風蕭々と 〜依頼





「酷い有さまだね」
 未だ残り火がそこここに燻っている嘗ての繁栄の残骸、鎬京。うず高く積まれた骸が所持していた遺留品や 、塵芥の中に埋もれる宝物に群がる盗賊の姿は引きも切らない。捨て置かれた貴人目当ての奴隷商人たちも、 欲望むき出しの目つきで徘徊している。
 そんな中を、いっそ美少女と呼んでもおかしくないような風体の少年が、警戒心の 欠片もなくゆったりと佇んでいた。射るような、そして明らさまな好奇の視線にも動じないばかりか、 開けっぴろげに見えて、付け入る隙を与えてはいない。相当場数を踏んだ胆力の持ち主だと伺えた。
 この城市、結構好きだったんだけどなぁ、と間延びした嘆息混じりの声を上げたそのとき、彼の待ち人 が軽快な足取りですっ飛んできた。その様子から首尾は上々だなと笑みを送る。
「不二〜。お待たへ」
「ご苦労さま、英二。見つかったわけだね」
「うんうん。人海戦術で隈なく探してくれたよ」
「助かるね」
 英二がプイと顎をしゃくる。その拍子に外側に跳ねた癖っ毛が歩揺のように揺れた。
 彼が送った視線の先には、少人数の警備兵を配した一団があった。中心に騎馬の将校らしき兵。 馬の首に掛けられた編み籠を庇うように抱え込んでいる、その中に目的のものが収められていると、 英二は調査済みだ。
 騎馬兵のぐるりには大して戦力にもならないだろう歩兵が取り囲んでいる。鎬京を出て、城市の外に展開している 氷帝公の陣屋までの道行だ。さして困難な輸送ではないと踏んだか、それとも盗賊たちの逆を狙ったか。 実際、他の財宝を運び出す警備の方が物々しい。 どちらにしても甘いことだと不二は嘯いた。
「英二は右から」
「ほい、ほい」
 二人は肩衣を目深に被り紐で固定して顔を隠す。息を顰め、打ち合わせなどなくても、自らが決めた持ち場は 知っている。頃合は一団が城壁近くに差し掛かるときと定めた。
不二が一団の左から気を逸らせるために投石する。それが合図だった。



「――!」
 一団の気が散じた。
「何ヤツ!」
 身軽な英二が城壁の上から中心の将校目掛けて飛来する。中空で一度回転して絶妙の間合いで馬の 首に回された麻紐を小刀で断ち切った。着地の反動を利用した跳躍で、歩兵たちの頭上を軽々と飛び越えて、 後方の廃墟へと消え失せる。目にも止まらない早業だった。
 警備兵の注意が英二に吸い寄せられている隙に、今度は不二が集めた燐粉に摩擦を与えて、一団に 投げつけた。
 直視できないほどの閃光。
「――!」
「うわぁ! なんだ!」
 馬が棹立ちになり編み籠を守っていた将校が振り落とされた。将校はわが身よりも馬の首から切り離された 籠の中身を庇う。地に激突しながらもそれを両手で抱えた彼の目睫に人影が走った。味方の兵士ではない。
「賊だ! 隊形を整えろ! 気取られるな!」
 将校は叫ぶ。違う方向からまた尾を引いたような影。動きが早すぎて目がついていけない。
「何をしている! 近くにいるぞ!」
「取り囲め! 持ち場を離れるな! 賊の人数が分からないぞ!」
 蜂の巣を突いたような騒ぎの中、光で射られた目が周囲に慣れたきた頃には、囲んで死守していた筈の籠は 消え失せていた。
「い、いつの間に!」
 それが彼らの生業だった。



