仲間意識などあってないようなもの。 それが魔族の魔族たる所以だとアカヤの背は語っていた。 初めて出会ったのは、もう記憶に掠りもしない大昔。ぎらぎらと輝かせた瞳は敵愾心を隠そうともせず、 小生意気で自己顕示欲をひけらかす子供でしかなかった。 反骨心と刹那的なほどの虚無心を持て余し、楽しそうだという理由だけで一緒に堕天した男。 それがいつの間にかいまは確実に、己の放つ欲望を叶えるだけの 行動力もつけてきている。好機と隙と切欠さえあれば本気で叛旗をひるがえしてくるだろう。 確かにそれはアカヤに限ったことではないのだ。 「好き勝手ほざきやがる。半人前が一端の口を利くようになったじゃないか」 袍衣を払ってサナダは立ち上がり、ヤナギに背を向けた。だから彼からは、苦々しい口調の本意は掴めない。 僅かに心待ちにしているような、そんな歓喜さえも感じる。 彼にしたところで地獄で平穏など膿んで唾棄すべき局面なのだろう。 「けれどアカヤのヤツ、なかなかいいところがあるじゃないですか」 「ふん」 「王もそう思われたでしょう? 正々堂々と宣言せずにいられなかったのでしょうね。内に秘めていられない など彼らしい」 「この俺に宣戦布告など百年早いわ!」 「酷く個人的な事由ですけれどね」 抽象的なヤナギの物言いにもサナダは背を向けたままだった。彼等の思うところは、同じ方向を向いている。 それを自覚しているかしていないかの違いだけで。 「アカヤではないですが、私も実は気になっています。天界は、いや、創世神はリリスをサーチしていたの でしょうか? だから彼女が消えた途端に二人を遣わせ彼を見張り出した。でなければこの時期彼等が 現れた意味が分からない。けれど天界の意図はどこにあると思われる?」 かまびすしい魔族たちの咆哮がどこか遠くから聞こえてきた。続いて断末魔のような叫び声。同族殺しの 罪がまたひとつ積み重なる地獄の日常だった。 その声を聞きながら魔王は、リリスは――と、どこか懐かしむ口調で切り出した。 「リリスとアダムは――特にリリスは創世神手ずからつくり上げ、試作品にして最高傑作だと称された 女性体だ。最初から人間の男に添わせるためだけに存在し、従順であることを至高と教育されながら、 あろうことかリリスがアダムを厭がり出奔し堕天使となったのが第一の汚点。そのうえ当のリリスがただの 人間風情に昇華されてしまったのだ。泡を食って熾天使級を派遣したところで、別に不思議はあるまい」 「堕天したという汚点ならば、我等も同じではありませんか? それなのに、あのとき以来攻撃を仕掛けられた ことはありませんよ。情け容赦のない創世神のこと。地の底に封じたと安堵している筈がない」 無論、封じられたとも思っていませんが、とヤナギは小さく哂った。 「リリスとアダムは特別なのだろうよ。我等は配下の天使。しかしあの二人は創世神の血肉だろう。怒りも それ相当だったと思うがな」 「成る程。天界の方々は揃いも揃って執念深くていらっしゃる。しかしリリスを見張っていたということは――」 「始末するつもりはないようだな。その気があるなら人間のひとりやふたり、跡形もなく消えている。 あの男のなんに利用価値を見つけたかは知らんが、随分とまどろっこしい真似をするものだ」 しかし――と魔王は愉悦に満ちた歪んだ笑みを浮かべる。大言などけして吐かない男にしては珍しいと ヤナギは瞠目した。 「ユキムラとなると話は面白い。天界もとんだ人選ミスをしたものだ。ヤツには身動きとれぬ枷がある。 所詮天使など悪魔予備軍にしか過ぎん」 「御意」 知らなければ対応は後手後手に回っていただろう。いみじくもアカヤの好奇心が彼等に弾みをつけ、 アカヤの熱情が引き金となった。感謝などしては牙を剥くだろうが。 