Hotel Telomere in
whoop it up !




one




「藤真。来週のこの予約。確かなのか? だれが受けたんだ」



 それはまだ寒風吹きすさぶ二月の中頃。風光明媚、花鳥風月、古式泰然、泰然自若。折り重なる山々とそれに溶け込む ような湖とこの地方を護るクニミタケを拝する名刹しかない山間のホテルの一室で、オーナーの牧紳一は、プリントアウト された予約用紙を目の高さまで掲げ、パソコンの前に座る藤真健司に尋ねた。
 大きめに切り開かれた窓から差し込む陽の光を弾くはしばみ色の髪が踊り、同じように色素の薄い瞳が彼を見返す。 精巧な職人の手で丹精されたつくりものめいた気品ある容貌ながら、その鋭さは見るものを射抜く。だが、それにたじろぐ ほど彼との付き合いは短くなかった。
 牧は怪訝な様子の藤真に、予約表に記されている名前を指差した。用紙の下の方。二月の最終金曜日利用。 ”宿泊者代表名・仙道彰。他一名”を。それを認めて彼は丹唇をほころばせてふっくらと笑った。
「ああ。間違いないよ。オレが電話受けたから」
「おまえが、か。で、他ってだれだ。他って」
「流川だよ」
 彼は牧に向けていた顔をパソコンに戻して、こともなげに言い切った。
「ふたりきり、なのか」
「まぁ、そうだな。”他一名”だから。おまえ、算数大丈夫か?」
「そういう意味ではないが、まさか楓からじゃないよな」
「そんなわけないだろうが。あのニヤケた男に決まってんじゃん。まだ公立入試も済んでないのに、流川の入学祝だとか、 愛の軌跡だとか、燃えるような一夜をキープだとか、いけしゃーしゃーとぬかしてたぜ」
「ちょっと待て、藤真。あのふたりは、そういう仲なのか?」
「わざわざ確認するか? おまえいま、記念に残る一夜ってのは、仙道流のジョークだと楽観したろ」
「アイツはそういう言い回しが得意だからな」
 明後日の方向へ視線を飛ばした男に藤真は、牧、とハラに響くようなドスの利いた声を出した。
「おまえだって、アイツらがここにいたときから、薄々感じてたんじゃないのか? どうなんだ?」
「……楓が、よく、懐いているな、とは――思っていた」
「それだけかよ。ウソつけ、この卑怯もん」
「アイツは十五になったばかりだぞ」
「だからだよ。もっと分別がついたら――って、いったい幾つになったらアノ流川に分別がつくんか知らないけど、いまの アイツじゃ余りにも無防備だろ。だからヤキモキしてんの」
 なんで他人のオレが、と憤る藤真を避けて牧の視線は予定表と宙を何度も往復した。
「で、受けたんだよな、おまえが」
「ああ。仙道のヤツ、どのツラ下げて、流川と連れ立って来るのか見てやろうと思ってさ。難癖つけて断ることも出来たよ。 けど、それで他所のホテルへ行かれた日にゃ、なんの対策も立てられないじゃん」
 それにあの無愛想な世間知らずにもう一回ガツンと言ってやらなきゃなんないし、と、藤真は振り返ってひとの悪い笑み を浮かべる。
 穿った見方をすれば仙道は、自分のフィールドを敢えてこのホテルで展開しようとしている。もっと平たく 言えば、保護者みたいな立場の自分たちの目の前でふたりの仲を見せ付ける、だ。これには藤真じゃなくても眉間にしわ ものだろう。当の彼の顔には、上等だ、受けて立ってやろうじゃん、と大書されていた。だがそこまで達観――もしくは 正義感――に到達し切っていない牧は現実から遠い場所で足掻いていた。
「……ツイン……しかないな、ウチのホテルは」
「ない。シングルなんかないからな。けどどのみち春休み前だから、よくて稼働率50%のガラすきだ。ふたりでふた部屋 使ったってまだ余る」
「そういう手で抵抗するか?」
「ああ。最良のお持て成しを約束します。ご利用を心からお待ち申し上げております、まで言ってやった」
「その空気を読めない仙道でもないだろうに」
「ふん。邪魔が入るのを分かっててこのオレを出し抜いてほくそ笑む算段だろ。障害がある方が燃えるとか、なんとか 言いそうじゃないか。あざといヤロウだ。この天才パテシェが支え続けた『テロメア』を、そこいらのシティーホテル 代わりにされてたまるかっ」
 藤真は、返り討ちにしてくれる、と拳を掲げたまま、勢いよく支配人室を出て行った。その、よく分からない怒りの 発露に苦笑しながら、牧はまだ次週の予定表に目を落としたままだった。なんとなくだが仙道の気持が分かる。そして このホテルを選んだ理由も。そういう部分が藤真をして仙道に甘いと眉を寄せられる所以だが、基本的にあの男は ロマンティストだ。
 そしてその根底には、大きな流れにけして抗わない刹那的なものも流れている。
 予定表をコルクボードにピン押しして、珍しく牧は声を出して笑った。



