jack in the box
scene three







 日曜の夕方。オレの部屋。
 改めて思ったけど流川には危機管理がなっていない。メシ食わせてやると言ったら男の一人暮らしの部屋に ホイホイついて来た。
 自分から誘っておいてなんだけど、なぜか無性にハラが立つ。そんなことで、この世知辛い世の中渡って いけるのかと、指を突きつけてやりたい気分だ。まあ、こいつはこんな大人しそうな顔をして、やたらと喧嘩 っぱやいらしいし、しかも異常に強いって聞いてる。不埒な輩がいたとしても殴り倒す自身があんだろ。
 ボディダメージは試合中よりもタフだとか。
 オレはちょっと複雑な気持でフライパンを握っていた。
 けど、よくこれで子供ん頃に誘拐されなかったなとも思う。多少は物心ついてるいまでこれだ。 まさかその頃から喧嘩慣れしてた訳じゃないだろうし、子供の抵抗なんてしれている。無事だったのは ものすごい偶然と運の強さが成せる技だろう。
 けど、コイツの子供の頃って。
 想像したらフライパンを持つ手が止まった。ついでに戸惑った。
 きっといま以上に頑なで依怙地でプライドが高くて寡黙で口が悪くて、そしてそれを払拭して余りある程 愛くるしかったんだろうな。
 色んな意味でご両親の苦労が偲ばれた。
 メシで釣ったオレが言うものなんだけど。
 で、きょうのメニューは得意の炒飯だ。それほど料理に長けてる訳じゃないけど、これだけは割り方好評。 色んな方面から。フライパンを振りながら、得意料理で持て成す自分を想像して、ちょっと傾きかけてた機嫌も治まって来た。
 折角流川が来てくれたんだしな。
 ま、オレも相当嬉しいんだろう。



 その日昼近くまで寝こけていたオレは、流川からの電話で叩き起こされた。携帯を手にして通話ボタンを 押すと、長い沈黙のあとに一言、早く来いだった。
 寝ぼけて回転数の落ちた頭でもそれが流川だって分かったけど、もう少し言いようがあるんじゃないだろうか。 おはようの挨拶をしろとは言わないけど、寝てたのか、起こして悪かったなとか、どうしてもおまえと練習 したくなったから待ってるとか。
 パジャマを脱ぎながらぶつくさと唇を尖らせてみたものの、朝飯もそこそこに部屋を飛び出したオレ がいる。相手は流川だ。そんな言葉を期待しちゃいけない。
 言葉よりも雄弁な瞳が待ってるじゃないかと、近くのコンビニで朝食兼昼飯を買い込んだオレは、流川の 待つストバスコートへと急いだ。
 会ってイキナリボールをパスされた。仕方ないからオフェンスに回り、呼吸を読んで流川のペースを 乱し、肌がかち合うくらいのガードで挑まれた。腹減ってんだって訴えても許してもらえなかった。 力でねーとか、目が回るとかの要求は無下にも袖にされて、ようやく休憩をもらえたのは二時間近く たってからだった。
 ったくコイツのペースにはついてけないや。
 お陰でやっと目が醒めたかなと言ったらすげえ目で睨まれた。こういう態度を取ればこいつは必ずこんな反応 をする。オレが本気を出してないとまた勘ぐってる。流川相手に、ほんの一瞬のマッチアップでも気を許した ことなんかないんだけど、それを言ったところで信じて貰えないのは分かっていた。
 つくづく損な性分だ。
 ベンチに腰掛けて、いい具合に腹が減ったからコンビニ袋をガサガサと物色していたら、雄弁過ぎるほどの 流川の瞳がそこにあった。
 食うってサンドイッチを差し出すと、素直にコクンと頷いてきた。ついでにオニギリも渡してやると、 コイツ礼を言いやがった。
 初めて聞いたぞ、流川のありがと。思い切り口先だけだったけど、コイツの口からそんな言葉を聞いた 者が、一体この世になん人いるんだか。貴重な体験にオレは口の端を上げた。
 本格的に食いだすと、こんなものじゃ足りなくなる。流川も遠慮を知らない。で、オレんち来るって 話になった訳だ。晩飯食わしてやるって。
 ま、不自然じゃないよな。