認めてヤナギは魔王の前に膝を折った。創世神と天界を巻き込んで随分と楽しめそうだ。魔族同士の小競り合いに 飽いていた所以でもある。 「この世にあなたが望んで叶わぬものなどないと豪語しておしまいなさい、デーモン・ロードよ。欲望のままに むしり取ってこそ、総てがあなたの前に傅く。創世神如きに、魔界はおろか人間界すらいいように弄ばれる のは我慢ならない。よい好機です。天界戦争の第二幕と参りましょうか」 「言わずもがなだ。あれは俺のものだ。誰にも渡さん」 その日、練習も終了間近になって急に暗雲が立ち込め、一気に辺りはかき曇りだした。一雨来そうだ。 大会を控えたこの時期に無理を強いて体調を崩させては元も子もない。顧問 の竜崎は早めに練習終了の指示を出した。 「二年生。一年を手伝ってネットをかたせ! 手の空いた者はボールを片付けてやれ! 備品も忘れるなよ! 早くしろ。雨が来るぞ!」 一々部長の手塚が指示を出さなくても、副部長の大石が仕切ってくれる。肩を冷やすといけないからと、不二に 促されて最上級生たちは部室へと急いだ。 ポツリと最初の一滴が乾ききった地面に跡を残した。どこかで遠雷がなる。鉛を流し込んだように重なり あった曇り空に、またざわつきが襲い掛かってきた。 近頃どこか皮膚感覚がおかしい。隣の不二は恨めしそうに天を仰いでいる。 「あんなにいいお天気だったのに残念だ」 「春先は天候が不安定だ。それに泣く子と雨には勝てないと言うからな」 「歴史の勉強になってんだか、ならないんだか。手塚ってば、お祖母ちゃんっ子だったていうのが滲み出てるよ」 「日常会話じゃないか?」 「うん。ふつうに使わないね」 「まあ、祖父母の育てられたというのは間違っていないが」 「だろうね。きっと三時のおやつは縁側でそばボウロでお茶って感じだな」 「あれは歯が丈夫になる」 「やっぱそうなんだ!」 きゃらきゃらと笑った不二を追い越した視線の先、何の前触れもなく立ち竦む二つの人影に手塚は目を細めた。 明らかに部外者。青学の生徒ですらない。何をしていると問う前に彼等の方から歩み寄ってきた。 「やぁ。こんにちは。一応初めましてと挨拶しておこうかな」 二人のうちでは少し長身の、それでも線の細い男がふんわりとした笑みを浮かべて切り出した。 「他校生か? こんなことろで何をしている。偵察なら生憎だったな。練習は終わりだ」 四角四面に斬り捨てた手塚に、男は鷹揚に肩を竦めて後ろの連れを振り返った。 「聞いた、ブン太? 恐ろしく瑣末な用件だと誤解されているよ。人間の想像力って哀しくなるほど矮小だな。 稀代の魔女を浄化させたからには、見た目に反してもっと人間離れしているのかと思っていたのに」 「人間なんてみんな似たり寄ったりだろい。お前が変な期待し過ぎだっつうの」 後ろに控えていたブン太と呼ばれた男は、ガムをプクリを膨らませて明後日の方向を向く。相方の気のない素振りを 咎めることもなく、男は相変わらず艶然とした笑顔を貼り付けて手塚に視線を戻した。 こんな場合、手塚に接触する者に憤然と食って掛かる不二が大人しくナリをひそめたままだ。訝しんで 振り返ると、あの口うるさいチームメイトは黙ったまま立ちすくんでいる。 いや、文字通り塑像となって固まったままだった。総ての機能が停止したかのように。 「不二!」 気づけば、振り出しそうだった雨も、風も、そして存在する空気すら途切れている。手塚と彼等を取り巻く 空間だけが切り取られたかのように。 ざわりと怖気が走った。 「お前たち何者だ!」 「部外者でもなければ、偵察でもない。気づかないかな。ついでに人ですらないよ、手塚国光くん」 訳の分からない恐怖から手塚はジリと後退った。男が間合いを一歩詰めれば、柔らかな紫がかった髪が優雅に 揺れる。