in the zone
scene one
彩り月と呼ぶには日中の日差しに思わず手をかざす日が続くころ。
十月半ばから行われる国体秋季大会に向け、各インハイ予選を参考に選手選考が行われ、学業を優先させる
関係上、九月末から土日を利用しての強化合宿が始まった。
至上稀にみる選手層の厚さを誇る神奈川選抜バスケ少年男子の面々。
全国二位の海南大附属と、初出場ながら前年度覇者の山王工業を破った湘北を中心に、そして県予選敗退校
からも翔陽と陵南からメンバーが選りすぐられ、ドリームチームが結成された。
特に県立高校ながら湘北は、レギュラー全員が召集されている。
しかしインハイ二回戦での怪我がもとでリハビリ中の桜木は、大事を取ってこの合宿は不参加と報告
されていた。
合宿初日の集合場所に選ばれた総合体育館の集会室へと集まり出したメンバーたちは、初め学校枠を超えて
学年単位で小さなメンバーをつくり、また移動し出してポジションごとへと変わっていった。
湘北のメンバーが体育館に到着したときには、海南の牧と翔陽の藤真が会議室前の廊下でなにやら語り
合っていて、そしてその少し離れた奥には神と清田が座り込んでいた。
「湘北さんのお付きか」
「これはまた、神奈川が誇る名ガードが二人して出迎えとは豪勢だな」
「なにやら密談めいているだろ?」
受けて襟を正した赤木の答えに、牧が端正な容貌の半分だけで笑った。藤真は少し上背のある牧の後頭部を
ポカっと殴りつけている。
「密談なんてあるもんか。せっかくこれだけのメンバーが揃うんだから、チーム構成をどうするか議論
してただけだ」
「翔陽の藤真はいつまでたっても監督気質が抜けなくてな」
「こんな楽しいことお仕着せの監督に任せるなんてもったいないと思わないか?」
お仕着せと藤真は言ったが、このチームを指揮するのは県連盟の強化委員に決まっている。何度も国体
を戦ってきた実践者だった。けれどこんな個性的な連中を一番よく知っているのは、オレたちじゃないかと
藤真は笑った。
「確かにな。気の毒ともいう」
「だろ。その一番の問題児の桜木はどうなんだ? 試合には辛うじて間に合うかもって聞いてるけど?」
「一応完治はしているが、試合となるとどうかな。だが、合宿後半にはドクターストップを振り切って顔を
出すだろう。練習したくて腰も据わらん状態だ。またこの面子だしな」
「それは結構。アイツがいねーと火が消えたみたいだからな」
目を細めた藤真に三井と宮城が混ぜっ返した。
「藤真。おまえはたまにだからそう思うんだ。毎日見せられてみろ。あのガキ共。腰越か片瀬に沈めてやろ
ーかと思うぞ」
「そう。火が消えたっつうより、あれが本当の部活の姿って思いましたよ。ここ一ヵ月」
「もの凄い言われようだな、桜木も」
「マジっすよ。アイツがいたら、流川との殴り合いの喧嘩を止めなきゃなんねー。キャプテンの仕事がまずそれって、
他所では考えられないでしょ」
「だとよ。流川」
突然藤真から話を振られ、湘北メンバーの一番後ろにいた流川は固まった。さっきまでの会話をほとんど
聞いてなかったから当然だ。耳に入っていたとしても、かんけーねーの一言だけれど。
「桜木とおまえとに頭が痛いって話」
「なんでオレなんすか? 突っかかってくるんはいつもアイツの方だ。オレは被害者」
「どの面下げて被害者だぁ。てめーが煽ってんじゃねーか」
「そのとおりだ。そーいやーおまえ。花道の病院へ見舞いに行ったそうじゃねーか。それも全日本ジュニア
の合宿が終わってすぐに、こっちに顔も出さねーでよ」
「あはは。やっぱ淋しいんじゃん? 結構いいコンビだったし」
「バカくせー」
宮城の暴露に、意外とメンバー思いだなと牧。不精もんのおまえがかよ、と三井も目を丸めていた。
