旦那さまは魔王?



(1)アレ?





 それは、とあるうららかな日の午後。
 たまの休日ということもあって、家から一番近いターミナルまで出て、スポーツ用品店でラケットのガット を張り替えてもらった帰りのことだった。
 俺の嫌いな雑踏で、苦手な喧騒に包まれながら、突然の出来事に足が止まった。
 多分、恐らく、相当疲れているのだなと、俺は突然天から降ってきたその物体を掌で受け止めて 誰にともなく呟いた。



 俺は一応全国に名を馳せている名門中学のテニス部部長で、生徒会活動なんぞにも手を出し、しかも元来の 生真面目な性格から学業の成績もそこそこなものを治めているから、先生方の信頼も篤い。卒業式は間違いなく 総代に推薦されるだろうと周囲は囁いている。決まりきった文を書いて発表するだけだから、別に 嬉しくも難しくもないが。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 副部長の大石は気配りがきくのか心配性な男で、そんな俺に少しは手を抜けと何度も説教してきた。
 無表情で強面と評される俺に、生活態度レベルの諫言をぶつのはあいつくらいなものだ。
 いや、確かに感謝はしている。そのとおりなのだが、俺の信条は『油断せずにいこう』だ。いまさら、 『気楽にいこう』などと意趣替えはできないだろう。
 できないだろうって、したいのか? 性格変えたいのか? いや、そんなことはない。人になんと 言われようが、生まれついた性質のままでいることは安定するものなんだ。
 固っ苦しかろうが、責務過多だろうが、目の前の課題を黙々とこなして、俺は安心する。 いまさらいい加減に手を抜いてことを進めても、それが気がかりで胃に穴を空けてしまうのが関の山 だろう。
 空くかな? 胃に穴。そうなる前に元の俺に戻っていそうな気がする。だから無駄な心配だ。
 まっ、だからとにかく、そんなことを口に出した日には、同年の乾辺りが嬉々として俺のおでこに手を添え、 『熱はないようだな』と、 眼鏡の奥を光らせてくる。そのあとセクハラ紛いの行為に発展して、なんだかよく分からんが、やけに張り切って 守ろうとする者や、ドサクサにまぎれて触ろうとする者などで部内は騒然とし、収拾がつかなくなる。 責任者として許されざる現状だ。
 頭の痛い話だが、そうなったら俺の部長としての威光はどこへやら。楽しそうにはしゃぎ合っているヤツらに 何度一喝してもたいして効き目はない。
 そんなものヤツらを楽しませるだけだ。俺はそれほど暇ではない。
 そうそう、乾と限定したのは部内でヤツが俺よりも背が高いからだ。他意はないからな。
 そんな俺だったから、疲労がたまりとうとう白昼夢を見たのだと思った。
 大石の言うとおりにすればよかったのだろうかとか、精神的なものは本当に無自覚なのだなとか、 仕事を減らすならどれから削ろうかとか、テニスは無理だとか、勉強も成績が落ちればお爺さまに 一本背負いを食らわせられるとか、生徒会の仕事も後僅かだしなとか、色々な思いが舞い落ちる大量の黒い物体 と共に駆け巡ってきた。



 黒い羽に足元が隙間なく埋め尽くされる。



 最初、カラスの羽かと思った。しかし空を見上げても雪のように降り落ちる黒い羽以外は何も見えなった。 しかもカラスが飛びながら羽をむしるなんて話も聞いたことがない。
 たぶん俺は相当長い時間呆けて空を見上げていたんだと思う。道行く人たちが俺に倣ってなにがあるのかと 視線を上げていた。しかし興味を引くものはないとばかりに俺を追い越していった。
 なん人も。なん人もだ。
 なぜだ?
 黒い羽は止むこともなく、ほとんどふくらはぎ辺りまで到達している。路上は真っ黒だ。それにはだれも 気づかないでスタスタと歩いている。スタスタだぞ。邪魔じゃないのか、それ? 気持悪くないのか?  それとも見えないのか、この異様な光景が。
 はっきり言って遅いかも知れないが、俺はそこで初めて身震いを感じた。
 この場に不二がいればまた危機管理がなっていないと小言を食っただろう。あいつと一緒でなくて よかったと、俺はまた状況を忘れそうになった。
 やはり鈍いんだろうか。
 とにかくここで気味の悪い羽に頭まで埋まってしまわないうちに家に帰ろうと、一歩踏み出したそのとき ――



