関 盛信(せき もりのぶ) ????〜1593
○万鉄斎 安芸守 中務大輔
◇父:関下野守盛雄 室:蒲生定秀女 子:関左馬助盛忠、長門守一政、十兵衛一利、氏俊、瀬木本貞
 平資盛子盛国を祖とする伊勢の有力豪族。亀山城主として伊勢・北畠氏に従う一方、近江・六角氏とも友好関係を持ち、1544年六角氏を助勢して京極氏を攻めている。中野城を築いて赤堀一族中野藤太郎を城主に置き、西村城主朝倉備前守詮真と結ぶ等勢力拡大に努め、1557年六角氏臣小倉三河守が神戸城に侵攻してきた時は、神戸氏を助けた。1568年伊勢に侵攻した尾張・
織田信長に抗戦するが、近隣の諸城が相次ぎ陥落、降伏するを見て降伏。1569年信長の第3次伊勢侵攻の際には再び抵抗するが、やがて講和。信長死後は羽柴氏に誼を通じたことから、1584年織田信雄の勇将神戸(林)与五郎正武率いる兵500に亀山城を攻撃され、城主であった子一政は不在であった為、留守を守る盛信がわずか13騎を率いて討って出て、城を死守したという。小牧・長久手の戦いにも参陣。後に蒲生氏郷に属し、その会津転封に従い白河城5万石を得た。
関口氏広(せきぐち うじひろ) 1518〜1562
○義広 氏興? 親永 伊豆守 和泉守 刑部大輔
◇父:瀬名陸奥守氏貞 養父:関口刑部大輔政興?関口刑部大輔氏縁? 室:
今川氏親女 子:関口(山中)外記氏幸?、弥六右衛門氏心?
 関口氏は駿河守護・今川氏庶流。三河・関口庄を本貫地として今川氏に仕える。用宗城主。氏広は今川氏親の娘を妻としており、さらに氏広の娘は松平元康(徳川家康)室・瀬名(築山殿)。桶狭間の合戦にて義兄の当主義元が戦死すると、その子氏真に仕えた。しかし、松平氏が今川氏から独立を果たしたことで、元康の義父であり、後見役を務めていた氏広は氏真から責めを受けて切腹して果て、所領の大半を没収されたという。
千徳政氏(せんとく まさうじ) 1513〜1588 
○彦次郎 大和守
◇室:南部四郎信久女、多田玄蕃女 子:千徳安芸之助政康、彦三郎政直?
 陸奥・浅瀬石城主。陸奥・南部氏の傘下にあったが、後に勢力を伸ばしてきた津軽氏に協力。分家の
千徳政武の攻略にも参加する。大力無双の勇将と伝わる。
千徳政武(せんとく まさたけ) ????〜1585
○掃部
◇千徳政朝? 室:小山内讃岐女(永春妹) 子:千徳武丸
 陸奥・田舎館城主。陸奥・南部氏に味方して、約3千の
津軽為信の軍勢に城を囲まれ、3百余の兵で守るも落城、討死。37歳。
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