腔内で淫らにうごめく手塚の舌が唐突に蘇ってきた。
気づかない方がよかったのだろうか。
その答えは誰にもわからない。俺にだって。手塚にだって。
貸し出されたバスタオルでわしゃわしゃと髪の毛を乾かす手塚の背を見つめながら、けれども俺は――
気づいてしまった俺は――告げてはならない言葉を投げかけた。
「だが、不快ではなかった」
手塚も俺のその言葉を受けて振り返ってはいけなかった。背を向けたままで聞き流せと、どこかで願う。
バカバカしいと吐き捨てくれと。その方が俺も気が楽だったろう。だがヤツは直球を返すことを
選んだ。
試合巧者とも思えないバカげた反応だ。
ヤツの切れ長の瞳が僅かな驚愕の色を見せ、躊躇い、それでも手塚は真っ直ぐに視線を上げてきた。
時間にすればほんの数秒。己の投げた言葉の波紋に固まった俺に、
「また打ち合いたい」
と、やけにはっきりと手塚は答えた。そして次はお前が来いと。
「東京、神奈川間は思った以上に時間がかかった。お前が願うなら今度はお前が来い。欲しいときは俺も出向く」
欲しい、ときたか。唐突に突きつけられた膨らみは計算した上なのか無意識なのか。その後の繋りが予想されて
俺は手早く着替えを済ませた。
こんな公共の場所で、これ以上暴走していられない。誰が入ってくるか分からないのに、最後まで
突き進んでしまいそうになる。
だがそれも何れ叶うだろう。手塚の相手は俺しか勤められない。それは細胞レベルにまで訴えかけ、
飢えた肉体は俺を求め彷徨う。コートだけの対峙だけではなくて。
時間がかかるこの距離感がかえってよかった。
週末くらいにしか打ち合えない。それも毎週とは限らない。だから飢えも高まる。俺に会ったときのベクトル
が一気に集中する。離れていた時間分、手塚は成長を見せるだろう。そんな手塚しか俺も要らない。
詰襟の制服に着替えた手塚には先ほどの狂態は微塵も感じられなかった。ストイックなほど静謐とし、凛と
背筋を伸ばして立っていた。
獰猛な獣はひと暴れしてぐっすりお休みだ。
だがそれも今度会ったときにまた揺すり起こしてやる。お前が俺と打ち合ってそれだけで済む筈がないからな。
どこまでも貪欲に。お前の最後の一滴まで搾り取ってやろう。
それも手塚と向き合えるだけのレベルに達してこそ掴んでいられる特権だ。追い越されようものなら、見向きも
せずに斬り捨てられる。
それはお前にしても同じことだ。
立ち止まろうとするお前など俺には必要ない。覚悟しておけ。
俺もお前も、真っ直ぐに引かれたレールの上で前だけを見据えている。お前の道と俺のそれが交差することは
ないかも知れない。いずれどこかで贖いようのない隔たりが生まれるだろう。
だが、いまは。お前が俺をライバルだと認識しているいまは、同じ方向を見据えていられるいまなら、
真横に並び進んでゆける。
重なりもつれ合って俺たちは進むだろう。
そうして俺と手塚の付き合いは始まった。
continue
暗くてイタい話ですみません(平伏)
連載を放ったらかして、突然書きたくなったテニスする二人。
獰猛な手塚って一度は書きたいシチュなんですよね〜。お互いがお互いを征服したいと思ってるんです。
スポーツマンなもんで。 いたしてますがヤられてません。手塚は死守するでしょう、きっと。少しの間
お預けです。
がっつく手塚にちょっと萌え ♪ (←変態入ってます)
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