旦那さまは魔王?
りたーんズ

(3)刃向かった!





「君は自分の立場を理解していないようだ」



 間近にいたユキムラは背中に大きな翼を出現させ、ブワリともたげると後方へと飛びのいた。 詰めすぎた間合いを嫌い、穏やかだった雰囲気を置き去りにし、類稀なる甘美な容貌故に、いっそ見事な剣呑さが 際立つ。
 彼は手塚が払いのけた手に残された痕跡をじっと見つめ、そのまま言葉を重ねてきた。
「いまはただの力ない人間風情が、どうやって僕たちと渡り合えると思っている」
「それでも、訳も分からないままに、お前たちに服従するのは死んでも厭だ」
「死んでも、ね。死の恐怖と直面したことのない者に限って簡単に言ってくれる。 本当にそうなってしまうよ。手加減って好きじゃないし、君には出来そうにないし」
「最初からそのつもりなんだろう。言い訳しながら人を害するのがお前の趣味か!」
「ああ。本当に噛みあわないね。僕たち」
「ひとつ聞いていいか」
「なんなりと」
「俺がお前に何をしたんだ。そこまで忌み嫌う所以はなんだ」
 ユキムラは小さくクスリと笑った。
「君の与り知らない前世の話を差っぴいてあげるとしても、殺気を向けられてのほほんとしている ところとか、バカみたいに矜持を保っていられるところとか、他人事みたいに構えていられるところとか、 人の怒りを素通りさせるところとか、そして、そうやって聞き返すところも」
 総てが疎ましい。
 そう告げられ手塚は僅かに瞑目した。
 ごめんよ、と言い放つとユキムラは素早く手刀を振り下ろす。圧搾された空気が、幾つもの半月状を描いて 手塚に襲い掛かった。思わず、目を閉じることも忘れ、両手を広げて後ろの不二を守る。
 歪な動きを見せるそれが変化のきついサーブに見えて、何も持たない左手に力が入り、両足はそれを受ける スタンスを取ってしまう。
 迫り来る。
 避けられない。
 耳元でシュンと皮膚が裂ける音。遅れて頬に生温かいものを感じる。痛みはそのずっと後にやってきた。
「あれ。怯えでもしてその場でじっとしていたら当たらなかったのに。変な動きを見せるから、綺麗な顔に 傷つけちゃったじゃない」
「お前。わざと顔狙っただろ。止めろよな!」
 ブン太がユキムラの様子を案じて諌めに入った。まったくどちらの味方か分からないと彼は余裕の笑みを 浮かべている。
「彼が悪いんだよ。ただの威嚇だったのに動くから」
「ふつう、そんな攻撃見せられたら動くっつうの!」
 手塚は、タラリと頬を伝う血の赤を親指で拭って二人を睨みつけた。フツフツと足元から怒りが湧き上がるが 、確かになす術はない。けれど何があってもこの男にだけは屈したくはない。
 言葉にすれば笑われてしまうような意地だった。
 ただそれだけの矜持をもって手塚は正面を見据えていた。
「ほら、怒ってるじゃん。こんなところで喧嘩なんかしてたらさ、あとで仲良くなれないっしょ。 殺す気なんかないくせに、弄りもんにすんのはやめれ」
「殺す気? なくはないよ。ただ彼とはね、天地がひっくり返ったって仲良くなれないんだ。ブザマに命乞いでも すれば、まだ可愛げがあるってものさ」
 僕の気も多少は治まるだろうに。
 そう言ってユキムラは片手を挙げると手の中に一振りの剣を具現化させた。彼が持つには余りにも不似合いな 直線的な武器を肩に担いで、手塚ではなくその後ろの不二を指差した。
「頑固な君の説得は時間がかかりそうだから方法を変えよう。傷をつけると煩いヤツもいるし、僕だって いつまでもこの空間を閉鎖していられないしね。で、君が庇っている後ろの彼。 動けないんだよ。友達を犠牲にしてもいいと言うのかな。僕はどちらでも構わない。それも君の返事ひとつだ」
「卑怯だぞ!」
「戦いにね、卑怯も蜂の頭もないんだ。強ければ勝つしそうでなければ負ける。この如何ともし難い力の差が 認識できたのなら、速やかに服従すべきだったんだ。そうすれば悪戯に君の友達を危険に晒すことも、君 自身が怪我することもなかった。突っ走るだけで引き際を知らない子供に、卑怯呼ばわりされる謂れはない」
 吐き捨ててユキムラは地面を蹴った。冴えた双眸。何をも恐れていない。己の信念に生きている者の瞳だった。
「次は外さない。足や腕の一本。あとでどうとでも再生できるのだからね!」
「うわぁ。ユキムラのヤツ。とうとうキレやがった!」
 ユキムラが風を切る音と、ブン太の叫び声と、手塚の声にならない叫びだけがそのときの総てだった。