 ほんとに来るのかよ。キャンセルの連絡は入ってない。ああ、でも久し振りだよね、嬉しいよ、と『テロメア』の メンバー一同の想いが迷走する中、始終ニコヤカな笑みを絶やさない青年と、なにがあっても仏頂面を崩さない少年とが、 『テロメア』のロビーの前に揃って並んだのは、公立高校入学試験の翌々日のことだった。
「お久し振りですっ。皆さんお元気そうで、なによりだ」
「ちわ」
「ご厄介になるわね、紳ちゃん」
「お、叔母さん?」
 電車とバスを乗り継いで来るかと思いきや、なんと流川の母が運転する車でのご登場だ。
 その一見微笑ましい情景にはさすがの牧も慌てた。これは所謂アレだろう。友だちと旅行に行くと親を騙して実はコイビトと ――という定番のパターンだ。同性相手だからいいのか。ふつうどこか後ろめたさがあって当然だろう。なのに 流川の親にそこまでさせて平気か、このふたり。いや、仙道、おまえだっ。
 指差してやりたくなったが、その理由をどう説明すればいいか分からない。叔母さんはなんの手助けをしたか分かって ますか、と口をパクパクさせる牧に、流川母は、過保護を指摘されたと勘違いしたのか、手を振ってキャラキャラ笑って いるだけだ。
「違うのよ、紳ちゃん。仙道くんがみっちりしごいてくれたから楓も無事志望校を受験できたしね。頑張ったから、 仙道くんがお祝いに旅行に連れて行ってもいいですかって、わざわざ挨拶に来てくださったのよ。お礼をしなきゃならない のはウチの方でしょ。それに、楓も仙道くんも紳ちゃんところがいいって言うから。こんないい先生に出会えたのも 紳ちゃんのお陰だし。あたしも紳ちゃんにお礼を言いたかったし。車、出すくらいはね。その代わり帰りは自分たちで 帰って来なさいって言ったの」
 ほんとうにありがとう、とご機嫌な流川母の穏やかな眼差しにも、はぁそうですか、としか返せない。友人関係を必要 不必要の枠だけで括ってしまいそうだった流川のこと。両親の心配も相当だったと容易に知れる。だから、純粋に仙道の 存在を受け止めて喜んでいる叔母に対して、牧たちが抱いている危惧は仄めかすだけでも残酷なのだ。
 だからなおのこと、牧は仙道が憎らしくなった。藤真などはものすごい形相で睨んでいる。外堀は事態を甘くみた身内の 手によって埋められたも当然だ。あとは本丸本人に自覚を持って死守してもらいたいものだが、素っ気ないくせに開けっ ぴろげで、おまけに危機管理がなってないときている。
 事情を深〜く知ってしまえば、相当頭の痛い展開だ。
 必死になって流川を護ろうとしていた藤真に対して、一歩引いて俯瞰してきた牧だった――無論十五だろうが男同士 だろうが恋愛は自由だし――が、こうも仙道に都合よく運ぶと、藤真に手を貸してやるたくなるのが人情というものだ。 あまりにソツがないと、敵を増やす一方だぞと、幸せそうに呆けた男に言ってやりたい。
「なにもないところだけど、料理だけは絶品だから」
「そうなのよ。前に寄せてもらったときに頂いたデセールに感激しちゃって。焼き立てパンも美味しかったのよね。 テイクアウト、出来るかしら?」
「朝、焼いた分ならまだ少し余ってるよ」
 客室案内はおまえがしろ、とばかりに牧は、流川の母を促してダイニングに消えていった。残された藤真こそいい迷惑だ。 厭な役を押しつけやがってと思わないでもないが、どこか仙道に甘い牧には不向きな断罪だったりする。彼は観念して カウンター越しにふたりと向き合った。
「入試、どうだった?」
「まあまあ」
「競争率1.1ってとこですからね。ま、大丈夫でしょ」
「発表はまだなんだろ?」
「三月のあたまです」
 おまえに聞いてないと睨みを入れても仙道はどこ吹く風だ。おまけに、「答案の答え合わせしようにも、ハニーってば なに書いたか覚えてないって言うんすよ」と、相当ハイテンションだった。
