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「体力有り余ってるイキのいい中坊がご一緒だ。根性入れて、キリキリ走れよっ、おめーら!」



 お客さんに敬意を払ってやろうという主将の言葉どおり、流川と清田は横幅も背丈スピードもパワーも、 ひと回り以上違う大学生相手に三番を任され、ゲームに参加させてもらった。
 もともとが一、二年生中心の練習という色合いが強い。神は率先してホイッスルを首からかけているし、他のAチーム のメンバーたちも気が向けば身体ならし、主将に至っては監視兼警らの構えだ。仙道は、と周囲を見やれば、本気で ただの道案内に徹するつもりなのか、体育館の壁に背を預け、その横に座り込んだ主将と談笑中だった。
 サボる気かと、と睨みを入れても男は軽快に片手を振るだけ。けれどあの男が加わらないからといって、対戦相手 に文句を言える立場ではない。煩わしさと億劫さが勝って中学の体育館が遠くなってからこっち、何日もロードワークと ひとり練習だけの日々だったのだ。
 だからこそ。
――引きずり出してやる。
 きっぱりと気持を切り替えて流川はゲームに集中していった。
「っしゃぁ、行くぞっ」
 ティップオフから弾かれたボールが味方に渡ると、流川は一気にペイントまで駆け上がった。その真横には清田が ピタリとスッポンディフェンスだ。振り切ろうにもスピードだけではこの男は簡単に抜かせてくれない。いま、清田と コート上で向き合ってようやく思い出した。
「てめーの、目ぇ醒まさせてやるよっ」
 そう。ディフェンスに徹したときの清田はこんなしぶとさを見せる男だった。
 使えるとしたら十センチ近いミスマッチ。片手を上げて跳ぶ仕草はフェイク。その動きにつられた清田を置き去りに 脇を抜いて四十五度の位置へ。流川の一番得意な角度だ。そこに測ったような絶妙なパス。戻る清田を尻目にクイック なしのジャンプシュート。体勢が整わなくても空中で矯正できる。左右から伸ばされるディフェンスをかわしたそれは、 必要最小限の音だけをたててリングをくぐった。
「くそっ!」
 味方からも敵からも感嘆の溜息がもれる。パスをくれたガードの大学生が伸ばした手をパシンと叩いて、流川は ディフェンスに戻った。
「やるな」
「まだまだ、あんなもんじゃないすよ」
 胡坐をかいた主将の声に仙道は当然とばかりに応えた。初っ端からトップギアなのは相変わらずだけど、余裕があるとき の流川のプレイはまだ笑って見ていられる。瞠目すべきは追い詰められてからの予想もつかない躰の切り替えしだ。 あのとき――あのコートで、あの少年は仙道をして振り切り、手の届かないところへ跳びたっていったのだ。
 数段格上の相手だからこそ流川の真価は発揮される。見ものですよ、とつけ加えれば、
「なんだ、おまえ。あの坊主の広報担当か?」
 主将は顎を上げてカラカラと笑っている。
 それはあながち外れていないかもしれない。仙道は曖昧に笑い、まだ見ぬ未知なる驚愕を先に知ってしまっているもの にすれば、いま目の辺りに出来る彼らが少し羨ましいとも思った。
「けど、あれだな。男にしとくにゃもったいないくらいの美人だとは思ってたけど、コートの中に入ると壮絶さが増し やがる」
 流川がするどいクイックネスで相手ディフェンスをかわし、味方SGに教本どおりのパスがとおったにしては、 少し心配な方向へと主将は感心している。咄嗟に出た言葉は牽制でしかなかった。
「可愛げねーっすよ」
「そっか? 体育会系のムサい男どもの中に入れとくには、目の毒なんじゃねーか」
「無愛想だし」
「中学生だろ。躰が出来上がってねー時期ってのは性別越えてんだよな」
「おまけに横暴で」
「にしてもスピードあるな。当たり負けをテクニックでかわしてきたな、いままで」
