「ルカさま!」 「チッ!」 剣を下げたまま立ち尽くすルカを庇うようにシードが前に出た。もう一度結界を張る。だが、規模を広げ られない。ルカだけを守れて精一杯だ。爆風と獣の尻尾に打たれて、結界から外れた大臣や紋章師たちが吹き 飛ばされるが助ける手立てはなかった。 「うわー!!」 「た、助けて!」 血に飢えた肉食獣のように双頭の狼は逃げ惑う男たちに標準を定め、舌なめずりをさせながら襲い掛かる。 喉笛を牙にかけ、尻尾で巻きつけ、爪で押さえ、悲鳴と共に咀嚼する嫌な音から目を逸らせた。 このままではと、クルガンはゲージを最大級に上げて”雷電球”発動しようとした。 「クルガン。弱らせてもよいが殺すなよ」 「しかしルカさま――」 「最優先任務は”眷属”の確保にある」 「お言葉ですが、このままではヤツの威力を削ぐことは不可能かと存じます。抹殺の許可をお与え下さい」 「言った筈だ。殺すなと」 「それでは全滅してしまいます」 ルカは暴風と”眷属”の攻撃の中で立ち尽くしたまま、必死に魔力をひねり出している男を顎で杓った。 「あれは死んでも俺だけは守ろうとする気概を見せているぞ。忠誠心の高いことだ」 シードにはルカの思惑など見えていないのだろう。ただ、そこにある脅威から総てを守ろうと限界ギリギリで 鬩ぎ合っている。幸せなヤツだとも多少なりとも羨ましいとも思った。 だがいくら底なしの体力を誇るはねっ返りといえど、いつまでも集中力は続かない。気力と精神力を総動員 して魔力につぎ込んでいる分、それが途切れたときには敵の攻撃を一身に受けてしまう。 その懸念が顔にでたのだろうか、クルガン――とルカは愉悦の笑みを浮かべた。 「人の心配よりも己の身を守れ。俺はまだ――お前は失いたくはない」 「私は? では、彼らを、大臣や神官たちを――見殺しにされた、と? 初めからそのつもりでお連れになったのですか!」 「やつ等の薄汚い魂を浄化させてやろうと言うのだ。穢れた血であろうが獣を増幅させ繋ぎ留めることは できる。やつらに相応しい最期ではないか。ハイランドのために役立ててやろう! さぞかし悔しいであろうな。 その恨みごと魂を獣に捧げろ!」 ルカの叫びをクルガンは斜めから見ていた。逃げ惑う人々を血祭りに上げた獣は、残された三人に標準を 合わせる。シードの結界は既に疲弊していた。攻撃は最小限に。ヤツが飽きるまで。出口の見えない戦いに クルガンは叫び出しそうになった。 ”雷電球”の一撃が獣の尻尾を何度か直撃する。手負いの獣は咆哮を上げると、たわんだ結界ごと 尻尾を打ち下ろしてきた。 「ルカさま!」 結界の消滅とともに、シードが腰に佩いた剣を抜く。獣の一撃目をそれで弾き、すぐさま地面を蹴って懐 近くまで跳躍する。喉元に剣をつきたてたシードは、したたかに返り血を浴びたままもう一度跳ぶ。 獣の尻尾を切断するために後方にまわった彼の背に、のたうつ獣の鋼のような爪がかかった。 「うあぁ――!」 「シード!」 激しい衝撃でシードの体が宙に舞った。そのままクルガンの足元まで弾き飛ばされる。 クルガンの眼前が真紅に染まる。どこかで何かがブチ切れた音がした。掌が痺れ爆発寸前まで弾けかけた ”雷電球”を押し留めたのはルカだった。 「待て」 「ルカさま!」 ふと風が止み、シードの一撃を喰らった獣は、痙攣を繰り返しながらその巨体を横たえる。祭壇のレリーフが 一際強い光を発した途端獣の姿は朧に霞み、まるでレリーフに吸収されるかのように霧散していった。 あり得ないというふうにクルガンは一歩前に出る。ルカは鈍く色を変えたレリーフを手にした。 盟約により”獣の紋章”を継承したブライト皇家の血が、そこに息吹く力の存在を感知する。咆哮を上げて、 のたうつような感覚にルカは満足そうな笑みを浮かべた。 「任務完了だ。ご苦労だったな、クルガン。シードを回復してやれ」 「ここは――俺は気を失ったのか?」 朝の光に反応したのか、ベットに横たわったまま三日三晩生死の境を彷徨った男は、クルガンの心配を よそに意外と呆気なく目を醒ました。 第三軍団副将の執務室。二間続きの隣室は仮眠するための寝室となっていた。 あの日――ざっくりと背中を抉られたシードに止血だけを施し、そのまま無事だった馬の背に乗せた。 途中、ルカたちが向った先で起こったと思われる異変に気づいたハーンの配慮で、迎えが来てくれて いたことがこの青年にとって幸いした。大量出血からのショック症状で、一気に体温が下がりきった際どい タイミングだったらしい。 まったく運までも味方に引き入れている。 「少しくらい血を抜いた方がコイツのためだろう」 とは闊達に笑ったハーンの弁。どうにかルルノイエ宮にたどり着き、仮にも目をかけた青年将校を心配 する素振りも見せないで、ハーンは、 「多少の後片付けがある」 と言い残してその場を後にした。国務を預かる大臣が命を落としたのだから当然とも言えた。 「漸く気づいたか。底なしの体力を誇る流石のお前も、失血が多いと機能が止まるのだな」 「当たり前のこと、なに感心してんの? で、ここは?」 「ああ。