「別に見舞いじゃないす。オールジャパンのユニフォームを見せびらかしに行っただけで」
ぼそっと告げられた答えにその場にいる者が爆笑した。
「腹いてー」
「そりゃ、おまえ。何よりの見舞いだって」
「元気出せとか言われるよりずっと元気になるだろうな、桜木の場合」
「死ぬほどリハビリに励むぞ。そんなもん見せられたら」
「うむ。担当医師も困惑しただろう」
「おまえ、ほんとにアイツの性格知り尽くしてるよ」
「さすがスーパールーキー。天然で部を牽引している。湘北にとって桜木が抜けた穴は大きいからな。
早く復帰してもらわないことには、うちとしても遣り甲斐がない」
それぞれほとんど涙目のまま口にする。通常の許容量を上回るロゴスの坩堝に流川は反応出来ないでいた。
口に出来るのは、なに言ってんだという、凡そ会話とも反論ともつかない凡庸な言葉だけで、それでもこの場に
いる連中は、彼と犬猿の仲にあるあの赤頭とが揃ってこそ驚異だと認めている事実を知った。
――冗談じゃねー。
苛つくほど対等だと感じている訳ではない。目を見張るのは常軌を逸した運動量と、とことん食らいつく
根性だけで。少し、ほんの少しリバウンドで助けられただけだ。その僅かな殊勲よりも素人丸出しの負の要因の
方が多かった。
ずっとずっと多かったんだ。
だから、その場に遅れて到着した陵南の三人――魚住、仙道、福田が、先着していた彼らから出迎えられ、
「やっとお出ましか」
「おせーぞ、陵南」
「えっ、集合時間にはまだ間があるでしょ。どーしたんすか。こんなとこで集まってなんの相談?」
と、一番後ろの位置しながらも、みなの視線を一手に引き受けた仙道が軽く受け、目ざとく流川と視線を
絡ませながらも放った言葉がいけなかった。
「やあ。あれっ。やっぱ桜木は欠席か? 残念だな。ウチの福田なんか桜木に会えんのすげえ楽しみにして
たんだぜ」
「オレ、一言もそんなこと言ってない」
「素直じゃねーな、福田。おまえも闘志、秘める方だからな。インハイ予選の雪辱を晴らすんだろ?」
相変わらず話題が桜木から離れないのも癪に障った。
「それを言うなら我が翔陽が先さ。なにせベスト4にも入れなかったんだから」
「おいおい。雪辱戦するために集まったんじゃないんだぞ。仮にも同じチームメイトだろうが」
「あ〜、なんかこの面子でチームメイトって薄ら寒い」
「言えてる。けど、桜木っつったら悪夢が蘇るんだ。抜いたと思っても、いつの間にか戻ってブロックしに来るんだもんな」
「なに言ってるんすか、神さん。普段が下手すぎて予想つかないからでしょ。ギャップです。錯覚っすよ」
「それも相手に取ったら驚異だな」
「なんにせよ、アイツが戻ったらまた、賑やかになりますね」
と、ダメを押したような仙道の言葉についささくれ立ち、流川は和んでいるメンバーの背に氷塊のような言葉を
浴びせかけた。
「桜木、桜木って。あんなド素人ひとり、いないから勝てねーっつうほど、あんたらお安いのか」
「流川!」
少し色をなした赤木と唖然とした他のメンバーを振り切り、流川はスタスタと集会所へと消えて
いった。
合宿初日の最後のメニューとして用意された紅白戦。
監督コーチ他スタッフ、そして優勝候補の前評判が高い神奈川選抜の取材に訪れた報道陣が見守る中、
白熱したゲームが繰り広げられていた。スターターの一角に切り込もうとだれもが多少は気負いこむ。この
メンバーを楽しむ前に戦いがある。けれども、端から見ていても、いつもと変わりない平常心のままで
淡々としているふたりがいた。
「やはり牧と仙道は別格ですね。チームの支柱としての牽引力も攻守のバランスも、瞬時にゲームを組み立
てられるビジョンも持っている。どれを取っても超高校級だ」
ヘッドコーチがゲームに目を奪われたままで横に座している監督に語りかけた。
