真田一族の内紛
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「また痴話喧嘩っすか? 会う時間がないって言う割には、結構な確立で喧嘩してますね、お二人は」 リビングに入るなり、真田不在のあらましを聞いた切原は、呆れたように言ってからキッチンへ消えた。 確かにこの男の言うとおり、会えばいつもどちらかがどちらかに腹をたてている。極めて確立は高い方だろう。 犬も食わないけどね、と笑った切原の言葉をどこか遠くで聞いていた。 振り回す。振り回される。一方だけのせいではないだろうが、穏やかに過ごせるときが少ないくせに、 なぜ一緒にいるのだろう。何が切欠で同居に踏み切ったのだろう。しかもこのマンションは真田名義だ。 転がり込んだのも自分なら、出て行かない選択権も持っているもの自身だ。 根本的な問題にまで立ち戻って、ふとそう思った。 「お前のところか、柳のうちだろうとは思っていたんだが」 「柳先輩はともかく、俺のとこなんか来ませんよ。けどさ、手塚さん放り出したままであの人が出てくなんて、 よくよくのことなんじゃないっすか?」 「勝手に出て行ったんだ」 「だからさ、あの人が不在で、こうして俺なんかが尋ねてきて、あんたを攫っちゃうかも知れないんスよ。 真昼間だろうが、押し倒して俺のモノにしちゃうかも知れないんですよ。しかも、そんなこと考えてるのって 俺だけじゃないし。そんな危険を考える余裕もなかったってこと。珍しいじゃん」 「確かにな」 「手塚さん、俺の発言のどこを納得してます? ヤっちゃうってとこ聞いてます?」 「確かに、余裕があればボディガードの一人でも手配しそうだからな」 「うわっ、やりそう」 けどさ、と甲斐甲斐しくもレギュラーコーヒーを二人分入れ終えた切原は、マグカップをコトンと 手塚の前に置くと、意味深な笑顔を見せた。 「手塚さん、それって禁句。あの人以上に大人だとか、懐広いとか、心休まるとか、言っちゃダメなんじゃない? ある意味さ、テクないって言われるより傷つく。好きな人から誰かと比べられるくらい辛いことないと思う けど」 「心休まるまでは言っていないが、まあ、そうなんだろうな」 「あれ? 確信犯? 分かっててやったの?」 「そうではないが、一緒に暮らしていて本気でむかっ腹が立って、言葉を選びながら喧嘩するのも可笑しい。 事実なんだから、事実を告げたまでだ」 「あんたって、結構、辛らつ」 「アイツの顔色を伺いながら人と付き合うなんてご免だ。限度のない執着は枷でしかない。たくさんの人に 支えられて、色々なものと出会って影響を受けて俺はここにいる。誰かが誰かの オンリーワンであることの方が難しいと思わないか?」 「なんかそんな歌、ありましたね」 「真田はそれを強いる。自分は結構な人に囲まれて世界を広げている癖に、俺のよそ見は許そうとしない。 卑怯だろう」 きょうは珍しく語るな、と切原は目を剥いた。だがこうも淡々と語られては、二人の間に隙間が出来た なんて思えないから不思議だ。 手塚の分からないところは、恋愛も人付き合いもテニスも仕事も一直線上に並べてしまう部分だ。だから、 「何がオンリーワンかと問われると、俺にとってはテニスだぞ」 なんて科白を当たり前のように吐いてくれる。 「そんなこと言われなくったって分かりますよ。聞きたいのは、あんたが誰を一番好きかってことでしょ。 オンリーはそういう意味ですよ」 「俺を脅かす総てのテニスプレーヤー。コーチ。トレーナーの先生。特別仕様のラケットを製作してくれた 技術者たち。有明のセミハードコート。ついで青学のクレイコート」 「コートと同格かよ。本気で殴りたくなってきた。テニスの女神に愛でられし子は言うことが違うや。 副部長も頭痛い訳だ」 「今更だな」 「今更ですけど、じゃあなんであの人と一緒に暮らしてるんスか? 手塚さんの理論だと誰でもいいってことに なるっしょ。俺でもいい訳だ」 手塚は少し言い澱む。それは俺が聞きたいくらいだと、言ってから、ポツリと語り出した。 「自分の心情でさえ完全に理解するなんて無理な話だ。ましてそれを言葉にして伝えるだけで、微妙に歪む。 歪んだものを理解する相手もまた、少し湾曲したものを受け取る。伝言ゲーム並みに小さなほんの少しが 相手に伝わってしまう。圧倒的に言葉が足りない。無理に伝えようともしない。納得いかないだろうけど、それで 満足してもらうしかないんだ」 「手塚さん……」 「真田は俺を理解しようなんて思っていない。自分の要求だけを押し付ける。自分に分からないものを理解しようと されるより、俺にとっては意外とそれがラクなんだ。心休まる相手が欲しいなら、アイツとなんか一緒にいない」 「二人とも可笑しいんじゃない? 俺にするくらいなら、そういう話を副部長にしてあげればいいじゃない。 副部長もなんで聞き出さないのさ。十分コクってるじゃん」 切原、呆れて当然の疑問だった。 「面と向って? 