seek one's fortune



〜1





「交代の時間だ」
 少し早いなと振り向いた衛兵はそこに見知らぬ男たちの姿を見つけた。装束は確かに王宮衛兵隊のもの。 しかし顔に見覚えはない。
 訝しげに開かれかけた衛兵の首筋にひんやりとした感触が宛がわれる。悲鳴を上げるまでもなくそれは一気に 引かれた。迸る鮮血。助けを呼ぶ声は喉でくぐもり、衛兵は自ら流した血の海に倒れ伏した。
 男たちは振り返ることなく目的へと向う。シンと寝静まった王宮のさらに奥。堅固に守られた扉前に立つ 近衛兵も男たちの行く手を阻むことは出来なかった。
 どさりと音を立てたときにはもう闖入者の姿はそこにはなかった。
 開け放たれた重厚な扉。むせ返る酒精の香りが充満するそこを縫ってさらに奥の扉を蹴り開ける。
 豪奢な寝台で女を組み敷いていた男がのそりと体を上げた。
「誰だ」
 一言発して男は同衾していた女を蹴り飛ばすとベットサイドの剣を掴む。シーツを纏った女は悲鳴を かみ殺して何とかその場を逃げ出そうともがいている。男は女の髪を鷲づかみにした。
「貴様が手引きしたのか」
 閨での睦言のような低い囁き。歯の根が噛みあわない女を闖入者たちの方へ突き飛ばすと、男はそのまま 踊りかかるように女の背後から斬り捨てた。
 その余りの躊躇いのなさに与えた一瞬の隙に、男は一気に間合いを詰めた。闖入者たちの眼前に澱んだような 男の瞳。魔に魅入られたように男たちは動けない。
「誰の差し金だとかは聞かぬ。燻りだす方法はいくらでもあるからな。だがお前たちの言い分はどうだ。 何なら聞いてやってもいいぞ」
「ブ、ブライト皇家に泥を塗る狂人め! 貴様がその地位にあっては我がハイランドは滅亡の一途だ。殺戮を 好むその残虐性を野放しにしておいてはこの地に平和は訪れん! ハイランドのために弑し奉る!」
 言うが早いか闖入者たちは男の前後左右を取り囲み、同時に斬りかかった。朧な月明かりだけが頼りの室内。 男は闇と同化したような素早い動きで襲い掛かる切っ先を難なくかわす。かわすと同時に悲鳴が上がった。
 気づけば男たちの大半は息絶えている。瞬く間もなく。
「フン。くだらん。何かと思えばその程度の理由か」
 男は刃こぼれの状態を確かめるともう一度くだらんと吐き捨てた。
 男の背後にはカーテンの引かれた大きな窓。窓枠に形どられた影が室内に落ちている。魔に魅入られたとは 人としての形ある者をいう。この男は魔そのものだ。そう思った刹那、最後の闖入者は贖い難い痛みの中に 沈んだ。最後の一言を残して。
「貴様のために、ハイランドは、滅する。……皇子……」
 翌朝の惨状を見知った者はごく僅か。徹底的な緘口令が引かれることとなった。
 その事実は伏せられた。意図的に。



