seek one's fortune



〜4





 上位紋章を宿している。しかも”烈火”の攻撃魔法とともに回復系の”流水”の紋章を。
 そう告げられてシードは思わず掌を見つめた。
 ”烈火”は波長も合い程よく手に馴染んでいる。残存体力が少なくとも多少の無理は利く。しかし、”流水”は――。
 そう言いかけて視線を上げ、将たちの退出を命じたルカの前に立った。何用だとルカの眉根が寄る。 ハーンたちの姿は既に廊下へと消え、クルガンもそれに続いていた。二人きりになった執務室。 狂皇子と恐れられているルカの命に、質疑を挟もうなどという酔狂な者はそういない。
「会議は終わった。さっさと出てゆけ」
「紋章のことをどちらで聞かれたかは知りませんが、”烈火”はともかく俺の”流水”なんか使い物になりませんよ」
「ナマクラ刀だろうが宿していることには違いないのだろう」
「そりゃそうですが」
「己の身は守れぬか?」
「いや、その、ないよりマシって程度で。不安定だし。他に卓抜した紋章術士はいるでしょう? ”烈火”を欲される っていうなら話も分かりますけど、何で俺の”流水”が必要なんですか?」
「好都合だからだ」
「は? でも紋章の眷属が暴走する可能性だってある訳でしょう? っていうかあっさりと捕まるような ヘボい眷族なんぞ必要ありませんよね。それなら相当の防御を張らないと危ないんじゃ……」
 黒檀の重厚な机越しにルカの手が伸びシードの首の後ろ辺りを掴んだ。広い縦幅の机に、半分体を乗り上げるような 格好を強いられる。何を――と出掛けた言葉は間近で接したルカの冷えた視線に吸い込まれた。
 この皇子は多様な色をその瞳に宿す。剣を合せたあのときとは違い、いまは深淵を覗き込むような心地にさせた。
 出口のない底なしの幽玄。
 揺らめいているのは狂気と同等の苛烈さ。幾らその身が血塗られても、損なわれない魂があると思うのは、 ルカが示す明確な事由に多少なりともリンクするものがあるからか。心の奥底が震えるのは怯えだけからではない。
 呑まれる――
 厭ってシードは呼吸を正した。
 その様を見て何を思ったか、ルカはシードの耳元で睦言のように囁いた。
「貴様、何があっても俺の側を離れるなよ」



「はい?」
「回復に徹しろ」
 無理なんじゃないかな、と幾分弱気のシードの頬に手が添えられた。首を支えていた手はそのまま紅蓮の 髪をまさぐるように動く。さらに引き寄せられ、机の上に書類がハラハラと滑り落ちた。それに気取られる ことをルカは許さない。耳朶の辺りにあったルカの唇は、シードのそれと薄紙一枚の位置で止まった。
 読めない行動に狼狽えるシードにルカは余裕の様相。
 ピキンと何かが音を立てた。
「逃げぬのだな。なるほど、誰とでも寝るという噂は本当らしい」
「どこから仕入れてくるんですか。そんな個人情報。誰とでも? 寝ますよ。最初はね。ヤってみないと 分からないですから」
「あばずれが」
 吐き捨てながらもルカに侮蔑の色はない。
「けど、次からは俺が選ぶ」
「高飛車に出たものだな。どれほどの価値があると言い切るか」
「試して見ますか、と言いたいところだけど、ソノ気もない人を煽るような真似は好きじゃない」
「何だと?」
「別段、俺に欲情してないでしょ。ルカさまは?」
 シードの虹彩が探るように絞られる。ルカの眉は剣呑さも顕わに寄せられた。
 警鐘が鳴る。それはシードの全身を駆け巡っていた。危険過ぎる。これ以上踏み込むのは。言葉使いよりも 何よりも、ルカの内面を引っかくような言動は慎むべきだ。いやむしろ小片に触れたと思うこと自体が僭越か。
 引きずられるという危機感と、呑みこまれたいという飢餓感とが同居するこの感情を何と呼ぶかシードは知らない。 どちらが己の心の中で多数を占めているのかさえ分からなかった。
 しかし、フンと鼻を鳴らしてルカはシードの戒めを解いた。シードは大げさに溜息をつく。実際、突っぱねていた 両手は小刻みに震えている。興味を失ったのかルカは後ろの椅子の背に体重を預け、
「あすは早い」
 そう言ったきり黙りこくった。