 真っ直ぐに襲い掛かる白刃の先だけが目に入る。不気味なほどに妖しい光を放ち、それがユキムラの心情を 現しているようだった。
 この男は知らない。なのに、この苛立ちを含んだ怒りには身覚えがある。
 いつ。どこで。こんな狂刃を向けられたのか。身に受けたのか。斬り返したのか。その意図も分からないまま、 死んでしまうのかと諦めたそのとき――
「そこまで!」
 と、ユキムラの刃を別の刃が高い音を立てて弾いていた。
 遅れて手塚の目の前が真っ黒に染まる。うごめく漆黒の羽根を持つ背中が彼を刃から守っていた。
 その男がニパッと笑いながら振り返る。この男も知らない。なのに懐かしさが込み上げてくるのはなぜだ。
 どこまで行ってもこの混乱は収まらないし、何から聞けばいいのかも分からない。 いや、いっそもう関わらないでくれと言いたかった。
 手塚はふと思い至る。つい最近もこんな科白を吐いた覚えがある。気が滅入るほどの鬱蒼とした風景の下、 この男を含めた幾つもの黒い影が、既視感となって蘇った。それなのに男は至って軽快だ。
「無事ッスか、テヅカさん。あれ、怪我しちゃってる」
 かなり強い癖毛の男だった。彼はユキムラの剣を受けながら、横目で手塚の顔色を伺っていた。
「お前か、アカヤ」
「王じゃなくて残念でしたね。テヅカさんの顔、やったのユキムラさんスか?」
 互いの剣を弾きあい、二人は同時にそれを収めた。ユキムラは否定も肯定もせずにうんざりとアカヤを 見つめている。手塚は詰めていた息を大きく吐き出した。よく分からないが助かったらしい。
「お、アカヤだ。久し振りぃ! なんか大きくなってねえ、お前?」
「成長しませんよ、そんなもん。ブン太さんこそ甘いもの食い過ぎて太ったでしょ。控えなさいよ」
「ち、お前可愛くね。あれ以来全然遊びに来ねえじゃん。何してたんだよ」
「気軽に遊びに行ったらその場で戦争勃発だって。それよりもユキムラさん――」
 愛の精霊。優美な容貌と秀麗な内なる光をたたえた御前天使の、隠そうともしない敵愾心を認めてアカヤは うそぶいた。
「セラフィムの地位にありながら、まだ魔王に懸想してんだ? イケナイ人だな」
「煩いよ」
「否定しないところが、あんたの情念の深さを物語っている。セツナイもんスね」
「何年たっても愚にもつかないことをベラベラと喋るヤツだよ」
「俺はあんたとは違って、真っ直ぐに人を好きになる素直な悪魔ってのが身上でね。テヅカさんに何しようと してるかは知らないけど、この俺がいる限り指一本触れさせませんよ。この怪我の代償は高くつく。 覚えといてください」
「魔族の庇護を受けるとは大したものだな。それとも人間風情の護衛に成り下がったか、アカヤ」
「惚れた弱みです。番犬呼ばわりは甘んじて受けましょ」
 スッと視線を絞りユキムラは手にしていた剣を消滅させた。個別の攻撃能力はほぼ互角。二対一な分アカヤ に勝る。だが、雌雄を決するつもりなどはなからなく、引き際を知らない子供と手塚に言い放った手前もある。
 怒りに任せた反動でズキズキと痛むこめかみを押さえてユキムラは地を蹴った。小さく飛翔し、行くよブン太、 と搾り出す声は掠れていた。
「気が済んだか?」
「まったくどいつもこいつも……ブン太を連れてくるんじゃなかった」
「まぁ、そう言うない。早く帰ろ。ハラへったしな。みんなも待ってるし」
 ユキムラは、ひとりの魔物と、種族の間にすっぽりとはまり込んだ男を睥睨した。
 この手で握りつぶしたいという激しい衝動。けれどいつの時代も何かが彼女を守ってきた。追い詰めてその 器が消滅してもその前に意図も簡単に離脱を許してしまった。
 そしてまた別の器へと転生。
 いつだってほんの少し手が届かない。
 いつも、いつも。
 しかし方法と機会はいくらでもある。これは負け惜しみでもなんでもなく事実だ。ユキムラ一個の感情では なく、創世神が命を出し天界が動き出した。総ての天使がリリスを消滅させた彼の確保へと動く。
 そしてその後はエテメナンキ(神の塔)で終生囚われの身だ。
 ざまあみろという口汚い言葉がくぐもった。
 創世神に刃向かえる者などこの世にあろう筈がない。
 ただ、こめかみが痛む。
 ブン太が手を振り、ユキムラは彼等を振り向くことなく、ヒュンとかき消えた。



