結局、ラウンジスペースにシートを敷くなんて細工もしないまま、メンバーたちの日頃の激務を労う一日限りの無礼講と、
合格発表はまだだけど卒業は間違いないだろう中学生たちのお祝いを兼ねた宴会は、オーナー兼今宵のスポンサー牧の――
総て自腹らしい――乾杯の音頭も待てないとばかりの勢いで始まった。
「旨そうっ」
「結構、壮観だな」
「よっしゃぁ、食うぞ!」
「いっただきまーすっ」
「おー盛大に食え。時間がなかったから、やっつけ仕事だけどよ」
と、それでも自信たっぷりに披露されたのは、繊細さと大胆さを売りにするフレンチシェフ三井の揚げ物が三種。
居酒屋メニューのトリカラも衣の味付けがなにやら複雑らしいし、フリッター仕立ての野菜は甘みが生きているし、
素揚げと思えたレンコンは複雑にスパイスが絡み合っていた。
パティシエたちがつくったのは先ほどの暴挙で半分なくなったサンドイッチとパスタとパリジャンの明太子添え。
冷製パスタはひと口大の大きさに丸められレタスに包まれているからサラダ感覚だ。
そして木暮が差し出した大皿にはオードブルなどの前菜が色とりどりに並べられていた。エビのカクテル、サーモンのカルパッチョ
、魚介類のゼリー寄せにはウニがふんだんに使われている。なによりメインの
ローストビーフはしっかり下味がしみ込んでいながらも、蕩けるようにやわらかかった。テーブルの上に並ぶや、あっと
いう間に跡形もなく消え失せた逸品だ。
「うめーよ、コレ。メガネくんっ」
「あはは、ありがとう。でも、牧がいい肉を用意してくれたからね。旨いのは当然。こんなのは家庭料理に毛が生えた
ようなもんで、肉を漬け込んだソースのレシピも簡単だから――」
なんて謙遜しながら説明してもだれも聞いちゃいない。桜木の、木暮を褒めた口は息継ぎのために開けられたんじゃない
かというくらいに次の料理をかっ込み、牧、取っておきのシャンパンも喉を詰まらせないためだけにあるようで、
その呑みっぷりは――その年にして熟練の賜物とみた。そんな桜木に触発された流川も、チロっと舌を出して舐めてみたものの、
どうやらまだイケル口ではないらしく、渋柿でも食ったような顔をしている。
そんなさまがどうしても目の端に引っかかって笑いをかみ殺せば、その手の反応だけには敏感な流川が、
勢いつけてグラスを傾けようとするから、慌ててそれを奪い取った仙道だった。
「返せよ。なにすんだ」
「いやいや、呑むのはいいけどさ。シャンパンって結構おなかが張るから、ホラ、コークなんかと一緒で、そうなると
せっかくの料理がもったいないじゃん」
仙道の言い訳に目線を絞りながら、左手のフルートグラスと右手のパリジャンとを一瞬見比べたのはほんのポーズ。
流川にとっては悩む問題じゃない。意地と食欲とが真正面からぶつかり合い、けれど、あっさり、さっぱりと本能を優先
して、こんなものイラナイとばかりにグラスを押し付けてきた。
そうそう。意地を満たしてもハラはいっぱいにはならないから、無理して張り合う必要もない。酔っ払ってタガが
外れた流川なんてシロノモを見てみたい気もするけど、と仙道は口の端を上げた。
ま、それはおいおい、ふたりきりのときに。
けれど、意識の総てを胃の内容物の消化に傾けてしまっているいまの流川に、鳥肌ものの甘い科白を耳元で囁いても、まともな
反応が返らないのは、哀しいことに経験済みだ。ためしに一度目の高さまで掲げたグラスに唇を寄せ、「間接キス」だね、
と笑ってやると、なにやらキョトンと目を瞬いて並べられた料理に目をやっている。
まさか『間接』っていう方法で料理された魚の『キス』を探してるんじゃないだろうな。頭の中は食い物モード一色
かよ。思わず食い入るように見つめていると、「頭、沸いてんのか、センドー」と、耳ざとい桜木だけがツッコんでくれた。
的はずれな反応よりもありがたかったりする。
「ヒドイ言い草」
「たりめーだろーがっ。寝腐れキツネが伝染すんぞ」
「流川がウツる、か。なんかいいな、それ」
夢見心地で遠くに視線を飛ばした男に桜木は思い切りむせた。
「げっ、本気で言ってんのかよ」
「だってさ、オレの多彩な駆け引きや華麗なテクニックに、流川の苛烈さが加わるんだぜ。スゴイことになると思わない?」