物腰や口調はこれほど穏やかなのに、その視線は狩猟者のものだ。 手塚の喉がゴクリと鳴った。 「そんなに警戒するものではないよ。元はといえば同族じゃない」 「不二に何をした!」 「邪魔が入ると無駄な時間を食うだけだからね。君の周りを残して空間を閉鎖させてもらった。そうでなきゃ、 話が進みそうにないでしょ」 僕も暇ではないし、と彼は片手を伸ばして手塚の頬に触れてきた。厭って身体は逃げを打つが、これ以上後ろに 下がれない。 「あの女の最後の接触者か。いままで散々と器をとっかえひっかえしてきたようだけど、君は、リリスその ものじゃないか。どう思うブン太?」 「俺に聞くな。リリスのことなんか覚えてるのはお前くらいのもんだろい」 「ふつう転生を続けるとね、摩滅するっていうか本体の特性は徐々に薄まるものなんだ。それが極まってこの子で 浄化されたのだと思ってたけど、違うみたい。酷く濃い。一瞬にして先祖がえりを果たしたのかな」 「ややこしいことはもういいじゃん。お前は生殺与奪権を与えられてるんだぜ。必要なら連れ帰る。 タシにもならないようなら抹消だろ。さっさと決めろよ」 ブン太の文句を制して男はじっと手塚を見つめる。息苦しくなるような視線だった。 「そうか。だから創世神はこの子を選んだんだ。まさに打ってつけ、か」 「お前は――一体!」 「あぁ。僕はユキムラという。こっちはブン太。ここまで足を伸ばして君に朗報を持って来た者だ。 感謝してもらいたいくらいだね」 「朗報だと?」 「そう、喜んで。創世神は君の罪を帳消しにすると約束された。天界に戻ることを許されたんだ」 「言っている意味が分からない!」 「お前がさぁ、なんも覚えてないつうのは分かってるって。けど、まあそいうことだから、取り合えず 俺らと一緒に来る。説明は後。それでオッケ?」 ブン太はポケットに手を突っ込んだまま前に出た。戸惑う手塚をじろじろと下から一通り観察し、ひょいと 眼鏡を外すと徐に自分に装着して見せた。 「何をする!」 「うわっ。度、きつ!」 「ブン太の説明じゃ分かり辛いし無理強いはよくないよ。眼鏡、返してあげて」 「えー、お前とは違ったタイプの別嬪さんなのによ。勿体ないぜ、それ」 そう言うと本当に何の脈絡もなくブン太は手塚に抱きついてきた。 「――!!!!」 泡を食って引き離そうとするが、小柄な癖にこの男、矢鱈と力が強い。拒絶の言葉が咄嗟に出なくて、 酸素を求める金魚のようにパクパクさせるのが関の山だった。なのにブン太は、 「抱き心地わる〜」 と、のたまう。手塚は思い切り拳で張り倒してやった。 「いて!」 「ごめんね。この子、綺麗なモノに目がないから。でも君のこと気に入ったようだよ」 「茶番はもういい。用件はなんだ。聞いてやるからさっさ話して不二を元に戻してやってくれ」 「用件? さっき言っただろ。仮初めのヒトとしての生活に終止符を打って、天界に戻る。創世神のご好意 であり絶対的な命令でもある。是非はない。嘗て天使として名を連ねていた君にはね」 ユキムラから差し出されたその手を手塚はパシンと跳ね除けた。穏やかだったユキムラの表情が一瞬凍りつく。 理解できないというふうに目を丸めていた。 「神だの天使だのと、御託を並べるものいい加減にしろ! そんな話を聞いて、はいそうですかと納得するほど 常識はずれではない! 現実と空想との区別もつかないのなら、それ相当の居場所があるぞ! そこで 気が済むまで夢を語るといい!」 ブン太が軽く口笛を吹く。ユキムラの笑みは消えていた。 「もし、仮にお前たちが言っていることが真実だとしても、命令される謂れなどない!」
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