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〜楓ちゃん、 仙道と出会う





 ランドセルなんかもうダサいと、夏休みの終わりに、ごねて買ってもらったナ○キのエナメルスポーツバッグ。
 母さんに言っても無理そうだし、お手伝いだの早起きだの宿題だのって、あとからくっ付いてくるもんが多いから、 目標を変えた。父さん方のばあちゃんはオレに甘くて、遊びに行ったついでに、ちょっとおねだりしたら楽勝だった。
 中学生が持ってるようなヤツ。かっこいいし、荷物もいっぱい入るし、ほんとうに欲しかったから、ありがとうって 言ったらばあちゃんの方が嬉しそうだった。
 母さんは、これ以上ワガママになったら大変ですからと、釘を刺していたけれど、この子が自分から欲しがるなんて ほとんどないでしょ、なんて言われて撃退されていた。
 ついでにシューズケースも買ってもらった。
 イラストのほとんどない本もムリヤリ持たされた。それも六冊。なんとか国物語。かなり面倒。宿題は一冊でいいのに。 でもちょっとは本も読みなさいと、スポーツバッグを買ってもらった手前、仕方ないか。
 夏休み、ほとんど毎日バスケの練習があった。本なんか読んでる暇はなかった。
 一学期からだと、背もちょっと伸びたと思う。
 強めのパスも受けられるようになった。
 三年生の中ではオレが一番足が速い。五年くらいまでなら負けてないと思う。
 バスケの練習ばかりで、夏休みの宿題は当然ギリギリで、自由研究の貯金箱は、ほとんど父さん作だったけど。
 遊びに行ったのなんて、ばあちゃんちと父さんにムリヤリ連れてかれたプールくらいなもんで。
 どこにも行きたいなんて思わなかったから。
 いまからこれじゃ、先が思い遣られるって、母さんは困ってた。バスケばっかだって。
 けど、オレ的にはすごい満足な夏。
 そして。
 なんかいいことがありそうな秋。