 翌日、ルカから指定された場所に集まっていたのは、自国の紋章術士の一団と神官たち。 そしてハルモニアから来たと思われる神官将。 その神官将に対する外交担当なのかただのお飾りか、外務財務の二大臣とその取り巻きたち。
 実際大国から招かれた神位の高い碧色の衣を纏う気位の高そうな男に、先ほどから追従の限りをつくしている。 それに関してクルガンに彼らを非難する権限はない。国威の差が一国を預かる大臣をして卑屈な態度を取らせる。 それが実情だった。
 そして反省の色の欠片もなく、ギリギリの時刻に漸く姿を現し、何度も生欠伸を繰り返すシードを加えて 一行は出発した。
 ハルモニアの神官将が気と龍脈の流れを読み、吹き溜まりのような思念が渦巻いていると断言した洞窟がそこだった。
 長年の風が悪戯に駆け抜けて空けた歪な形のそれは、さながら地の底からのうねりを伝えるかのように大きな 口を開けていた。風の流れは様相を変え、喉を震わす獣とも人の怨嗟の声とも取れる。それを吐き出し、また 飲み込んで哀しげな音を繰り返していた。
 その手の能力がなくてもこの地が上げている震えは十分に感じられた。
 風穴の周りに篝火が焚かれ、神官たちの手によって急場凌ぎの祭壇が組まれてゆく。その上に掲げられた ”獣の紋章”を象った青銅製のレリーフを憑代に眷属を召還させるつもりらしい。
 祭壇の前で両手を天にかざし何事か祝言を繰り返していた神官将が、ルカを振り返った。
 贄を――とそう聞き取れた。ルカの合図で行李を守っていた神官たちが蓋を開けその中身をぶちまける。
 兵たちは悲鳴を堪え顔を背け、どす黒い丸い物体を祭壇前まで運んできた。
「う、うわー!」
 それを認めた大臣たちが悲鳴を上げて後ずさりした。尻餅をついて逃げ出そうともがく者もいる。 クルガンもシードも思わず顔をしかめた。贄と言うからてっきり家畜の血でも捧げるのかとの想像は、安易に 打ち破られた。
 胴と放たれて幾日たったか分からぬような生首が五つ、祭壇の前に捧げられたのだ。



「ル、ルカどの! これは!」
 神官将が汚らわしいものでも見るように指差して叫んだ。
「何時だったか、宮殿の奥深くに忍び込んで俺の首級を挙げようと目論んだ不届き者の首だ。使い道があろうかと 塩漬けに処しておいた。生き血と呼ぶには鮮度が落ちるが、主に仇を成そうと画策した挙句肉体と離され、 しかも怨敵と目したこの俺の役に立てようとするのだ。怨嗟の度合いは察して余りあろう。見よ。いまでも 恨めしそうな形相をしておるわ!」
「ひいぃぃ!」
 裏返った声を出して腰を抜かしたまま、逃げようともがくのは大臣たちだった。その姿に蔑みの視線を 送り、ルカは尚も続ける。
「誰が手引きしたのだろうな。俺の寝所まで侵入を許すとは。まこと、ルルノイエ宮とは安眠できぬところよ」
 狂皇子はサヤっと剣を抜き払い、そのまま片手で首級の一つに突き立てた。鈍い音を立てて形を変えるそれから 誰もが目を背ける。
 途端に渦巻いていた風穴の風色と気配と臭いが変化した。地の底から何かが沸き立つ。舞い上がる 塵芥から息を詰めて逃れ、ルカを守るようにクルガンもシードもジリジリと移動した。
 奇妙な音を立てて風が啼き、一筋となって祭壇のレリーフに集まり出す。レリーフの上空に一度集まり、 次第に黄金に色を変えてゆく風の渦を、クルガンたちは息を詰めて見守った。ちらりと伺うルカは 変わらず醒めた目でその行方を追っている。
「ルカさま! 危険です。お下がりください!」
 どこまでが手の内なのか計り知れない。風の動きを視野に入れながら、クルガンは”雷鳴”が発動 出来るように集中する。そのピリピリとした動きはシードにも伝わったようだ。彼の回りの魔力がブワっと 立ち昇った。
「見よ」
 竜巻のような突風の中、ルカは渦巻く風が姿を変える様を指し示した。うねうねとトグロを巻き尻尾を生み、 その先端には双頭の狼の姿が出現する。
「う……わ――」
「ルカさま!」
 シードはルカを中心に結界を張るが、案じていたとおりの不安定さで他愛なくも歪む。クルガンは”雷鳴” を解除して”流水”に切り替えようとするが、ルカは針のような叱責を飛ばせる。
「クルガン! 手を出すな! そのまま待機だ!」
 なぜ、とシードの顔が歪む。クルガンも同様だった。これでは防ぎきれない。たわんだ結界を目掛けて 双頭の狼は鋼のような尻尾を打ちつけた。光を弾き電流のような亀裂が生じる。シードは肩を激しく上下 させて膝をついた。亀裂から爆風が洩れる。
「無理だ! 消える!」
 クルガンは一つ頷くと、結界の消滅と共に”雷鳴”を発動させた。空気を裂くような振動が幾筋もねじれて 獣に向かった。だが、獣はその衝撃を身をよじって跳ね付けた。
「シード! ”流水”は諦めて攻撃魔法に切り替えろ!」
 クルガンのその声を聞き、暴風の中ルカは、ニヤリと哂って前に出た。
「ルカさま!」



continue






”流水”に物理防御を上げるとかの補助効果ありましたっけ?  なかったらごめんなさい。ないと話が進まないんで、そういうことで(苦笑)
あのままルカシーいっちゃおう かとも思ったんですが、また出来なかったよ〜。どうもアカンタレで。