「そうだな。それに正確無比な神の外からのスリーポイントと、ゴール下を安心して任せられる赤木の
好守とリバウンド。そして爆発的な得点力を誇る流川か。凄いメンバーが集まったものだ」
「下馬評を知っている筈の報道陣も固唾を飲んでいますね。しかし、どうも流川のペースが乱されがちだ」
「確かに。仙道との組み合わせを藤真も苦労しているようだな」
「本来なら自分のところに回ってくるクラッチも仙道に回ることが多い。それは仙道にも言えることなんですが、
アイツには流せても流川の鬱積は貯まる一方な気がします。下手をすると両エースの潰しあいになりか
ねない」
「確かに。ああ、ほら、面白い――」
監督が指を差したその先、白チームのPG藤真に渡ったボールは、アウトサイド
からディフェンダーの清田を抜いてゴール下へ切り込んだ流川へと回されるとだれもが予想した。
魚住と三井が反応する。遅れて清田も戻る。そう見せかけた藤真はひとつフェイクを入れ、流川へとディフェンダーが流れるのを見計
らったかのように、逆サイドにいた仙道へ絶妙なパスを出した。
しかし仙道のマークについていた牧はそう簡単には振り切れない。一度戻すかと思わせるような微妙な
間をおいて、仙道は身長の差というミスマッチを活かして綺麗なフェイダウェイを決めた。
その軌道はリムにすら当たらないでシュポっと静かな音を立てただけだった。仙道と藤真のハイタッチを
横目で捉えながら流川は睨みつけている。牧は背後のゴールポストを振り返って小さく舌打をした。
「相変わらずペースの読みにくいヤツだ。おまえの取るタイミングは、どこに基点を置いているか未だに
分からん」
「緩急併せ持つ牧さんにそう言ってもらえるなんて」
「ただ単につかみ所のないヤツだと言ってるだけだがな」
「それも最大級のお褒めの言葉ですよ。親兄弟と親戚一同に凱旋報告しなくっちゃな。仙道彰は海南の牧さんと互角に
戦うまでに成長しましたってね」
「ったく。おまえをへこます相手は、この世に存在するのか」
牧は余裕の笑みを見せた。
インハイ神奈川県予選のベストファイブの五人に、PGの牧だけを藤真と入れ替えた白チームは、
やはり圧倒的な強さを見せた。PGが変わればゲームメイクがゴロっと変化する。神奈川が誇る双璧
に宮城を加えた三人。持ち味がそれぞれ違うだけにだれをスターターとするか。
けれど、実力そのものよりも、チームにはバランスが必要だ。そしてPGがそれぞれの能力を活かし切れなければ、
折角の才能がコーチの懸念どおり潰しあいと化す。
責任者として、そこには贅沢な悩みが待っていた。
「藤真サン」
練習終了の合図がなされ、コーチやトレーナーが散らばりそれぞれへの個別の指示が飛ばされていたそのとき、
ダウンを始めようとした藤真に流川が近寄ってきた。
「なんだ」
「さっきの、最後のパス。オレの方が仙道より早くマークを振り切った」
ああ、そのことかと藤真は目を見開く。自分的にはいいパス回しだったと思うし、ゲームの組み立てを
任せられているポジションでもある。流川の言うとおり、先に空間が出来たのは彼の回り。けれど、ゴール
下の密集地帯へ出すよりは、仙道の力を信じてそちらを選んだ。そう答えると、
「牧サンに付かれてる仙道より、対清田のオレの方が確実なんじゃねーの」
その言い草に清田が反応した。
「てめー自惚れんのもいい加減にしろよ! 確実オレさまを振り切る自身があるっつうのかよ!」
「ある」
「どこまで天狗になってんだ! 後半、体力落ちてヌケたオフェンスしてたじゃねーか。結果オーライだろ。
大人しく仙道サンに譲ってりゃいいんだよ!」
「体力落ちてねー」
「落ちてた!」
「てめーにはカットされてねー」
「ボールが回ってこなかったのがなによりの証拠だろーが! 見るもんが見りゃ分かるんだよ! 軟弱やろーが!」
