jack in the box
scene two







 そうじゃないかと思ってたけど、やっぱ流川はバスケ馬鹿だ。
 バスケを目の前に吊り下げといたら、ニンジンが鼻先の馬と一緒でどこまでも突っ走る。
 そんでもって、それが分かっててそれを餌にしか出来ないオレは流川バカだ。
 しみじみと実感した秋の夕暮れってとこだ。



 あの日、再会を果たしてドロドロに疲れるまでやりあってからというもの、傲岸不遜と称される スーパールーキーは、時間を見つけてはあのストバスコートに姿を見せるようになった。
 アイツだって暇な身体じゃない。湘北の練習はそれなりにきついだろう。なのに午前中で終わった日曜の午後とか、 早めに終了した土曜の夕方とか、それこそこちらの都合はお構いなし、釣瓶落ちる秋の陽なんかも気にしないで、 あのコートで黙々と地面を蹴っている。
 お陰でオレには、学校帰りに必ずあのコートに立ち寄る習慣なんかがついちまった。部活終了後に 寄り道しようぜと誘う越野たちを振り切って、なぜかオレは歩調を上げている。
 付き合い悪くなっただの、また新しいオンナの元に通ってるだのと、今度は玄人筋だのとチームメイトからは 散々だ。
 けど、流川が待ってたらもったいないからな。オレって結構健気とひとり悦に入りながら向った先、 三回に一回は流川がいた。
 そしてオレたちは時間を惜しんで対峙する。夕陽をバックに青春真っ逆さまだ。
 いや、真っ最中か。
 とにかく、流川の視線を一身に浴びる高揚感に、オレはいつも酩酊ぎみだった。
 簡単に抜かせてくれねぇ。俺も抜かせねぇ。ギラギラとした闘争心を剥きだすようなタイプでもお互いが ないけど、それでも水面下のせめぎ合いには容赦がない。
 悔しそうな表情も、嬉しそうな素振りも見せる可愛げなんかなかったけど、アイツの心拍数の昇降は オレだけが知ってる。オレだけの特権だった。
 ところがある日の夕暮れ。
 流川を見つけて歩み寄ったオレに、アイツはそっぽを向いたままで一言浴びせてきた。
「もー来ねえから」
「えっ? なんでさ」
 流川の唇がなにかを形どったけれど、それはなかなか発せられなかった。なんか付き合ってるオンナに 別れ話を切り出されたみたいな気分に浸るってのもどうかと思うけど、この年にして百戦錬磨の仙道彰は ちょっとやそっとでは狼狽しない。
 こっちの真意を掴みたいばかりに、オレを試すようなことを言った昔の彼女たちの姿が頭ん中で走馬灯の ように過ぎっていった。
 あれってシラケるんだよな。本人たちは可愛いつもりかもしんねぇけど、こっちにしてみりゃ、その一言 聞いただけで思い切り萎えて、そのままにっこり笑って別れたケースもあった、たしか。
 そんでもって、思い切り泣かれた、たしか。
 関係ねー筈の友達とかが談判しにやってきて、にじり寄られて相当疲れた。それ以来、 同年代にはチョッカイかけないように努めている。
 一応、努力はしている。
 けど、まさか流川があんときのオンナみたいな心境に陥ってる訳ないしと、現実を見据える。
 ちょっとお目にかかれないほどの美貌を誇るつっても、190近い体育会系男子だ。精巧なビスクドールを思わせる 質感の肌理の細さも、深淵をたたえた意思の強そうな瞳も、動かなければ置物みたいだけど、 あいにく流川は筋肉伝達組織の総結集のような動きでコートを駆ける。
 オレと同じくバスケをする男だ。んな訳ないと思うが、流川からは答えは返らない。仕方ないから調子を上げて 聞いてみた。
「さては流川、オレに飽きちゃったのか? 他にいい男、見つけたとか言うんじゃないだろうな」
 浮気は許さん、とさらに重ねて抱きついたりする。この手の冗談を流川がもっとも嫌うって分かってて、 スリスリと背中を撫でるオレって何者なんだろ。なにがしたいんだろ。
 そう思ってた矢先、流川の針のような一言が飛んだ。
「バカみてぇ」



