真田一族の内紛
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「車、貸してくれ」 と、寝ぼけ眼のまま寝室を出てきた手塚が、真田の姿を認め唐突に聞いてきた。そのままペタペタと足音を たて、全身弛緩させてフニャリと真向かいのテーブルにつく手塚に、真田は思い切り眉根を寄せるが、 朝っぱらから喧嘩も煩わしいとぶっきら棒に尋ねるだけにした。 「お前の車は?」 「車検」 「なぜ代車を借りん」 「扱い辛そうなのしか残っていなかった。どうせ今晩には引き取りだし」 「馬鹿かお前は。そこでごねて手ごろな新古車の一つでも手配させる駆け引きを見せんか。知恵の回らんヤツだ」 「お前じゃあるまいし」 お客さまは神さまを持論でいく真田のような阿漕な真似は出来ないと口を尖らせると、敵は綺麗に眉根を寄せた。 「清廉なことで結構だがな、俺の車のステアリングは十分重いぞ。扱い辛いの筆頭ではなかったのか? 縦列駐車苦手なくせに」 真田の国産特別仕様四駆は戦車かと思うくらいの重厚なヤツだ。街中を走行するには相当な技術を要する。 実際、 「お前、以前ぶつけてくれたではないか。エアコン点検とかで使えなかったとき」 「ぶつけたのではない。擦っただけだ」 「喧しい。サイドを二枚に渡って修理させられたんだぞ。いくらかかったと思っている」 「結構な稼ぎの癖にセコイことを言うな」 「それをお前が言うか」 手塚はなぜかタクシーを嫌がる。手段がないと、フラフラと電車やバスで移動する姿を想像して、ほぼ諦め 状態で真田はポケットを探った。だが、 「安心しろ。少しは慣れた。ぶつけはしない。掠るかも知れんから先に謝っておく。代車でするよりはマシだろう。 下手だと思われるのは癪だ」 「お前の捻くれた配慮の中には俺の車は含まれんのか! それに、実際下手ではないか。その上に見栄張りときた。 俺の車がどうこうじゃないぞ。一番扱い辛いのはお前だ、手塚」 「あんな燃費の悪い車でガソリンを撒き散らして走っているヤツに、見栄張りだとか言われたくはない。日本の 道路状況にあってないから、ちょっとしたコーナーで掠ることになるんだ。不親切設計極まりないし」 真田はポケットから手を抜き、腕組み状態で前のめりになって顔を近づけてきた。ほとんどガンつけの様相だ。 「下手くそが棚に上げて何をほざいている」 「慣れたと言っているだろう」 手塚も負けていない。低血圧の寝起きの悪さはどこかへ吹っ飛んだようだ。 「今度掠ってみろ」 「最高級仕様、新車でくれてやる」 「その言葉忘れるなよ」 「勿論だ」 真田は叩き付けるように車の鍵をテーブルの上に置いた。 「助かる」 綺麗に笑い、それだけ言い残して手塚は洗面所へ消えていった。 その連絡がもたらされたのは、丁度その日の練習とミーティングが終わり、一息ついていたときだった。 『久し振りだね』とかけられた第一声に、声の主が判明できなくて、携帯片手に無言の手塚に、相手はクスリと笑いを 落とした。 『真田恭一郎です』 「あ、どうも」 一社会人としてどうかと思うほどの対応に、真田の実兄は是非とも会って話がしたいと、端的に告げてきた。 「あの、俺は――」 『弦一郎が何を言ったかは想像がつくけれどね、仕事関係の話なんだ。どうしても君に通してくれと泣きつかれて。 迷惑かも知れないが、聞くだけでも聞いてもらえないだろうか』 「いえ、そんな迷惑だなんて」 仕事の話と言われて無下にはできない。手塚とて多方面からのバックアップとスポンサーがあってこそ、 プロ生活を続けていられる立場を十分に理解していた。 ただ、真田の過剰反応に感化されたのか、恭一郎相手では少し自分の中の安定が欠く。彼の持つ懐の深さや 穏やかな物腰になぜか周章させられる。 座り心地が悪いのか。周りにいる誰よりも、大人な部分に寄りかかりそうになるのを厭っているのか。 本人同様、正体の知れない部分に迷いがあるのかも知れない。 だが、そうも言っていられない。分かりましたと答えると、彼はホテルのティールームを指定してきた。 『折角会えるのだから、夕食でも一緒したいが、余り時間を取らせるのも悪いだろう。色々と制約があるからね、君は』 意味深な言葉を残して携帯は切られた。 久し振りに会った真田家長兄は、相変わらずスタイリッシュに決めゆったりとソファに座していた。 遠目からでもその綺麗に伸びた背中には自然と人目を惹くものがある。真田のものよりも幾分余裕のある 後ろ姿。ヤツは背中でも臨戦態勢を語っているからなと思うと、少し笑えた。 