俺が? アイツに?」 「スミマセン。無理な注文でしたね」 言ってから切原は即却下した。確かに二人が顔をつき合わせて、ついでに手なんぞを握りながら、 互いの想いをトツトツと語り合っている場面を目にした日にゃ、 焼きの足りないスイーツを大量に口に突っ込まれて消化不良を起こした気分にさせられそうだ。 「しかし、真田にとって恭一郎さんがあれほど鬼門だとは思わなかった。過剰反応もいいところだ。 常々、目の敵にしているとは感じていたが」 手塚は顎の下に手を当てて考えるふうを見せてつらりと哂った。 「あの話を受けたと言えば真田はどんな顔をするだろう。反応を見てみたい気もする」 「もしかして倦怠期なんスか? カンフル剤注入したいんなら俺と愛の逃避行ってのはどう?」 「いまいち、インパクトが弱い」 「そんな口利けないくらいにベットに沈めてやろうか?」 「あしたになったら忘れるだろうから意味がない」 「この性悪!」 そうか、と彼は滅多に見せない微笑をたたえていた。 たぶん夜中に一度と、手塚が不在のときに一度、真田は帰ってきていたようだ。遠征なのか合宿なのか、 それ用の鞄に着替えやらを詰め込んでまた出掛けたのだろう。 気まずさとか喧嘩とか関係なく、スレ違うときはそんなものだ。互いの予定をカレンダーに書き込むような 習慣もないし、把握するつもりも伝えるつもりもない。会えば『行ってくる』くらいは言うだろう。 そして『お帰り』と迎える生活。 そんな味気なさでも、いまは真田以外とは肌を合わせる気になれないのだから、同居の重みというのはある ものだ。 夜中に帰って来たときなどは、カチャリと開かれた寝室のドアの音で少しぼやけて覚醒した。 目覚めるには惜しいような心地よいまどろみの中で浮遊していると、一度枕が沈み、頬に小さく何かが宛 がわれた。ちゅっと粘着質な音をたてて離れたそれが、やけに温かくてさらに意識は途切れていった。 だが、あの真田がそんなことをする筈もないから、やはりアレは夢だったかもしれない。 惚れるとは枷をぶら下げることにも繋がる。どちらがどれほどの重さを背負うかの違いはあるが、 何かあれば必ず頭を掠めるあの不機嫌丸出しの強面。所有欲を隠そうともしない倣岸さ。 そして押し付けがましいと紙一重の情の強さ。 そんな場面は何度もお目にかかったが、放り出されたのは確かに初めてだなと、なぜか、そう思う。 窮屈な筈の枷が、範囲を狭めるでしかない檻が、鬱陶しいだけのエゴが、痛い程の視線が、いまはどこ にも感じない。 そして背中が少し寒い。 囚われ慣れて感覚がおかしくなったのかと、哂いが漏れた。 一人っきりの寝室。 月がどこまでも蒼い。 「えっ、いま何と?」 「お受けしてもいいと申しあげました。ただし、CMの方だけですが」 話があるからと連絡を取り、真田恭一郎は、随分早いねと苦笑しながらこの小料理屋を指定してきた。 彼が自慢するだけあって、一品一品素材に拘った見事な小鉢が並ぶ。日本酒に詳しくない手塚には聞いたこと のない銘柄の猪口の中身も、恐らく通が聞けば泣いて喜ぶ逸品なのだろう。 清々しい芳香を舐めているだけだが、一応彼に付き合って嗜んでいる。 「どういう心境の変化かと聞いてもいいのだろうか?」 「成り行き、でしょうか」 「それは、また、君らしからぬ理由だね。だが、かえって私を慮ってくれたのかと少しは自惚れてしまい そうだ」 確かに、と別の意味で手塚は思う。彼からの申し出ででなければ受けなかったろうし、慣れない配慮を 配った結果の余りありがたくない状態を招いたのは自分自身なのだから、収束させる義務はあるだろうと、 この方法を選んだ。 起こしたアクションに対する理由付けは酷く利己的だ。 「菩薩のような顔をしているな」 気に入らないと一つ呟いて、恭一郎は手塚の真横にまで膝を進めていた。 ほんのりと酒精の香りも高く体温の上がった両頬に手を添え、真意を覗き込むように視線を絡ませる。 恭一郎にしてもその艶っぽい仕草に反して探究心も顕わだ。手塚を追い詰めていいのかどうかの瀬戸際を 流離っている。 「私がどれ程君を気遣っているか、知っているだろうか」 囁かれた睦言は耳朶を掠り首筋に至る。そのままコトンと胸元に落ちてしまいそうな陶酔感は、さすがに 手馴れている。一段も二段も高みのフィールドから包み込まれるような懐の深さは、彼の周りの誰も 与えてくれなかった安心感。 拒むことも出来ずに背が畳に吸い寄せられた。 いつの間にか外された眼鏡。きっとこのまま漂う心ごと抱きしめられ、気高く扱われ、体中に刻印を 付けられたとしても何の不思議もない。 嫌悪感もきっとない。 そう思った先、触れた唇の間から、つい、言葉がまろび出た。 「真田が帰ってこないんですよ」 continue |
すっかりその気になって、手塚のCM製作話に転換しましたぁ〜。(爆)
あたしったら、なんて柔軟。(爆!爆!) 好きな人と一緒にいる理由ってなんでしょ。ラクって感じ方も それぞれかなと思ったり。 |