 たっぷり三秒ほど固まった。



 オレの脳裏で、さながら最後の航海へと旅立つタイタニック号を見送るような銅鑼が盛大に鳴る。永遠への 旅立ち。呪われた氷山の海へ。そして帰還も果たせずに海の藻屑と消える運命。
 ちなみに、あの映画のビデオをその当時の彼女と一緒に見てて、『恋愛ものとしては稚拙』っつって、 感性が合わないって理由でフラレたっけ。正直な気持だったんだけど、オレだって三行半叩きつけられた経験は あるんだ、越野。
 まぁ、それはいい。やっぱバカみたいだったかな。
 仙道彰。十七年生きてきて、頭の中が真っ白になるという体験は本気で初めてだった。どんな難しい テストの問題を目の前にしたって、試合でどれほど屈辱的に脇を抜かれたって、どんな好みなオンナに コクられる場面だって、オレはいつも余力を残してきた。
 難しけりゃ後回しにすればいいことだし、抜かれたら抜き返しゃいいし、理想に見合うオンナはたったひとり って訳でもない。
 分別くせぇって怒られるけど、これは身に染み付いた習い性みたいなもんで、いまさら取り替えるなんて 無理だ。一心不乱の直情型タイプになりたい気もさらさらない。
 そのオレが年下のライバルを抱きしめてカチカチに固まっている。なにか取り繕うと思うけど、口が縺れて 言葉になんかなりゃしねぇ。抱きしめた手をどこへやったらいいかも分かんねぇ。客観的に見ても、ふつうじゃ ない状況だぞ、これは。
 そんな混乱状態を理解してるのか、してないのか。絶対していないと断言できる流川が、しがみ付いたオレを 引き離してぽつりと告げた。
「なんか、ムカツク。オレばっかだし」
 総ての神経を流川に集中させていたオレは、分かりにくい一言を解析させようと脳内物質を総動員させた。 分析途中だろうが突破口を見つけるために動くのも習い性だ。そうでなきゃ、PGなんかは勤まらない。
「えっと。おまえばっかってどういう意味?」
「オレだけがあんたとシてぇみたいに……」
 場面限定なら鼻血もんのものスゴイ台詞を吐かれたようだけど、これはいまは不問に付す。ここに拘ってたら 全体像が掴めないからだ。
「どーしてそうなる? いつも流川にこっちまで来てもらってるからか? もしかしてオレが迷惑だとか 思ったりした?」
 ムシしたフリして流川は人差し指一本でボールをクルクルと回している。そっぽを向いてるもんの、それは怒ってるっていう よりも拗ねてるみたいに見える。分かりにくいかと思ってたけど、コイツの場合言葉として形になるより、 全身で喋るんだなって、初めて気づいた。
 そうなると百戦錬磨の仙道彰。急浮上だ。一度引き離されたもんの、も一度抱き寄せて囁いてやった。
「オレも流川とバスケするのすげえ楽しみにしてたんだぜ。気づかなかったのかよ」
 越野辺りならここで、おバカさんとか言って相手のオンナの額を小突いたりするんだろうが、オレはそんなこと しない。顔、見ない方がいいんだ、きっと。
 これはテクニック以前の、美意識の問題だったりする。そんなことを平然と言っちまうもんだから、 タラシの異名を頂戴する羽目になるんだろうけど。
 いまはとにかく目の前の流川だ。
「確かに、楽しみにしてたっつっても、オレから流川んとこへ行ったことなかったもんな。いつも待つばっかだった。 それで気にしてたのか?」
「まぁ、そう」
「流川んとこの近くにリング、ある?」
「近くにはねー。チャリで走らねえと」
「そうか。オレって自転車持ってないじゃん。おまえとバスケしたくてもちょっと距離がとか思ってた。 そう思うよりも先におまえが来てくれてたから、甘えてたんだな、きっと。悪かったよ」
 そう言ってしまってからハタと気づいた。



 ちょっと待て。



 なにかがおかしい。



 男の真意を掴むために探るようなこと言うオンナにはシラケてなかったか、いままで。



 腰が抜けるんじゃないかと思った。
 さっきは、頭ん中が真っ白になった経験は初めてとか言ったけど、今度のはそれ以上だ。心臓が口から飛び出る かと思った。驚いたのと焦ったのと恥かしかったのと、そして押さえてたものが解放されて嬉しかったのと。
 そういうのほんと経験なかったから。
 たぶん相当間抜けな顔をして流川を見てたんだと思う。ヤツは鬱陶しそうにオレの両腕を肘で押しのけやがった。 けど、これは流川なりの照れだ。オレは全世界に祝福されているような気分で、一気に牙城の突き崩しにかかった。
「オレがいないのとかが気になるんなら、ケータイ教えとくから連絡してから来いよ」
「めんどくせー」
「おまえのケータイは?」
「持ってねーし」
「じゃあ、どうやって連絡取りゃいいのさ。学校にかけて取り次いでもらうぞ」
「自宅……」
「ん」
「オレがすっから」
「分かった。おまえもせっかく来てオレがいないとつまんねーだろ」
「ひとりでも練習する」
「嘘だよ。つまんねーって言ってみろ」
「……」
「ほれほれ」
「ちょっと、だけ」
「よく言えました」
 オレは嬉しくなって流川の頭をぐりぐりとなんども撫でた。さらさらの髪の毛が指に絡んでけっこーキタ。 3センチしか違わねえけど、でっかく産んでくれてありがとうと初めてお袋に礼を言った。
 それも鬱陶しそうに流川はオレの手を叩く。今度はちゃんと白皙に朱をのぼらせて、なんかとてつもなくいい感じだ。
「センドーしつこい。離れろ。ヤるのかヤらねえのか。どっちなんだ」
「ヤる。いっぱいシような、流川」
「言い方なんか、すげーやらしー」
「なんでこれがやらしいっておまえに分かんだ?」
「フン!」
 流川はとうとう腕の拘束から離れてボールを叩きつけて背中を見せた。それがすげえ強張ってて、なんか 頑なで、怒気みたいなもんを立ち昇らせてて、オレはますます調子づいた。
 本気でこいつ可愛いかも。
 そう認識しちまったオレって、男としてどうなんだろ。そう思わせる流川をどう扱えばいい?
 取り合えずTシャツ一枚になって、流川の背中を追う。アイツの熱とシンクロさせる。いまはそれしか手は ないような気がした。
 けど、どーなるんだろうね、オレたち。
 つうか、どーしたいんだろう、オレ。




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