 ハイランド皇都、ルルノイエから南に位置するミューズ市との国境近くの戦闘は、デュナン湖周辺地域を巻き込んで 都市同盟が結成されて以来壮絶を極めていた。
 とりわけ盟主となったミューズ市とブライト皇家との確執は深く、第一軍団――白狼軍を率いる皇子ルカは、 かの地を巡る攻防戦にだけは必ず陣頭に立つ。先陣を切るのは第三、第四の実戦部隊と決まっているが、 これだけは譲ろうとはしなかった。
 どちらが先に仕掛けたにしても、その戦は血を血で洗う陰惨なものとなる。駆け引きだけの小競り合いとは 意味合いが違う。長年の怨嗟や復讐が螺旋状に渦巻いていた。どちらかが壊滅するまで収まらないと言われている。
 数の上では都市同盟軍の方が圧倒的有利。しかし未だに足並みは揃わない。
 それには、ハイランドの後ろに控えているハルモニア神聖国が関係していた。四百年以上もの歴史を持ち、 神将官ヒクサクを頂く大陸一の国家。
 ハイランドにとって、同盟と隷属と制圧との狭間で揺れる微妙な関係。盟友であるとは誰も信じていないが、それでもチラチラと 姿を見せるだけで、都市同盟軍にとっては立派な脅威となる。
 その事実が皇子ルカの癇に障った。
 自国だけで退けられる筈だと、この機に粉砕させようと逸る皇子を、潮時だと兵站不足だと告げて引き上げさせるには骨が折れた。 機嫌が悪いと己の首を呈しての進言に成りかねない。
「急に冷え込んで参りました」
 ルカの天幕。並みいる将軍たちが姿を見せている。
 その中を第三軍団軍団長キバの副将として従軍していたクルガンは、ルカの御前を離れ外気を取り入れるように天幕の帳を上げた。 室内を照らしていた燭台の火が揺れ、一触即発だった室温を下げる。その唐突な行為に部下の身を案じてキバは 眉をしかめた。火種だったルカは、フンと鼻白んで白金のゴブレットを傾けている。
「皇都に帰り着く頃には銀世界となるやも知れません。埃塗れの天幕よりもルルノイエ宮で雪見酒を楽しむという趣向は如何でしょうか」
「俺は、あの薄暗い宮殿よりも陣中で呑んでいる方が気分よく酔えると言えば、貴様はどうする?」
「何れ美酒も尽きます」
「取り寄せればよい」
「長逗留による兵への影響をお考え下さい」
「尻込みをする将の一人を兵たちの前で縊り殺せば、否が応でも士気は上がるかも知れんな」
 クツクツと酔いの回りきらない口調でルカは事もなげに言う。頃合だと察したキバがクルガンを守るように 前に出た。
「此度の戦果は圧倒的に我が方に旗色が宜しい。意気消沈して敗走してゆく敵を深追いしてはなりません。 窮鼠猫を噛むの喩えどおりの猛襲を受けるは必然かと思われます。ここは一斉に軍を返した方が、後々のために 有利に働きます。ルカさま。いまは負けぬ戦をなさって下さい。一気に片付けるほど、都市同盟軍も 脆弱ではございません」
「後々だと! 次に兵站が整うのは一体いつだ! ハイランドでこの時期に作物は取れない。秋の収穫まで待てと でも言うつもりか! その隙にやつ等も勢いを戻してくるのだ! キバ! 臆した将など我が軍にはいらぬ!  戦の贄に貴様の首を捧げてやる! そこへ直れ!」
 席を蹴ってルカが立ち上がり、腰に佩いていた白刃が煌く。ルカの白銀の軍袍とそれとが重なり合った。身じろぎ一つないキバの目の前で一度弧を描いて振り 被られ、しなる音をたてていま一度眼前に据えられた。
「クルガン! 貴様の諫言のせいでキバの首が飛ぶぞ! 何か言うことはないのか!」
 これは戦意を鼓舞し続けるための一種のデモンストレーション。狂皇子と畏怖された指揮官が大人しく側近の 弁を聞いて撤兵させる訳にはいかないのだ。
「キバ将軍は我が軍一の猛将。兵士たちの信任も厚く人道の方でいらっしゃいます。その将軍を失ってのわが国の損失は いかばかりかと。都市同盟壊滅への道程が遠くなります。ルカさまに取りましても多大な痛手なのでは?」
「キバに替わる者などおらぬと申すか」
「ルカさまが白狼軍と第三軍団とをお一人で統括されると仰るのでしたら話は別でしょうが」
 フンと吐き捨ててルカは剣を下げた。引き際は心得ている。
「相変わらず口の減らぬ男だ。俺の刃を納めさせる言葉を一体いくつ取り揃えられるか見ものだな。 貴様の舌が乾くときが、その生っ白い首と胴が離れるときだと覚悟しておけ」
「御意」
 ソロン・ジー!――ルカは第四軍団軍団長の名を呼ぶと、即刻撤収の旨を告げ散会を促した。