落ちた落ちてない、と先の見えない意地の張り合いに転じてしまっているふたりの間に、やれやれと
割って入ったのは牧だった。
「いい加減にしろ、ふたりとも。流川。藤真の判断は的確だったと思うぞ。確かにゲーム中、仙道へ回る
確率の方が高かったが、その分ラクにプレイが出来たんじゃないか? どうだ」
「ラクどころか、清田相手じゃ全然たんねー」
「へばってたヤツの言う台詞か!」
「へばってねーし、ラクしたいなんて思ってねー」
そこだけ切り取るとまるで駄々っ子だ。かつて流川にばっかりパスを集めると言って、ゲーム中に宮城を
詰っていた桜木と同じレベルじゃないかと牧は呆れた。けれど、
「たんねーって言うなら後からオレが相手してやるからいいじゃないか、流川。そんで明日は牧さんに
ついてもらって、立ち上がれねーくらいにへとへとにしてもらえ」
その場の雰囲気を読み取った仙道が長閑ななだめ方をした。
倒れる寸前まで自分を追い詰め、それでも一歩踏み出して初めて基礎体力は上がる。それを知っている流川は、
仙道が入ったことによって自分への負担が軽くなったことを喜ばないのだと思った。別にシュートへの回数が
どうとかでねじ込んで、珍しく重い口を開いたのではないだろう。
この面子の中で一番スタミナに問題があると、どこか自覚しているのだとも。
「じゃ、いま」
即答した流川の表情が勃然としながらも、微かに嬉しそうだと感じてしまう己に仙道は苦笑した。
「バカ。オレはもうはらぺこ。夕飯食ってから付き合ってやるから」
「いまだ」
頑是ない子供に、流川、と仙道は腹に響くような声を出した。
「おまえさ、一試合持たないでふらつくってことは、相当新陳代謝が早いんだ。昼間食ったっきりなにも
口にしてない状態で、これ以上なにを練習するって? おまえこそオレを舐めてんのか? いいか、覚えと
けよ。おまえほどならな、練習中でもエネルギー補給するくらいが丁度いいんだ。いいからさっさと
ダウンしてメシ食って来い」
理路整然と己の課題を指摘されて一言も返せない流川は、そのままくるりと踵を返して体育館を出て行こう
とした。その背に仙道は畳み掛ける。
「おまえ、ストレッチは?」
「メシ食いながらする!」
そう吐き捨てて流川は出て行った。そのあとには、ブスブスといきり立った流川の燃えカスが残っている
ような気がする。
「なんつーヤロウだ!」
「おまえよくあんなヤツを手懐けてるな」
清田、牧の感想はみんなの意見を代表していた。それを受けて仙道はニコリと笑みを返す。
「ほんの少しよく見たら結構素直な反応してるって分かりますよ。それを言うなら牧さん。流川よりも神の
方がよっぽど食えないでしょ」
「聞こえてるよ、仙道」
「ん。聞こえるように言った。あっ、そーだ、ノブナガくん」
「なんすか?」
「この合宿中さ、おまえ流川には一本もシュート打たせない気迫でかかれ。なんとしでも潰せ。
でないとずっとあんなふうに言われっぱなしだぞ。いいのか?」
「んなわけねー!」
「ん。頼りにしてるよ」
「うす」
流川を追うように肩を怒らせた清田も体育館を後にする。牧と神は苦笑しきりだった。
「おまえ、監督の才能もあるな」
「いいチームですからね。これなら優勝狙える。一年坊にも張り切ってもらわなきゃ」
「珍しく貪欲に出たな」
「全国を経験してない者の飢えですよ。これはオレだけじゃない。藤真さんにだって言えることだ」
鬱蒼とした仙道の闇を垣間見て、牧は顎を上げた。藤真の瞳も同じような色を宿している。そのとおりだと
言う牧の言葉を受けて、残されたケイジャーたちもその場を後にした。
continue
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