真田一族の内紛
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「恭一郎さん」 言葉にして引き止め、ただの義務感からだと戒めのように反芻した。 様々な形で寄せられる想いを知らない訳ではない。からかい甲斐のある性質であることも知っている。 その総てが隙あらばの一撃だったりしても、どこか遠くの出来事のように心に響かなかったりする。 鈍感だと言われる最たる所以だが、 こちらの扉を叩くような真摯な言葉も思わせぶりな接触も、受け止めきれないだけなのだと。 優先順位というものでもないのだけれど。 けれど、拙いながらも人間関係を尖らせて生きてゆく訳にもいかない。 確固たる意図もない。 アイツの肉親なのだからと、そう思って手塚は一歩踏み出した。 振り向く恭一郎に、そのタイミングが真田とは違うとなぜか感じた。 真田はもっとわざとらしく時間をかける。 そういう拘りが囚われているのだろうなと思う。なぜ、いまそんなことを思い出したのかは分からないが。 「タクシーを利用されるのでしたら、送りましょうか? 神奈川のご実家ではないですよね?」 「ああ」 少し驚いた彼の表情があった。出すぎたかなとも思ったが、発した言葉は戻せない。 「では、議員会館まで送ってもらおうか。嬉しいよ」 「と言っても俺も、真田の車を借りている身ですが」 「弦一郎の? そう」 会館へと向う車中の時間は穏やかに流れて行った。 流石に恭一郎は聞き上手だ。口下手な手塚からさり気なく会話を引き出す。体の調子や日々の暮らしのこと。 今後の試合予定や、過去の対戦相手の話。彼もかなりテニスには詳しくなったようだ。時間が合えば会場にまで 足を運んだりするらしい。 「正直言ってあまりスポーツには興味はなかったのだが」 「プロの弟さんを持つと必然的に目がいきますか」 「弦一郎? さあ、それはどうだろう? 私は君と君のプレイに興味があるだけだから」 「プロ冥利に尽きる言葉です」 「社交辞令と受けてもらうと困るな。実際、弦一郎が世界ランクのどの辺りにいるのかさえ知らなかったりする のだからね」 「男兄弟の関係も複雑ですね」 特に真田家の場合はそれぞれが個性的だから、とは流石に口にはしなかったが、それでも恭一郎の言葉を さり気なく歪曲させている。敵わないな、と彼は肩を竦めた。 「――手塚くん。それは少し意味が違うのだけれど、まぁ、いいか。煙草、いいかな?」 快諾すると、彼はウィンドウを全開にしてからゴロワーズのブルーの箱から一本取り出した。独特の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。 「トッププロの君に送ってもらえたと、また周りに自慢できるな」 「お忙しいのに無駄な時間を取らせてしまいました」 「けして、無駄ではない」 やけにはっきりとした彼の物言いに戸惑う。その心情を気取られないように、 車は慎重に会館の駐車場へ滑り込んだ。辺りはすっかり夕闇に染まり、ブレーキの音さえも反響するような 静寂さだった。 助かったよ、と小さく言葉がかかり、気づくと恭一郎の手が手塚の頬に添えられていた。贖う間もなく、羽根の ように唇が降りてきた。咄嗟に逃げたがシートに退路は断たれている。 微かに重なりすぐにそれは逃げていった。 「恭一郎……さん」 弦一郎に、と耳元で囁かれた言葉がゾクリと背中を走る。痺れが全身を駆け抜ける前に、手塚は両手で 彼の胸を押し留めた。 クスリと落とされる満足そうな笑み。それからは、もう、顔を背けるしかない。 「たまには実家へ帰るように言っておいてもらえるかな」 そう言い残して恭一郎はゆっくりと降りていった。 ある種性的に刺激されたという臭いは、間近な人間にはそれとなく分かるものだ。それでなくても真田は、 豪快そうに見えて手塚レーダーは敏感に張り巡らしている。 以前も越前に抱きつかれたり、不二に迫られたり、 切原に押し倒されそうになっただけで、手塚の表情を読み取って無言の恫喝を食らわされたことがある。 その後は押して知るべしの展開が繰り広げられ、余りの駆け引き下手に臍を噛んだことは数知れない。 どうして何もなかった顔が出来ないのだろう? それほど申し訳なさそうな態度がアリアリなのだろうか? そもそも、何に対しての後ろめたさだ。少し過剰なスキンシップを好むヤツ等が周囲に多いだけだ。 真田は狭量過ぎる。結婚している訳でもないのに。いや、喩え法改正が成って婚姻可能だとしても、あの 嫉妬深さは正当性に欠ける。ご免こうむりたい。俺は間違っていないと、 自宅の扉を開けたとき、その当人とかち合った。 「遅かったな。車を諦めて出かけようと思っていたところだ」 「あぁ、すまない。助かった」 真田の車の鍵を彼の掌の上に返して、入れ違いに玄関を抜けようとした手塚の腕を真田が押し留めた。 「?」 