 至宝を籠から麻袋に移した二人は、焼け跡なのか貧民屈なのかわからないほど雑多に入り組んだ居住地を 更に奥へと進んだ。そこに彼らの根城がある。もともとは孤児や遺児たちを一所に押し込めた孤児院か、 救済所のような役割を果たしていた一角だ。反骨と結束の強さが息づく街。二人ともこの猥雑さの中で 育ってきた。
「意外と楽勝だったね。王家の至宝とかいうから、どんな屈強な兵士が脇を固めてるかと思って、緊張して 損したよ」
 手応えなくてつまんにゃい――と口を尖らせる英二に、不二はシッと唇の前で人差し指を立てた。
 微かな殺気。普段から騒然とした街が少し毛色の違う気で歪む。英二が小刀の柄に手をかけた。不二の懐には 経絡を一突きにし死に至らしめる暗器がある。陽気な二人が前のめりに尖った。
 そのとき――呼気もままならない逼塞感が、ふと緩んだ。薄暗い路地から背の高い影が差す。
 見覚えのあるザンバラ頭。貴重な玻璃を加工してつくった、眼鏡なるものを掛けているのはこの男ぐらい なものだ。
「わあ〜い、乾じゃん。久し振り。元気にしてるみたいだね〜」
 認めた英二が乾に飛びついた。何も含むところがない英二に比べて、不二はいささか辛らつだ。
「紛らわしい真似してるんじゃないよ。僕の手を離れた針が乾の首元に突き刺さったって、抗議は一切 受け付けないからね」
 不二の斜め方向からの視線を乾は鷹揚にかわしていた。玻璃を通した彼の瞳がどのような色をなしているのか、 不二には伺えない。
 依頼人にしてよき理解者。
 どこから受けるのか、乾が持ちかける計画とその報酬は、いつだって彼らの矜持を刺激する。感謝こそすれ 疎う理由などないのに、なぜが無性に苛つく。あの度し難さに。
「二人の腕が鈍っていないか、確かめさせてもらった。まぁ、余計なお世話だったろうけどね」
「こんな街に住んでいたら、日々緊張、また緊張さ。鈍る暇なんかあるもんか」
「不二は他の者には優しいのに、どうして俺にだけこうもつっけんどんなのかね」
「きっと乾に甘えてんだよ」
「英二、煩い!」
 不二の怒りを肩透かしにして英二は乾に擦り寄っている。
「乾ぃ。もう燐粉なくなりそうだよ。また調合してね」
「もうなのか? 滅多矢鱈と使いまくるんじゃないよ。そこから足がついたらどうするんだ」
「足がついたところで、行き着く先は乾の元。僕らには痛くも痒くもないね」
「計画どおりに手に入れたにしては機嫌が悪いな」
「きっと、手応えなくって怒ってるんだ、不二は」
 そんなことに拘るのは英二くらいなもんだ、と吐き捨てて不二は一軒の廃屋に入って行った。英二と 乾は肩を竦めてその後を追った。



 その家は、寂れた外観に比べて室内はいつ来ても綺麗に整頓されている。几帳面で、しかも英二操作の巧みな 不二の力技の結集と言ってもいい。なかなかいい組み合わせだといつにも増して乾は感心した。
 胡座をかいてくつろいでいる乾の前に不二は問題の品を取り出した。
 九鼎――赤銅色の祭器。
 夏の() 王がつくり上げ、王位継承の宝器としたという伝説がある。現存するこれが唯一のものならば、悠久の 歴史を王家と共に見守ってきたことになる。しかも、王朝の転換期にのみ取り沙汰される数奇な運命にあった。
「なんだ、お宝ってゆうからもっと綺麗なのを想像しちゃったよ」
 英二が好む璧や玉とは用途がまるで違う。食物を煮たり湯を沸かしたりする延長線上で発生した祭器だ。
 興味をなくしたのか、英二はごろんと横になった。それを目で追って、不二はゆっくりと乾と向き合った。
「乾、一体どこのだれがこれを欲しがったんだ」
「おや、珍しい。不二が依頼先を気にするなんてね」
 早すぎるんだよ、と不二は立ち上がった。不揃いの椀に湯を注いで客の前に差し出す。この椀も以前略奪した品の 一つだ。乾に売却する前に二、三個くすねてやった。
「早かったかな?」
「落ちる王都から九鼎を探し出せ。氷帝公が入城して間もなくだよ。君がこの依頼を持ってきたのは。 そうなると君の背後にいる人物はそれ以前より知っていたことになる。氷帝公自身ということはあり得ない。 彼らなら好きなだけ留まって好きなように探せるんだからね。誰だい? この急襲を知っていた裏切り者は」
 叶わないな、と乾は頭をかいた。何時になく追求の厳しい不二相手にお為ごかしは通用しない。それは乾が 腕を見込んだこの少年との決別を意味した。
 ふう、と一つ重い嘆息をついて、乾は告げた。
「東の大国、青学公」
「青学国って言えば、西の立海と並んで五覇の筆頭。それが王家転覆に加担したっていうの?」
「加担ではない。諦観。もしくは放置」
「言い方変えても、やってることは一緒じゃん」
 寝転んでニヤリとツッコミを入れた英二に、乾はまたしても頭をかいている。
「それで乾ってば、青学公の手の者なわけ?」
「どの国にも組しない縦横家が身上だろ。偶々立ち寄って、依頼受けただけだと思うけど。それとも金銀か官位 をちらつかされて意趣替えでもした?」
 そうではない、と乾は小さく囁く。暫く漂った視線は不二や英二を映していない。そのらしくない様に二人は 次に紡がれる言葉をじっと待った。