「しかもエラそうだし」
「ジャンプシュートひとつ、あの小僧が積み重ねてきたもんが周囲を圧倒させる」
「気まま、気まぐれ、気の向くまま。リングしか見えてねーんだ、アイツ」
「……」
 主将はポンポンと軽快に返される言葉に眉根を寄せた。
「仙道、おまえ、いまなんか異常なくらいの予防線張ってねーか?」
「そう聞こえます?」
「アヤシイやつだな」
「とっておきの宝モノは見せびらかせたいようで、だれの目にも触れさせないで仕舞い込んじゃいたいようで、すげぇ複雑」
「穏やかじゃねーな。で、あの小僧、海南に行かねーでどこに進学するって」
「湘北っつってたかな」
「……湘北」
 ショウホク、ショウホクと何度か呟いてから、主将はなにかに思い至ったように顔を上げた。
「なんつったかな、二メートル近いセンターがいる公立高校だ。ヤツぁなかなかの逸材だって聞いたことがある」
「そうなんですか? 聞いたことない学校だったけど、センターの動向に関してはやっぱ詳しいすね」
「当然だ。けど、目のつけどころがいいじゃねーか。センターの重要性を知ってやがる。オレがあの小僧みたいな タイプだったら、同じようにつえー五番のいるチームを探すだろうな」
「なるほどね。けど偶然だと思いますよ」
 なんつーかめちゃくちゃ家から近いらしいから、その高校と、仙道が説明を加えたとき、高いホイッスルの音が 鳴り響いた。くっ喋っている間に第一ピリオドが終了したらしい。
 得点板を見れば流川のチームが四点の差をつけてリードしている。流川自身二本のミドルを決めてわずかにご満悦だ。 一本目はともかく二本目以降は大学生たちもお客さん扱いしていなかった。本気で阻止しに行っての得点だから価値がある というものだ。
 流川の資質を認識したチームキャプテンの二年生が簡単なフォーメーションチェックを確認している。あの同級生の 性格からして、複雑なのは望めないけれど、面白がって、ひとつ、派手なのをブチまけるつもりだろう。
 それも楽しいけど、また気がかりな方面へ興味を持っていかれるものがふえるじゃないか。いままで以上に眉が 下がったと感じたそのとき、肩にかけたタオルで汗をふき取りながら、神妙な顔をして頷いた流川が、 急に仙道と、声に出さずに視線だけで彼を呼んだ。
 確かに聞こえた。
 雑多な物音に溢れかえった体育館で。
 大学生に混じって練習できて、それはそれは満足だけど、いまこの場にいるものの中で、おまえが一番狡猾で辛らつで あざとくって執拗で抜かりなくって手ごわいから。それだけは確かだから。知ってるから。
 どんなにたくさんの選手の中に埋もれてしまっても、おまえとやりたいから。
 そんな目をして平気で煽る。
――たまんねーよな。
 自分の気が向いたときにだけこちらが驚くような反応を返すだけの素っ気ない少年が、そんな手管だけレベルアップして。 けれど思い切り優越感に浸った仙道は、もたれていた体育館の壁から背中を起こした。
「ちょっと行ってきます。ワガママな姫が呼んでるもんで」
 宥めようがスカそうが脅しをかけようが、なかなか動かない男の腰の軽さに、びっくり眼の主将の顔なんか気にも ならなかった。



 スタスタと円陣を組んでいるメンバーたちに近づいた仙道は、当然のように清田のチームのガードと交代した。 チームメイトたちは歓喜に沸き、審判役だった神なんか口からホイッスルを取り落としている。ヤツと比べてみると幾分 素直な中坊、清田信長くんは諸手を上げて快哉を上げていた。
「おまえが、入るの?」
「楽しそうなことに首、突っ込まなくちゃ、名が廃るってなもんだろ」
「仙道さんにパス、もらえるんすかっ?」
「好きなだけ走って流川を振り切れ。パス、とおしてやるから」
「うすっ」