訝しそうな表情に、また鼻が利いたのかと思わず身構えるが、敵はどこか掴みどころのない表情をしている。 「何だ? 車は無事だ。傷一つつけていないぞ」 「それは僥倖。いや、いい。行ってくる」 「ああ」 少し振り返って出かけてゆく真田の背を無言で見送った。気抜けにも似た妙な安堵感。ホッと息をついて、 きょうはどうにかスルーできたようだな、と扉を閉めた。その物音に真田の足が一度止まり、思い直して また足早に駐車場へと急いだ。 嗅覚は敏感にできている。特に二人とも吸わない煙草の匂いなら尚更だった。周囲に喫煙者が いればどうしても衣服に染み付いて帰ってきてしまう。それは特別珍しいことでのなかったのだが、 どこかに引っかかる独特の香り。 臭いで銘柄が当てられるほど精通していない。どこで、と思い立って、その疑問は愛車に滑り込んだときに、 判明した。 そう、覚えたくもないのに記憶しているブルーのケース。 その香りが意識を持って残っていた。存在を誇張するかのように染み付いていた。 「あの、野郎!」 叩きつけた訳でもないのに拳が当たり、啼いたクラクションが地下駐車場に反響した。 翌日、どこか寝足りない重い体を引きずって居間へ出ると、手塚が寝入るまでには帰宅していなかった筈の 真田が、きっちりと着替えを済ませて、朝食の卓についていた。 やはり、こいつの体力は底なしだと、まずはそこに感心すると言うより呆れてしまう。いつの間に帰って いたのかは知らないが、睡眠不足が機能の総てを停止させてしまう手塚には考えられない几帳面さだ。 「おはよう。お帰り」 「ああ」 インスタントのコーヒーだけ入れてリビングに戻った手塚は、黙々と食事を続ける真田のはす向いに座った。 「いつ戻ったんだ? 気づかなかった」 「明け方だ」 低い唸りのような返事に、機嫌はすこぶる悪いらしいと推測して、それ以上の追及は止めた。 触らぬ真田に祟りはないし、朝っぱらから歓迎したい会話でもない。気がかりと詮索との境界線も曖昧だ。 「手塚」 本当に地の底を這うような声音だ。いやな展開だなとは過去の経験による。 「きちんと朝飯を食え」 「分かっている」 「それと、俺の車で煙草を吸わせるな」 「――」 珍しくも変化球できた。何もかも分かっているのに、言葉を選んでやっているのだと、暗に仄めかす。 ツンドラ凍土並みにリビングを凍らせて、婉曲な嫉妬などらしくない。ストレートに『アイツとは会うな』 と言われる方が何万倍もマシだと思った。 「言いたいことがあるならはっきりと言え。奥歯に物が挟まったような詰め寄り方をされるのは鬱陶しい」 真田は視線を絞ると、椅子の背もたれに体重を預けるような姿勢を取った。いつにも増してエラソウだ。 「アイツと会うとは言っていなかったな」 「ああ。仕事の話だと途中で連絡が入った。急遽会うことになったんだ」 「仕事の話だと? 何だ。都議にでも立候補する気か」 「的外れな冗談を返すなんて、狼狽えている証拠だな。雑誌やCMなんかの仕事を、恭一郎さんを通じて 申し込まれたんだ」 「バカバカしい。そんなものに興味があるとは思わなかった」 「興味はない。だから断るつもりだ」 「断るのなら最初から会わなければいいだろう。電話一本でこと足りる。それともアイツがしつこく迫って きたのか?」 「大切な話は相手の顔を見てが鉄則だろう。それ相当の手順がいる。お忙しいのに仲介に入ってくださったんだ。 相手の顔も立てなければならない」 「何がお忙しいだ。お前と会うためなら親父の同行断ってでも都合をつけるぞ、アイツは!」 「いい加減にしろ、真田。恭一郎さんが絡むと感情に走り過ぎる。なぜだ。あの人には敵わないからか?」 二人の間で何かがピキンと音を立てた。下から睨みつける真田に、当の手塚は地雷を踏んだことすら気づい ていない。 「誰が誰に敵わないだと?」 「お前のその態度を見れば一目瞭然だ。必要以上に突っかかるのも敵対心を顕わにするのもいい加減にしろ。 恭一郎さんはお前以上に大人だ。無理強いはしない。ちゃんと立場を弁えていらっしゃる。 これは俺の仕事の一端だ。お前に行動範囲を狭める権利はないだろう。そう言いたかった――」 だけだという言葉は、襟ぐりを捕まれて喉元でくぐもった。分が悪いとすぐに腕力に訴える。鉄拳制裁を 食らわせないのは、まだ理性が残っているからか。いや、昔っから切原たちへの対応には、ちゃんと理性も 道理も踏まえた上での暴挙だった筈だ。 間近で射すくめる真田の瞳。怒りだけではない。それだけは分かるが、この際だからと畳み掛けた言葉は 戻せない。 「恭一郎、恭一郎と! 今後一切その名を俺の前で呼ぶな!」 叩き付けるように手を離すと、そのまま真田は出て行った。 continue |
大喧嘩♪ 大喧嘩♪ 楽しかったです。けど、どうやったって、
修羅場には見えないですよね。イチャこいてるとしか(トホホ) でも、手塚ったら言うこと鬼! |