 改めて思ったけどやっぱコイツは育ちがいい。
 他所んちにお邪魔するのに手ぶらはダメだとか、家の人に言われてるんだろう。 途中、自販機でペットボトルのスポーツドリンクを買ってくれた。それも三本も。で、土産とか呟かれて それを道中で渡された。
「……」
 ビニール袋もないからもの凄く持ちにくいんすけど、流川クン。
 オレのアイコンタクトは唯我独尊ルーキーには通じなかった。
 そういった訳でいま、腹の減った猛獣はオレの炒飯を待ってテーブルの上でうっ伏している。完全に 燃料切れだ。早く補給してやんないとって思うけど、こんなもんでこの大食漢の胃袋が収まるんだろうか。 フライパンひとつで出来る炒飯の量って限られてるし。流川の皿にはかなり多めに盛り付けてやって、 差し出すと、ものスゴイ勢いで平らげてくれた。
 ま、つくり甲斐があるというもんだ。
「変なこと聞くようだけどさ、おまえにとってオレって一体どういう存在な訳?」
 腹が満たされたとは言えないけど、ちょっと落ち着いて食後のコーヒーを飲みながら唐突に切り出したオレに、 流川はマグカップから視線を上げて不思議そうな顔をしていた。
 問うた方にしてもどんな答えを期待してるんだか分からなかったりする。しかも期待ってなんだ。けれども 口から出た言葉は戻せない。オレはオレのペースで突き進むことにした。
「どういう?」
「ま、どう思ってんのかなって」
「……」
「学年も学校も違うしさ。性格だって似てるとこもあるけどほとんど正反対じゃん。唯一の接点つうか趣味が合うって のはバスケだけで、そのオレたちがなんでこう、頻繁に会ってるのかなって、不思議に思わねー?」
「邪魔なら帰る」
 即答して立ち上がりかけた流川をオレの手はすぐさま引きとめた。考えるよりも先にヤツの腕を取っていた。 その反応の速さが少し恐ろしかったりする。
 逃がさないと動いたオレの手。
 オレはペースを取り戻すために少し溜息をついた。
「そういう意味じゃねえって。おまえ、ふたこと目にはそれだ。たださ、おまえの中のオレのポジションって のを聞いてみたくなっただけだから」
「よく分かんねー」
「わざわざチームの練習の合間を縫って、よく分かんねーヤツとマンツーしに来んのか、おまえは」
 これは確認じゃなくってほとんど詰問だ。その違いを目の前にいるコイツが理解してるとは思えない。 だからかえって助かったとも言える。
「予想……できねープレイする敵」
「うん。生涯越えられないライバルってことにしとこう」
「言ってろ。三日後には木っ端微塵に粉砕してやる」
「えっ、三日後も来んの? 平日だぜ。オレは別に構わねえけど」
「……」
 ヘラリと笑うと流川は心底厭そうな顔をした。無理無理。口でこのオレに勝とうなんて百年早い。それこそ 転生でもして別人格に生まれ変わらない限り永遠にそんな日はこないって。
 けれどもオレは、口下手で寡黙で無愛想な男を捕まえて、自分のフィールドにまで引きずり込んで、重い口をこじ開ける ように確認作業をしている。加虐的なまでに流川の口からのオレが聞きたい。いまのオレはその口調と表情に 反して、もの凄く底の昏い願望を抱えてるんだと実感した。
 コイツにとっちゃ、いい迷惑だろ。ほんと邪魔くさそうに喋るからな。けど、一飯の恩義ってのを 感じてる訳でもないだろうけど、物言いは邪険でもキチンと会話になってる。
 それがやけに嬉しかったりするんだからどうしようもない。