 皇子ルカが率いるミューズ市侵攻軍が帰城を果たした頃、今年一番の寒波が背後から押し寄せ 、皇都ルルノイエの様相は進発したころとは一変していた。間一髪のタイミングで兵たちは新雪を被っての 野営を逃れたことになる。
 まさにギリギリのタイミング。計ったような。
 召集されていた軍は一気にデフコンレベルを下げ、通常編成に戻る。その際に必要な事務処理を終え、クルガンが ルルノイエ宮を後にした頃に雪は、情け容赦のない降りになっていた。
 さっさと上等のスコッチでもあおって、ベットに潜り込みたいとクルガンがコートの襟を立てたとき、 後ろからポンと肩を叩かれた。
 振り返ると厚着をさらに重ね着したキバがにこやかに立っていた。
「キバ将軍」
「今まで残務処理か。ご苦労だな」
「そういう将軍こそルカさまの宥めにいままで?」
「そうではない。あの方の思考は一所に留まってはいない。次のミューズへの侵攻に、いかにしてハルモニアを巻き込むか。 巻き込んで関与させないか。その駆け引きをな、思案しておった」
「展開が早いですね」
「狂皇子などと国を維持させるための隠れ蓑に過ぎん。二手三手先を常に見ておられる。此度の満を持しての 進軍で思うような成果を得られなかったことで、次の手を模索中だ。 まったく、畏怖という言葉がこれほど当てはまるお方もおるまいて」
「侵攻も撤収も計算されていますからね」
 キバは少し高い位置にある己が副将の肩をポンポンと叩いた。
「そういうことだ。まぁこんな話はもういい。どうだ、クルガン。暇なら少し付き合わか。こんな夜は家で ひっそりと呑むよりも賑やかな場所のほうがいい。猥雑で騒々しいかも知れんがいい酒を出す店がある。いつも 苦労をかけている有能な副将を労ってもやりたいしな」
「身に余る光栄。謹んでお受けいたします」
 待機していた馬車に乗り込み、キバが御者に告げた通りの名は、お世辞にも治安の行き届いているとは呼べない場所だった。 街角のいたるところにストリートガールが媚と白粉の香りを振りまき、路上で愛を囁くカップルはもはや異性同士 だけではなく、酔っ払いや行き倒れに道を譲らなければならないような下町。
 そして取締や締め付けから狡猾に逃れて、懸命に生を紡いでいる町でもある。
 感情の起伏が極めて乏しいクルガンも苦笑しきりだ。
「驚いたかね」
「よくお見えになるんですか? 地理に明るいようですが」
「以前儂の隊におった者が退役して開いている店だ。様子見に何度か、な」
「なるほど、やはりあなたは人徳の方でいらっしゃる」
「有能なる副将からお褒め頂いたついでにもう一つ。かの店で見聞きしたことは、店を出た瞬間に忘れて貰えると あり難い」
 強かに経営を続けている口らしい。クルガンは承知いたしましたと頭を下げた。



 思っていたよりも重厚な扉を開けると、多種入り混じった弦楽器の音と、視界を遮るような紫煙の幕、そして 軽快なステップ音が二人を出迎えてくれた。物静かな生活を送ってきたクルガンにとって馴染みのない、 しかし眩しいような喧騒だった。
 店の主らしき男がキバの姿を見つけ、相好を崩している。二人は促させるままに、 その前のカウンター席に腰を降ろした。
「お久し振りです、将軍。よくおいで下さいました。お元気そうで何よりです!」
「商売繁盛で結構じゃないか。相変わらず賑わっている」
「キバさまが斡旋してくださった輸入酒業者のお陰で、酒の味に煩いお客さまにも好評を得ておりますから」
 なるほど、とクルガンは目を細めた。上手い酒を呑ませる店があるのではなく、 上手い酒が呑みたくてキバが育てたという訳だ。
「一つ乾杯といこうか。無事の帰還と皆の健康に」
「では私はこの町の夜の喧騒に」
 笑みを一つ落として、クルガンは異国の酒を舌に乗せた。
 癖のある香りとアルコール度の高さからいって原産国は気温の高い国かと、クルガンが五感の総てを口腔に 集中していたとき、店内の喧騒が一層高まった。
 弦楽器の音色に合わせて軽快に踊っている集団がある。外の寒気に反して そこだけが熟れた熱気に包まれていた。高い歓声が上がってクルガンは視線を送った。
 周囲にはやし立てられて中央で踊り狂っている若い男女。腰を密着させての淫靡なそれは、手拍子に合わせて 次第にテンションを上げてゆくが、人目を引くほど整った造作の二人の絡みつきは、まるで絵画の中の世界のよう に現実味が薄い。
 ブロンド美女のしなやかな指が、男の紅蓮のような髪に絡みつく。そのまま顔を寄せ合い舌を絡ませ、濃厚な 口付けに没頭する二人に、割れんばかりの喝采と高い口笛が浴びせられた。狂騒で店内が揺れていそうだ。
 女の指に弄ばれて男の赤毛がくねくねと淫らにうごめく。行為そのものよりも、いっそ淫靡なその動きに 目を止めたクルガンと、稀有な色を宿した男の瞳とがかち合った。