「自分で言ってりゃ世話ないぜ」
「おまえの怠け癖に流川のズボラが重なる可能性は考えないのか」
藤真はゼリー寄せを口に放り込んでニヤリと哂った。
「残念ながらそんなペシミストじゃないね。互いのイイトコ取りで、絡み合って競い合って凝縮されて登りつめてくん
ですよ」
「おまえが言うと妙にアヤシイ、って言うかイヤラシイ」
「なに深読みしてんですか?」
「別にぃ」
「ま、間違いなくソレが俺たちだから」
「はぁ? 意味、分かんねーぞ」
仙道と流川の交互を見比べ、疑問符をいっぱい貼り付けている桜木の頭を鷲づかみにして藤真は、
「考えるな、桜木。旨いメシを食いたかったら無視するに限る。イチイチ、仙道の戯言なんか聞いてたら身が持たないぞ」
とっとと、こんな話題からはオサラバしたいとばかりに言い切った。
確かに種類は豊富だったけれど、こんなお上品な料理だけでははっきり言ってハラにたまらない。食い尽す
のも時間の問題だろうと、厨房にとって返した花形が手にしているのは、特大の皿に行儀よく並べられたオニギリの山
だった。
いったい何合、炊いたんでしょうと聞きたくなるようなその量は、梅とおかかと昆布と鮭の順で並べられているらしいが、
思い切り場違いで所在ない。それでも運動のあとの握り飯は格別だ。
「きょう、宴会をするという話をしたら、パートのおばさんたちが総出でつくってくれた。心して食べるように」
花形が説明を終える間もなく流川桜木の双方から両手が伸びた。つかんでそのままガッつき、空いた手で次をキープ
する姿は、微笑ましいやら喰い汚いやらで見てるだけでお腹がいっぱいになる。つくってくれたおばさんたちもさぞ本望
だろうという勢いだった。
これさえ宛がっておけば、しばらくは大人しいだろうと思っていると、ご飯つぶを頬にくっつけた桜木は、やはり
上機嫌だ。
「バスケ、出来てこんなうめーメシまで食わせてもらえるんだから、なんかお返ししねーとな。ジイ。力仕事なら任せてくれ。
このホテルも古いだろ。雨漏りなんかねーか? 修理してやるぜ。なんならバスケのコート、もう一個つるくか。場所なら
有り余ってるし。オレがひと声かけるだけで、ガタイのいーのが五人、十人、すぐに集められっからよ。エンリョなしで
言えよな」
「いや、遠慮しておく」
「速攻かよっ」
「県の重要文化財に指定されてる由緒ある建物だからな。おまえみたいにガサツなのには手に負えないってこと」
「ちぇっ」
「それより、桜木も第一志望は公立だろ? バスケ部に入るのかい?」
腐る桜木に木暮が水を向けてきた。だが「たぶん、な」という返事からは日頃の勢いが見えてこない。
「桜木?」
「人数集まんのかよってくらいの弱体らしーし」
「そうか。公立はそういう心配もあるよね。でも、ま、そこは桜木の人徳で、ひと声かけて五人や十人は集められるだろ」
「木暮ぇ。いい加減な安請け合いするな。麻雀するんじゃねーんだからよ。コイツが言ってるのは、流川の高校に
勝てるくらいのレベルでありたいって意味だろ? 頭数だけ揃ってても仕方ねーんだよ」
「心配しなくても流川も公立だよ」
「けど、コイツの場合、この半年間、仙道が付きっ切りだったからな。きょう見て分かったろ。受験期間なんかモロともして
ねーじゃねーか。この調子じゃ、メンバーに恵まれなくってもひとりで突っ走るぜ」
「マジかよっ。なんでキツネだけなんだ、センドーっ。オレにもオシエロ!」
怒り心頭の桜木に詰め寄られた当人は降参とばかりに両手を上げた。
「付きっ切りってほどじゃないよ。週いち、あるかないかで」
「今年はオールジャパンのAチームに選ばれようって御仁が、月に何度も時間を割いてマンツーマンだ。そりゃ、差が
開いて当然だわな」
「くっそぉ、センドーっ、卑怯だぞっ!」
「無茶苦茶言うな。三井サンも、妙な煽り方、しないでもらえるかな」
「事実だろが。不公平だよな、桜木」
「三井サン」
たしなめられて、三井はたぶん四つ目のオニギリに取り掛かっている流川を、親指で指し示した。
「考えても見ろよ、仙道。上ばっか望んでんだぜ、コイツ。これからの三年間は厭でも高校バスケで食っていくしかねー。