 改めて見るとコイツのツラって凶悪なくらい綺麗なつくりをしている。なのに猫舌なのか、熱いコーヒーを 唇突き出しながら飲む崩れた部分とか、対峙すると喰らいつきそうな目で挑んでくるくせに、興味がないと 意識を放り出したみたいにぼぅーっとしてる部分とかが奇妙に同居しているんだ。
 こいつにとっては総てがオールオアナッシング。もしくはバスケかバスケじゃないかでしか括られて ないんだろう。
 いっそ見事だと思った。オレには到底真似できないけど。
「おまえが一回りも二回りも成長するにはオレを越えなきゃならないって自覚してくれてんだな。他には?」
「フン! メシつくんの、うめー」
「えっ、バスケに関することはもうおしまい?」
「炒飯。卵ふわふわ」
「だろ? 自炊生活も板についてきたからな。実はあれには拘りがある。うん」
「ここにはオレが持ってねーNBAのビデオがある」
「オレんちはおまえのビデオライブラリーか?」
「けど、髪型が変」
「おまえ、喧嘩売ってんのか?」
「正直に言った」
「外見の話はいいんだよ。それにこれは手間ひまかけてセットしてあんの。試合中に乱れたりしたらオレのファン に申し訳ないっしょ」
「乱れてふつー。乱れない方がおかしい」
「オレなりの拘りがあんの。あっ、なんだったらおまえも固めてみる? 印象変わるかもよ」
 オレはものすごーくさり気なく手を伸ばして流川の前髪をすくった。どこかにあった流川に触れたいって 欲望。それにはもう逆らわないことにした。
「気安く触んな」
 オレの欲望はすぐに跳ね除けられたけど、再度挑戦したりする。こうなると止まんないから、オレ。
「へえ、すっげえ、猫っ毛。サラサラじゃん。こりゃ、ハードでも固まんないわ。残念だったな」
「いつまで触ってんだ。離せ」
「いいじゃん。減るもんじゃなし」
「ぜってー減る。きっと減る」
「力説すんなよ。まだある?」
「スキンシップ過剰」
「あはは。過剰だって感じるのは、おまえが接触恐怖症気味なんだ。チームの結束のためには、スキンシップ は大切なコミュニケーションツールのひとつだろ」
「抱きついたり髪の毛触ったりすんの、試合に必要ねーだろ」
「そりゃ、俺の趣味」
「そんな変な趣味のヤローを止められねえのが癪に障る」
「俺もどっちかっていうと相手に呼応して集中してくタイプだから、おまえに張り切ってもらわねーと」
「人のせいにすんな。じゃ、弱っちい相手とならそれなりの試合しか出来ないってことじゃねーか。 バスケ、バカにしてんのか、あんた」
「それはない。俺だってそれ相当に負けず嫌いだからさ。最後にはちゃんと帳尻合わせる」
「そーいうとこがすげームカツク」
「おまえにムカツかれるのって褒め言葉だよな。認められたってことだ。で、他には?」
「まだ言わせんのか?」
 流川はちょっと飽きてきてるかな。テーブルの上にマグカップを置いて、そのままゴロンと横になりやがった。 なんか寝る体勢に入ってる? オイオイ。イキナリお泊まりする気かよ。
 オレもテーブルから離れベットを背もたれにして流川の真横に座る体勢を取った。
 この距離でこの目線っていいよな。尤も相手はそのままぐーすか寝ちまいそうな色気のないヤロウだけどさ。
 けれどもオレは自分の口調が段々と熱を帯びてきたことを自覚せざるを得ない。
 もう、認めろよ。
 認めなさいって感じだな。
「おまえの口からの俺ってのがもっと聞きたい」