 ハイランド人には珍しい真紅の虹彩。迸る血の色。
 ニヤリと落とされた不敵な笑み。



 クイっと一つ顎を上げ、クルガンは興味を失ったように視線を戻した。
「あのバカが。また調子に乗りやがって。済みません。なんかお祝いだとか言って、少々浮かれたやつ等でして」
 店主は騒動の根源を親指で差しながら、キバに何度も詫びている。いかなこの種の店でも毎度の騒動ではない のだろう。そうでなければ、キバがクルガンを誘う訳がない。
「儂は構わん。クルガンに申し訳ないだけで」
「私も一向に。自国民の底力の源を拝見できただけでも社会勉強になりました」
「そう。若い恋人同士の門出に杯を上げさせてもらおう」
「いやぁ……」
 勘違いしたキバに主は弁解するように頭をかいた。
「あの二人には別々の恋人がおりまして――」
 キバが鷹揚に肩を竦め、クルガンがくすりと笑みを漏らしたそのとき――
 相手を押し倒してそのままコトに及びそうなほど興が乗った二人は、闖入してきたガタイの立派な男によって引き離された。
「何しやがんだ!」
 それは見事な修羅場だった。
 行為を鼻息の荒い男に中断させられ、それでも二人は名残惜しそうに手を伸ばしている。ブロンド美女は 投げキスまで送っていた。この状況で、これもまたある意味見事だった。
「あーあ。またか」
 主は諦観に似た嘆息をついた。
 闖入者は赤毛の男の胸倉を掴むが、あまりの怒りのためか激しく肩を上下させるだけで手出しはしない。その手を パンと刎ねつけたのは、冷静さを取り戻した赤毛の方だった。
「いい加減にしろ。しつけぇんだよ」
「表へ出ろ! こんなところでは話もできない」
「話なんかねぇ。配属が決まったんだ。俺はおまえんちから出てゆく。さよらなだ。それ以上何を言えって?」
「シード!」
 呆れたようにキバがクルガンを振り返る。あり得る展開だと、視線を向けられた副将は余裕にも 店主にオススメ品を申し出ていた。
「世も末だな」
「人生唐草模様ですよ、キバさま」
 主も、まっ、そういうことです、と説明にならないような科白を吐いている。だが恋人たちの修羅場は 収まりそうにもない。そろそろ引き上げ時かなと、クルガンは追加の酒を一気に煽った。
 だが、聞き捨てならない言葉に、浮かせかけたクルガンの腰が止まった。
「俺はな、明日っから栄えあるハイランド王国第四軍の下士官なんだよ。学校出てからあちこち飛ばされてたけど、 やっとお声がかかったって訳。何れ将軍って呼ばれるようになって、お前ら守ってやっから楽しみに してな。寝床も用意してあるらしいけど、ここで揉まれたようなもんだかんな。また、ちょくちょく遊びに 来るから。永遠の別れって訳でもないし。まぁ、色々と世話になったけど、取り合えずお前とはお別れだ。 いままで楽しかったぜ。ありがとな」
 赤毛の男は巨漢の顔を引き寄せ音を立てて口付けを落とした。何に対する賞賛なのか、シードと呼ばれた男は 周囲の快哉を浴びている。それに応えて、あっけらかんと手を振る男の顔を現職の将軍二人がマジマジと見つめた。
「あの男はいま何と言ったのかな、クルガン」
「今晩の夢見が悪くなりますから、考えないことにいたしましょう」
 寝つきも悪いだろうと、クルガンは三杯目を所望した。


continue





初書きハイランド ♪  初書きクルシー。♪ うちのシードはみんな愛してるよ、ヤロウです。節操ないです。(断言)
戦う彼ら中心でたぶんルカさまと親父’Sの露出率が高いと思います。甘いお話はそのうちに。