 小中高に関わらず、二学期の学校生活というのは行事も目白押しで気ぜわしい。九月の末には運動会。遠足をはさんで 十一月の学習発表会と、正規の授業が削られてその練習に当てられる。だが、子どもにとっても教師にとっても、負担ながらも 浮き足立つ楽しみの連続だった。
 神奈川県藤沢市のとある公立小学校。三年一組のクラスメートたちも寄ると触るとイベントの話題が持ちきりで、テンション も高い。運動会も目の前だ。外で遊ばなくなったと嘆かれる小学生だって、単調な徒競走の練習にもそれ相当に身を入るし、 集団演技の衣装つくりも、クラス一致団結の構えだ。
 月曜の朝。
 夏休みが明けて半月もたつと、さすがに入道雲はお目にかかれないが、朝から見事に晴れ渡り日差しに焼き尽くされそう な一日の始まりだった。
 児童が登校するにはまだ早い午前七時半。シンと静まり返った小学校の廊下を、ナ○キのロゴ入りの大きなエナメルバッグを 肩からかついで、自身も左右に揺れながら、器用にもトテトテと走る小柄な少年の姿があった。
 そのあまりの安定感のなさに、当初母から嫌味を言われたものだ。
――なにがランドセルはダサいよ。三年生の分際で、エラそうに。身の丈を考えなさいよ。大きすぎてバックに背負われ てるじゃない。
――教科書なんか、カバンの中で泳いでるんじゃないの?
――あのクラ○ーノだってね、高かったのよ。せっかくおじいちゃんが買ってくれたランドセルだったのに。まだ二年 ちょっとじゃない。もったいないとは思いなさい。
 そんな小言は耳に入らなかった。だって教科書の他に、シューズも水筒も練習着も全部入るんだから。ランドセルに サブのカバンを提げて登校するより、両手も空くからずっと安全で合理的だと思う。その辺りを母はちっとも理解しようと しない。
 少年はガラリと教室のドアを開けると、自分の机の上にバッグを置き、必要なものだけ取り出して、また駆け出した。 彼の手にあるのは、同じメーカーのシューズケースとタオルだけだ。
 『廊下は走らない』と書かれた張り紙なんか目もくれず、職員室前もなんのその。一直線に体育館を目指す。今度は 身も軽いしなんの障害物もないから、全力疾走できる。アップには足りないくらいだけど、さっさと躰を解して 一本でも多くシュートを打ちたい。
 そんな意気込みが手に取るような背中だ。
 少年が籍を置く、小学校が母体のミニバスクラブの朝練の開始は七時四十五分から。早起きが苦手な子が多いから、 なかなか時間どおりには始まらなかったりする。始まっても全員は揃わない。顧問の教師は熱血体育会系思考の持ち主だから、 スタメンでも遅刻が多いものは試合には使わないと怒鳴るけれど、あまり厳しくすると今度は部員が減ってしまうと いうジレンマが待っている。だから部員の出入りも激しい。
 言葉使いひとつ気を配らないと保護者の目も煩い。頭の痛い現状らしいけど、少年にとっては遠い場所での出来事だ。 一回でも多くボールに触れてシュートできるなら、練習開始時間が遅れる方がありがたかったりする。もっと早く家を出ようと 思えば出ることだってできた。けれど、あまり早くても学校が開いていない場合が多いからこそのこの時間だ。
 入部が認められたばかりの三年生だから、基礎練はまだしもフォーメーションを使っての試合形式となると コート脇でボール拾いしかお呼びじゃない。声を出せって言われるから仕方なく出してるけど、退屈で死にそうだ。 だから練習前のわずかなこの時間が少年にとってとても貴重だった。
 特に、先週末の練習のときに顧問の先生から注意を受けたシュートするときの肘の角度。かなり上がった気がするから 早く試したい。重いあのボールの軌道も確かに違った。自宅近くのリングのある公園で、何度も練習したんだから。
 運動会も生活発表会も遠足もなにもいらない。ボールだけでいい。
 たったひとつの。
 キリっと唇を引き絞って少年は体育館の重い扉を開けた。