 兎に角来てくれと、乾は説明を控えて二人を家から連れ出した。
縦横交錯する貧民屈を行く乾はまだ何か考えあぐねいている。 懐手のまま蛇行して、それでもだれにもぶつからないのが不思議なほどだ。
 果断の男が見せる逡巡に後を追う二人も黙したまま付き従った。
 前をゆく乾は立ち止まって一軒の草屋に入っていった。二人もそれに倣う。
「ここは?」
「まぁ、俺の鎬京における隠れ家の一つとでも言っておこう」
「ふうん」
 雨露をしのぐだけのあばら家で、普段この男が何をしているのか定かではないが、そのような詮索は この際関係ない。二人は部屋の片隅に臥せっている人影に目を止めた。性別年齢はこの角度では 判断できないが、三人が入った物音に気づいたのか、その人物が半身を起こした。
 怯えたような怒りを含んだ瞳。若い男だ。身を起こすのが辛いのか、肩を抑えてガクンとつんのめった。
「無理をするな。まだ起きられる状態ではない」
 乾が慌てて駆け寄った。その男の背に手を添えて、上掛けまで掛けてやる甲斐甲斐しさだ。意外なものを見たと 英二の瞳が訴えている。それには肩を竦めて応えて見せた。
「もういいだろう、乾。早く説明してくれよ。何の用があって僕らをここへ呼んだのさ。まさかその新しい彼との 蜜月っぷりを見せつけるためじゃないだろ」
 口調は軽いが目は有無を言わせない強さがある。
「別に勿体をつけていた訳ではないんだ。俺自身、どう説明してよいものかと。そしてどう判断すればいいか 決めかねていた。事実だけを語るよ。その後どう処理するかは君たちに任せる」
 大層だなぁ、と英二。不二はただ頷いた。
「一昨日、瀕死の彼を拾った。ほとんど虫の息だったんだ。あのような騒乱の後で屍は累々、怪我人は十分な 手当ても出来ず死んでゆく。そんなものは見慣れていた。俺はけして慈善家ではないから、俺の足元に しがみ付いた彼を救う謂れもなかった」
「もう、まどろっこしい状況報告はいいから、さっさと本題へ入っちゃって!」
 お助け下さいと――と仰臥していた男が初めて声を出した。弱々しいが針を含んだ尖った口調。 それがこの男の進退極まりない状況を顕している。
「お助け下さい。わたしには、もう、どうすることも出来ない」
 今一度の懇願。男は痛む体を折り曲げて三人に平伏した。
「悪いけど、助けて欲しいのは何も君一人じゃないんだ。一々その言葉に耳を傾けている訳には いかない。僕らだって明日には骸をさらしているかも知れないんだよ。人助けに奔走するほど平和な街 じゃないからね、いまは」
「……しを」
「えっ?」
「わたし、ではない。太子を――太子手塚をお救いください!」
 不二と英二は顔を見合わせた。乾は何処に視線を送ればいいのか迷っている。
 男は地面に打ち付けんばかりに叩頭した。
「伏してお願い致します!」
「だ、だれを助けろって?」
 不二はひれ伏す男から後ずさった。怯えではなくただ距離が欲しかった。
 巻き込まれてはいけないと理性が 警鐘を鳴らす。ただ人には判じかねる問題だ。
「乾、これって――」
「言ったろう。君たちの判断に任せると」
 乾は迷いもないような顔をしてサラリと告げた。



 鎬京の空はいつにも増して昏い。





3−6コンビと乾のタッグは思った以上に強力。結構お気に入りの 三人です。
に、しても手塚の出番が〜。次は手塚、手塚なのですが、一番書きたくて書きにくいシーンに 突入(今から頭抱えてどうする?)