 そんな会話をこれ見よがしに展開しても、腰の重い男の原動力と言えば、チラっと漆黒の瞳を寄こしただけで、 にわかチームメイトたちの指示に大人しく頷いている。ギンギンに睨みつけてこようものなら、大人げなくも 意地悪く笑ってやろうと思ったのに、素っ気ないにもほどがあるし面白くない。
 煽るだけ煽ったくせにとは勝手な言い分。
 第二ピリオド開始直前、とおり過ぎざまに、わざとサラサラの髪の毛をかき混ぜてやれば、パシンと甲高い拒絶の 音がした。うっかりとほくそ笑んでしまうなんて、オレってなんて性格悪いんだろう。
「怒ってる?」
「別に」
「めちゃくちゃ怒ってるよーに見える。オレと同じチームでやりたかったんじゃねー?」
「これっぽっちも」
 そう言い捨てて立ち去ってゆく背中が、気安く触んなとかてめーは敵だろうとか、言葉ほど感情を抑えていないさまが 笑えてくる。お遊びのゲームであっても流川は流川だ。一片足りとも手を抜かないし、気力も張り詰めているだろう。
 いい加減なプレイしやがったら、ぶっコロされかねない。
 心配しなくても手なんか抜かない。この少年と対峙して有利に立てるのはこんな 場面限定な気がして、だからこの場に至るまでの紆余曲折と鬱憤も、この際だから盛大に晴らさせてもらいます。
 けど、どんな特大ハンマーでぺしゃんこにしても、痛めつけても、結果的に流川を喜ばせることに繋がるんだから、 返す返すも奉仕体質に満ちている気がする。
 オレが得意で流川が泣くくらいに悔しがることってなんだろう。
 バスケはダメだ。いまはレベル差があってペシャンコにしてやっても、それを怒りに変えられる男だし、流川が仙道の プレイひとつひとつに当てる視線以上に自分のそれは、底なしの深淵のように雑多な澱に満ちている。
 オレの得意なソッチ方面。男だろうが中坊だろうが、惚れちまったものは草津の湯につかったところで、どーなる もんでもない。最大限の歯止めであろう社会通念すら持ち合わせていないのだ。止めどなくイケナイ方向へ流れて 行っちまえとは内なる声だ。
 そうなってしまえば、もう、手練手管を最大限に行使して、啼かせてしまえる自信もあるけど、その場限りの刹那的な 喜悦はやっぱりその場限りで。なんかイマイチ違うんだよな、と。
 そんなヨコシマ妄想で頭をいっぱいにしながらも、相手SGに渡ろうとしたボールを指先に引っ掛けてスティールし、 その瞬間背中を見せて走り出した清田の頭ひとつ分向こう側、針の穴をもとおす正確なコントロールでリードパスを 出す辺り、腐っても全日本当確。観客席の美人に気を取られながらでもゲームメイクが可能と称される所以だ。
 相手ディフェンスの体勢も間に合わないくらいのファーストブレイク。仙道がひとりチームに混じるだけで攻撃の 厚みと速さが数段に増す。分かりきっていたのに間に合わなかった。「いけぇっ!」と大学生たちに叫ばれるまでも なく、清田だってこんな美味しい場面をだれにも譲らない。彼はブロックに戻る相手ディフェンスの足音を背中で聞きな がら、全身のバネをたわませて渾身のダンクを決めた。
「っしゃぁ!」
「よくやった!」
「いえ〜、仙道さんのお陰っす!」
 チームメイトたちから乱暴なハイタッチで出迎えられ、そう謙遜しながらもきっちり牽制の笑みを流川に送る辺り、 清田の鬱積されたものも相当だ。長年のライバルよりも先にダンクを決めてやった。そんな誇らしげな表情を顔いっぱいに 張りつけて顎まで上げている。受けた流川の目が清田から仙道へと流れ、みるみるうち、そこに剣呑な光が宿った。
 悔しいとはどの場面をいうのだろう。その場の雰囲気に馴染む間もなくゲームを支配し出した男に対してか。その男 のパスを受け好機を逸することなく飛翔してみせた同級生に対してか。そして肩を叩いて笑い合うふたりに対してか。
