殺人現場のマンションを後にした斉藤と安慈は、第一発見者の証言を聞き取りにテレビ局へと向かった。 朝からワイドショーの生放送に出演したというそのしかめ面の中年男は、憮然とした表情を抑えることなく、局、 一階のラウンジでふたりの前のソファに腰を降ろした。 高級そうなスーツでビシリと決めた男が差し出した名刺の肩書きは、コンサルティング会社経営と記載されている。 世にこの手の職業は数々あるが、実態がよくわからないの典型というのが第一印象だ。 時間がないと、体を小刻みに揺すってそう訴える男に、斉藤は昨夜から今朝にかけての行動を問うた。 「出掛けようと廊下に出たら、隣の扉が開けっ放しだった。気にせず放っておいても よかったのだろうが、何の気なしに覗き見たらあの状態で、驚いてライフマネージャーに知らせした次第です」 「驚かれたでしょう」 「それは相当に。完璧なセキュリティーを売りにしているマンションでしたからな。最初はただの強盗かと 思いましたが」 「で、お察しのとおりの質問で恐縮なのですが、昨夜は何時ごろ帰宅されましたか」 アリバイというヤツか、とあからさまに顔をしかめたエライ評論家の先生は、勿体ぶった態度で腕組み していた。考えるまでもなく、通報からこれだけ時間がたてば、警察に尋ねられる事柄は何度も反芻している はずだ。どうやらそうやった間合いでイニシアチブをとりたがるタイプらしい。 「日付が変わる頃だな。時計を見たわけではないから、正確な時間は分からないが」 それだけの説明に男はたっぷりと間を置いた。不快感は募るが気分を害するほどのことでもない。 「結構です。ご自分の車で。それともタクシー?」 「自分の車だ。酒は飲んでないぞ」 「それも伺っておきましょう。で、そのときは隣の扉は正常に閉まっていたんですね」 「ああ」 「帰宅されてすぐにお休みに?」 「いや、小一時間ほど映画を見てたな。アクションものだったから、結構煩かった」 男は派手なカーチェイスが見所の映画の名を上げた。 「物音に気づかなかったですかね?」 「テレビがついていたからな。あのマンションの防音レベルは相当高いと言われてる」 「隣家は台風でも通り過ぎたような有様です。ちょっとや、そっとの物音じゃないと思われますが」 聞こえなかったものは説明しようがないと、その男は立ち上がり、時間だとばかりに赤銅色の ロレックスを指差した。 立ち上がった男に斉藤は最後にひとつだけと前置きして尋ねた。 「隣家が見舞われる災難になにか思い当たる節や、気づかれた点はありませんか? ふだんから争いが絶えなかったとか、 そのような場面に遭遇されたことは?」 ご近所付き合いは皆無だからと、素っ気なく言い残しその男は立ち去った。 聞き込みを終えて第三強行犯係室に帰り着くと、まるでふたりを待っていたとばかりに鑑識からの報告が入った。 被害者の死因は後頭部強打による脳挫傷。ほぼ即死だったと、三係長の比古は切り出した。 「死亡推定時刻、昨夜の十二時から一時ごろ。被害者の昨夜の足取りから、居酒屋で食した胃の内容物からの 推定だ。エントランスと駐車場入り口に配置されている監視カメラから、その時刻に出入りしている人物のチェックを マネージャー立会いのもと平行して行っている。まず、凶器は隣に転がっていたなんとかの壺。財布などの類は持ち去 られたのか、見当たらず。そして、左手の欠損部分は死後直後に切り取られた模様。犯人はキッチンのシンクに放り こまれた果物ナイフを使用している。ナイフを薬指側に突き立ててそのまま倒して切り取るという、まるでヤクザ映画 に出てくる儀式のようなやり方だな」 と、比古は淡々と報告書を読み上げたあと、斉藤に話を振ってきた。 「第一発見者の証言はどうだ?」 「その時刻なら部屋で映画を見ていたと証言しています。それで聞こえなかったと」 斉藤の説明に高荷恵が口の端を上げた。 「嘘くさいわね。はっきり言ってどんがらがっしゃんよ。あの状態は。地鳴りすらしたんじゃないの? あれだけ 派手に暴れれば」 「聞こえなかったんだと」 「嘘と決め付けるのもどうかと思うぞ」 比古は報告書の一点を指差して憂鬱そうに続けた。 