手応えのある相手にめぐり合わねーと、またすぐに膿むぜ。ギム教育じゃないからな、いつでも辞められる。けどよ、
高校はバスケするだけのためにあるんじゃないだろ。だ・か・ら、我、関せずで孤高を気取るクソ生意気なガキに、ライバル、
こさえてやろーって温情じゃねーか。感謝しろ」
「そりゃ、そうですけど」
「だれがだれのライバルって?」
食うだけ食ってようやく人心地がついたのか。ちゃんと他人の会話を聞いていた様子の流川がボソリと呟いた。
黙って五つ目を食ってればいいものを。藤真が制するよりも早く、テーブル越しに桜木の腕が伸び、流川の襟首を捻り
上げた。
「てめーはこのオレさまがジキジキにぶっツブスって話だ」
「ふうん。ま、せいぜいガンバレ」
「調子に乗んなよ、このキツネっ。てめーのはちょっとひとより環境に恵まれてただけだろうがっ」
「環境ってナンダ?」
「日本語つーじねーのか。どーせ、なんも考えなしにバスケだけやってられたんだろうが。恵まれてるってそーゆー
意味だ」
「やることやりもしねーで、いい訳、してんじゃねー」
「やることだとぉっ。オレはな、てめーがバスケに塗れてたとき、親父の手伝いで走り回ってたんだっ。足の弱い、
隣のばーさんの面倒も見ねーといけねー。農繁期にゃ、向いの刈り入れも手伝ってた。てめーには想像もつかねー
だろうっ」
「ヤンキー同士がつるむ暇はあったんじゃねーか」
「おまっ!」
「ストップ」
藤真に目配せされるまでもなく仙道が止めに入った。まったく、イヤというほど意識しあっているくせに、一旦ボール
を手放すと互いの本質からかけ離れた場所を突きあってるんだから、このふたりは。
「流川も桜木も、それ以上は自分自身を貶めちゃうだけから止めとけ。桜木が大変だったのは知ってるし、ない時間を割いて
一生懸命だったのもオレは見てきた。おまえにバスケを教えられてよかった。バスケを好きになってくれて嬉しかった。
でも、流川だって整えられた環境でヌクヌクと明け暮れてきたわけじゃなくて、そんな状態に自分を追い込んで、得るものも削ぎ
落としてこのレベルまで達したんだ。確かに桜木に比べると恵まれてるね。オレなんかだったら、友達もコイビトも贅沢も、
もっともっと派手に生きたと思うよ。けど、そんなもの、流川はちっともあり難がっていない。それってスゴイことだと思わ
ないか?」
「けどよぉっ」
「ストップだ、桜木。きょうはイチオウおまえたちのお祝いだし、せっかくみんなが用意してくれた旨いもんも、
不味くなっちまう」
それは困るだろ、と仙道がニッコリ笑う。重ねて、
「楓も桜木も、コート上で競い合うならまだしも、詰まらん口喧嘩でいがみ合うなど、おまえたちがいままで得た技が
泣くぞ」
牧の天のひと声で、桜木は言葉を詰まらせ、流川は顔を背けた。シーンと静まり返ったその場の雰囲気を、気遣いの
ひと木暮が「殴り合わなくなっただけでも成長だよ」と、パスタを桜木の皿に取り分け、「そりゃ、食いモンが目の前に
あるからに決まってんだろ」と三井は笑い、花形はちょっと早いけどお口直しにと焼き菓子を取りに行ってくれた。
その後は猛獣ふたりを端と端に引き離し、酒も進んでバスケ談義に花が咲いた。語りだしたら止まらないのは学生
時代の試合の話。同い年の五人は同じ時代を生きてきた。あの試合、この試合と、細部まで思い出され、束の間、彼ら
の間に郷愁が流れる。過ぎ去った過去は変えられない。だから色あせずに美しいのだと知っている五人だった。
「結局、全員がインハイを経験してんだな。オレと藤真は二年のとき。牧は三年連続。三井と木暮は三年でか」
「改めて思えばスゴイ」
「だれも続けていないってのがミソだな。いた〜い現実だ」
「でもさ、三井のシュートフォームは信じられないくらいにキレイだったよ。それがいまでも変わらないんだから、きょう、
オレ、ちょっと泣きそうになった」
「体力がないからスリーだけな。アレだけを警戒すればよかったから、オレには楽な相手だったけどね」
「ぬかせっ。そういう藤真もよ。監督兼任だとかエラそうにベンチでふんぞり返ってたけど、一試合、もたねーから
出し惜しみしてたんじゃねーのか?」
