サイバー老人ホーム

354.本 物

 数少ない私の好きなテレビ番組の中で毎週欠かさず見ている「なんでも鑑定団」という番組がある。この内容をとやかく言わなくともご存知の方は多かろうと推測する。

 だからと云って、私に骨董趣味があるかというと、そこまでのめり込む裏付けとなるものが無いから、この番組を見てどちらに転んでも気を良くしているだけである。とりわけ、この番組の鑑定者の一人、中島誠之助さんが最も好きなスタッフである。

 これは、この「雑言」でも取り上げた事があるが、まず第一に、中島誠之助さんは私と同年生まれで、芸能界の加山雄三さんと合わせ、我ら昭和12年生まれにとって誇るべきエースである。尤も、焼き物に興味を持ったのは中島誠之助さんというお方を知る以前の事だから、金に眼がくらんで付和雷同したわけではない。ただ、中島誠之助さんの鑑定に対する判断は誠に歯切れがよく、よくぞこれだけ明快に鑑定されたものだと、ただ、ただ感心するばかりである。

 私が陶磁器に興味を持ったのは小学校5年生の頃で、その思いが高じて中年になって陶芸教室に通って、駄物をこしらえた事はこの「雑言(336.実学)」に記載の通りである。

 ところで、「なんでも鑑定団」でさまざまなものが出展されるが、すべてが「本物」というわけでは勿論ない。この「本物」の反対語は「偽物」という事になるだろうが、取り分け絵画の部類は「偽物」が多い様で、昔から絵画の「本物」を持ちたいという願望が強かったという事になるのだろうか。

 絵画にはキュビズムとか、抽象絵画と呼ばれる絵画があるが、どうあがいてみても分からないものは分からないで、悲しいかな分からないものを持ちたいという願望はない。

 私自身が晩年に油彩を楽しんだから、駄作とは言え、そのころ描いた「本物」の私の絵をとっかえ、ひっかえして日々楽しんでいることで十分である。ただ物と云うのは、自ら手掛けるか、「本物」を心行くまで眺めつくさなければ見定めることなどできる事ではない。

 ただ、私が云わんとして居るのは、そんなまがまがしい事ではなく、近頃、「本物」という言葉が一体何を指しているのか分からなくなったという事である。例によってGoo辞書によると「本物」というのは「偽物や造り物ではなく、実質を備えていること」という事らしい。そう云われると、近頃目にする商品の中で、いわゆる「本物」というのが一体どれほどあるか分からなくなってしまった。

 例えば一番身近な食べ物であるが、昨年、日本食がユネスコの文化遺産に登録されたという喜ばしいニュースが伝わってきたが、日々口にする食事が世界に誇れる日本食であるかというと、まったく分からない。

 例えば今では世界的に大衆化した寿司などでも、果たしてこれが「本物」の寿司かどうかは全く分からなくなった。それと云うのも、100円寿司ショップに行くと、はて?これが寿司の範ちゅうに入るのだろうかと首を傾けるようなものが随所に見える。

 さらに調味料に至っては、およそ見た事も、聞いたこともいない調味料が出回っていて、これを使った料理が果たして和食と云えるだろうかといつも考えながら口に運んでいる。日本には、昔から味噌醤油という世界に誇る調味料があるが、毎食とは言わないまでも、一日一回、味噌汁ぐらいは忘れないようにしたいものである。

 そもそも、和食いというのが形式的にも定着したのは、江戸時代中期、幕府老中田沼意次が辣腕をふるった頃で、それ以外では和食と云うものがそれほど注目されたことも無く、食うのが精いっぱいだった。

 田沼意次は、御存じ重商主義を標榜した幕閣であり、最後は、御三家田安家出で、後の白河藩藩主となった松平定信に徹底的に嫌われ、10代将軍家治の死を境に失脚した。、
 幕府財政的改革では意次のとった政策は合わなかったかもしれないが、市民には受けたのだろう。この時以外に、この国では何とか改革とか、戦乱により常に庶民は虐げられてきて、和食と誇れるものはなかった。