「鑑識が変なことを言っている。荒らされたあの部屋。意外と時間をかけたかも知れんとな」 「どういう意味ですか?」 「例えば花瓶。叩き割ったのならもっと破片が飛び散る筈だと。喩えるなら持ち上げてそのまま手を離した 感じだそうだ。壁に掛かっていた絵や、書架の本なども同様で、勢いや怒りに任せて散らかした形跡ではないと 寄こしている」 「ゆっくり?」 「時間をかけたですって?」 あの部屋には犯人の苛立ちが感じられると言ったのは安慈だ。だが時間をかけてひとつひとつを破壊していったとしたら、 見解はまた変わってくる。チラっと視線を送ると、当の安慈はいつもの仏頂面をさらに底冷えさせ、眉間の皺を三割ほど 深くしていた。それは――アテが外れたことによるためではないような気がした。 比古は続ける。 「そう。大層な物音を立てたくなかったんじゃないかというのが鑑識の見解だ」 「そらそうや。防犯レベルが高いからって盛大にブチまけてとったら、だれかに気取られる。せやったら、そんな 物を壊すような探し方はせえへんかったらエエんとちゃいますの?」 「探しているけど探してない?」 「壊すんが目的とか?」 「ガキじゃねーんだからよ」 「不可解な行動だな」 そうだなと、呟く比古に斉藤がさらに霍乱させた。 「もしくは家捜しそのものがフェイクなのか、だ」 「じゃあ、本命はなんだ。小指か?」 比古の呟きに待ってましたとばかりに沢下条が前に出た。彼と恵は被害者の交友関係、特に昨夜一緒に居酒屋で食事を したという友人の元に出向いている。被害者の携帯履歴からの割り出しだった。 「その友人っていうのは、ガイシャとは高校時代からの付き合いらしいです。年に 何度か親交を暖めているみたいですね。小指のことを聞くと、指輪がはまってたのを覚えてました。 ガイシャって宝飾店のオーナーしてるくせに、ふだんは指輪とかせんらしいですわ。訳を聞いたら、鍵やとか なんとか。ただ、その彼はあんまり宝石に詳しくないらしくって、銀色の土台でダイヤが詰まった高そうな感じのん やったって」 「プラチナにダイヤか。でもさ、その指輪が幾らしたかなんて分かんないけど、彼の手にはパテックが 残されたまんまだったのよ。怨恨なしのただの物取りならあれを置いてかないわ」 「パテックって何?」 「時計よ。定価で二百万エン超ってとこかしら」 「ゲッ。ただの皮の時計やったで」 「ダイヤの指輪にダイヤの時計じゃ趣味が悪いって思ったんじゃない?」 「恵さん、そういう意味じゃ……」 「だが、死体の小指から指輪を抜き取る作業がそれほど困難だろうか? 死後硬直などすぐに始まる わけではないのだからな。だったらなぜ切った?」 安慈が混ぜっ返す。指を切り取って、その後の家捜しに似せた行為の方が、余程時間と手間を掛けているだろう という意見だ。 「死体を欠損させること事態に意味がある、か。ある程度の恨み。あるいは、指輪が鍵だというんなら、 他にも探すべきものがあった可能性もあるわな」 比古は無駄な行為など存在しないと言わんばかりだった。恵は斉藤の方へ向き直った。 「それで斉藤、元東洋の神秘はまだ行方不明なの?」 「行方不明と言えるのかどうか。まっ、昨夜もしくはそれ以前より不在なのは確かだな」 「関わりはあるのかしら?」 「何か聞いた可能性は捨てきれない」 「現場を挟んでの隣家の住人は何も物音を聞かなかったんでしょう?」 「つくりかけのジグソーパズル――」 斉藤の眉間の皺が寄る。 「完成寸前で放棄されていた。昨夜、四乃森が静かにパズルに向っていたのだとしたら、 アクション映画で騒々しい室内の住人には届かなかった何かが聞けたかも知れん」 「だとしてもよ。そんな物見高い性格してるかしら? たとえ断末魔の悲鳴を聞いたとしても、無表情に パズルを組み立てていそうじゃない?」 「隣家で悲鳴? 物が壊れる音? ワイやったらまず110番するな。絶対出向いたりはせえへん。怖いやん」 「それは、そうだな」 恵や沢下条の言うとおりだと思う。首を突っ込むなどおよそらしくない。 だが、蒼紫の不在がただの外泊であるとはどうしても思えないのだ。