 だが、ちょっと待て!
「流川、おまえ。こいつにハニーなんて呼ばせてんのかよっ」
 気色ばんで詰め寄れば、流川の答えも相当だった。
「楓、楓って連呼されるよりマシ」
「よりによって、ハニーだぞっ」
「んなのオレの名前じゃねーもん」
 返事しなきゃいいと、きた。思わず頭を抱え込んだ藤真が指の隙間から伺えば、そう言い切られた仙道はちっとも落胆して いない。きっとその、こっ恥かしい科白を言い倒して、慣れるか不意をつかれた流川から言葉が返るのを待っているに違いない。 確信犯だ。なのに、「いくらオレだってだれかれ構わずに、んなこと言いませんよ。ここだけですって」 と続けるから、藤真は思い切りフルスイングした名簿でそのトリ頭をはたいた。
「あたたっ。相変わらず凶暴だなぁ。ハニー、藤真さんがいぢめるぅ」
「うるさい。恥かしいんだよっ」
 オレはれっきとした他人じゃないのか。その配慮に含まれないのかよ。 少しばかり聡かっただけで好き好んで気づいたわけじゃない。ノロケたくても簡単にノロケられないからって、 オレ相手にウサを晴らすんじゃない。
 さらに藤真はにゅっと腕を伸ばして、男の襟首をねじり上げた。
「当ホテルと致しましては、お客さまの節度ある行動を切に願います」
「モチロンです、藤真さん。節度。いい言葉だ。でも、最良のお持て成しを約束してくれるんでしょ。最良の思い出も 含まれることをお忘れなく」
「ふん」
 出会い頭の”ハニー”カウンターをモロに喰らった衝撃から凶暴に走った藤真は、至って優雅な仕草で仙道の手の上に ルームキーをふたつ、置いた。カウンターへのお返しは、正攻法でストレートだ。
「なんすか、これ?」
「流川は201。おまえは305。喜べ。きょうはおまえたちの貸切だ」
「えー、別々の部屋ってかえって不自然じゃないですか。しかも二階と三階の一番端っこ同士じゃん」
「なにが不自然だ。ド厚かましい。イタイケな中坊をタラシの魔の手から守るんが保護者の役目。不純同性交友反対。 しかも青少年保護条例違反を見逃すわけにはいかない」
 仙道の眉が情けなそうに歪められた。ポイントはイーブン。ふんぞり返って大笑してやりたい場面だ。
「ちぇっ。ふたりっきりでどこか旅行へ行こうって誘っても邪魔くさがってさ。あの手この手で説得して、この時期の 『テロメア』なら暇だから牧さんが相手してくれんじゃないって。やっとオッケもらったのに」
「だれもおまえの苦労話なんか聞きたくないっつうの。だったらなおさらだな。せっかくだ、いとこ同士の親睦を 深めとけ。流川は牧の支配人室にしよう。201。返せ」
「そりゃないすよ、藤真さん。オレたちコイビト同士なのに、引き離すかこのトーヘンボクっ」
「聞いたか流川。おまえ、仙道とコイビト同士になってるぞ」
 男ふたりが角を突き合わせているのに、当の流川はカウンターに肘をついて、その上のメモに悪戯書きをしている。 コイツの反応はこんなもんだろ。もう肩を落としたりはしない。仙道は覗き込むように重ねた。
「事実だよな、流川」
「んなんじゃねー」
「だよなー。んな世間に顔向け出来ないよーな関係してないよな〜」
「ない」
「ヒドイっ。でも、だったら大丈夫じゃん」
「えっ?」
「コイビト同士じゃないなら同室でも大丈夫だろ、流川?」
「あ?」
「おま、っ!」
「藤真さんにきっちり言ってやりな。心配する必要なんかないって」
「ねーです」
「バカかおまえはっ。きっちり仙道の術中にハマってんじゃないっ!」
 食われるんだぞっ。って言っても頭からバリバリって意味じゃないぞっ。親が泣くぞ。分かってんのかっ、 と、藤真の罵声が響く中、三階のルームキーだけを握り締めた仙道は、流川の背中を押すように階段を駆けあがって 行った。