今朝、あれだけの言い合いをしても、何かにつけてヤツの存在は頭を掠める。制約を受けているのか、 自分からかけているのか、分からないな、と。 「お待たせしました」 背後から声をかけると、将来二世議員を約束されている男は、手にしていた煙草をもみ消してニッコリと 迎えてくれた。 「何度も申し入れがあった話だそうだが、」 運ばれてきたニルギリに手塚が口をつけたのを見計らって、真田恭一郎は即本題に入った。分刻みのスケジュールの 合間を縫ってのひと時というより、彼の性格がそうさせている気がした。もしくはせっかちな真田家の血筋だ。 「大手テニス雑誌から女性誌まで。全豪オープンを前にどうしても君の特集を組みたいという打診があった。 スポンサーを通じて何度もオファーがあったそうじゃないか。それを君は総て一蹴してきた。困った編集長 やら社長やらに泣きつかれてね。君にとっても不愉快だろうけれど、再度打診させて欲しいとのことだ」 そう言って彼はテーブルの上に何枚もの名刺を並べる。多様な雑誌名が記載されていた。 「申し訳ありませんが、仰るとおり総て断ってきました。理由は何も語ることがないからです。俺のテニスを 見てくださいと、それだけしか言えません」 「君らしいね。けれど今度の大会は弦一郎や越前くんまで、類を見ないほど日本人選手の層が厚い。 誰もが期待しているし、その効果を煽りたいと各方面が躍起になっているのは理解できるだろう?」 「それは分かりますが。済みません。お役に立てそうにないです」 「弦一郎が反対している、とか?」 「これは俺自身の問題ですから」 即断された強い口調に彼は素直に詫びた。 「僭越だったね。申し訳ない」 「いえ。でもなぜ、恭一郎さんのところにそんな話が?」 「ああ。私が君と知り合いだとか自慢してしまったからかな?」 「はい?」 「とある出版社のパーティーで、少し、ね。でも、ただのいちファンだとも付け加えておいたよ」 「はあ?」 それともう一枚、と彼は取って置きを出すような仕草で、手塚の一番手前にその名刺を置いた。肩書きは 広告代理店製作部長となっている。 「悪いね。一番君が嫌がるテの話で。こちらはコマーシャル契約のオファーだ。以前テニスラケットのCMに出た ことがあっただろう。各界から注目を浴びたことは知っていると思う」 「あれは、遠目だったし、スポンサー企業からの申し出は、断れなくて」 ほとんど言い訳に近い説明だ。それは理解できるよ、と恭一郎は続けた。 「今回はスポーツ飲料のCMだそうだ。君の他にも越前くんと弦一郎にも話はいくらしい。スリーショットで テニスのシーンという感じかな。けれど実力とビジュアル的から言って、メインは君をと指定してきている」 「越前は何と言ってるんです?」 真田はそんな話は知らない筈だ。聞いていれば必ず一節説教をぶってくるに決まっている。必要ないだの 練習の時間が取られるだの、そんな暇があればトレーナーとの時間をかけろだとか言うだけ言って、 後はお前の好きにしろとつき放つ展開が目に見えた。 「越前くんは君さえ出るならと了解したそうだが?」 越前は俺に下駄を預けたか、と手塚はつい重い嘆息をついた。それには真田家長兄も苦笑しきりだった。 「やはり気が重いかな?」 「済みません」 「分かった。これ以上君を困らせると、弦一郎に捻り込まれるからね。 だが、出来れば即答は避けてもらいたいな。知り合いだと見栄を張った私の立場がね。少し時間をおいてから 断ってもらえるかい?」 引き際は早い。彼は手塚の負担にならないように、ふんわりと笑った。 時間だとばかりに立ち上がった恭一郎は手早く会計を済ませると、次は夕食でも共にしたいと冗談 でもない様子で囁いてきた。返答に窮する手塚に、彼はいつものように静かに笑みを見せている。 ロビーから地下の駐車場へ向おうとする手塚に恭一郎は、 「今度は君からの連絡を待っているよ」 と、そのままエントランスからタクシー乗り場へと向おうとしていた。 その背に声をかけたのは、ただ、申し訳なかったからだ。 暇を持て余している訳ではない彼に対して。 ただ――。 continue |
何度かお話を頂いてたんですよね、真田と手塚大喧嘩ネタ。それに
食い込むのは不二かリョマか跡部か切原かだったんですが、しゅう子さまの第二希望をそのまま頂戴しました。 ただ単に真田兄と手塚を会わせる口実にしては、む、無理がありますね。 お兄ちゃん、議員秘書やのに。そんな些細なことで出張らんでもと自分突っ込み。しかも続くし。 |