あの捨て去られてようなパズルの欠片が斉藤の 五感になにかを訴えかけていた。 なにかとはいったい。 手を止めるような不意の出来事。 動くわけ。 そんな斉藤の黙考を遮るように安慈が肩に手をかけた。 「考えても答えは出まい。いまは情報収集だ。ガイシャがつけていた指輪が気になる。オーナーの死亡で 宝飾店は休業らしい。事務所にでも出向こうと思うが?」 安慈の提案に斉藤も苦笑して立ち上がった。 その姿を見送ってクツクツ笑うふたり組みがいる。 「なぁ、恵さん。あのお人が絡むと斉藤さんの切っ先が鈍るって感じるんは、思い過ごしやろうか?」 「思い過ごしなもんですか。やぁねぇ。保護者モード炸裂で気持悪いったらないわよ。あの斉藤がニヤケ面下げて 一目ぼれとか言った日にゃ、背中に向けて全弾撃ち込んでやる」 ホルスターから拳銃を取り出し構えてみせる恵に、沢下条はカラカラと笑った。 「恵さんのその複雑な心情は一体何なん? だれに嫉妬してるん? 斉藤さん取られて悔しいとか?」 恵は入り口に向けていた銃口をサッと沢下条に合わせた。 「ふつうさぁ。いい女を男どもが争うもんでしょ? どうなってるのよ。この世の中は」 恵の苛立ちがすごく理解できた沢下条だった。 被害者の経営していた宝飾店にたどり着き、自社ビル持ちかよと、斉藤はその男の苗字を冠した建物を見上げた。 大通りに面した一階部分は、シンプルなショーウィンドの自店舗。臨時休業の張り紙がされてあった。それよりも上 の階は歯科医院やエステサロンなどのテナントを有しているが、やたらと空きも目立つ。被害者の事務所は その二階だという。二人は早速宝飾店の副社長に面会を求めた。 出迎えてくれたのは、ラインの際立つスーツに身を包んだゴージャスな美女。頭のてっぺんから爪の先まで 金の掛け方が違うと、無粋者のふたりにもそれだけは理解できた。むせ返るような香水の香りに辟易しながら、 長居は無用だと直裁に問うた。 「些細なことでも結構です。何か商売上、あるいは交友関係でのトラブルなど気づかれた点をお聞きしたい」 副社長は真っ赤な口元で艶然とした笑みを零した。 「会社の売り上げ、取引などは順調ですし、オーナー自身起業家にありがちな傲慢さのない方でしたので、 恨まれるということは考えられません。金銭目当ての物取りなのではないのですか?」 「四十年近く生きてきて、何のトラブルもないというのも不気味な気もしますが?」 「ではわたしが存じないだけなのでしょう。ビジネスのパートナーとしてだけの付き合いですから。 でも故人を侮辱するような発言は頂けないですね」 冷静に対処されて、斉藤は素直に詫びた。 「オーナーが小指にはめていた指輪についてですが、それを犯人は持ち帰ったと思われます。 友人には何かの鍵だと語ったとか。だとすればかなり大切にされてた訳ですね。どんな些細なことでも結構です。何か ご存知ではないですか」 副社長はあぁとすぐに思いついたようだ。 「彼がデザインして加工させたペアのリングです。一点物ですわ。素材を選りすぐって、 自分のためだけに製作したようなものです。確かに何かの鍵を刻んだとか言ってましたね。全財産をかける ような値打ちのあるもの。生憎それが何なのかまでは存じ上げません」 「ペアリングということは、二つ揃ってパスが完成するという意味でしょうか?」 「そう、かも知れないし。そうでないかも知れない。わたしには……」 「では、その片割れを持っている人物にお心あたりは?」 「生憎彼の私生活にまでは踏みこまさせてはもらえないの」 「それは踏み込みたかったと邪推してもよろしいか」 副社長はコロコロと優雅に笑った。 「何が何でも痴情の縺れといった陳腐な動機になさりたいのね。わたくしに言わせれば愚の骨頂ですわ。例えばわたくし が彼に恋慕していて、それを受け入れてもらえなかったとか、受け入れられてもその後裏切られたとか。あなた方が 想像なさっているようなことがあったとしても、さっさと忘れて次の恋を見つけるだけの柔軟性はあるのよ。女には」 冷ややかなもの言いだった。 continue |