「第一段階は軽くクリアされたか」
 牧はいつになく閑散とした館内に溜息をつきながら、厨房に入ってきた。
 オフシーズンであろうとウイークデーであろうと、近隣で有名になったコース料理を楽しむためだけに利用する熟年 カップルなどの宿泊客も増え、メンバーたちの熱意と作業効率の迅速さで乗り切ってきた『テロメア』だ。しかも金曜日。 牧にすればあり得ない状況だが、たまにはそれもいいだろうと、そう声をかけた男の作為を黙認した結果でもある。
 厨房で働く三井たちは、ほとんど宴会料理のような大雑把なものを、それでもいつもの繊細さを随所に散りばめて 楽しそうに下準備をしている。発端者である藤真はきょうだけは焼き菓子のみの作業で、少しつまらなそうだ。
 その藤真が目線を上げて牧に諭した。
「ここの作業もじきに終わるぞ。二時になったら桜木も来る。おまえも用意しとけ」
「アイツら相手にここまでする必要があるのか? しかも開店休業状態にしてよ。おまえの考えてること、ホント 分かんねーよ」
 なんでこのオレさまがトリのから揚げなんかつくらなきゃなんねーと、三井は大皿にラップをかけて冷蔵庫に しまっている。賄いでもつくらないよね、トリカラ、と後片付けをし出したのは木暮だった。
「たまには身内だけでどんちゃんもいいだろう」
「桜木も呼んでか?」
「それでも頭数が足りない」
 と藤真は両手の指を大きく広げそれぞれの親指を折った。
「あぁ、そうか。全員で八人だな。でも、町営の体育館借り切ってみんなでバスケしようって言うんだから、親切だよね、 藤真って」
「あんなの、安いもんだ」
「町民割引も利くってか? それを町役場に申請してる藤真サマの図、てのには笑えるな。ご執心だねぇ」
 カラカラ笑う三井に、藤真はアンベラ片手に口の端を上げた。
「そういやぁ、おまえ。アレから毎日、湖の周りをランニングしてるらしいじゃないか。朝日をバックに背負ってさ。 いつも就業ギリギリまで寝こけて、厨房に飛び込んで来てたやつが、どういう風の吹き回し? なに? だれかに触発 されたわけ? 失った青春、取り戻したいの?」
「あはは。流川たちが帰ってから、藤真や牧が休憩時間によくバスケしてたじゃない。 ウズウズしてたと思うよ。先に 基礎体力を上げるんだとか言って。だったらひとりで走ればいいのに、この頃オレを道連れにしようとするんだ」
「るせーぞ、木暮っ!」
「なんだ。結局、みんな、躰を動かしていたのか」
 三井の罵声に牧は穏やかに目を細めた。やはりボールを見ると躰が反応する。そんな十代を送ってきた。いままで コートを目の前にして、なぜ気軽に飛び出さなかったのだろう。ただ切欠を失っていただけ。ただその一歩を踏み出さな かっただけ。ほんとうに、なにが契機となるか分からない。だからこれは彼らなりの歓待なのだ。
「楓も喜ぶだろう」
 そう続けると、藤真は心底理不尽な言葉を聞いたとでも言いたそうな顔をした。
 そして顎を上げる。
「はっきり言っとくけどな。オレは流川を気に入ってるわけじゃないんだ。もっとはっきり言わせてもらえば、常識の ないヤツは大嫌いなんだよっ」
 バスケで大暴れしてクタクタにして、そのあと朝までの大宴会は対仙道ハラスメントの第二弾、第三弾だ。親切 なんかじゃない。ザマーミロ、と、中指をおっ立てている藤真に牧はふっくらと笑って踵を返した。






continue





またまた、おなじみのお話をお届けします。ホテルテロメアお初ネタ(のはず)。そう。ふたりはまだデキちゃってない んですよぉ。最後まで。仙ちゃん、我慢してたんですね〜。イチオウ中坊だから。