 ふたりが消えた途端に、風と空気とざわめきと総ての生命が正確にときを刻み始めた。
 手塚の背後で小さく息を呑む音が聞こえる。平穏な日常が戻った音だった。
「大丈夫か、不二」
 振り返り置き去りにしていた感のある不二に問うが、彼は分断されたときの流れの違和感を払拭する ように一度瞳をを瞬いただけだった。
「えっ。大丈夫って何が?」
「いや、変わりないならいいんだ」
「変な手塚だな。それよりもコイツ誰?」
 いつ姿を現したのか、手塚の真横についているアカヤを指差す。彼にしてみればプックリと沸いて出たような ものだろう。
「初めまして〜。アカヤっていいます。テヅカさんの護衛役をかって出てます」
「護衛だって? 何があったんだ? それに必要ないよ。いままでだって僕たちが――」
「あんたたちには無理ッス。かなり切羽詰った状況に陥ってるからね。テヅカさんのことは俺に任せてください。 それにテヅカさんだって命の恩人の俺に対して邪険にはできないんスよ」
「命の恩人? 冗談じゃない。手塚は僕たちの部長だ。見ず知らずの君の出る幕じゃない。どういう経緯で知り 合ったかは知らないけど、手塚を助けてくれたのなら、取り合えずお礼だけは言っておく。だけど後は僕らに 任せてもらおうか。お引取り頂いて結構だよ」
「いいんだ、不二。これ以上お前たちを危険な目に合わせる訳にはいかない」
「手塚! 危険ってどういうことだよ!」
 憤りの余り開眼状態の不二に、上手く説明できないと彼は詫びた。そしてすまないと。
「こんな不審な男なら君を助けられるっていうのか!」
「分からない。けれど相手はそれ以上に不審で不穏当なんだ」



 まるで張り巡らされた蜘蛛の巣の上にいるようなものだ。そして彼らは情け容赦なく絡め取りにかかる。
 無駄な足掻きかも知れないけれど、どうしたって仲間に危害が及ぶかも知れないけれど、それでも身体を張って 最小限で食い止めるからと、手塚はその場を後にした。






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