 もの凄い告白だったけど、気づいてないだろうな、コイツ。
「女タラシ」
 だからそーいうことを平気で言う。クソ生意気なガキ。
「あはは、そりゃ、不可抗力だって。タラシとか呼ぶけどオレの場合人付き合いが丁寧なだけだよ。コクられる 数だったら流川も負けてねえじゃん。知らないとでも思ってるのか? それもある意味十分タラシだぜ」
「興味ねーからとっとと、断る。タラシてねー」
「ま、その辺は対応の違いだな。オレだけがそう言われる謂れはないよ。それに、信じないかも 知れないけど、近頃めっきり身奇麗なんだぜ。おまえとのマンツーすっぽかしてオンナと出掛けたこと あったか? ないだろ。毎日毎日夜遅くまで練習に明け暮れて、月に一、二度しかない休みはおまえと勝負 して、どこにそんな暇があるのさ」
「オレはあんたの家に押しかけてる訳じゃねー。デートする暇もないって言うんなら、あの公園に来なきゃいい じゃねーか。来てくれなんて一言も頼んでねーし」
「見損なうなよ、流川。オレは根っからの享楽主義者なんだ。どっちに行くのが楽しいかをちゃんと選んでる。 おまえはオレとバスケがしたいが為にあの公園に来る。オレも同じ理由で足を運ぶ。だれの為でもなく自分の 楽しみを優先させてる」
「だからってあんたがタラシじゃないって理由にはならねーな」
「流川はオレのそういうところが気になる訳?」
「別に……」
 そこからは早業だ。
 関係ねーしと口先でくぐもった言葉を、オレはヤツの顔の横に両肘をついて、そして唇を寄せて飲み込んだ。
 一気に飲み込んだ。



 笑えるくらいにまん丸に膨らんだ流川の切れ長な瞳。呆気に取られるコイツの表情を拝めるのも悪くない。 一応オレの行動は理解してる。分かってて固まっちまってる。
 オレは少し安堵した。
 まさかキスの意味から教えなきゃならねえお子ちゃまだとは思わないけど、コイツの場合あり得るからな。
 機能が停止しちまってるうちにもう一度と、今度は角度を変えて触れようとしたその瞬間――
 目の前で火花が散った。
 続いて仰け反った鳩尾に強烈な痛みを感じた。
 チカチカする視線の先、モロに流川の膝がヒットしていた。
 けれども知覚するのは痛みよりも歓喜と早鐘のように打つ鼓動だけで、せり上がる吐き気と口中に 広がる鉄錆じみた味覚は、ずっと後からやって来た。
 戸惑いから怒りに変化する流川の顔を、痛みを忘れてずっと見ていた。
「どあほう!」
 一言吐き捨て背中を見せ部屋を飛び出した流川を見送って、初めて腹を押さえて蹲った。
 マジで痛てえ。
 んとに容赦ねえ。
 あー、前途多難。
 あんなのキスしたって言わないぜ、ふつう。ちょこんって触っただけじゃん。なのにこの仕打ちかよ。 これじゃあ、この先いくつ体があったって持ちやしない。そんなに頑丈に出来てないんだ。 喧嘩ってあんまし経験したことないし、冷やすくらいしか思いつかないし。でもあしたの朝には晴れ上 がってんだろうな、自慢の顔が。
 あーあ、とそのまま寝っ転がったら結構笑えた。
 殴られても、また仕掛けようとしてるらしい。
 やられっぱなしはマズイしな。やっぱ。
 攻め気を忘れたらオレはオレでなくなるし。
 そう。
 アイツをスキだって気持と素直に向き合ってみようと思う。
 すっかり夕暮れが染まったひとりの部屋で、窓の外を眺めながらオレはそんなことを考えていた。




end






とうとうやっちゃいました。(爆)
思えば、随分と昔、本気でルカワに惚れたんだよね。もう、 いまみたいなヨコシマな妄想なく純粋に。
で、復活したと思ったら、妄想の餌食かよ、と我ながら イケナイ大人になったもんだとシミジミ。