 そこには珍しく先客がいた。



 カシャンという馴染みのある音が扉を開けたとたん、少年の耳に飛び込んできた。体育館両サイドの小窓はすでに開け放たれ、 いつも感じる入ったときのサウナ風呂のような熱気は少しマシだ。探すまでもなく、扉から真正面のバスケットリング。それは、 そこに正対している人物がシュートを決めた音だった。
 顧問の近藤先生ではない。あんなに背が高くない。それにもっと太ってる。だれだろ、と目線を絞ると、その人物は もう一度同じ位置からフリースローを決めた。本格的にバスケを始めて四カ月の少年の目から見ても、無駄のない力 強さを感じた。こういうのをキレイなフォームって呼ぶんだろう。
 体育館の床がギシリと鳴いて、自分が足を踏み入れたのだと知る。そんな小さな物音、体育館の一番奥にいたのでは 聞こえるはずもないのに、リングをくぐったボールが足元をテンテンと転がるのも気にせずにその青年は振り返った。
 「やぁ、お早う」
 少年を認めた青年が軽快に声をかける。こんなに離れていてもニッコリと微笑まれたのが分かった。
「っす」とばかりに少し頭を下げ、こんな先生、いたっけ、と首をかしげた。 少子化が止まらない昨今。学級数が減少してる小学校。それでもかなりの教職員が在席していた。尤も少年が覚えている のは、過去と現在の担任と、バスケ部顧問の近藤先生くらいなものなのだけれど。
「チームの子? 早いね。まだみんな集まってないみたいだから、ちょっと使わせてもらったよ」
 声からも雰囲気からも若いと知れるし、彼の人懐っこい笑顔が初対面の 少年の警戒心を解そうとしているのも分かる。けれどどう受け答えしていいか分からずに少年は一気に固まってしまった。
 黙ったまま入り口近くで身じろぎひとつしない少年に、青年は手に戻したボールでゆったりとドリブルをつきながら近寄って きた。近づけば近づくほど長身だと分かる。見上げて視線を合わせるには、130センチに満たない少年では首の筋が痛くなる ほどの角度をつけなければならない。
 少年は素直に羨ましいと思った。
 なのに、青年は、
「えっと、何年生? 男の子だよね?」
 なんて、関係のないことまで聞いてくる。その手の質問にムっとした様子の少年は、唇を尖らせたままで三本の指を たてた。”男の子だよね”の部分は答える気はないらしい。ちょっと怒らせてしまったようだけど、 青年がそう聞いてしまったのも無理はなかった。サラサラの黒髪の下からのぞくキツイ視線が、どうしても硬質な印象を 与えるものの、お人形さんのようだと形容してもおかしくないほどの整った顔立ちをしていたのだから。この年にして、 女の子なら将来が楽しみであり、男の子ならちょっと、末恐ろしいんじゃないだろうか。
「三年生か。俺は仙道ってんだけど、君の名前は?」
「先生なのか?」
 質問に質問の形で答えてくる。仙道と名乗った青年は身を屈めて、少年を見上げる形でついと手を伸ばした。 驚いた少年は身を引く。けれど仙道の動きの方がもっと早くて、大きな手が漆黒の髪をかき混ぜた。
 仙道からすれば、間近で見るとほんとうに喋って動いてるよ、な高レベルの美貌だ。
「質問にはキチンと答えよう。俺は仙道彰だ。君の名前は? でなきゃ、話、できない」
 だろ、と仙道は正論と礼儀を口にした。少年は違った意味で真正面から睨みつける。青年はニッコリと 笑いながらも引き下がろうとはしない。この距離で見詰め合うことしばし。折れたワケじゃなく、ただこの位置関係と 仙道の気遣いが気に入らなくて少年はポツリと呟いた。
「イチイチしゃがむな」
「えっ?」
「合わせんなよ。なんかそれ、すっげー、ムカツク」
「ムカツクって言い方、こっちこそキライだよ。あのさ、オレが立っちゃうと話辛いだろ。それにちゃんと目を合わせて 話さないとね」
「オレがチビだと思ってバカにしてる」
「してないって」
「じゃ、ふつーにしろ」
 表情は変わらなくても言葉尻は荒かった。あ、そっか、と仙道は瞬時に理解した。どうやらこの少年のプライドの根幹 に触れてしまったようだ。これだけ身長差があると身を屈めないことには、どうしても上からものを言う格好になってしまう。 物理的にも精神的にもだ。それは幼児教育を学んだ身からすればご法度なはずで、でもそのスタンスも少年にとっては、 気遣いの名を借りた押しつけと高みからの見下しに違いない。
「分かった」
 仙道はすんなりと上体を戻した。見上げる。見下ろす。それがいまの現実なんだから、それでいいと少年は言っている。 なんか潔い不思議な子だなと仙道は思った。相手が大人だろうが立場が違おうが、ハンディなんか死んでももらいたく ないのだろう。
