あの人こそ、私の『英雄』なのかしら――?
(――彼女こそ 私のエリスなのだろうか……)













Baroque
〜 Elysion in Tales of Rebirth 〜















今は朽ち果ててしまった建物。


かつては何かの教会だったのだろうと、かろうじて推測出来るそれは屋根が抜け、

いつまでも止むことなく降り続ける雨に散々に濡れている。



まだ僅かに残っている石畳の床を、見え隠れする地面や草などに転ばないように気をつけながら、まだ若い少女がやって来た。


雨に濡れることも、服が汚れることも厭わず、彼女は、未だ朽ちずに残っている祭壇に跪く。



「…お父さん…私、人を殺したの。それも、とても大切な人を殺してしまったの……。」
主よ、私は人間(ひと)を殺めました。 私は、この手で大切な女性(ひと)を殺めました。














そもそもアニーにとってこの旅は、憎い父の仇を討つためのものだった。
思えば私は、幼い時分より酷く臆病な性格でした。

周囲の者はみな復讐を思い止まらせようと説得したが、結局はことごとく失敗に終わっている。
他人というものが、私には何だかとても恐ろしく思えたのです。

これまで仇討ちが生きる目標の大半を占めていた彼女にとって、『復讐をやめる』という選択肢は、

すでに選びたくても選べないものとなってしまっていたから。



ユージーンに対する憎悪の念の影響か、アニーのガジュマ嫌いは筋金入りだった。
私が認識している世界と、他人が認識している世界。

医者としての使命感から怪我や病気の相談には応じていたものの、それ以外の接触は、宿の従業員や道具屋の店員とさえ持とうとはしなかった。
私が感じている感覚と、他人が感じている感覚。


「アニー、少しいいか?」



宿で休んでいると、パーティーの実質上のリーダーであるヴェイグが訪ねてきた。
『違う』ということは、私にとって耐え難い恐怖でした。

まだそんなに遅くない時間とはいえ、夜に女性の部屋を訪ねることに戸惑いはないのだろうか。
それがいづれ『拒絶』に繋がるということを、無意識の内に知っていたからです。

まぁ彼の十八年の人生の中で、女性は妹も同然であるクレアと、近所に住むポプラおばさんくらいしかいなかったらしく、
楽しそうな会話の輪にさえ、加わることは恐ろしく思えました。

そもそもそういうことにあまり頓着しない田舎暮らしだったため、その辺りの配慮をあまり知らないのだろう。
私には判らなかったのです、他人に合わせる為の笑い方が。


少し迷ったが、結局アニーはヴェイグを部屋へと招き入れた。
いっそ空気になれたら素敵なのにと、いつも口を閉ざしていました。


「すまない、こんな時間に。」


「いえ、構いません。 それで何かご用ですか?」


「あぁ…お前のガジュマ嫌いのことなんだが。」



そう切り出された瞬間、アニーは不快感から眉をひそめた。
そんな私に初めて声を掛けてくれたのが、彼女だったのです。

大本の原因であるユージーンと一緒にいる以上、彼女のガジュマ嫌いはどうしても表に出てきてしまう。
美しい少女(ひと)でした、優しい少女(ひと)でした。

わざわざその露骨さを咎めにでも来たのだろうか。
月のように柔らかな微笑みが、印象的な少女(ひと)でした。


「お説教ですか? それなら結構です。 文句が言いたいなら、どうぞあの人に言って下さい。」


「いや、そうじゃない。 むしろ俺は、ユージーンにはいくらでも当たっていいと思っている。」



これまで幾度となく聞かされた説得とはまるで正反対な言い分に、アニーは驚いて自分の耳を疑った。
最初こそ途惑いはしましたが、私はすぐに彼女が好きになりました。


ヴェイグは最近仲間入りしたティトレイと、程度が同じくらいに種族間の闘争を嫌悪している。
私は彼女との長い交わりの中から、多くを学びました。

あの緑頭ほどあからさまに態度に出ているわけではないものの、出会ってから今まで観察して来た様子からして間違いない。
『違う』ということは『個性』であり、『他人』という存在を『認める』ということ。