私の私室だ。あのまま准士官たちのタコ部屋に帰す訳にもいかないので、軍医をここに呼んで治療させた。 暫くは動けまい」 「そ、なんだ。ルカさまは」 「ご無事だ。お前がルカさまと私を救ってくれた。感謝する」 「そっか。紋章の”眷属”は確保できたのか?」 「ああ。ルカさまはご満足であられた。それとあの場の出来事は他言無用だとの命令も受けている」 「ふうん。よく分かんないけど、思い出して誰かに教えるだけで気絶しそうになる」 「まったくだ。よくもった」 「あっ。わりい。ここあんたのベットだよな。占領しちまって。でも、ごめん。もう、ちょっと、寝させ、て」 「あぁ。ゆっくり休め」 「えっ、あんた、まだ、なまえ――聞いてなか、った、よな……」 トロトロとまどろみ出したシードの前髪がひと房、まだ血でこびりついている。それを解してやろうとでも 思ったのか、クルガンは目にも鮮やかなそこに手を伸ばす。そして、 「第三軍団、副将。クルガンだ。覚えておけ」 血の臭いの残る耳元で小さく囁いた。 ルルノイエ宮、玉座のある大広間。その頭上には”獣の紋章が”いっそうの力を得て鈍く色を放っている。 ドクドクと鼓動が脈打つのが手に取るように分かると、玉座に正対する形でルカは立ち尽くしていた。 周囲を血に染めて手に入れたモノは、何れハイランドの武力の一端として近隣諸国を蹂躙してゆくだろう。 恐怖と畏怖だけを与えればいい。どこかで何かのタガが外れそうな自分に似合いの、人智を凌駕した力だと ルカは思った。 「一つお聞かせ願えますでしょうか。あれは、あの行為は粛清だったと取って宜しいのでしょうか」 ルカの背後から声がかかった。後ろを振り向かずともクルガンのものだと知れる。皇家に対する 忠誠心の篤い、そして生真面目な男の精一杯の糾問だ。 詮索する必要はないと一蹴することも出来た。だが、それに付き合う温情くらい見せてもいいだろうと、 ルカは振り返った。 「一族郎党皆殺しに処することも出来たのだ。狂皇子にしては温情だとは思わぬか、クルガン」 「ルカさまのご寝所にまで刺客の潜入を許したという事件を、ルカさまご自身が握り潰されたという顛末は、 ハーンさまよりお聞きいたしました。しかし、その者たちを影で操っていたのが、本当にあの二大臣だったのでしょうか。 慎重な詮議の結果、確信されたことなのでしょうか?」 「俺がヤツらに無実の罪を擦りつけたとでも言いたそうだな」 「滅相もございません」 「珍しいなクルガン。貴様らしくない。俺に食ってかかるなんぞ、何を苛立っている?」 出すぎた真似をお許し下さい、とクルガンはルカの前に片膝をついた。 確かに、らしくない。 ルカの行為に苛立つほど清廉には出来ていない。政治的対立か、ただ単に目障りだったのかは、彼の 知るところではないが、ルカのような徹底した能力主義者から、斬り捨てられた無能な臣には哀れみすら 沸かないのだから同罪だ。 ――だが。 クルガンの無表情から何を読み取ったのか、ルカは腰に佩いていた刀のコジリで、その顎を上げさせ、 揶揄う視線で彼を上から捕らえた。 「それはそうと、あの元気なだけが取り得の紅犬はどうしている?」 「私の部屋で休ませています。かなりの出血でしたので、暫くは動かせるのは無理かと」 「そうか。あれも貴重にも生き残った一人だ。喜ばしいことではないか」 「仰る意味が――」 「お前とあれはよい組み合わせだ。あの推進力に巻き込まれ、慌てふためくお前を姿を見れるやも知れんな」 「そのようなことで乱されるような柔な神経をしておりません」 「相変わらず面白みのない男よ」 そう言えばな、クルガン、とルカは哂いに似た表情を見せた。 「犬はな。紅、黒、白の順で美味いそうだ。俺が食うまで味見するなよ」 そう呟くルカの真意を掴もうとするが、漆黒の瞳は何の色も映していない。何も欲しがってはいない。 恐らくこれから先、馬を駆り立て兵を鼓舞し、この地に存在する木の葉一枚、川のせせらぎの一滴まで 手中にと突き進む皇子は、無慈悲の名を借りた無関心なまま大地を血に染めてゆくのだろう。 このような恬淡とした色の瞳のままで。 クルガンの身の内で何かが音を立てて弾けた。微かに覚えた苛立ちの理由ではない。己の頭上にと頂いた 皇子の視線の先が、彼には分からない。 「お戯れを」 フンと鼻を鳴らし立ち去ってゆくルカの後姿に、ただそれだけしか言えなかった。 「シード」 シンと静まり返った大広間で、つい、その名を口にした。血塗れで倒れた男の横顔を思う。 ――お前が命がけで救った皇子は、お前の至心をも追い越してしまわれるかも知れない。 遠くない将来、そんな予感を孕みながら、クルガンもその場を後にした。 end |
クルシーとか言いながら、これはまるっきりルカの話だわね〜。
書いてるうちに、ドンドンルカが好きになってしまいましたぁ! ハイランド王国軍では階級なんて、将軍とその他一兵卒って 感じであやふや。クルガンは佐官くらいかな。適当に位置づけしました。 階級は時間軸が違うと出世して変わるから、やや こしいんですけどね。ちょっと、拘ったり。 |