 目を開けていられないほどの、まばゆい白い光に辺りが包まれた。



 まったく、きょうはなんて日だ。黒だの白だのと、強烈な反対色の攻撃に、俺は目が悪いんだと 誰にともなく文句を言った。
 惑星間で異常が起きて太陽が急接近してきたのかとか、ここで路上ロケでも行っていて、 間違ってスポットライトを大量に浴びたのかとか、子供の玩具で(どこの世界にそんな玩具がある?) で悪戯されたのかとか、想像範囲は多岐に渡っているが、そんなところだろうと、 仕方なく目を開けると、とてつもなくトンでもない者が俺の前に立っていた。
 しかもなにやら地鳴りみたいな音を立てて。
 アスファルトを揺らして。砂塵を巻き上げて。
 人間想像もつかない出来事に遭遇すると、まず可能な限り核心に遠い場所からそれを確認しようとするものだな。 遠くから徐々に慣らしながら自分に納得させようとする。
 大した真理だと、俺は少しご満悦だった。が、一つ賢くなったと踵を返す訳にもいかない。
 ここでも俺の生真面目さが出てきたな。別に逃げてもよかったんだと後から思った。
 怖いもの見たさと恐怖心。秤にかければ前者が優先される。これも今回身を持って知った真理だ。
 恐る恐るなんて、ガラじゃない。俺は顎を上げてその物体を観察した。
 目の前の黒い塊はどう見ても人のような格好をしている。 しかもおまけに音を立てそうなほど重い軍装の男が三人。 それぞれ、じゃらじゃらとモールやら肩章やらサーベルやらとご大層なナリだ。
 軍服フェチのコスプレ集団が、パレードでも初めたのかとは、一般小市民の拙い願いだ。お願いだから そうあって欲しいが、あろうことかやつ等の背には羽がついていた。
 いや、もとい。生えていた。
 もり上がった六枚の羽。飾り物じゃないのか、ドクドクと呼吸するように蠢いていた。
 あんな重そうな羽毛を背負っていては、温かいを通り越して暑苦しいだろう。最前列の男はなにやら 薄っすらと汗をかいているようにも見える。
 そんな細かいところまで観察してしまった。
 取り外しがきかないのかと俺は聞きたくなった。