 身近なところで、戦後、食糧難から、代用食と云うのを毎日のように喰わされた。そもそも、日本人の標準食と云うのは、米食に、味噌汁、更に漬物というのが一汁一菜の基本的なメニューであった。それが食糧事情の悪化で米飯に様々なものが加えられ、いわゆる「かて物」のと云うのが毎食のテーブルに乗った。戦後、戦前に比べて脅威的に需要が増えたのは、糖類と脂肪関係であるそうである。その結果が、老いも若きも肥満となり、一億総生活習慣病の道をまっすぐに進んでいる。言うなれば、平成に入り世界のあらゆる食べ物が口に入るようになったが、和食いというのはそもそも腹八文目というのがあるべき姿であったと聞いている。平成の時代は云わば意次の時代ではなかったろうか。

 次に、衣類であるが、これがまたすさまじい。日本には古くから和服と呼ばれる伝統的衣服が有った。江戸時代と云わず私が社会に出たころまでは、絹織物などは武家や富裕商人のもの、百姓及び庶民は衣類と云えば木綿は上等品、並は麻布、更にその下があって水にぬれると破けてしまう人絹というのが有った。

 然るに、近頃はこれに替って化繊が加わり、和服などはおよそ目にしなくなった。勿論、デザインと云うのは無限であり、江戸時代みたいな庶民は木綿の小袖と、時の支配者から命じられるなどという事は考えられない事であるが、男女の区別までもが最近は混同し始めてきて、織布から染色に至るまで男女の差などまったく考えられなくなった。

 先日、NHKの「朝イチ」という番組で、「ステテコ」が女性の人気が上がっているというのに驚かされたが、今度は何と「ふんどし」までが流行しているとの事だが、いずれもかつては男の和服の一部であり、これが流行のなせる業か、はたまた男女の意識の混同という事だろうか。

 これが衣類に入るのかどうか分からないが、身に着ける腕時計と云うのが全く関心の外に置かれるようになってしまった。私の高校生の頃、腕時計をして授業を受ける生徒など数えるほどもいなかった。以前なら、男のアクセサリーの一つとして、当然、流行のモデルを一つと考えるのであるが、定年を過ぎてからとんと時間に対する関心がかくなってしまった。

 従って、今若者たちが身に着けている腕時計のタイプがどのようなものか等全く関心が無く、常に体内時計の赴くままになってしまった。
 尤も、時計に関心が無くなった理由にはもう一つ理由がある。私が四十になったころだったろうか、自動巻きという腕時計が開発されて、私なども喜び勇んで買ったものである。ところが、この自動巻きと云うのは誠に便利であるが、同時に極めて退屈なもので、それまでの「さあ、やろう」という意気込みまでが無くなってしまった。

 時計と云うのは、毎日ネジを巻くという動作の中で、日々にやる気を呼び起こしていたような気がする。現在は、年に2・3回の旅行の時は四十数年前に買った「本物」のセイコー「SEIKO Skyliner21」を引っ張り出してねじを巻き巻きして、耳元で作動音を確かめながら使っている。

 時計と同様に、日本人好みのものとしてカメラがある。戦後、多少生活にゆとりが出たころから中年男子を中心にこぞってカメラを買った。当時は弁当箱の様に大きい二眼レフと云うカメラを得意げに肩から下げた中年のオジサンたちがこれ見よがしに撮りまくり、日本のカメラの優秀性が世界の注目を集める切っ掛けとなった。私なども実社会に入り当時の月給の三か月分も出して最初に購入したのが「コニカV」だった。

 何年か前からこれがデジタルカメラに代わって、写真の世界は百八十度様変わりし、嘗ては押し入れの中にもぐりこみPDFに夢中になったが、今では撮ろうとしても快く応じてくれる人さえいなくなった。物と云うは極限的に安くなると興味も無くなる物らしい。

 私の趣味というより、娯楽の方に入るが、映画鑑賞と云うのがある。最近はもっぱらテレビ映画の鑑賞の方になってしまったが、それでも見たいという作品はわざわざ映画館まで出向いて鑑賞している。ところが、最近、殆んど見たい意欲を感じる映画が無くなってしまった。

 日本には、現代物と、時代物があるのは誰でも知っている。かつて、黒澤明監督をはじめとする巨匠と云われる方々が居られ、その巨匠の方々と肩を並べらていて、未だに現役としてご活躍の山田洋二監督等を除いて、近頃の映画界に、巨匠に匹敵する方がはたして居られるのだろうか。いくつか巨匠たちの作品をりメイクした作品もあるが、いずれれも見る意欲を引き出すほどの作品は無かった。