オレはそう見てた、と三井はカラカラと笑った。受けて藤真も黙っちゃいない。
「そう言えば三井。おまえ、どうして大学一年でバスケ辞めたわけ?」
「うっ」
「なんか上級生と喧嘩したとか聞いたけど、そんなのあり得ないよな、って当時思った記憶がある」
「喧嘩したのは事実らしいよ。ほらカレッジスポーツの上下関係はキツイから。一年のうちは奴隷だろ。三年でやっとひと
並で、最上級生は王様だっけ? 入寮も強制だし。堅っ苦しいよね」
「でもさ、三井の場合、どうしてもバスケしたくて高三から再開したんじゃないか。少しくらいなら我慢するんじゃない?」
「るせーよ」
「高校の試合でも顎、上げて走ってたもんな、おまえ。もしかして、大学の練習についてかれなかった?」
「てめーには分かんねーよ!」
立ち上がった三井の腕を牧が押さえた。空いた手で拳をつくって藤真の頭をゴツンと叩くなんて、ほんとに珍しい。
「藤真、いい加減にしろ。それじゃ、楓たちと変わらんだろうが。三井も座れ」
その喩えもどうかと思うが、バツの悪そうな藤真さまのご尊顔を拝し、思わず仙道は噴出してしまった。桜木に、
仲良くしろよ、なんて一生の不覚。おまえにだけは言われたくない、だろう。
その後見る見るうちにあの量を食いつくし、
モチロン流川はおなかがくちくなった段階でオネムに突入。シャンパンのあとはワインだのビールだの焼酎だのと
ちゃんぽんが利いたのだろう。さすがの桜木もロレツは回らないわ、壁に向って話かけるわの状態だった。
いつもは犬猿に近い仲の藤真と三井は酒の成せる技かなにやら真剣に語り合っているし、その横でウワサの真偽は
未だもって定かじゃなく、黙々と杯を重ねていた花形もテーブルの上に沈没だ。
ふと気づけば牧の姿はいつの間にか消えている。汚れものを厨房に片付けだした木暮のあとを追って、仙道も
腰を上げた。とりあえずざっと洗い物を済ませてラウンジに戻れば、桜木と三井が肘だの膝だので自分のスペースを確保
しながらも寝入っている。そのふたりに、親切にもタオルケットをかけているのはアノ藤真さまだ。
「牧さんは?」
「きょうじゅうの仕事を片付けるとか言ってたからな。部屋に戻ったんじゃないか。ご苦労なことで」
「結構、呑んでたでしょうに」
「どんな量でも酔う酔わないは気の持ちようだとか言うヤツだから」
「らしいや」
そう言いながら仙道は猫のように丸まって寝こけている背中にまろやかな視線を送っている。気づいて藤真は、思わず
目を逸らせてしまった。
居心地が悪い。ざわりと肌がさんざめく。なぜかイラつく。なにも隠さない仙道に非があるのか、それにイチイチ
反応する自分の深部に呼応する部分があるからなのか、理由が分からない。
特別流川を気にしているわけじゃなかった。オーナーの従兄弟がもっと素直で可愛い中学生ならまだしも、あんな
可愛げのなさだ。食われようが押し倒されようが、頑張って身を守れがせいぜいだろうに。
だから藤真は、尖る言葉ごと、彼はもう一枚のタオルケットを放り投げた。
「こんなとこで寝てられないってほど繊細な神経してないだろう、アレも」
そうですね、と同調しながらも仙道は流川に歩み寄ると、その傍らで片膝をついた。
祈りにも似た、ただそれだけの動きに厳粛なものをつくることが出来る男だ。身に纏った軽快さなど、いつでも
かなぐり捨てられる男でもあった。もっと身をかがめて大切なことを伝える。羽根を広げるように包み込む。それは
仙道なりのプロセスに思えた。
藤真をして場の圧迫感に息が詰まりそうになる。
けれど、藤真の位置からは仙道のささやきは聞こえない。そんな小声であの寝太郎が起きるとも思えないし、場の雰囲気
を読むなんてありえない。自室に引き上げるつもりで一歩踏み出し、それでも目の端にふたりの動きが
見て取れて、耳元に唇を寄せた仙道に向けてあの流川が、
絶対に反応しないと思っていた少年が、
寝ぼけているとはいえ、何気に両腕を投げ出すものだから、
――見なかったフリをするしか藤真には手はなかった。
continue
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