 怒りを顕わにされるだけで、これはもう、ほぼ愉悦。ザワリと肌がさんざめき、いまが清く正しいバスケのお時間だって ことも忘れてしまうほどに、官能に訴えかける構図だ。ムカツクと顔に大書させた秀麗な顔だけでおかずになっちゃうん だから流川くん。
 君は一生オレにムカついてなさい。
 とてつもなく確かなものを手にしたようで、気分は晴れ晴れ。躰も軽い。そうなった仙道を止める手立てはどこにも なかった。敵味方を問わず、向かっ腹が立つようなソツのないプレイでコートを駆け回っている男に、主将の呆れと呟き は届くことはなかったけれど。
「なんだか、姫を守るナイトじゃなくて、いたぶるいぢわるな姉の役目、やってやがる」



 ゲーム終了後、ふたりの中坊は大柄な大学生たちにもみくちゃにされた。また来いよとたくさんの手が差し伸べられた。 長年のライバルだった(?)清田とも気がつけば握手をしていた。流れるように美しい流川のプレイ。おまえの欠点は そのキレイ過ぎる部分だ、と指摘してくれる部員もいた。
 つまりそれだけ予測し易いと彼は言う。仙道クラスが相手となると敵わなくなる理由のひとつだろうと、素直に頷いて おいた。だからといってどう変化をつければいいのかいまは分からない。ドロに塗れてみるんだなと、流川の 不可思議な表情を見取ったその部員は付け加えたけれど、それはどういう状況を言うのか。
 仙道が相手チームに加わってから、いいようにあしらわれた流川としては、 『テロメア』の緑に囲まれたコートでの一戦から、差が縮まるどころか開く一方だと認識させられた格好だ。
 興奮冷めやらない清田が、あの口煩い天狗男がゲーム終了してから黙ったままなのも不思議だった。思い切り羽根を 伸ばして広げて、見事に泳ぎきったものの、仙道の手の内だという自覚はあったのだろう。
 それでも、部活を引退してしまったふたりにとって、言葉に出来ないほどの珠玉のひとときだったのだ。
「せっかくだから四人で晩飯食ってかないか?」
 クラブハウスで着替えを済ませると、神が清田を指差して誘ってきた。流川をと見れば、このメンツで、と物憂げにほん の少し眉根を寄せているが、先ほどあれだけ盛大に食っておきながら、中学生の新陳代謝は凄まじい。躰が不安定に 揺れているところからエネルギー切れを起こしかけているのは一目瞭然。背にハラは変えられない。文句は 言わないから、早く何処へなと連れてゆけの様相だ。
「なに食う? オレ、そんなにハラ減ってねーんだけど」
「聞いたか、ふたりとも。大学バスケ界のスーパースター仙道くんは、ハラごなしの運動にもならなかったんだって」
「そこまでは言ってねーって」
 誤解を招くような言い方をするなと仙道は顔の前で手を振った。せっかく手応えのある相手と練習できてご満悦の 流川の機嫌が急転直下だ。目には見えないけれど、雰囲気で知れる。知れる自分の聡さに嫌気が 差しながらも、一生オレにムカついていろとは、バスケ限定、コート領域だけの話にして欲しいじゃないか。
「仕方ないすよ」
 ほんの少し素直な中坊、清田は少しヤケ気味に吐き捨てた。こちらも正確に実力差を実感して、真正面から向き合う 気概がこれからの飛躍を予感させる。しかし、これではまるっきり自分が悪者かアテ馬の扱いだ。
「帰る」
 やはりそうくると思った。仙道が肩を竦める間もなくドラムバッグを手に取ると、流川はスタスタとクラブハウスを 後にしようとする。一緒に寄ってかないのか、と神が問えば、ちょっと顎を突き出しただけの答えを返すだけだけれど、
「流川もそれほどでもないんだって」
 そう仙道が付け加えると、背中を向けていた流川はキチンと向き直り、
「あ、した」
 と、総ての海南ケイジャーたちに礼の言葉を口にした。






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