そのヴェイグが、今最も身近にある種族争いを推奨する理由が解らない。
大切なのは『同一であること』ではなく、お互いを『理解し合うこと』なのだと。


「俺は話を聞いただけだから、あまり大きなことは言えない。


だが、それでもユージーンのしたことは解るし、許されないことだと思う。


けどな、だからこそこれは、アニーとユージーンの二人だけの問題だ。


全く関係ない他のガジュマにまで当たり散らすのは筋違いじゃないか?」



それからしばらくの間、ヴェイグはアニーを説得し続けた。
しかし、ある一点において、私と彼女は『違い過ぎて』いたのです。

彼女が「善処するよう努力する」と言った時には、普段の無愛想ぶりからは想像出来ないような笑顔で、その頭を撫でてやった。
狂おしい愛欲の焔が、身を灼く苦しみを知りました。


それはまるで、記憶の中に残る父と同じように思えて……。
もう自分ではどうする事も出来ない程、私は『彼女を愛してしまっていた』のです。




風の聖獣・ウォンティガと会い、ユージーンとの和解が成立した頃。


アニーはヴェイグに、自らの想いをすべて打ち明けた。
私は勇気を振り絞り、想いの全てを告白しました。


自分はこの旅が終わったら、キュリアの助手となって医者としての修業をする。


それゆえにミナールからなかなか離れることが出来ないから、クレアと一緒にミナールに来て欲しいとも。



しかし……。
しかし、私の想いは彼女に『拒絶』されてしましました。


「…俺はスールズで、家族と一緒に暮らしたい。 だから…すまない……。」



こちらの気持ちを知っていながら、他人を選ぶという彼。


それは彼女にとって、単純に想いを拒絶されるよりも残酷なこと。
その時の彼女の言葉は、とても哀しいものでした。


アニーはしばらく呆然とその場に立ち尽くした。
その決定的な『違い』は、到底『解り合えない』と知りました。

そして、まるで感情を失ったかのように、自分に向けられた背に手を伸ばして……。




















いつしか雨は雷を伴い、轟音と共に周囲を照らす。


しかし、怖がりだったはずの少女は、近くの木に落ちる雷に構うことなく、唯…淡々と独白を続けた。



「自分の記憶なのに、まるで他人事みたい。
そこから先の記憶は、不思議と客観的なものでした。

あんなに好きだったのに、私は、ヴェイグさんを崖から海に突き落としたのよ?
泣きながら逃げてゆく彼女を、私が追い駈けていました。

だいぶ時化ていたから、多分助からないわね…。
縺れ合うように石畳を転がる、《性的倒錯性歪曲(Baroque)》の乙女達。
愛を呪いながら、石段を転がり落ちてゆきました……。

ねぇお父さん、私…どこで間違えたのかな?
この歪な心は、この歪な貝殻は、私の紅い真珠は歪んでいるのでしょうか?

あんなことしておいて、全然後悔なんてしてないの。
誰も赦しが欲しくて告白している訳ではないのです。 この罪こそが、私と彼女を繋ぐ絆なのですから。

もし神様なんてものがいたとしても、この罪だけは、赦させたくないわ……。」
この罪だけは、神にさえも赦させはしない……。















「なら、私が赦すわ…。」
(「ならば、私が赦そう…。」)

















――激しい雷鳴。浮かび上がる人影。
(歪んだ真珠の乙女、歪なる日に死す。(Baroque Vierge,  Baroque zi le fine .))

いつの間にか祭壇の奥には、『一人の少女』が立っていた……。
――激しい雷鳴 浮かび上がる人影 いつの間にか祭壇の奥には『仮面の男』が立っていた――








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