 この年にして。
「分かった。対等だな。だったら、首が痛いとか、大人のくせにとか、泣き、入れるなよ」
「ねーよ」
「よし、じゃ、名前は?」
「流川」
 今度は、それでも渋々といった体で少年は答えた。
「流川か。キレイな名前だね。俺はね、先生じゃないんだ。先生の卵。教生って知ってる?」
「キョウセイ?」
「うん。いつか小学校の先生になりたいなって思ってる、大学生なんだ。俺もここの卒業生でさ。先生のお仕事がどんなものか、 勉強させてもらってるわけ」
「ふうん」
 そんなこと流川にすればどうでもよかった。聞きたかったことはたったひとつだ。
「あんた、バスケ部?」
「うん。ま、ね。してる。現役を引退したら、小学生にバスケ教えるのが俺の夢なんだ」
 それもどうでもよかった。
「も、一回、見てぇ。さっきの」
「フリースロー?」
「うん」
「そりゃ、構わないけど。流川は練習するために早く来たんだろ。基礎、見てやろうか?」
「キソなんかいい。それより、シュート」
 生意気だなぁ、と仙道は流川から少し離れると、脇に抱えていたボールを胸元に引き寄せ、イキナリ、チェストパスの構えを取った。 受け手を取る間もないくらいの速いパスが目前に迫る。咄嗟に広げた両手ではつかむことの出来ないスピードだった。 パチンと高い音をたててボールが転がる。反射的にそれを拾って顔を上げると、そこには、どうだと言わんばかりの 大人気ない笑顔があった。
 先ほど、対等であることを拘った以上、ここで詰るわけにもいかない。
「基礎だよ、流川。総てはパスとドリブルから始まる。それくらい取ってもらわなきゃ、お話になんない」
 なんだ、コイツというのが正直な感想だった。こんな速いパス。取るどころか投げるチームメイトなんかひとりもいない。 不可能なスピードボールを練習する必要がどこにあるんだ。チガウ。練習しろと言ってるんじゃない。大事だろ、基礎、と また大人の押しつけだ。だから流川は仙道に背を向け、軽く ドリブルをしながら自分のゴール確保することにした。
 たまにいるんだ。子ども相手に自分の技術の高さをひけらかすヤツ。基礎基礎と持論を振りかざすヤツ。一学期の間は パスとドリブルだけの連続で、単調すぎてつまらないから辞めていった同級生がたくさんいた。そんなことに根を上げる 流川じゃなかったが、やっとお許しが出たシュート練習を、コイツに取り上げる権利はないはずだ。
 なのに。
 気がつけば躰の真横でついていたボールがいつの間にか取り上げられていた。バウンドする隙間を縫って、正確に 言えば、130センチに満たない流川の身長と手の長さ。腰を最大限に落とすまでもなく、床との距離は短いはずなのに、 この長身の仙道がなんの苦もなく後ろからそれを奪っていったのだ。
 背後を振り返って睨みつければ、また、あのニコニコ仮面が底意地の悪い笑顔を貼り付けていた。
「気持は分かるけどさ、ほら、バスケってパスしてドリブルしてなんぼの競技だから。鬼ごっこしようよ。オレから ボールを奪ってごらんなさ〜い」
 仙道が空いたほうの人差し指をクイクイと曲げて誘いかける。バカじゃねーのと、口をついた。
 パス鬼ごっこだの 逆ドッジボールだの、遊びを取り入れた練習なら子どもが飽きないとコイツも思ってる。どう変えても基礎は基礎だ。 モチロン流川だってそれを疎かにしたことなんかない。しっかりした土壌なしで上手くなれるはずがないのも知っている。 ただ、そんなものウチに帰ったってできるという認識。公園のストバスコートじゃなく、いま、体育館でしか できない練習をと強く願っているだけなのに。
 プイと背を向けると流川は体育館の隅にあるボールゲージから新しいボールをつかんだ。そのまま近くのリングへ 向けて軌道を描く。高さと距離が足りずに手前で落ちたそれをダッシュで取りに行った。そんな流川の背に仙道の苦り きった声。
「おい、流川っ。おまえ。可愛くねーぞっ。対等を強調したのはどっちだよ」
 可愛くってたまるか。負けたくないって思いだって、いまはパス鬼ごっこの勝敗じゃない。そんなものはどうでもいい。 話の分かるヤツだと思ったのに。ちょっとでもそう感じた自分を呪いつつ、ぶつくさ言ってる仙道を無視した流川は、 メンバーがそろうまでずっとその位置からボールを放り続けた。







continue




日本の夏、シ○タの夏とさるお方が仰ったので(ここで花火がドドーン)、 夏休みは終わったけど、いまのうちに書いちゃおうということで、とーとーやっちゃいました。小学三年生、楓ちゃん。 可愛い流川スキーも、ここまでやってきました(~_~メ)



写真素材  夏色観覧車さま