 ここまでくると理解は遥か彼方成層圏へだ。
 無理かもしれないが見なかったことにしようと、後ずさりを始めた俺に先頭に立っていた男が初めて声を 出した。
「待て」
 真っ直ぐに視線を合わせられそんなふうに呼び止められ、それでも自分ではないと後ろを振り返ってしまう あたりが超中学生級と誉めそやされてもただの凡人だ。係わり合いにならずに済むなら率先して そうありたい。
 だが、そのコスプレ野郎はさらに人様を指差して続けた。
「お前を呼び止めたのだ。ここにはお前しかおるまい」
「悪いがお前のようなキテレツな知り合いはいない。普段からキャッチセールスの類には反応しないように 教育されているんだ」
「キャッチ――?」
 しっかり反応して何を説明していると言ってしまってから思った。街でよく見かけるようなセールスとは 大いに趣きが異なる。けれどああいうのは、手を替え品を替え巧妙になるから気をつけるようにと、不二に 言われていたな、確か。
 そんな俺の心中を他所に、男は俺との距離を一気に詰めた。
 まさにひとっ飛びだ。
 あの羽で。バサリと俺の目の前に降り立った。
 動いたぞ。飾り物のはずの羽が。空気を巻いて。
 ただ、付け加えるなら、飛ばなくてもいい距離だったんだが。見せ付けたかったのか、 結構自己顕示欲が強そうなヤツだ。
 その野郎はこれ以上ないというくらいに俺に顔を近づけて、上から下まで這うような視線を浴びせてくる。 しかも思い切り眉間にシワを寄せてだ。
 屈辱だ!
 自慢じゃないが、「うっとり」とか「ねっとり」とかの視線は何度か浴びたことはある。あれだってけして 気持のいいものじゃないが、こんなあからさまに嫌悪に歪んだ目は初めてだ。
 そして男は意味不明の言葉を呟いた。
「お前本当にリリスか?」
「り、りす? リリーの缶詰なら知っているが」
「なんだ、それは?」
 言ってから背後の二人を振り返る。
「ヤナギ! 男ではないか。座標を間違えたのか?」
 リリス? 座標? 業界用語か? コスプレ界の。
 訳が分からないがどうやら人違いらしい。至って楽観的に俺は安堵した。
 しかし、ヤナギと呼ばれた凡そ羽の似合わない男は――三人の誰をとっても似合わないのだが、瞑目したまま俺の 束の間の喜びを意図も簡単に打ち破ってくれた。
「違える筈がないでしょう。あなたがリリス以外の誰に引き寄せられると思っているのです」
「しかしどう斜めに見ても逆さに振っても、正真正銘の色気のない男だ。彼女の片鱗すら見て取れん。 どういうことだ!」
 またしても屈辱だ!
 子供にしては艶っぽいと、親父キラーと呼ばれた俺に対して色気がないだと! お前の目は節穴か!
 と、俺はなんに対して憤慨しているのか分からなくなった。いままで、散々不埒な言動に対して そ知らぬ顔をしてきた癖に。こんな反応が俺の中のどこかに潜んでいるから、その手の誘いを受けてしまうの だろうか。よい機会だ。これは反省しなくては。



 どうやら今回のトンでもない騒動は、日頃から俺の中に眠る傲慢さや至らなさを示唆してくれている気も する。パニックに陥るのも己を振り返るよい機会かも知れない。きっと次の試合に役立つだろう、と妙なところに 着地点を見つけた俺の暢気さ加減に背後の二人が冷や水を浴びせてくれた。
「裸に剥いちゃえば、どこかに烙印があるんじゃないっすか」
 小柄な目つきの鋭い男が言うと、それを受けてヤナギも続けた。
「そうですね。眠ってしまっているのかも知れない。いっそ、ここでヤッてしまわれたらどうです」
 殺る? 犯る? やる? 間違ってもなにかをくれるという展開ではない。話の流れからどの漢字を当て はめればいいのか分かりそうなものだが、それは俺の全身が拒否した。
 頭を振りながら武器になるようなものを探すが、俺の手にはガットを張り替えたばかりのラケットが 三本あるだけだ。神聖なるラケットを無謀に扱っては罰が当たる。ガットの張り替えだって結構高く つくものなんだ。母に顔向けができない。
 しかし、緊急事態だと身構えたそのとき――
 またしても地鳴りが起こって閃光が周囲を包んだ。
 二度目だろうが眩しいものは眩しい。
 またなのかと呟き、瞬時に目を閉じ、なにやら次に目を開けるのが憚れる気がする。ニブイと散々酷評される俺 だが、カンは悪くないんだ。
 案の定、シュウシュウと土煙が上がる中、別の物体が姿を現していた。目を凝らせばまたしても翼を持った 三人組み。こいつら、スリーメンで動くのが鉄則なのだろうか?
 そんな俺を挟む形で六人の有翼人たちは、敵対するかのように場を怒りで包む。
 俺はまるっきり所在ない。
 冗談ではない。どうなっているんだ、きょうは? 千客万来か? 迷惑千万か? 
 しかし、それが「失せモノ見つかる」の啓示だったとあとで気づく俺だった。






つづく ノダ








はっきりすっきり頭沸きました。(爆!)シリアスな話で煮詰まった脳には ちょうどいい軽さで。
真田と手塚の会話がいっぱい書きたかった。ラブラブなとこ。
『天使禁猟区』大好きなんで、この話もほんとはシリアスで書くつもりだったんですが、急遽止め ました。(ハハ)
うちのサイト今年はパラレル三昧で参ろうかと。