 時代物を制作するには、その時代背景や、風俗や時世を現わす時代考証と云うのが綿密に行われていた。今の時代、その時代考証を理解しようとする人もいなくなったとはいえ、いくら戦乱の中とはいえ、女性が家の中で草鞋を付けたままと云うのは、およそ日本人としてのあるまじき風俗と云えるのではなかろうか。

 日本人には、もって生まれた風習と云うのがあって、まず常に清潔であること、そして常に物静かであるという事、更に、この国には武士という階級があり、常に武器を身に着けていた。だからと云って、いつでも、どこでも刀を抜いて人に切り掛かるなどという事などはよくよくの事態でなければ認められてはおらず、想像以上に厳しい法治国家であった。

 近頃は、大声でわめき、身分不相応な豪奢な衣服を身に着け、虫けらのように人を殺害する場面ばかり目につくが、これをもってかつての本物の日本の姿を著わしていると思っているというなら大間違いである。
一方で、日本のアニメが世界的に知られた本物という事は十分に理解しているが、内容を表現する方法に於いては、一般映画では、単なる空想だけでは「本物」とは言えないのではなかろうか。と御託を並べたが、女性監督の荻上直子さんの作品は見終わっても心地よい余韻を感じ、これぞ「本物」の日本映画だと期待している人もいる。

 もう一つ、この国には昔から邦楽と云われるこの国独特のスタイルを持った様々な音楽がある。明治維新を迎えるにあたって、西洋の音楽がどっと入ってきて、この段階から、楽器ばかりでなく、音階そのものが新しい概念でこの国に持ち込まれた。

 その結果、この国は、こと音楽についても革命的な変換を求められ、歌謡曲というジャンルが生まれた。

 やがて、この国に根付いた歌謡曲は、大衆芸能として発展して、取り分け戦後、我らと同年の究極的エース、美空ひばりさんや、三橋美智也さん、春日八郎さんなどの出現により大発展を遂げた。

 ところが、昭和40年代に入ってから、それまでの歌謡曲という聖域に、ド素人がどかどか入り込んできて、作詞はもとより作曲、演奏まで手掛ける、いわゆるポップスとか、ニューミュージックが出現し、これが若者たちに承けて音楽界を席巻するまでになった。

 私のような音楽的文盲がこと音楽にとやかく言う資格もないが、音楽と云うのはそれぞれの国に適合した音楽があり、日本の場合は、邦楽と呼ばれる分野の曲がそれぞれに発展してきたが、西洋音楽の進出により、あるものは専門分野の芸能として残り、民謡などは今も根強く民芸として残っている。

 日本の音楽は総じて、やや高音領域で、メロディーは哀調を帯びたものが好まれる傾向にあるようだ。そして、歌詞は卓越した作詞家よって作られた情緒あふれるものが多かったが、テーマが女、酒、恋に偏った傾向にあり、為に、若者にとっては少々食傷気味になっていたのではなかろうか。

 ところが、最近の若者は日本人が本来持っていた情緒と言うのが無くなったのだろうか。音曲は音痴で、それに伴う詩は意味不明な字句が並んでいるだけで、情緒もへったくれもない。確かに、今の若者は、我々と違って、大概の人は何らかの楽器をこなし、楽器をこなすぐらいだから、音符も読め、従って、作曲もできるという事になる。だからと云って、今の音楽は全て日本人の感性としてそのまま後世に残る物とは全く思えない。

 昨年、由紀さおりさんの歌曲が海外で高い評価を得ているというのを聞いて、日本人より、海外の人の方が日本人の感性をよく理解している事に気が付いたが、最近、歌謡曲にもこの傾向がみられ、民謡歌手でもある「福田こうへい」君の歌に久しぶりに心地よい「本物」の日本の歌を感じている。

 加えて、「Bs日テレ」に「フォレスタ」というグループが出演する「心のうた」という番組がある。音楽の専門用語は知らないが、響きのよい高音で朗々と歌う合唱がこの国に最も適合した本物の歌声ではなかろうかと思い、しみじみと毎週鑑賞している。(14・08・15仏法僧)